粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

安倍談話でうっちゃられた朝日新聞

2015-08-17 16:22:02 | 反原発反日メディア

14日、安倍首相の70年談話会見を夕方のフジテレビのニュース番組で中継を見ていた。この番組には村山元首相がゲスト出演しており、安倍首相が談話を語る画面の右下にこれを聞く元首相の表情が同時にモニター画面で映されていた。

元首相は安倍談話に終始不機嫌な表情をしていて、いかにも70年談話に賛成できないという気持ちが露にでていた。それもそのはず、安倍首相は村山談話を引き継ぐと表明しながらも、その本意は村山談話固執からの決別宣言といえるものだった。

多くのメディアでも言及しているが、以下の文言が談話の核心部分だ。

あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

談話の意図はこの一文に集約されているといってよい。もう日本は敗戦国として押し付けられた理不尽な罪悪感から解放されるべきであり、余計な謝罪は必要ない…。これはいまだに日本に対して謝罪と補償を要求する中国、韓国への明確な意思表明である。あるいはこれらの国に終始おもねっている日本国内の反日言論への挑戦状でもある。

だから、反日言論の代表格である朝日新聞が安倍談話に最大級の不快感を示したのは当然である。翌日の社説で「こんな談話なら出さないほうがよかった」と怒りをあらわにしている。朝日は安倍談話には「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」といった村山談話のキーワードを盛り込むことを要求していた。そして朝日が事前にこの四つが含まれていることをスクープして鬼に首をとったように浮かれていた。しかし、結果的には談話の趣旨が朝日の間逆になっていてまさに「うっちゃり負け」だ。

安倍談話をよく読めば「侵略」「植民地支配」の2語は「反省」「お詫び」と切り離されて直接に結びついていない。しかも「侵略」「植民地支配」にしても主語がはっきりしておらず、日本というよりも当時の帝国主義国全般という印象すら与える。このあたり、談話が巧妙に練られたことが察知される。

そして、安倍首相は過去に真摯に向かう必要性を認めつつ未来志向を強調している。

私たちは国際秩序への挑戦者となってしまった過去をこの胸に刻み続けます。だからこそ我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値をゆるぎないもとして堅持し、その価値を共有する国々と力を携え、積極的平和主義の旗を高く掲げ、これまで以上に貢献してまいります。

結論は過去の談話には見られない格調高い「民主主義と平和の宣言」になった。こんな未来志向を朝日新聞は苦々しく思っていることだろう。安倍首相を叩くつもりが、これでは隙がない。おまけに朝日新聞が嫌いな安倍首相の「積極的平和主義」まで言及されてはやられ放題の心境だろう。

もちろん、朝日新聞が全面支援?している中国韓国も同様だ。特に中国にとっては「自由、民主主義、人権」といった言葉はおぞましいに違いない。あるいは「「国際秩序の挑戦」といった刺激的なフレーズも中国は安倍首相による過去日本への反省というより自国への当てつけに映っているだろう。

そして、ひたすら中国にすり寄る韓国に対しても安倍首相の厳しい目が注がれている。「千年も恨み続ける」と言い放った朴槿恵大統領へは「いい加減、過去の事実を歪曲して無理難題の謝罪を要求するのは止めろ」と言わんばかりだ。そんな歪んだ過去にこだわっている国に未来はない。もちろん、一度は捏造を認めたが、韓国に同調していまだ慰安婦問題で騒いでいる朝日新聞に対しても安倍首相は追求を緩めていない。

 

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