イタリアのオートバイメーカー「モルビデリ」ですよ。
元々は家具屋として創業していたのですが、
オーナーのジャンカルロ・モルビデリさんのオートバイレースに対する情熱で、
オートバイ生産に乗り出します。
逆に言えばレースチームを結成したいがために家具屋を開業したとも言われています。
WGPへの参戦は69年からで最初は500ccクラスにエントリーします。
で、このタイミングで受注ながら市販車の生産販売も開始し、
完全なバイクメーカーになっていきます。
75年には125ccクラスで初のチャンピオンに輝き、
77年には125cc、250cc共に総合タイトルを獲得します。
また、この頃になると市販用レースマシンも販売するようになり、
販売的にもレース的にもかなりの成功を収めることになるんですよね。
最終的には82年シーズンまでチーム活動を行っていますが、
強力な日本製のマシンに勝てないことが分かり撤退してしまいます。
市販車に関してはその後も継続して生産されていますが、
94年に発表した液冷32バルブ・847cc90°V8エンジン、
シャフトドライブでマニュアル5速の革新的なスポーツツアラーバイクを最後に
製造を中止してしまいます。
現在は工場を博物館に改造しかつてのマジンを展示しているようです。
どちらかと言うと市販車販売のメーカーというより、
レースマシンを作りレースをしてた会社というイメージです。
イタリアならではですね。
元々は家具屋として創業していたのですが、
オーナーのジャンカルロ・モルビデリさんのオートバイレースに対する情熱で、
オートバイ生産に乗り出します。
逆に言えばレースチームを結成したいがために家具屋を開業したとも言われています。
WGPへの参戦は69年からで最初は500ccクラスにエントリーします。
で、このタイミングで受注ながら市販車の生産販売も開始し、
完全なバイクメーカーになっていきます。
75年には125ccクラスで初のチャンピオンに輝き、
77年には125cc、250cc共に総合タイトルを獲得します。
また、この頃になると市販用レースマシンも販売するようになり、
販売的にもレース的にもかなりの成功を収めることになるんですよね。
最終的には82年シーズンまでチーム活動を行っていますが、
強力な日本製のマシンに勝てないことが分かり撤退してしまいます。
市販車に関してはその後も継続して生産されていますが、
94年に発表した液冷32バルブ・847cc90°V8エンジン、
シャフトドライブでマニュアル5速の革新的なスポーツツアラーバイクを最後に
製造を中止してしまいます。
現在は工場を博物館に改造しかつてのマジンを展示しているようです。
どちらかと言うと市販車販売のメーカーというより、
レースマシンを作りレースをしてた会社というイメージです。
イタリアならではですね。
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