粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

食品と防衛、最も安全な福島と沖縄

2015-11-22 18:30:47 | 反原発反日メディア

反原発メディアの毎日新聞らしい記事を見つけた。

 

「チャリティーイベント:福島へ県産野菜送ろう 購入物の一部を寄付 23日・鳥栖 /佐賀」

 

県内の自然農や有機栽培農家の野菜を福島県へ送るチャリティーイベント「福島の子ども達に佐賀の野菜を送ろう!収穫祭」が23日午前11時~午後2時、鳥栖市元町の鳥栖キリスト教会で開かれる。市民団体「原発を考える鳥栖の会」主催。同教会の関係先などを通じて福島市や郡山市などの被災者へ送る。

 同会は東日本大震災以降、県内の野菜を福島原発事故の影響にさらされている被災者に送る活動に携わり、今回初めて収穫祭イベントとして実施する。

 野菜を販売するのは鳥栖市や鹿島市などの農家。購入した参加者は、その一部を福島県に送るよう寄付する仕組みになっている。入場料300円も野菜の送料に充てられる。

 会場では自然食の料理や豚汁の店も出るほか、催し物として午前11時、腹話術▽11時半、映画「東京原発」上映▽午後2時半、フラダンスや音楽などのステージ--がある。

 同会の野中宏樹さんは「九州と福島をつなぐ企画にしたい。私たちは福島を忘れません」と意気込む。問い合わせは野中さん090・4276・4438。【上田泰嗣】

 

要するに、このチャリティを開催した団体の目的は、福島の野菜はいまだに「危険」だから、「安全」な佐賀の野菜を送って支援しようということのようだ。しかし、この団体は善意のつもりで行っているのだろうが、福島県民には有難迷惑な話だろう。特に福島の農家にとってはやりきれない思いだろう。

毎日新聞は、反原発メディアとはいっても、朝日新聞のように批判の対象が政府や東電といったトップの原発当事者でなく、福島県内の一自治体の帰還政策だったりする。(住民の不安の声が無視されているとかだ。)あるいは、国内のマイナーな反原発団体が行う地味な「福島支援活動」に毎日新聞は焦点を当てて取り上げる。今回の記事もその典型であり、ご丁寧に団体の連絡先まで掲載する念の入れようだ。

もちろん、記事ではこの団体が反原発とは書いていないが、検索で「原発を考える鳥栖の会」のページを探すとその性格は明らかに「反原発」であることがわかる。トップには再生可能エネルギーのエピソード記事があり、「原発について」の項目ではある反原発技術者の主張が紹介されていて「安全は机上の話」といった言葉が躍っている。

原発事故以来、反原発の学者、評論家、そして市民団体によって福島の食品の危険性が盛んに叫ばれ、反原発メディアがそれを好んで記事にした。結果的に国民の間に一時放射能恐怖症を引き起こした。しかし、時間の経過とともに国民も冷静さを取り戻し、原発事故から4年半たった現在、原発事故と食品を結びつける風潮を沈静化したかのようにみえる。

ただ、一部国民には放射能後遺症が依然として消えないのも事実だ。だから、こんな団体の活動は、メディアにとっては掲載価値があるのだろう。結果として福島の食品の危険性が蒸し返される。

しかし、あるブログ(狼魔人日記)にこんな記事があった。

食品と農業の専門家である小泉武夫・東京農大名誉教授によると、現在市販の野菜は一番厳しい検査を受けた福島産の野菜が一番安全だという。

 

自分も小泉名誉教授の説明に賛同する。原発事故以来、福島県ほど徹底した食品の検査をしている県はない。当然安全基準を超えた食品は市場には出回らない。しかも日本の基準は世界一厳しいとされている。したがって、これをクリアーした福島の食品が国内はおろか世界で最も安全といえる。

福島の農家が出荷するものは安全のお墨付きを得ている訳で、極端な言い方をすると佐賀よりも安全かもしれない。だから、冒頭のチャリティなど福島の農家からすれば偏見と差別でしかなく、憤懣やるかたない話であろう。

話は変わるが、紹介のブログ「狼魔人日記」は沖縄の基地問題を中心に取り上げていている。基地反対の活動家や県内メディアに批判的であるが、それも事実に基づいた検証を試みており、沖縄を考える上で貴重な記事を提供してくれている。記事を読んで日頃思うことは福島と沖縄が現在置かれている環境は共通する部分が多々あるという点だ。

原発問題と沖縄基地問題は、安保法制などとともに国論を二分する問題であり特に左傾系の団体、組織、メディアが「反原発」「反基地」でキャンペーン活動を続けている。左派系側は福島と沖縄の住民は国策の被害者であるとして、その人権侵害ということが声高に叫ばれる。しかし、その主導者は当の県民ではなく県外の活動家が多く、また県内でもほんの一部のプロ市民でしかない。

そして沖縄でも「危険性」が重要なキーワードとなっている。沖縄に米軍基地があることで反日反米の隣国からの攻撃で危険に晒されるという点だ。具体的には中国や北朝鮮のミサイルの標的にされるということだ。だから、辺野古移設に反対する活動家たちにとっては「基地こそ戦争の源泉」ということになる。その結果、翁長県知事の言葉に代表されるように「沖縄に基地をつくらせない」というスローガンになる。

しかし、考えてみれば、沖縄の基地に中国や北朝鮮がミサイルを打ち込めばそれこそ米国への宣戦布告になる。衰えたとはいえ、米国は世界最大の軍事国である。そんな大国の施設に向けて敵国が安易にミサイルを発射するだろうか。否である。いわば沖縄の基地は十分な「抑止力」になっているのだ。

これはフィリッピンの米軍基地で立証済みである。同国に米軍基地が存在する間は中国も南シナ海で今日のような乱暴狼藉を働くことはなかった。フィリッピンの世論が反米で沸騰して米軍が基地を撤収してから、中国は躊躇なく南シナ海の侵を開始した。抑止力という重しを失ったときの悲哀が現実となってしまった。

そういう意味で沖縄の米軍基地は防衛上安全が担保されているといえる。もちろん基地のもつことに負の部分はあり、政府や国民が考慮すべきだ。しかし、反基地活動家たちのプロパガンダに乗せられることは決してあってはならない。福島の食品の安全が反原発活動家によって損なわれることがあってはならないと同様に。


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