粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

風評被害を正当化する政治家

2013-07-07 14:59:18 | プロ市民煽動家

参議院選挙選真盛り、先日東京・秋葉原に出かけたら、山本太郎候補(東京選挙区)の選挙カーに遭遇した。「脱原発といえば」という車内の呼びかけに本人が手を振りつつ「ヤマモトタロー」と応えるというパターンで連呼していた。一方では同じ時間帯に日本維新の会アントニオ猪木候補(比例区)の宣伝カーが通り過ぎていった。

この原発問題は、今回の選挙戦ではどの程度焦点になるのかわからない。山本太郎候補の得票結果がそれを反映しそうだ。本人のやる気満々の様子が嫌が上でも伝わってきたが。

そんな原発問題である野党候補者の選挙演説が気になった。その候補者はテレビ報道でこんな演説をしていた。「風評被害というのは実害です。風評被害という言葉は使ってはいけないんです。」、と。

原発事故当時、反原発を唱える人々がよく口にしていた。しかし、自分には風評被害を正当化するいい訳にしか思えなかった。東北や関東の野菜が拒否される。あるいは被災地の観光地が敬遠される。酷いのは被災地から避難した人々が宿泊を拒否されたり、そこの子どもたちが放射能が移ると特別扱いされる。さらには福島の女性の縁談が破談になったりする。

逆にこうした対応を受けた側は、東電の実害だから仕方がないと思うだろうか。少しでも想像力を働かせればそんな単純なものではないことがわかる。そこには相手に対する無知があり、それが偏見となっていく。さらに差別へと拡大していく。原発事故での風評被害の深刻さは測りがたいものがある。そして今も選挙の候補者から、ごく当たり前のように否定的な言葉が発せられる。

こうした風評被害に対するデリカシーの無さが、今の日本を重苦しい空気として覆っている。そしてそれを問題にしないメディアが、一方で高市発言に異常に反応する。どこか歪な構図が相変わらず世論をリードしている。


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