粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

全然盛り上がらない「再稼働反対デモ」

2015-08-08 18:51:18 | プロ市民煽動家

今月11日に、鹿児島川内原発が事故後新しい規制基準で初めて再稼働するというのに、これに反対するデモがまるで盛り上がらない。たとえば7日に行われた官邸前、国会周辺のデモは主催者発表でも4800人という寂しさである。しかも、これまで反原発デモで主導的に進めてきた首都圏反原発連合にしてこの数字である。もちろん主催者発表だから、これまでの「水増し癖」を考えると千数百人がせいぜいだろう。これでは「国会包囲」もままならない。

以前から言われていたことだが、反原発の運動はそれ以降沸き上がった秘密保護法反対や安保法案反対とそのスタイルが酷似している。太鼓に合わせてお決まりのスローガンを連呼するワンパターンである。彼らが掲げるプラカードも「フォント」が瓜二つだ。こういうのを「お里が知れる」というのだろう。昔、反原発でデモをした人々が今は安保法案反対に執心する。しかし、そういう人が今更反原発デモに戻るのは気が引ける。意地悪な見方をすれば、昨日安保法案に反対し、今日反原発デモに参加すると、下手をすると「掛け持ち」がばれてしまうと心配しているかもしれない。

だから、こうしたデモはメディアがいうような「自然発生的に沸き上がった民意のうねり」なととは決して考えられない。ある特定の市民団体それも政党や組合と深く関わった組織が意図的に主導したデモ、というのが正確なところだろう。確かにそれに触発される一般市民は一部参加するだろうが、「掛け持ち」するほど暇ではないしそこまで「士気」は高くない。

だから、再稼働反対デモもこのまま盛り上がらずすぐに消えていくだろう。川内原発に続いて他の原発が次々と再稼働するが、回を重ねることに反原発のパワーは減退していくだろう。その経過を経て初めて日本のエネルギー問題で冷静で建設的な議論が始まる。「膨大な犠牲と悲劇を生んだ東京電力の福島第一原発事故」(朝日新聞)などと煽っていては前に進まない。


コメントを投稿