BLOGOSであっちゃんの卒業を受けてAKB48の特集をやっていたようです。
(コメント欄ひどいな・・BLOGOSの知的水準が・・疑われます。)
気になる記事があったので、勝手に引用させて頂きます。
貶めるために引用するのではなく、あくまでも議論を深めるためにです。
フロッグ&トードさん、気を悪くしたら申し訳ありません m(_ _)m
(大学院の学生さんらしいので、きっと突っ込まれるのには慣れてますよね~・・。)
AKB48とスターシステム(フロッグ&トード)
http://blogos.com/article/35266/
[前略]
さて、スターが現れれば安心かというとそんな訳はなく、スターを維持せねばならない。スターの維持とは、1人のスターをスターであり続けさせても良いし、新たなスターを生み出しても良い。そして、AKB48(勿論、先駆けとなるモーニング娘。も)は後者を取る。女性アイドルの寿命は、おそらく男性のそれよりも短いだろう。(アイドルの性差については、凜氏が触れているように学問的に深める余地がある。)
結果として、同じスターに依存していては、システムの維持は難しいだろう。新しいスターを生み出す事で、初めてAKB48というスターの維持にもつながる。ここまでの議論からスターシステムを再定義すると、「スターを常に供給する事で維持可能な営業方法」であると言えるだろう。前田敦子を「卒業」させるという事は、「新たなスターが育った」若しくは「新たなスターが生まれる見込みが出来た」とマネジメント側が判断したからではないか(勿論、形式的には本人の自発的な、それも突然の卒業という事になっているので、その形を全面的に信用するならば、この説明では駄目だが。)
[中略]
以上の議論から考えると、「卒業」という現象に着目して分析する向きは多いが、それはあくまでも「話題性」の為に存在し、アイドルグループ全体を分析する上では本質ではない。言うなれば、「卒業」という名前を付けているだけなのだ。
私なんかAKB48ヲタを語れるほど詳しくもない人間ですけれども、そんな私でも、これを読んでものすごい違和感を感じました。
「あぁ、AKB48って理解されていないんだなぁ・・。」と少し残念な想いがしました。
(経済学の大学院生だっていうからさぁ。ごめんねきつくて。)
その点、小幡さんはさすがの内容ですね。
前田敦子 卒業するのは何からか
http://blogos.com/article/34992/
組織というモノは不滅にはなり得ない。なぜなら、組織は生きているのであり、組織は内的にも外的にも同じところにとどまってはいられないからだ。
Perfumeは組織ではない。AKBは組織だ。これが両者の決定的な違いである。おニャン子クラブとAKBの比較がなされることも多いが、両者は本質的には同一である。おニャン子クラブは、秋元康氏の描いた図に反して、消滅させられてしまった。そこで、今回はきちんとしたある程度継続可能でマネジメント可能な組織として打ち出してきたのである。
では、つれづれなるままに語らせて頂きます。
◆◆◆◆◆◆
まず、なぜ前田敦子の「卒業」が衝撃的であったのかを知らねばならない。
小幡さんが言うように、そして当Blogで腐るほど繰り返すように、AKB48は「組織」である。
この認識なくして、あっちゃんの卒業の意味を理解することはできない。
前田敦子の卒業が注目を集めたのは、前田敦子が「スーパースター」だからではない。
前田敦子がAKB48の「センター」だからである。
それも「絶対的エース」という名で呼ばれるほどの、唯一無二の「センター」だったのだ。
前田敦子はAKB48という巨大な組織の「要」だったのである。
(これを読んでさらに補足!『AKB48のタオ<道> 空っぽの絶対的エース 前田敦子』)
だから、前田敦子の卒業は、AKB48にとって痛手だというレベルの話では済まない。
組織というのは「要」を失うと、その形を維持することが難しくなり、混乱をきたす。
場合によっては存続そのものが危ぶまれる状況に追い込まれてしまうこともある。
前田敦子の卒業は、AKB48という組織の未来を不確実なものにしてしまうくらい衝撃的な出来事だったのである。
(安定していたものが不確実なものになるということ。ダメになると言っているわけではない。)
だから、あっちゃんアンチでも、AKB48のバランスが崩れることによる不確実性に不安になったのだ。
組織の構造上のバランスが崩れて、それをとりまくAKB48エコシステム全体への不確実性が高まり、不安や動揺が広がった。
最近だと、リーマンショックの時に金融機関が破たんして不確実性が高まり、世界中に信用不安が渦巻いたことがあったが、メカニズムとしては、それと似ている。
だから、「話題性のため」でもなんでもない。
もちろん、一方では、バランスが崩れることで、新しい芽が育つチャンスにもなる。
(コメント欄ひどいな・・BLOGOSの知的水準が・・疑われます。)
気になる記事があったので、勝手に引用させて頂きます。
貶めるために引用するのではなく、あくまでも議論を深めるためにです。
フロッグ&トードさん、気を悪くしたら申し訳ありません m(_ _)m
(大学院の学生さんらしいので、きっと突っ込まれるのには慣れてますよね~・・。)
AKB48とスターシステム(フロッグ&トード)
http://blogos.com/article/35266/
[前略]
さて、スターが現れれば安心かというとそんな訳はなく、スターを維持せねばならない。スターの維持とは、1人のスターをスターであり続けさせても良いし、新たなスターを生み出しても良い。そして、AKB48(勿論、先駆けとなるモーニング娘。も)は後者を取る。女性アイドルの寿命は、おそらく男性のそれよりも短いだろう。(アイドルの性差については、凜氏が触れているように学問的に深める余地がある。)
結果として、同じスターに依存していては、システムの維持は難しいだろう。新しいスターを生み出す事で、初めてAKB48というスターの維持にもつながる。ここまでの議論からスターシステムを再定義すると、「スターを常に供給する事で維持可能な営業方法」であると言えるだろう。前田敦子を「卒業」させるという事は、「新たなスターが育った」若しくは「新たなスターが生まれる見込みが出来た」とマネジメント側が判断したからではないか(勿論、形式的には本人の自発的な、それも突然の卒業という事になっているので、その形を全面的に信用するならば、この説明では駄目だが。)
[中略]
以上の議論から考えると、「卒業」という現象に着目して分析する向きは多いが、それはあくまでも「話題性」の為に存在し、アイドルグループ全体を分析する上では本質ではない。言うなれば、「卒業」という名前を付けているだけなのだ。
私なんかAKB48ヲタを語れるほど詳しくもない人間ですけれども、そんな私でも、これを読んでものすごい違和感を感じました。
「あぁ、AKB48って理解されていないんだなぁ・・。」と少し残念な想いがしました。
(経済学の大学院生だっていうからさぁ。ごめんねきつくて。)
その点、小幡さんはさすがの内容ですね。
前田敦子 卒業するのは何からか
http://blogos.com/article/34992/
組織というモノは不滅にはなり得ない。なぜなら、組織は生きているのであり、組織は内的にも外的にも同じところにとどまってはいられないからだ。
Perfumeは組織ではない。AKBは組織だ。これが両者の決定的な違いである。おニャン子クラブとAKBの比較がなされることも多いが、両者は本質的には同一である。おニャン子クラブは、秋元康氏の描いた図に反して、消滅させられてしまった。そこで、今回はきちんとしたある程度継続可能でマネジメント可能な組織として打ち出してきたのである。
では、つれづれなるままに語らせて頂きます。
◆◆◆◆◆◆
まず、なぜ前田敦子の「卒業」が衝撃的であったのかを知らねばならない。
小幡さんが言うように、そして当Blogで腐るほど繰り返すように、AKB48は「組織」である。
この認識なくして、あっちゃんの卒業の意味を理解することはできない。
前田敦子の卒業が注目を集めたのは、前田敦子が「スーパースター」だからではない。
前田敦子がAKB48の「センター」だからである。
それも「絶対的エース」という名で呼ばれるほどの、唯一無二の「センター」だったのだ。
前田敦子はAKB48という巨大な組織の「要」だったのである。
(これを読んでさらに補足!『AKB48のタオ<道> 空っぽの絶対的エース 前田敦子』)
だから、前田敦子の卒業は、AKB48にとって痛手だというレベルの話では済まない。
組織というのは「要」を失うと、その形を維持することが難しくなり、混乱をきたす。
場合によっては存続そのものが危ぶまれる状況に追い込まれてしまうこともある。
前田敦子の卒業は、AKB48という組織の未来を不確実なものにしてしまうくらい衝撃的な出来事だったのである。
(安定していたものが不確実なものになるということ。ダメになると言っているわけではない。)
だから、あっちゃんアンチでも、AKB48のバランスが崩れることによる不確実性に不安になったのだ。
組織の構造上のバランスが崩れて、それをとりまくAKB48エコシステム全体への不確実性が高まり、不安や動揺が広がった。
最近だと、リーマンショックの時に金融機関が破たんして不確実性が高まり、世界中に信用不安が渦巻いたことがあったが、メカニズムとしては、それと似ている。
だから、「話題性のため」でもなんでもない。
もちろん、一方では、バランスが崩れることで、新しい芽が育つチャンスにもなる。
ナイナイ岡村「AKBドキュメント見る宣言」
http://blog.livedoor.jp/akb48siritame/archives/4865498.html
岡村さんは握手会商法が嫌いで、おニャンコアレルギーのあった人なのですが、「変化が速すぎて時代についていけてない人みたいになりそうなので、ドキュメントを見て勉強してAKBを語るようにならなければ」という内容のことを言っておりました。
芸能界で「アンチ」とされている人達の卒業への反応は大きく分けて2種類。「いちアイドルグループの一人がやめるって事なんかどうでもいい」と言って、無関心姿勢を変えない人(文化人に多い)。重大な変化が生じることを肌で感じて、身構える人(お笑い芸人に多い)。
時代に合わせて価値観を変えていかなければならない仕事の人々は、前田敦子卒業という「喪失」をきっかけとして、否応なく「価値観の転換」が迫られている、という印象です。
それと、恐慌の比喩が、最近読んだ浜矩子の記事を思い出させたので載せておきますね。
簡単にまとめると、「かつて、恐慌がおこれば経済は必ずバランスを取り戻すという関係が成り立っていたが、ヒト・モノ・カネのグローバル化によって、この関係が崩れ、恐慌の無限ループが現出しかねない。一方、中央銀行の国債買い入れなどによる余り金は最貧国の底上げにつながる可能性が少しだけある」という感じです。
http://www.cafeglobe.com/news/hama2/
AKB48は多くの芸能事務所の連合体のような特徴がありますが、恐慌の無限ループはまさかないですよね・・・?
いわゆる知識人の方がまだ理解してる人がいると思います。
いつもコメントありがとうございます。
>ナイナイ岡村
いいですね~!(笑)
実際にAKB48から学ぶことは多いと思いますよ。
事件は現場で起きているんですよね。
そして、その現場がAKB48には山ほどあると。
>無関心を装う人と変化を感じる人
どの世界でも同じですよね。
ほんとうに、あらゆるレベルで同じことが起きています。
日本全体から小さな組織、そして個人のレベルにも
学習障害を抱えているのですよ。
学習障害は、あらゆる組織を蝕む本当に恐ろしい病なのです。
本当に。
>恐慌の無限ループ
規模の拡大とともに、依存関係が複雑になり過ぎてコントロールできる機関が存在しない、ということでしょうね。
ただ、
>AKB48は多くの芸能事務所の連合体のような特徴がありますが、恐慌の無限ループはまさかないですよね・・・?
不確実性の高まりで信用不安が起きるとは思いますが、今はやすす先生がいて、彼のコントロールに対する信頼性が非常に高いので、信用不安から負の連鎖が起きることは抑えこめると思います。
ここは触れてはいけないところなのかわかりませんが、そもそもAKB48という巨大組織が、何の力によってガバナンスされているか非常に興味深いところです。
情報がないからよくわかりませんが、少しAKB48に関する資本関係を見てみると、秋元康氏がなぜ支配権を行使できるのか、東洋的な組織に見られるような人的コネクションによるものだと思うのですよね。
だから、秋元康氏がいなくなったらこの組織は崩壊するのは間違いなさそうです。
彼によって統合されている組織だからです。
後継者を育成はできそうにないですね。
彼以降もAKB48を維持するのであれば、資本の論理で統一するしか方法はないと思います。
しかし、それは同時にAKB48を大企業化させて自滅する道へと繋がるでしょう。
秋元康氏なくして成り立たないが、その構造そのものがAKB48の生命源にもなっているという、そんな構図だと思います。
コメントありがとうございます。
建設的な意見であれば、いいのでしょうけれどね~。
どうしても偏見を持ってる人は・・