進化する魂

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「核が存在していること」と「核が良いか悪いか」は別の話

2011-03-30 10:10:25 | 哲学・思想
中学生でもわかる原子爆弾と原子力発電所の作り方(金融日記)
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51808832.html

僕は、この原子力というのはものすごいイノベーションだと思う。実際、すごい数のノーベル物理学賞がこの分野に与えられていて、天才的な物理学者がたくさん関わっているんだ。原子力のイノベーションに比べたら、正直いってiPhoneとか作ってるスティーブ・ジョブズとか、ビル・ゲーツとかゴミくずみたいなもんだよ。原子力に比べられる人間のイノベーションって、僕は、二本足で立ったこと、道具を使ったこと、火を使ったこと、言葉を使ったこと、コンピュータを発明したことぐらいしか思いつかない。東日本大震災が千年に一度の大津波だったとしたら、過去千年で大きなイノベーションをふたつ上げろっていわれたら、僕は、コンピュータの発明と、この原子力って答えるな。


この記事を見て、昔のことを思い出した。
私は大学に入学して、すぐ「科学技術史」の講義でこう教えられた。
(ちなみに私は原子力とは無縁の者です。)


(原子爆弾が開発されるまでの歴史を様々な文献などから紐解きながら)

1938年、ナチス・ドイツの科学者オットー・ハーンらは、ウランの原子核に中性子を衝突させ、原子核が分裂すること(後にノーベル賞)を確認した。
その分裂の際に、大きなエネルギーが放出される(失われた質量がエネルギーに変わる)ことも。
有名なアインシュタインの式 E=mc^2 だ。

ハンガリー出身の科学者レオ・シラードは、オットー・ハーンらの実験から、核分裂が原子爆弾につながることを予見し、世界的な科学者アインシュタインの名を借りて、アメリカ合衆国大統領ルーズベルトに、原子爆弾の開発を進言する。
(アインシュタインはこの計画に関与していない。)
これは後にマンハッタン計画と名づけられる極秘の大国家プロジェクトに繋がる。
当時の科学者達の認識としては、もし、先にナチスドイツが原子爆弾の製造に成功すれば、世界は破滅するという危機感があった。

これに平行して1942年12月2日、イタリア出身の物理学者エンリコ・フェルミ(当時既にノーベル賞受賞)らは、シカゴ大学の粗末な原子炉「シカゴ・パイル1号」で人類史上初の原子核分裂の連鎖反応を制御することに成功する。
いわゆる「原子の灯火がともった日」である。

この1942年12月2日、つまり人類の歴史を「核前」と「核後」とに分けるこの日を、非常に重要な転換点と見る歴史家もいる。


科学技術史を学ぶと、歴史には「核」によるターニングポイントがあると学ぶ。
「この日を境に世界は変わった。」という。
ニュートンもアインシュタインも、そんな対象にはならないが、「核」だけは別格扱い。
(マンハッタン計画のリーダーであるオッペン・ハイマーの方が重要と言わんばかりの扱い。)
(でもグーテンベルクは別扱いかも)
そのくらい「核」は人類にとって(いろんな意味で)破壊的イノベーションであるということが叩き込まれる。

もちろん、この講義に答えは用意されない。
「科学技術に善も悪もないからだ。」と言ってしまえば少しセンチメンタルに訴えるようだが、何より、既に核は世界に拡散してしまっているという現実を直視しなければならないからだ。
答えなど用意できるはずがない。

「核廃絶を訴えていくべき!」それとも「核の平和利用を推進すべき!」と教えるべきなのだろうか。
たぶん、そんなことを主張しても虚しさがつのるだけに違いない。
政策もしくは思想として主張するならよいが、これは科学技術者の卵達に向けられた科学技術の歴史の講義である。
科学技術者の卵達に夢を語っても仕方がなく、教える側がやるべきことは、科学技術者が持つべきマインドである。

もし、「核」が「核兵器」として存在しているなら、その「核兵器」を安全に制御し得る科学技術と科学技術者が必要である。
もし、「核」が「発電機関」として存在しているなら、その「発電機関」を安全に制御し得る科学技術と科学技術者が必要である。
もし、「核」の新しい形を開発しようとしているなら、その新しい開発を安全に進め得る科学技術と科学技術者が必要である。
もし、「核」を廃絶しようとしているなら、その「核」を安全に廃絶し得る科学技術と科学技術者が必要である。

科学技術に善も悪もないが、仮に「悪」の側に科学技術があったとしよう。
しかし、その「悪」の側にもその「悪」を制御し得る「善」が必要ということだ。
「核」で言えば、「核」が存在することと「核が良いか悪いか」は別の話である。
科学技術が世界にある限り科学技術と科学技術者は必要で、そのために必要なマインドを科学技術者に叩き込むことも必要だ。

科学技術というのはセンチメンタルな夢物語ではない。
どうしようもなく、どこまでいっても現実で、立ち向かわなければならない脅威であると同時に乗り越えるべき人間の性だ。

そこに答えなどない。


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