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マーニ。(番外篇vol.416)

2013年12月16日 08時55分17秒 | Weblog
イタリアの比較的新しいバイクメーカー「マーニ」ですよ。

かつてジレラやMVアグスタのレースマシンで活躍した、

アルトゥーロ・マーニさんが78年に設立した会社です。

当初はMVアグスタ用のカスタムパーツやコンプリートマシンを

製造していたのですが、

のちに既存のパワーユニットを流用したオリジナルバイクの製造に着手します。

その初のバイクとして80年に発表されたホンダCB900F用エンジンを搭載したモデル、

HM1は「マーニ」のオリジナルバイクとして売り出されます。

また、 BMW製R100用空冷4ストロークエンジンを搭載したMB2などもありましたね。

基本的にはフレームやホイールなどがオリジナルで、

エンジンはいろんなメーカーものを使用しています。

特に90年代以降はほとんどがモト・グッツィ製空冷4ストロークV2エンジンを搭載しており、

スフィーダというバイクは受注に応じてタイプ別にカスタム化されいます。

バイクメーカーとしてはかなり小規模なのですが、

日本でも正規代理店として福田モーター商会で販売されています。

とにかく少量生産だったり、オーナーの好みで製造出来る、

受注パイクが主流なのでレア感はありますね。

知る人ぞ知るバイクメーカーです。


ベネリ。(番外篇vol.415)

2013年12月14日 09時31分41秒 | Weblog
イタリアのオートバイメーカー「ベネリ」ですよ。

未亡人であったテレサ・ベネリさんが6人の息子のために資産を投じて

創業したとされています。

当初はオートバイの修理を主に行っていたのですが、

1920年に自社製のエンジンを開発。

これはいわゆる自転車に搭載した補助的なもので、本格的なバイクとしては

翌年21年に作られた98ccエンジンを搭載したものとされています。

また23年から息子の1人であるトニーノ・ベネリさんがレースに参戦するようになり、

会社は完全なバイクメーカーとなっていきます。

戦前までにイタリア国内のレースで多くの優勝を飾り、

マシンもスーパーチャージャーを搭載した250cc4気筒エンジンまで開発するように

なっていました。

戦後は工場の焼失により49年まで復旧することが出来ず、

6人兄弟の長男であったジュゼッペ・ベネリさんが親族会社から独立してモトビ社を設立。

「ベネリ」製のオートバイを引き継ぐカタチで生産を開始します。

50年代は多彩な排気量や2サイクル、4サイクルとラインナップを増やしていくのですが、

69年にジュゼッペ・ベネリさんが他界すると「ベネリ」とモトビは併合することになります。

80年代に入ると日本製のバイクにテクノロジーについて行けなくなり、

88年にモト・グッツィと合併を余儀なくされます。

ここ以降は「ベネリ」としてのバイクは消滅したカタチになり、

最終的には工場も売却され消滅してしまうんですよね。

しかし、95年に新オーナーのアンドレア・メルローニさんの手により、

復活をとげると最新スポーツモデルに取り掛かり再建を果たしていきます。

現在は中国の銭江グループの傘下にあり、レースなどにも参戦しています。


ビモータ。(番外篇vol.414)

2013年12月13日 09時01分45秒 | Weblog
ヴァレリオ・ビアンキさん、ジュゼッペ・モーリさん、マッシモ・タンブリーニさんの

3人によって、当初は空調設備の会社として66年に設立したのが「ビモータ」ですよ。

イタリアのバイクメーカーとしてはまだ新しい会社なんですよね。

3人の中でマッシモ・タンブリーニさんの趣味であったバイクカスタムが功をそうし、

独自でホンダ・ドリームCB750FOURをフレームから作り直したHB1モデルが、

「ビモータ」の初号機となります。

80年にはヤマハ市販レーサーTZ350のエンジンを搭載したYB3が、

世界GPの350ccクラスで優勝したことで「ビモータ」の名が広まり、

本格的に市販車を発売するメーカーへと転向します。

83年には中心角であったタンブリーニさんが会社を去ると、

次はドゥカティから移籍してきたフェデリコ・マルティーニさんがチーフエンジニアとなり、

次世代の「ビモータ」開発に乗り出します。

80年代後半になると国内販売より日本での販売が増え、

会社の体制は順調なものになっていくのですが、

そんな最中、89年にマルティーニさんがジレラに転職してしまい、

新たにピエルルイジ・マルコーニさんがチーフエンジニアといて受け入れられます。

この新体制は、「高品質ながら少数生産」というそれまでの方針を改め、

商業的成功を目標に生産数増加を目指し、

それまでの「ビモータ」とは違った路線の車種も充実させることになります。

しかし、生産体制が御粗末だったのか98年に発覚した設計ミスとして販売されてた

SB8Kモデルの問題で窮地に追い込まれることになります。

その後、改善を計ったのですが売れ行きは伸び悩み残念ながら会社は00年に倒産してしまいます。

しかし、03年にイタリアの資産家ロベルト・コミーニさんの手により復活。

現在では独創的なバイクを少量ながら販売する高級メーカーとして、

再建に向かっている状況です。


ビアンキ。(番外篇vol.413)

2013年12月12日 09時02分25秒 | Weblog
イタリアの老舗メーカーの「ビアンキ」ですよ。

創業は1885年からで自転車の製造会社として設立されます。

1887年には世界に先駆けてエンジン付き自転車を発表。

1903年には現在の原型にもなるフレームの強化されたオートバイを設計します。

1910年代には500cc単気筒を積んだモデルが脚光を浴びて、

一躍有名メーカーとして君臨することになるんですよね。

第二次世界大戦までにイタリア国内で数多くのレースにも参戦しており、

単気筒ながらDOHCエンジンの開発にも成功します。

戦後は創業者であったエドアルド・ビアンキさんから、

息子のジュゼッペ・ビアンキさんに引き継がれ中型バイクを中心に製造を続けます。

多彩なエンジンバリエーションを誇る「ビアンキ」として、

市販車やレースマシンを製造していくのですが、

60年代に入った頃から経営難に追い込まれるようになり、

67年にはイノチェンティ社に買収されるカタチでバイク部門の歴史に幕を閉じてしまいます。

ただし自転車に関しては今も最先端をいく高級メーカーです。

偉業をなし得た「ビアンキ」として今でも多くのファンがいますが、

現存するバイクはほとんどが一般的に乗れるものでなく、

マニアのコレクションとなってるのが現状ですね。

特に戦前のモデルは業界でも高値で取引されていて、

日本でお目にかかることはまずないものだったりします。

とにかく高性能なバイクをどこよりも早く世に送り出した

素晴らしいメーカーなんですよね!




ピアッジオ。(番外篇vol.412)

2013年12月11日 08時51分24秒 | Weblog
ベスパでおなじみのイタリアメーカー「ピアッジオ」ですよ。

創業は1884年からで創業者はリナールド・ピアッジオさんという方です。

当初は船舶のパーツを製造するメーカーだったのですが、

その後、鉄道車両から航空機のエンジンまで手がけるようになります。

戦後は復興のプロジェクトの1つとしてスクーター開発に乗り出します。

そこで出来たのが有名なベスパなんですよね。

しかし、50年代から60年代は経営状態はあまり良くなく一端はフィアット傘下に入ります。

で、序々に販売力を上げていく中、今度はフェラーリに買収されるカタチで、

「ピアジオ・エアロ」としてイタリア資本へと戻ることになります。

体制を整えたことで69年にはジレラ社を買収し、販売も海外販売が絶好調を迎え、

イタリアに点在しているデルビ社やアプリリア社など7つのオートバイメーカーを

傘下に納めることに成功します。

現在はヨーロッパでも最大手となり、世界第4位のメーカーに成長しています。

イタリアのバイクメーカーは小さなものを含めると数十社に及びます。

そのほとんどが小規模で生産されているのですが、

複数のメーカーがひしめき合ってる中、

各メーカー間の所有権はとても複雑なものになっていますね。

この辺は日本とかなり違うところです。

イタリアでのオートバイ人気は世界的に見てもかなり高いものがあって、

レース車両から一般車両まで多くの車種が存在します。

国全体が歴史的価値の高いイタリアにあって国民性がかなり違うんですね!


ハスクバーナ。(番外篇vol.411)

2013年12月10日 08時59分59秒 | Weblog
1903年に設立したイタリアの老舗オートバイメーカー「ハスクバーナ」ですよ。

その歴史は古く開業当初は他社が開発したエンジンを搭載したモデルを販売していました。

1918年には独自でスウェーデン陸軍と契約を取り付け、

軍用バイク、また競技としてクロスカントリーや長距離オートバイレースイベントに参加します。

さらに1920年には自社のエンジン工場を新設し、

最初のエンジンとなる550cc、4ストローク50度サイドバルブVツインエンジンを設計。

このエンジンはハーレー社のエンジンを参考に設計されたとしています。

戦前まではロードバイクを主軸に生産していましたが、

戦後は軽量化さらた2ストロークエンジンを備えたオフロードバイクが中心となり、

60年代から70年代にかけて圧倒的な強さでモトクロス世界選手権などで活躍します。

しかし80年代に入ると経営不振に陥りカジバに買収。

当時「ハスクバーナ」はカジバグループの中でもモトクロス系に特化しており、

排気量125ccから576ccにかけて2ストロークエンジンや、

4ストロークエンジンを使用したモトクロス、エンデューロ、スーパーモタード開発を担当。

特にスーパーモタードでは現在もレース活動を行っており、

05年、08年とワールドチャンピオンに輝いてします。

そんな中、カジバも経営不振になり07年にはBMW社に売却されてしまいます。

BMWでは「ハスクバーナ」を特別なポジションに置こうと考えていたようですが、

今年、ピエラ・インダストリーAG社に売却。

現在に至っています。

「ハスクバーナ」のバイクはモトクロス、エンデューロ、を好む人に人気で、

特にヨーロッパでは多くの人たちに乗られています。


ドゥカティ。(番外篇vol.410)

2013年12月09日 08時59分10秒 | Weblog
イタリアの有名なオートバイメーカー「ドゥカティ」ですよ。

1926年にブルーノ・ドゥカティさん、アドリアノ・ドゥカティさん、

マルチェロ・ドゥカティさんの3人兄弟がラジオ製造メーカーとして会社を設立します。

その後は家庭用ラジオや電気剃刀といったさまざまな電気製品、

あるいは機械製品を手がける会社として急成長し、

さらに、あのベニート・ムッソリーニの政策で急速に工業化が成長する中、

大企業に発展していくんですよね。

しかし戦後は工場の大半が崩壊状態にあったため、

復興支援をしいた産業復興公社(IRI)の援助を受けるのですが、

産業復興公社の紹介で、イタリアの自転車製造をしていたシアタ社の

原動機付き自転車「クッチョロ」のエンジン製造を手がけるようになります。

1947年にはシアタ社からオートバイ製造の権利を買収し、

独自の製造、販売権を獲得。

精力的に開発を開始し、世界レベルのレースなどにも参戦するようになります。

「ドゥカティ」の特長はなんと言ってもL型2気筒エンジンと、

デスモドロミックと呼ばれる特殊な構造のフレームですよね。

始めてこれが採用されたのは1956年の125ccGP用レーサーからで、

今もこの流れをくんでいます。

70年代から80年代にかけて大型バイクで売上げを伸ばし、

90年代から現在にかけては、ハイテク技術をふんだんに取り入れ、

日本のメーカーに劣らない性能を発揮するバイクを多く所有しています。

販売はヨーロッパを中心に日本でも多く売られていて、

大きな組織のクラブも存在するステータスも持ち合わせています。

とにかくヨーロッパでのオートバイメーカーとしてはBMWと共に、

最強であることは間違いないですね!




ジレラ。(番外篇vol.409)

2013年12月07日 15時11分19秒 | Weblog
イタリアのオートバイメーカー「ジレラ」ですよ。

創業は古くジュゼッペ・ジレラによって1909年から開始されています。

「ジレラ」は、いわゆる市販車としてオートバイを販売した始めての会社で、

その歴史はイギリスメーカーより古かったりします。

基本的には4サイクルエンジンを得意としており、

単気筒から4気筒エンジンまでバリエーションも豊富です。

戦前から戦後40年代まで、世界最高速を記録しておりその速度は170kmとされています。

50年代から60年代はWGPへの参戦も果たしており、

数多くの優勝やシリーズチャンピオンも獲得してるんですよね。

しかし60年代後半から業績不振に陥り、

ベスパで有名なピアッジオ社に買収されてしまいます。

小排気量から大排気量までノウハウを持った「ジレラ」なので、

その後も数多くのバイクを生産します。

また、90年代からはWGPに返り咲くことになり、

01年には125ccクラスで久々のタイトルもゲットしています。

現在も同じ状態でピアッジオ社の傘下として運営されていますが、

独創的なバイクが多く見られるメーカーですね。


ガレリ。(番外篇vol.408)

2013年12月06日 13時02分55秒 | Weblog
イタリアのオートバイメーカー「ガレリ」ですよ。

イタリアはかつての日本の浜松町のように小さなオートバイメーカーが沢山あります。

現在も日本のように大手のみの政策をとっていないため、

その状態は今も続いているですよね。

で、この「ガレリ」ですが、創業は古く1919年からで、

アダルベルト・ガレリさんによって設立します。

元々、フィアット社で2サイクルエンジンの設計を担当していたため、

そのノウハウを活かしてオートバイの製造に乗り出します。

1920年代になると精力的にレースに参加し、いくつもの優勝を飾ります。

第二次世界大戦が始まるとイタリア陸軍にオートバイを供給するようになり、

業績は順調だったようです。

さらに戦後に入ると手軽なタイプが好まれるようになり、

この需要に応えるため「ガレリ」でもモペットを中心に販売を開始します。

特に2ストローク38ccの自転車搭載用モスキート・エンジンは、

200万台以上生産される大ヒット作となり、

小排気量オートバイメーカーであるアグラティ社を吸収するなど、

その事業を拡大していきます。

80年代に入るとWGPへの参戦も果たし87年までの小排気量クラスで、

6年連続でチャンピオンを獲得します。

現在は小型バイクの生産のみで運営されてるみたいですね。


カジバ。(番外篇vol.407)

2013年12月05日 10時31分39秒 | Weblog
イタリアのオートバイメーカー「カジバ」ですよ。

元々は1950年にジョヴァンニ・カスティリオーニさんが金属部品製造会社として創業。

1978年にはその創立者の息子さんであるクラウディオ・カスティリオーニさんと、

ジャンフランコ・カスティリオーニさん兄弟がアエルマッキ社を買収して、

オートバイ製造を開始します。

開業直後よりレース活動と一般車販売を精力的に行ったことにより、

85年にはドゥカティ社を買収、86年にはハスクバーナ社のオートバイ部門を買収、

87年にはさらにモト・モリーニ社を買収、92年にはMVアグスタ社の商標権を獲得、

93年にはCZ社を買収と、どんどん大企業に変貌していきます。

WGPでも500ccクラスに参戦し、エディーローソン選手などを起用していました。

デザインはドゥカティととてもよく似てるあたりが特長です。

しかし、その後日本メーカーの猛攻に遭い、経営は悪い方向に向かってしまいます。

再建策のひとつとして99年にドゥカティ社を売却、

それでも経営不振は止まらず08年にはハーレーダヴィットソン社に買収されてしまいます。

しかし09年にはそのハーレーダヴィットソン社も経営不振になり、

2010年からは創業者の元に戻ってくるカタチになります。

80年代後半から90年代にかけて非常に短期間ながら、繁栄期を送った「カジバ」ですが、

現在はイタリアのこじんまりしたオートバイメーカーとしてなんとか存続してる状態のようです。