粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

住民説明会の模様はビデオで徹底公開を

2012-02-28 00:05:21 | ガレキ広域処理問題

これまで度々取り上げたガレキの広域処理問題。特に神奈川県の場合、最終処分場がある横須賀市の住民ばかりか、市長まで反対の姿勢を示し、困難に直面している。そんな中、この騒動の一つの真相というべき一面を垣間みるニュースがあった。やや旧聞に属するが、神奈川新聞2月21日付けの記事だ。


がれき」番組、県HPから削除/神奈川 

県は21日、がれき受け入れ問題をテーマに制作されたテレビ番組を 県ホームページ(HP)から削除した。面会した吉田雄人横須賀市長から 「反対の大きな声を上げているのは一部の活動家とみられる人たちであり、 地元には誤解されると困るという人もいる」と伝えられ、黒岩祐治知事が 削除を指示した。 

番組は県の企画・提供でtvkが制作した「復興2012かながわの苦悩~ 震災がれき受け入れを考える」。知事が被災地を視察した際の映像のほか、 県最終処分場がある横須賀市で開催した対話集会の様子などを収録。 会場で受け入れ反対を大声で叫ぶ参加者の姿などが映っていた。

 12日に放映された後、県HPで視聴可能だった。 知事は「どの人が地元の人なのか分からないが、誤解を与えるようなら、 ただちにHPから降ろすという決断をした」と述べた。


要は県のガレキ問題の取り組みを収めた公開ビデオのうち「横須賀住民説明会の模様だけは、問題があるから削除してくれ」と吉田横須賀市長に言われて黒岩神奈川県知事が了承したということだ。問題は集会には住民とは関係ない「一部活動家が大声で叫んだ(騒いだ)事実を市長が認めた」ことだ。つまり自分がしばしばブログで問題にしている「プロ市民の関与」である。「大声で叫ぶことで穏便に進行すべき集会を混乱させる」いわば圧力団体である。それによって彼ら独自の反原発思想を実行しようという意図があるのだ。

したがって、「彼らと一緒に見られたくはない」という住民の気持ちはある面理解できる。しかしこれらプロ市民と住民は完全に一線を画しているといえるのだろうか。完全にそうであったら、集会でプロ市民の不干渉あるいは退去を住民みずから申し出ても不思議でない。しかし現実はそうではなかった。したがって住民とプロ市民との間にはなんらかの「協議」があったのではないかと勘ぐりたくなる。悪く言えば事前につるんでいた可能性がある。

ただ住民全てがそれに関与したとは思えない。住民でもプロ市民に共鳴している一部の先鋭的な人間(すでにプロ市民に感化されている)がいたのではないかと推測される。しがって実際の集会の核心は、こうしたプロ市民と先鋭化した住民の共同行動といってよいのではないか。そして集会に参加した住民の多くが、これら過激な行動に誘導されていったというのが真相だろう。

集会のビデオをみれば騒いでいる人間が誰かがわかるはずだ。しかし「住民の要望」で市長が集会部分を削除するように県に要求したため、結局その肝心なところが有耶無耶になってしまった。

だからこうした公開ビデオは、住民説明会の正当性を確保するためには絶対必要である。よく住民が当局側の透明性を要求するが、同時に住民の透明性もなされなければならないと考える。そうでなければ「住民の総意」などとお世辞にも言えないはずだ。

東京新聞は市民の意思は重いと論評しているが、「重苦しい」というのが正しいだろう。そして横須賀市長の決定はあまりにも「軽い」といえるのではないか。


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