阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

06月17日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年06月18日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月14日(土)のブログ ]

2023年06月18日 | 東日本大震災ブログ
2011年05月14日(土)
ひさしぶりにビッグコミックを買った 水木しげる新連載

 


☆漫画家の水木しげるのペンネームの水木は神戸市にある水木通りから取られている。その水木さんが87歳で「ビッグコミック」に連載を始めると出ていたのでコンビニに買いに行った

神戸時代の家計簿が出てきたので、それを題材にして当時の貧乏生活を描くという。

広島勤務時代の3年間は毎号欠かさず読んでいたが、10年以上前と変わらず、いまだに山口六平太もゴルゴ13も魚河岸三代目も掲載されていた。

この継続は凄いことだなあと何となく感激した。

水木さんの絵がまた瑞々しい。昭和26年の神戸の下町はまだ空襲跡のバラックが並んでいて、当時九州の若松にいた自分にも懐かしさを感じる。☆

毎日新聞 2011年5月12日 地方版

水木しげるさん:漫画誌に「ゲゲゲの家計簿」 新連載開始 /鳥取
 
境港市出身の漫画家、水木しげるさん(89)が、10日発売の漫画誌「ビッグコミック」5月25日号(小学館)で新連載「ゲゲゲの家計簿」を開始した。

 水木さんが60年ぶりに見つけた家計簿を基に当時の生活ぶりを戦後の世相を交え描き出す。水木さんの弟が保管していたという家計簿には、紙芝居で画業を始めて2年目に当たる1951(昭和26)年から、「墓場鬼太郎」のヒットで人気が出始めた1966(昭和41)年までの金銭の出し入れが生々しく記入されているという。

 第1話は、独身時代に神戸でペンネームの元になった「水木荘」というアパートを経営しながら、紙芝居を描いていた場面から始まる。水木さんは「東京での新婚生活も大変だったけれど、この時代もいろいろ大変でした」と下積み時代の苦労を振り返っている。

 家計が苦しい中で故郷、境港市の両親に送金したり、同居した弟が会社から借金をして家計を支えるなどのエピソードも明かされている。



村上龍の質問 「原子力発電を今後どう考えるか」
2011年5月12日発行 JMM [Japan Mail Media] No.635 Monday Edition-1

今回の質問【Q:1211】

 政府は浜岡原発の停止を要請したようです。条件などいろいろあるかとは思いますが、東京電力については国有化の論議も起こっています。我が国のエネルギー政策の基本的問題として、また経済合理性とリスク管理の問題として、原子力発電を今後どのように考えればいいのでしょうか。
                                                  村上龍
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ■ 北野一   :JPモルガン証券日本株ストラテジスト

 私には、原子力発電の費用効果分析を「科学的」に行う知識がありません。したがって、この問題に答える資格はありませんが、「直感的」には、「原発バブル」が崩壊したのだと思います。

 ちょうど、1990年代に、日本の資産バブルが崩壊したのと同じイメージです。バブルとは、簡単に言うと、リスク評価を誤っていた、過小評価していたということですから、今後は、費用の増嵩が避けがたいでしょう。1990年代に資本コストが上昇したように、原発にかかわるコストも急上昇することでしょう。その意味では、ご質問にある経済合理性とリスクは、表裏の関係にあるといえます。リスク評価の見直しを余儀なくされることから、その経済合理性にも疑問符がつくということです。

 原発バブルが崩壊したと思うのは、例えば、次のようなバブル特有の共通項を見出せるからです。

 ある事業を推進する主体と抑制する主体のバランスが崩れている。1980年代の銀行では、営業推進部門のなかに、審査部門が取り込まれておりました。ITバブル後に消滅した米国の監査法人でも、同じように、審査部門がコンサルティング部門の風下に立たされておりました。後講釈ですが、リスク管理部門が、その機能を発揮できない状態では、リスクが過小評価されるのは、当然でしょう。

 もう一つ、バブル時には、リスクを正しく指摘した人が、主流派から疎まれ、村八分にあってしまいます。今回、石橋克彦氏は、地震に伴う原発の危機をずいぶん前から指摘しておられましたが、確か、国会でも指摘しておられたと思いますが、原子力の専門家の間では、彼の論文は、原子力学会でまともに取り上げられたことはない云々と非常に低い評価になっておりました。

 また、いったん事故が発生し、原発反対派が注目され始めると、彼らに対する誹謗中傷も増えてきました。これは、個々の事例を挙げるまでもなく、「裸の王様」を思い出せば良いでしょう。誰も王様に裸といえないし、きれいな服を着ていると信じ込むと、おそらくは、裸に見えていないのです。

 原発に関しては、私自身、何も見えておりませんでした。例えば、大前研一氏の『お金の流れが変わった』(PHP新書)を震災前に読んだとき、私は、「首都圏に原発を」という部分を何の問題意識を持たずに、読みすごしておりました。世界でも有数の地震地帯にある柏崎刈羽で、直下型地震が発生した際に、原発は安全に停止した。これで、日本の原発の安全性を確認できた。世界のどこにでも輸出できるし、首都圏に持ってきても大丈夫という話でした。震災後、この部分を読み直しました。その際には、世界有数の地震地帯の上に原発を作ることがそもそも問題だろうと思いました。日本は狭い国だから土地は足りない、したがって地価が下がることはない、その資金力で世界の土地を買おうというのと似たような理屈だったのではないかと思い
ました。

 このように、私、個人に関しては、原発のリスクに対して、無頓着であったことは確かです。したがって、今後の損害補償に対して、一国民としてある程度の責任を負わねばならないだろうと思います。原発震災の損害賠償については、まず、その金額が未確定であること、それもあって、東電と政府(国民)の負担のあり方も曖昧なままです。仮に、国民にも負担が及ぶとしましょう。

 その場合、問われるのは、国民の罪です。われわれは、何故に、賠償責任を問われるのか。私なりの答えは、原発バブルの生成を、結果として抑制できなかったことにあると思います。負担のあり方が、増税になるのか、それとも電気料金の値上げになるのかはわかりませんが、これは当時、金融機関に投入された公的資金、あるいは1990年代から続く、ゼロ金利に相当するものでしょう。

 ただ、1980年代の資産バブルと、今回の原発バブルでは、バブルの規模がずいぶん違うとは思います。やはり、数千兆円の富が消失した前者の方が巨大であったと思います。

            JPモルガン証券日本株ストラテジスト:北野一
(太字は管理人)


関西電力の「遅収料金3%」は不法請求?
電気料金への3%加算は違法=消費者団体、関電に申し入れ―兵庫

時事通信社 5月11日(水)13時56分配信  

消費者団体「ひょうご消費者ネット」(神戸市)は11日、関西電力が一定期間を過ぎた電気料金の支払いに適用している加算金の割合は、消費者契約法で定める上限を超えているとして、関電に改善を求める申し入れを行ったと発表した。同日、申し入れの文書を関電に発送した。

 同ネットによると、関電は、毎月の検針日翌日から20日目までの「早収期間」を1日でも超えると、利用者に、請求金額の3%分を加えた「遅収料金」を請求する。消費者契約法では、事業者が契約者に請求できる遅延損害金の上限を年利14.6%としており、関電の加算分は、年利に換算すると最高1095%に相当する。

 関電のほか、東京電力以外の中部電力など8電力でも同じ仕組みが運用されているため、同ネットは経済産業省に対し、各社の電気供給約款の改定を求める要請書を発送した。


現地の現状を見ると言葉がないです。
☆大手メディアでは最近は報道されない現実。

○女川町の現状の写真集
こちら

○女川町の震災の惨状と原発
こちら


在京メディアの真底堕落と熊取6人組への脚光
一部引用・・

このような人間を無視した報道になる理由は、霞ヶ関周辺にしか情報源を持たない在京メディアの特質によります。中央官庁から漏れ出る情報を「特ダネ」として追い求める取材習慣に何十年と浸り、代替えになる情報源を持とうとしなかったのです。取材に行く相手すら中央官庁が挙げるリストに載っていなければ信用しない有り様です。

・・・

4月4日の「飯舘村南部に広い高汚染地域:現地調査で確認」で今中哲二さんら飯舘村周辺放射能汚染調査チームの仕事ぶりを紹介して、当時を思い出さずにいられませんでした。熊取にいるもう一人の現役助教、小出裕章さんも福島原発の事故収拾をめぐり的確な発言を続け、講演など忙しく活動されています。勤務があるので放送メディアに出るにも電話によるコメントが主体ながら、「小出裕章(京大助教) 非公式まとめ」に言動が詳細に記録されています。なお、彼ら原子力安全研究グループのホームページは《Nucler Safety Research Group》です。

 熊取の6人について、週刊現代の《迫害され続けた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち~危険性を訴えたら、監視・尾行された》などを糸口に見直しの機運があるようです。私は科学部を去った後も年に1回くらいは「安全ゼミ」で熊取に顔を出していましたが、マスメディアの記者は本当に数えるほどになっていました。在京メディアは上述のように、オルタナティブな情報源を確保する意味を理解していません。日本のジャーナリズムにとって不幸ですし、そもそもこうした体質の在京メディアにジャーナリズムを名乗る資格があるのか疑われます。

全文はこちら
 
アラビア半島アルカイダの報復宣言
一部引用・・

米国のオサマ・ビン・ラーデン殺害に対するアルカイダの反応(報復宣言等)が注目されていましたが、11日付のアラビア語ネットは、いずれもアラビア半島のアルカイダが報復宣言をしたと報じています。

全文はこちら


2011年05月13日(金)
5月12日発表 福島原発1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
5月12日 「メルトダウンだが最悪シナリオ回避 」と言う 小出裕章さんの見解 こちら




私もシニア決死隊の一人です 小出裕章
一部引用・・

・(どうしても被曝する人が出るということが問題。福島原発暴発阻止行動プロジェクト(シニア決死隊)ということで山田恭暉さんという人が名乗りを上げ、同志を募っている。若い人に被曝をさせないという趣旨。先日インタビューをして2時間ほど話を聞いたが、反響が大きかった。

これを統合本部の会見で東電にぶつけた。東電は一蹴したが、細野氏は検討すると言った。東電は渋々検討するとなった。山田氏は、合理的に考えたら経験のある技術者の自分たちが行くべきだと淡々と語った。死ぬ気はないが、後の世代を生かすために行くと言った。どう感じるか?)

私もその一員だ。60人の志願者の中に入っている。

・(それは頼もしい。でも心配。複雑。どうして志願を?)

 私も60歳を過ぎていて放射線感受性はとても低い。私には原子力に携わってきた人間として今回の事故に責任はある。私は推進はしてはいないが責任はあると思う。事故収束にむけて自分にできることがあれば、担いたい。

・(政府は検討すると言うが、実現可能性は?)

 意気込みがあっても役立たない可能性はある。たとえば私の職場で事故が起きたら、収束に役立つのは現場をよく知っている実験所の所員。外部の人が助けに来たとしても、私から見ると「危険もあるし、役に立つようなことはないから、結構です」となるだろう。だから、福島の事故についても福島原発を知る人がいいとは思う。

ただ、被曝をさけるためだけに必要な作業というものはある。西成の労働者のことが報道されているが、そのように特別な能力がない人であっても出来る仕事はあり、そういうことであれば私も福島で役に立つかもしれない。ただ、今の困難な状況を一歩でもいい方向に向かわせるために私の力が使えるかと考えると、多分ないかもと思う。

・(副次効果が大きいのではないか。小出さん、山田さんが現地に入ったとき、目になり耳になるということになる。いま福島で作業をしている1400人強はみな匿名であり、現場の情報は出てこない。旧ソ連のチェルノブイリ事故のときでさえ、作業員の声はもっと外に出ていて、今の日本より開放的だったが、それでも閉鎖的と国際社会から批判された。そしてソ連は崩壊した。今はそれ以下)

そう思う。

・(実際に小出先生が行ったら現地の被曝環境を改善したりという副次効果があるはず)

すると、ますます嫌がられるだろう。

・(決死隊参加は価値のある問いかけだと思うが)

山田さんの成果。今回初めて連絡をいただき、名前を連ねさせてもらった。

全文と動画はこちら
 
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ある日の昼飯はパスタや塩焼きビーフン  

2023年06月17日 | ある日のランチ

やはり昼は麺類が圧倒的に多い

 

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2020-06-18カルガモの親子9羽・旧中川河畔      蔵出し映像 YouTube

2023年06月17日 | 花・草・木・生き物

2020-06-18カルガモの親子9羽・旧中川河畔

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06月16日に目に留まったSNS・メディアの記事

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月13日(金)のブログ ]

2023年06月17日 | 東日本大震災ブログ


2011年05月13日(金)
5月12日発表 福島原発1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
5月12日 「メルトダウンだが最悪シナリオ回避 」と言う 小出裕章さんの見解 こちら


私もシニア決死隊の一人です 小出裕章
一部引用・・

・(どうしても被曝する人が出るということが問題。福島原発暴発阻止行動プロジェクト(シニア決死隊)ということで山田恭暉さんという人が名乗りを上げ、同志を募っている。若い人に被曝をさせないという趣旨。先日インタビューをして2時間ほど話を聞いたが、反響が大きかった。

これを統合本部の会見で東電にぶつけた。東電は一蹴したが、細野氏は検討すると言った。東電は渋々検討するとなった。山田氏は、合理的に考えたら経験のある技術者の自分たちが行くべきだと淡々と語った。死ぬ気はないが、後の世代を生かすために行くと言った。どう感じるか?)

私もその一員だ。60人の志願者の中に入っている。

・(それは頼もしい。でも心配。複雑。どうして志願を?)

 私も60歳を過ぎていて放射線感受性はとても低い。私には原子力に携わってきた人間として今回の事故に責任はある。私は推進はしてはいないが責任はあると思う。事故収束にむけて自分にできることがあれば、担いたい。

・(政府は検討すると言うが、実現可能性は?)

 意気込みがあっても役立たない可能性はある。たとえば私の職場で事故が起きたら、収束に役立つのは現場をよく知っている実験所の所員。外部の人が助けに来たとしても、私から見ると「危険もあるし、役に立つようなことはないから、結構です」となるだろう。だから、福島の事故についても福島原発を知る人がいいとは思う。

ただ、被曝をさけるためだけに必要な作業というものはある。西成の労働者のことが報道されているが、そのように特別な能力がない人であっても出来る仕事はあり、そういうことであれば私も福島で役に立つかもしれない。ただ、今の困難な状況を一歩でもいい方向に向かわせるために私の力が使えるかと考えると、多分ないかもと思う。

・(副次効果が大きいのではないか。小出さん、山田さんが現地に入ったとき、目になり耳になるということになる。いま福島で作業をしている1400人強はみな匿名であり、現場の情報は出てこない。旧ソ連のチェルノブイリ事故のときでさえ、作業員の声はもっと外に出ていて、今の日本より開放的だったが、それでも閉鎖的と国際社会から批判された。そしてソ連は崩壊した。今はそれ以下)

そう思う。

・(実際に小出先生が行ったら現地の被曝環境を改善したりという副次効果があるはず)

すると、ますます嫌がられるだろう。

・(決死隊参加は価値のある問いかけだと思うが)

山田さんの成果。今回初めて連絡をいただき、名前を連ねさせてもらった。

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2011年05月13日(金)
日本84名老人赴福島核電厂工作 香港のTV局の番組から
香港の鳳凰テレビ(Phenix TV)が5月12日に衛星放送で中国全土に放映したニュースが下記にアーカイブされています。

中国語での放送ですが、インタビューを受けている“男女の老人たち”の日本語は明解で、行動隊の意図を簡潔に伝えています。

こちら
 
 
東電、中電の電力融通がなくてもこの夏OKのメド
☆ほっとするニュース。東京電力の現場は電力供給責任を果たすべくひたすら努力している。兵・下士官レベルの一般社員日本人は、今も世界一の精強さを維持し、知恵を出している。☆

東電単独で供給可能 広野火力、7月全基再開へ

2011年5月12日 07時04分 東京新聞
 
東日本大震災による津波被害で全面停止した福島県広野町の東京電力広野火力発電所が、七月中旬にも全五基(計三百八十万キロワット)で運転を再開することが分かった。広野火力が復旧すれば、中部電力が浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止で東電への電力融通を打ち切っても、東電は今夏の最大需要と見込む五千五百万キロワットの供給力を確保できる見通しだ。

 広野火力側が、衆院科学技術特別委員長の川内博史衆院議員ら民主党国会議員に明らかにした。

 議員らの話によれば、震災前は2号機と4号機が運転していたが、津波で1、2号機の設備や事務所の一部などが壊れた。広野火力は福島第一原発から半径二十~三十キロ圏内で、当初は屋内退避指示区域になった。

 被害状況の把握にも手間取ったが、同指示が解除された先月二十二日以降、東電や関連会社の作業員約千五百人が復旧作業に従事。七月中旬の営業運転再開を念頭に、比較的被害の少なかった5号機から順次試運転を開始する予定という。

 東電が四月に公表した七月末の電力供給力は五千二百万キロワット。これに含まれる中電など西日本の電力各社が融通する最大百万キロワットが打ち切られても、広野火力の三百八十万キロワットに、夜間にダム湖へ水をくみ上げて昼間に発電する揚水発電(最大千五十万キロワット)の上積み分を加えれば、五千五百万キロワットを上回る見込み。
 

底が抜けている 福島原発一号機

 

 
1号機 工程表見直し避けられず

5月12日 18時15分   NHKニュース

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、復旧作業が最も進んでいる1号機について、東京電力は、燃料の大半が溶け落ちて原子炉の底に穴が開き、大量の水が漏れ出ているとみられることを明らかにしました。原子炉の温度は100度から120度に保たれているとして、東京電力は、燃料はある程度冷却できているとみていますが、新たな問題が浮上したことで、原子炉の安定的な冷却という工程表の作業の見直しは避けられない情勢です。

 
 
 

アメリカの議員らも普天間基地問題を見直しを要求

☆黙っていては事は動かない。知事を筆頭に住民の生活を安全に維持したいと声を上げてきた結果が少しずつ出てきているのかも知れない。このアメリカの国会議員の動きはウキリークスの米国公文書の流失にも影響を受けている可能性がある。☆

米有力議員ら移設案見直し要求

5月12日 7時47分 NHKニュース

沖縄のアメリカ軍普天間基地を名護市辺野古へ移設するという現行案について、アメリカの有力議員らが国防総省に対し、嘉手納基地への統合案に変更することも含めた見直しの検討を求め、今後の日米間の協議に影響を与える可能性が指摘されています。

アメリカ軍普天間基地の移設を巡り、日米両政府は2006年に名護市辺野古に代替施設を建設することで合意していますが、地元沖縄の反発を受けて、実現に向けた見通しは立っていません。この問題について、アメリカ議会上院の軍事委員会のレビン委員長やウェブ委員ら民主・共和両党の有力議員3人が、11日、合同で声明を発表しました。この中で、レビン委員長らは普天間基地を辺野古に移設するという現行案は、沖縄県民の反発に加え、東日本大震災の復興に向けて日本政府が多額の費用を必要とするなか、政治的にも財政的にも非現実的だとして、国防総省に対して見直しを求めています。

 そのうえで、沖縄県内にあるアメリカ軍嘉手納基地に普天間基地の部隊を統合できないか調査するよう求めています。嘉手納基地への統合案は、これまでにも検討が行われましたが、部隊の運用に支障をきたすというアメリカ軍側の反対で、実現には至りませんでした。

 しかし、国防予算の編成に大きな影響力を持つ議会軍事委員会の委員長らによる今回の提言については、国防総省も無視できないとみられ、今後の日米間の協議にも影響を与える可能性が指摘されています



 

南足柄市で規制値を上回る放射能物質検出

☆いまだに原子力発電を続けようとしている原発利権ムラの人たちにこれから各地に広がりそうなこの状況を知って欲しい。生産者もお茶好きな日本人もどうしたらいい?☆

南足柄規制値超 こんな遠くまで…
2011年5月12日 夕刊 東京新聞

 神奈川県南足柄市で新茶の生葉から暫定規制値を上回る放射性物質の検出を受け、関東など十四都県では、十二日から生葉のモニタリングの調整に入った。なぜ福島第一原発から約三百キロも離れた場所で検出されたのか。新茶の季節に、足柄茶や埼玉・狭山茶の茶所で困惑が広がった。

 茶葉から放射性セシウムが検出された南足柄市の生産農家は「どうして福島からこんなに離れたところで検出されたのか」と困惑気味。「風評が心配」「他産地はどうなのか」など不安に包まれた。


 
 
 
安全宣言とは別物」
柏崎原発2-4号機再開問題、横村所長会見で認識

2011年5月12日 新潟日報 

 東京電力柏崎刈羽原発の横村忠幸所長は12日の定例会見で、海江田万里経済産業相が中部電力浜岡原発以外の原発を「安全」と発言したことについて、「中越沖地震で被災して止まっている2~4号機は国や県技術委員会での安全性の審議が中断したまま。(定期検査で停止中の原発とは)別物と考えている」と述べ、安全宣言の対象に含まれないとの認識を明らかにした。

 その上で、2~4号機の運転再開に当たっては「緊急安全対策は県技術委で審議され、福島第1原発事故の検証が進めば、新たな対策が必要になるかもしれない」と話し、津波対策以外にも状況に応じて必要な措置を講じる考えを示した。3号機では系統試験が中断しているが「再開のめどが立っていない」とした。

 
警察官に床に長時間押さえつけられた68歳の死
☆ATMでお金を下した男性が、若い女性にドロボーと大声を上げられ狼狽している間に駆け付けた警官に押さえつけられた。女性は姿をけし男性はそのまま窃盗容疑を受け、心身のショックのためか翌日死亡した。警察の不当な容疑を晴らすべく遺族は長期にわたって苦労してきたが、警察はメンツを重んじて誤認逮捕を認めなかった。こんなことは誰にでも起こりうる。他人ごとではないが、ようやく警察も誤認を認めたが、人生の最後をこのようなとじ方をした方がお気の毒でならない。☆

男性制圧死は誤認逮捕 津地検が遺族に補償金支払い決定
2011年5月12日 13時43分  中日新聞

 三重県四日市市のスーパーで2004年2月、市内の男性=当時(68)=が警察官に取り押さえられ、翌日死亡した事件で、津地検が誤認逮捕だったと認め、国の被疑者補償規定に基づく補償金の支払いを決めていたことが分かった。

 津地検によると、男性が身柄を拘束された1日分の満額1万2500円の交付を今年3月30日付で決めた。男性の妻(70)は弁護士を通じ「ようやく名誉回復されたとの一抹の安堵(あんど)感を持っています」とコメントした。

 法務省は、身柄を拘束された容疑者に、検察官が罪を犯さなかったと認める十分な理由がある場合に補償することを定めている。

 事件は2月に時効が成立。その後、三重県警は容疑者死亡のまま男性を窃盗未遂容疑で書類送検し、津地検四日市支部が3月4日、時効を理由に不起訴としていた。津地検は本紙の取材に「男性に嫌疑はなく、犯人ではなかった」と説明した。

 事件をめぐっては、男性の妻が県に損害賠償を求めて07年に提訴。津地裁は昨年11月、警察官の制圧行為に行き過ぎがあったと認め、県に880万円の支払いを命じた。原告、県側双方が控訴し、11日には控訴審第1回口頭弁論が名古屋高裁で開かれた。
 
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錦糸町の「安安酒楼」で軽く一杯 お疲れセットを楽しんだ。

2023年06月16日 | 食べる飲む

錦糸町駅南口から京葉道路に出ると、両国方面に向かってロードサイドにいろんな飲食店があるのをバスの車窓から見て知っていた。

某日ぶらぶら歩きをしてそのうちの一軒に入ってみた。

 アルコール類の中から一品、その他料理を二品とって1298円のセットがあった。

お酒は当然紹興酒               料理は餃子と

  

豆苗炒めをオーダーした。うまい豆苗炒めで量的にも少なくおやつ代わりにちょうど良かった。

町中華の中華料理店と違って、料理に使う調味料が中国で使うものだから豆苗炒めもなんとも旨い。

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06月15日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年06月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

「みなさんは、政府が運営するマイナポータルのトップ画面の一番下に、目立たない色で小さく書かれている「利用規約」を読んだことはありますか? 

そう、小さな文字でごちゃごちゃ書いてあるので、普段私たちのほとんどが面倒くさくて見落としてしまう、あれです。

なかでも特に重要な4項目を簡単に見てみましょう。

第26条 マイナポータルの利用に当たり、利用者本人又は第三者が被った損害について、デジタル庁の故意又は重過失によるものである場合を除き、
デジタル庁は責任を負わないものとします。
 
第27条 デジタル庁は、利用規約の変更が、利用者の一般の利益に適合し、又は、変更の必要性、変更後の内容の相当性その他の変更に係る事情に
 
照らして合理的なものであるときは、本利用規約を改正することができるものとします。
(改正の7日前に公表、改正後に使った場合は自発的に新しい利用規約に同意したとみなされる)
 
第4条 (デジタル庁に対して自分の本人確認情報をいついかなるときでも閲覧されることに同意したとみなされる)
 
第11条 (金融機関に口座情報を照会することについて同意したとみなされる)

アメリカでは「カードは持ち歩くな」

デジタル化に関して中国と熾烈な競争を繰り広げているアメリカではどうなっているでしょう?

アメリカには社会保障番号という一生変わらない個人番号があるのですが、まず絶対にカードは持ち歩きません。

私が住んでいたときも、「カードは金庫の中だよ」という同僚が何人もいたのを覚えています。

社会保障番号が書かれたカード自体にも、2017年には、消費者の信用度を計算する信用調査会社大手エキファックスが大規模なハッキング攻撃に遭い、

1億4500万人分の番号が個人情報とともに漏洩してしまった事件がありました。

 流出したのは、名前と住所と生年月日、運転免許証番号と社会保障番号、そして20万9000件にものぼるクレジットカード番号です

一生変わらない個人番号は強固な身分証明になり高い値段がつきますから、あっという間に闇市場で売買されてしまいます。

 

 

 

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月12日(木)のブログ ]

2023年06月16日 | 東日本大震災ブログ
 
政府の東電救済案のからくり  河野太郎ブログから
 

政府与党案をぶっつぶせ
2011年05月11日 00:37

政府与党は、国民負担を増やして東電を救済しようとしている。

このブログを読んだら、ぜひ、お近くの与党議員の事務所を訪問して、あるいは与党議員の事務所に電話をして、

なぜ、あなたは国民の負担を増やして東京電力を救済するのかと尋ねてほしい。

政府与党の案にはいくつかの問題があるが、それを検討する前に今、政府がやっている目くらましにだまされてはいけない。

役員の給与、賞与をゼロにしろなどというのは金額にしてもたかがしれている。もっとリストラを、なんていうのは政府の目くらましだ

。そんなことでだまされてはいけない。メディアもそれはちょっとちがうんじゃないかとはっきり言わなければならない。

政府がやるべきは、そんなことではない。

以下全文はこちら

 
 
電力会社の在り方を根底から変える
 

原発事故賠償金の国民負担を少なくし
電力料金引き下げも可能な処方箋を示そう

一部引用・・

送電網を売却して送発電分離による
電力の自由化の契機とする 

プランBでは、東電は解体されるが、その過程で、事業や資産の売却が行われる。

 たとえば、5兆円以上の資産として東電のBSに計上されている送電網を売却して、賠償金の原資とすることができる。

そうなると、電力自由化のキモである送電と発電の分離を実務上同時に達成できるのだ。

 電力が地域独占というのは経済学の教科書にもあるが、それは電力事業のためには巨額な設備投資が必要だから、自然独占になると説明されてきた。

ところが、電力事業を発電と送電に分けると、そのロジックは送電に当てはまるが、発電は最近の技術進歩によって当てはまらなくなった。

 ということは、電話では電話網を開放していろいろな事業者を新規参入させたことによって電話料金が低下したように、

送電と発電を分離し、送電網を開放し発電では新規参入させたほうがいい。日本でも、エネルギー関係や他の公益事業など多くの業者が発電での新規参入を考えている。

全文はこちら

 
 
福島原発暴発阻止隊の隊長が今晩ネットテレビに
 

画像を2段階クリックすると読解可能に拡大します。

メールの転送がありました。以下引用・・

T・M様

福島原発暴発阻止行動プロジェクトは皆様のおかげで深くしかも広く浸透してきています。
5月12日、18時ごろから、インターネット生放送に呼ばれました。下記で見ることができるそうです。

こちら    

また、香港のPhenix TV (鳳凰衛視)という衛星テレビが、今夜、そして明朝再放送をすることが決まったと連絡がありました。初めての海外報道です。なお、放送後アーカイブがWebに公開されるとのことです。

福島原発暴発阻止行動プロジェクト
  山田恭暉
 
 
茨城県も原発風評被害を受けている   茨城新聞から
2011年5月11日(水)  茨城新聞
震災2カ月 消えない風評懸念 道路や水道は復旧着々

 東日本大震災から11日で2カ月。東北の被災地ではがれき撤去など復興への歩みが続く一方、なお多くの人が不自由な避難所生活を続ける。県内では住宅の全半壊が1カ月時点の約2・5倍に膨らむ8338棟(10日現在、全壊1441棟、半壊6897棟)が確認され、深い爪痕が痛々しい。復興のつち音は各地で響き、水道の断水は神栖市で7日、57日ぶりに全面復旧し県内全域で解消された。ただ、福島第1原発事故の収束への道のりは険しく、農漁業や観光などは風評被害の懸念が消えていない。

■復旧 
 国県道は10日現在、橋9カ所を含む20カ所がまだ通行止め。那珂市瓜連の国道118号静跨線(こせん)橋が同日、橋の仮設工事を終え、ようやく復旧した。
 港湾も復旧工事が進むが、茨城港3港区と鹿島港で計64カ所の岸壁のうち使用可能は約3分の1の19カ所にとどまっている。
 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の新鉾田-大洋間は7月中旬に復旧の見通し。全線運休が続く貨物の鹿島臨港線は5月末~6月上旬の再開を目指す。ひたちなか海浜鉄道湊線は全線再開のめどを7月15日とし、勝田-平磯間を前倒しして復旧を急ぐ。

■農業・漁業 
 県産野菜3品目と原乳から3月、暫定基準値を超える放射性物質が検出されて出荷停止になったが、4月17日に北茨城、高萩両市のホウレンソウを除き解除された。ただ、「県産農産物の市場価格は全体的に前年の半額程度」(JA全農いばらき)と回復途上だ。
 JAグループ茨城などは4月28日、3月分の損害額約18億4千万円を東京電力に請求。「価格下落や返品などのデメリットは全て原発事故と因果関係がある」(市野沢弘JA県中央会長)と今後も月ごとに請求する。
 コウナゴから基準値を上回る放射性物質が検出され、県内漁協は4月30日、漁獲量ゼロのまま今期のコウナゴ漁を終了した。9日に震災後初めてシラス漁が再開したが、風評被害の懸念は消えない。

■放射線量 
 県内測定地点の放射線量は徐々に低下し、4月中旬以降ほとんど変動がなく、毎時0・2~0・06㍃シーベルト前後と平常値の約2~4倍に落ち着いている。
 県境の北茨城市で約2カ月間の積算放射線量は約700㍃シーベルトで、「健康に影響のないレベル」(県原子力安全対策課)という。県民の不安解消に向け、県は測定範囲を県内全域に拡大。10日から全44市町村に線量計配布を開始。11日以降、モニタリングカーによる移動測定を実施する。

■避難・相談 
 ピーク時7万7285人に上った避難者は10日現在、本県関係で北茨城と神栖両市の各8人。福島県民は314人が24避難所で不自由な生活を余儀なくされている。
 国や県は、つくば市内の国家公務員宿舎501戸を福島県避難者向けの仮設住宅として用意したが、希望者は10世帯計30人にとどまっている。今週末にも入居できる見通しだ。
 県は2日、県民からの補償相談に応じる福島原発事故補償対策室を開設した。相談件数は10日現在で26件 。
 
 
 
福島原発復旧の進捗状況  一筋縄ではいかない。
工程表作業 進捗状況に大きな差
5月11日 6時41分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故から11日で2か月になりますが、事故の収束に向けて示された「工程表」の作業は、原子炉建屋内での作業が始まった1号機と、それ以外の号機との間で進捗に大きな差が出始めており、工程表を実行に移していくことの難しさが浮き彫りとなっています。
 
 
早速行動した御前崎市長  静岡新聞から
☆知事と市長では視点と視野が違う。あるいは役割分担をしているのかもしれない。転んでもタダでは起きない浜岡原発の地元市長☆

経産相、御前崎への支援約束 浜岡原発停止で
(5/10 18:35)

 中部電力浜岡原発の停止決定を受け、地元の静岡県御前崎市の石原茂雄市長は10日、経済産業省を訪れ海江田万里経産相に地域の経済や雇用に悪影響を与えないよう要望、海江田氏は「雇用や市全体の経済をしっかり支えていく。必要があれば現地に行き説明したい」と支援を約束した。

 会談で海江田氏は、原発関連交付金を従来通り支出する方針をあらためて表明。原発停止要請の際に地元に事前に連絡しなかったことに関しては「まことに申し訳ない」と謝罪した。
 市長は、政府が浜岡原発だけに停止を求めた理由について、納得できる説明を市民にするよう要請。海江田氏は応じる考えを示した
 
 
茨城県民も放射能汚染対策  茨城新聞から
2011年5月10日(火)  茨城新聞
23市町村に携帯線量計配布 県、第1弾の説明会

 県内全44市町村での放射線測定に向け、県は10日、水戸市笠原町の県開発公社ビルで、23市町村の担当者を集め、携帯測定器を配布し使用法などを説明した。県民の不安解消が目的で、各市町村は同日以降、庁舎や学校などで測定を開始する。

配布された測定器は製造元の堀場製作所(京都市)が県に寄贈。今月中に全市町村に1台ずつ配備される計画。測定場所の選定やホームページなどでの公表は各市町村が独自に行う。

説明会に出席した鹿嶋市の担当者は「1日3回、市役所の外で測定し、公表していく。市民の要望に応じ、今後測定場所を検討する」と話した。

説明会欠席の茨城町には後日、測定器を配布し、残る20市町村を対象とした第2回説明会は今月中に開催予定。

県原子力安全対策課によると、携帯測定器は、県の固定測定器と比べ地表近くで測定するため、やや高い数値が出ることがあるという。

この日の説明会で丹勝義危機管理監が「住民のニーズに対応し、有効活用してほしい」とあいさつ。原子力安全対策課の担当者が使用法などを説明した。
 
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旧中川の遊歩道でみかけた水鳥たち  YouTube

2023年06月15日 | 身辺あれこれ

230614旧中川の水鳥

230614旧中川の遊歩道をあるく

 

 3か月に一度の口腔ケアで歯のクリーニングをしてもらった後、旧中川の遊歩道へ向かった。担当の歯科衛生士さんはもう5年ほど同じ女性で

私の歯の状態の経過を熟知している。3か月に一度 彼女と雑談を交わすのも楽しい。

 ある時ケアーレポートで彼女の苗字を知って「もしかしたらお爺さんの代あたりに鹿児島から東京に出てきた家でしょう?」と聞いたら、

「そうです、そう聞いています。どうしてわかったんですか?そんなこと言われたの初めてです。」と不思議がられた。

各地にはそれぞれに特有の苗字と言うのがあるから、それさえ知っていれば何の不思議なことはないのだが。

例えば「清家」さんと言う方には伊予の「宇和島」の出でしょ?と聞くと90%当たりだった。「菅野」さんもまず「福島や山形など東北出身」だ。

「真鍋」さんや「越智」さんは90%伊予の出で間違いない。

 河畔で1mほどの近くで水鳥と出会うと、アナタも私も36億年前に生まれた生命が、姿カタチこそ違うけれど

36億年切れずにつながってきて、ここでイマ出会えたんだね・・と思う。お互いご縁だねと一期一会を思う(笑)。

歩行数 5726歩   歩行距離 3.3km

 

 

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体長285センチの巨大ナマズがイタリアで釣り上げられた。世界記録の可能性も

2023年06月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

Twitterの画像クリックで本文に飛びます。

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06月14日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年06月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月11日(水)のブログ ]

2023年06月15日 | 東日本大震災ブログ
2011年05月11日(水)
大黒屋光大夫はなぜロシア語をマスターできたか

井上靖の「おろしゃ国酔夢譚」と吉村昭の「大黒屋光大夫」は共に伊勢国白子の船頭「大黒屋光大夫」を題材に取り上げた小説だ。

彼は江戸へ向かった船が暴風に会い、カムチャッカ半島まで漂流した。

どうしても故郷の伊勢白子まで帰るという執念で生き延び、ロシア語を身につけ、周囲のロシア人のサポートを得て、当時のロシアの首都サンクトペテルブルグへ上る。

そして何回かの挑戦の末、エカテリーナ女帝に面談し、彼女の心を捉え、また苦労の末幕末の日本に戻ってきた。

この男の生涯は、多くのロシア人を人間として自分に惹きつけたこと、自分で運命を切り開いたことを知ると、教科書で習った江戸時代の町人のイメージを根底から変える。

 冬のシベリアを橇で渡る過酷な道中の描写だけでも物凄いものがある。

井上靖が本を書いた当時の史実の発掘の限りでは、日本に辿り着いたあと江戸で幽閉されたままで生涯を終えたように書かれているが、

吉村昭は白子に何度も足を運び、村の旧家に残された古文書の中に、光大夫が密かに江戸から白子を訪ねた記録を見つけ出した。

 吉村昭の小説にはその感激モノの挿話も記されている。


大黒屋光大夫はいかにしてロシア語を身につけたかは2冊の小説にも副テーマとして描写されているが、英語教育の論評にサンプルとして光大夫が引用されていた。

やはり光大夫はいまもこうして生き延びている。

『英語のお勉強 (副題:なぜコーダユーはロシア語をマスターできたのか)』

一部引用・・

日本の英語教育は、学力テストの一環としてイビツな発展をとげたまま放置されている。

それは「コミュニケーション」という言語の根本的存在理由の軽視の上に立脚し、日本の経済と将来の繁栄を内側から立ち枯れさせている。

人生一度きりの貴重な青春時代を、使い物にならない「語学」習得に費やし、周囲にその将来を嘱望され官庁入りした優秀/有為な若者たちが、

だれも聞きに来ない記者会見で、だれも座っていないイスを相手に、英作文を朗読している。

彼ら個人においては悲劇であり、日本にとっては大損失だ。

この小文が、若い読者の英語学習における何らかのヒントになってくれるのであれば、「徒労にあらざりしか」である。

なお、副題、「なぜコーダユーはロシア語をマスターできたのか」であるが、私はこう考えている。

大黒屋光太夫は、1782年から10年あまりの漂流生活で、アリューシャン列島アムチトカ島からハバロフスク、イルクーツクを経てのシベリア横断、

そして女帝エカテリーナとの謁見を果たしたペテルスブルグまで、当時の日本人としては想像を絶する世界体験をした。この10年間、

彼の行動の全ては、伊勢白子の回船「神昌丸」の船頭として、部下の水夫たちと共に、無事ふるさとの日本へ戻ること一点に絞られ、けっしてぶれることが無かった。

光太夫が漂流者のなかで一番ロシア語に習熟した理由は、彼のこの「船頭」としての責任感と使命感にあったのだと思う。

彼には皆を代表して、生き延びるために話を通じさせるーコミュニケーションをとる」をとる必要性があり、その責務を存分に果たしたのだ。

行く先々でその地の名士の歓待を受け、ついには時のロシア宮廷をも感服させたのは、光太夫のそうした「お人柄」とリーダーシップにあったのだろう。

私がおせっかいを承知で、私なりの英語の習得術を皆さんに披露するのは、皆さんが英語というツールを使いこなせるようになり、

光太夫のように「日本人の代表」として世界の人々と「繋がって」いって欲しいからだ。

「英語力」で「就活を有利に進めよう」などと、日本人同士で「人をしのぐ」ことなどを目的にしていない。
2005年8月27日掲載エントリー

「大黒屋光太夫 上下」
吉村昭著
新潮文庫
平成17年6月1日初版発行
定価各514円(税別)

☆難波発の名古屋行き近鉄特急が三重県内に入り、白子駅に近づくと、「大黒屋光太夫の生地、白子」と言う大きな看板が目に付きました。

この路線にはもう何年も何回も乗っているのに、いままで気がつきませんでした。

大黒屋光太夫は井上靖が書いた「おろしゃ国酔夢譚-昭和41年刊」を読んでいたので、彼が伊勢の生まれであることは知っていましたが、白子に関係していたことは忘れていました。

今回新潮文庫から出た吉村昭が書いた「大黒屋光太夫」上下を、あらためて読む気になったのは、あの看板をこの夏に四日市に行ったとき見たからかもしれません。

そしてこの吉村本が平成15年に毎日新聞社からハードカバーで出たのが、鈴鹿市があの看板を出す事になったきっかけかなと想像しました。

江戸時代に、白子から江戸へ向かう千石積みの廻船が難破して、ロシアへ流された17人の日本人(うち10年後に二人だけが江戸の土地を踏むことが出来た)がいました。かれらの、この遭難記録小説を読んで思ったことが2点あります。

その一つは「この男を生まれた国へ返してやりたい」と、当時のロシア人貴族や高官に自然に思わせ、そのための協力を彼らに最大限させた「大黒屋光太夫」と言う男の人間の魅力と、

それを周囲に認めさせ得た彼の人間関係能力・コミュニケーション能力の高さです。

もう一つは「地方に今でも発掘される日本の歴史資料の奥の深さと、歴史記述はその時々に得られる資料を超えられない」と言う面白さです。

その1 「光太夫の人間性とその驚異的な望郷の思いが周囲を変えていく」

彼の一行の前にも何人もの遭難者がロシアにたどり着いていますが、帰国できた人間はいませんでした。

なぜ彼ら一行が、カムチャッカ半島から、モスクワよりまだまだ西側の当時の都、ペテルブルグまでエカテリーナ女王に帰国を直訴する旅に出ることが出来たのか、

そしてなぜ謁見を実現出来たのか?そしてなぜ帰国出来たのか?

吉村昭は直接的にこの点に焦点をおいているようには思えませんが、この本を書く大きな動機の一つに,このことがあったに違いありません。

当時の白子浦は全国の湊の中でも特別な地位を占めていました。その理由をこの本から要約すると;

「家康は本能寺の変のあと三河へわずか30数名の手勢と共に落ち延びたが、伊賀者の巧妙な手引きで、途中の郷民の落ち武者狩りに会わずに、

信楽から加太越えで白子浦にたどりついた。そしてこの地の廻船業者に渡船を依頼した。業者は快諾して船を出し一行は無事に三河の国大浜に上陸して岡崎に帰城した。

その後、これを多として幕府は白子浦は特別な港として目をかけ、紀州藩の藩領にし、江戸に大店を持つ伊勢商人たちの商品積出港ともなって大いに発展した。」

光太夫はそんな環境の中に育ち「神昌丸」の沖船頭としてこの航海の指揮を執りましたが、彼は一言で言えば、

船乗りを生業(なりわい)にした人間ではなく商人(あきんど)として育った人間でした。

この本を読んで当時の日本の第一級の商人は、この時代の世界水準で言っても、世界のどこに出ていっても全く一流の人間であったと思いました。

彼は、宮廷の高官、高級軍人、貴族、そして宿屋の主人や庶民やその他の誰の前でも臆することなく、誰の前でも態度を変えずに、自分の思いや考えを述べています。

江戸時代に生まれ、育った人間の、この一人を知ったそのことだけでも、この上下2冊1080円は貴重な投資でした。        続く

2005年8月28日掲載エントリー

 伊勢の国出身のHMさんから「白子は近鉄で降りたことの無い駅、身近にこんな歴史があったのかと・・」と言うメールを頂きましたので、次のように返信しました。

文部省選定の全国共通の歴史教科書もいいのですが、本来それは副本であって各地元の自治体が地元の縄文時代から現代までの土地の歴史をまとめ、

それを教科書(*)にすべきだと思います。三重県では「大黒屋光太夫」は沢山いる土地の誇りのうちの一人だと思うのですが。

日本の各地各様に刮目、瞠目すべき歴史や人物を持っているのですが、教科書出版会社が東京集中であり、教科書を書く連中が、

殆ど田舎出身の成り上がり東京モンなんで、かえって地方を下に見て、日本では、それぞれの土地の固有の歴史を明治開国以来、あまり記述せず、評価しないようになりました。

こんなに自国のそれぞれの土地の歴史を忘れてしまい、大事にしない国はありません。

一回、外国にイクサで負けると、アヘン戦争でイギリスにやられた中国のように、国民の、そして国の志が再生するまで100年はかかると言いますが、

こたびの太平洋のイクサに敗れて60年、また自立するまで、日本があと40年もかかる前に、老いも若きも、まずワガ生まれ育った土地の歴史を知り、

それを出来うれば誇りにしたいもんです。それが自国を大事にする気持ちにつながると思います。

オノレの土地のまっとうなありのままの歴史を知らず、オノレの国を大事にしない人間が住む国を、認めてくれる他国人はマズいません。

そういう意味では、今、日本各地の歴史研究会とか歴史文献研究会とかどんどん盛んになっていて、日本は決して捨てたものではないと思います。

ところで、アメリカと言うかアングロサクソンの長年の世界の植民地支配体験からきた占領政策は、100年先を見据えていて空恐ろしいものがあります。

彼らは「ツボは歴史教育だ」と基本を抑えています。その国「固有の近代史を出来るだけ教えない」と言うのがツボです。占領した国民を、

自ら卑下させるのが人手をかけないですむ、もっとも効率のいい支配方法らしいです。

ただし、この方法は十字軍以来の宗教戦争相手のイスラム教徒には通じていないようですね。

いま歴史教育が右や左に大きく振れること自体が敗戦の大きな負債ですが、まずは自分が生まれ育ち、そして今住んでいる土地の歴史を知ることから始まるような気がします。

*長野県には明治時代から「信濃教育会」と言う教師の組織があり、信州独自の信州歴史読本を作って、児童生徒の副教科書に使ってきたそうです。

この組織は明治以降、中央政府から目をつけられ、多少は迫害されたとも聞きます。

信州人の中には「学校の教科書に書いてあるとか、お上が言ったことだからと言って 丸呑みにせん奴が出来てしまい」信州を離れて就職したとき、

東京や大阪などの他国でかえって苦労させられたそうです。

 
 
よるべない不安の正体は原発問題。

いま「原発鬱」とも呼ぶべき症状が増加している

一部引用・・

大好きか、大嫌いか。熱狂的に支持するか、そっぽを向くか。現代の日本社会は、あまりにも白か黒かをはっきりさせようと急ぎ過ぎて、振れ幅が大きくなっています。

以前なら内閣支持率が3割から4割ぐらいの微妙な水準のまま、国民は不平や不満を言いながらも、白黒つけずにジリジリと見守るという状態がありました。

しかし、いまは支持か不支持か、とちらかの極に振れると、一気にその評価が決まってしまいます。

 こうした傾向が強まっている日本社会は、どちらに転ぶかわからないけれども、待つしかないという状況に耐えられません。

原発事故の問題で言えば、爆発という最悪の事態に陥らない一方で、一気に解決まで進まないという膠着状態が延々と続いています。

しかもいつこの膠着状態が動き出すかすらわからない。これでは不安で仕方がないのです。

「目に見えない」「いつ来るかわからない」「いつ終わるかわからない」不気味な状態の行く末を、冷静に見守る耐性のようなものが弱くなっています。

今回の原発事故は、現代の日本社会にとって最も苦手な部分に突き刺さる問題になっていて、それが日本人のこころに大きなダメージを与えているのです。

・・・

やきもきしながらも、こころを落ちつけて見守る以外に方法はない。

 現在進行中の原発問題は、白か黒かという図式にあてはめることはできません。好転したかと思えば、悪い情報が入ってくる。

「一進一退」「三歩進んで二歩下がる」というジリジリとした状況は、いまの日本人が最も苦手とするところだと思います。

 現代の日本人は、不確定な情況のなかに置かれることに脆弱になっています。やきもきするのが苦手です。

もちろん、やきもきしなくて済むなら、それに越したことはありません。しかし、本来、人生には、自分の思うようにならない情況でひたすら待つしかない情況は山ほどあります。

恋愛はその典型で、自分が好きになっても、相手がその気になってくれるかわからない。想いを伝えることができても「少し考えさせてほしい」と言われたら、

待つしかありません。こういう情況への耐性が、いまの日本社会は脆くなっていることが、今回の原発事故で浮き彫りになりました。

 全文はこちら

 
 
浜岡原発と東京・横浜、名古屋の直線距離
 

「浜岡原発の停止は合理的だろう - wasting time?」から
一部引用・・

その意味で浜岡という場所はどうだろうか?

まず、第一に福島第一原発は東京から250キロの距離であった。浜岡は190キロの距離にある。横浜からは160キロ。

そして南西の風が吹きやすいといわれている。

また、名古屋からは130キロほどだ。今回の原発事故で改めてわかったことは爆発が起こったとき・ベントしたときの風向きの重要性である。

そしてそれはチェルノブイリの事故でも指摘されている。浜岡で問題が起こったときに東京や横浜などの大都市が安全と言い切れるだろうか?

また、これらの地域は人口が多すぎると同時に経済的に日本の心臓であるから何かが起こったときに避難という措置を取ることは不可能である。

とはいえ、さすがに100キロ以上離れた土地は大丈夫だろうと考えるのが普通だろう。


より気がかりなのは、浜岡原発から20キロ圏内に東名高速・東海道新幹線・国道一号線・東海道本線という日本の大動脈がいずれも存在していることである。

そして、45キロの距離に人口70万を超える静岡という都市があることだ。(福島市と福島第一原発の距離は70キロ以上あり、福島市の人口は約30万)

さらに静岡県には全国第一位の144の工場が立地している。(静岡県HPより)また、スズキ・ヤマハの本社もある。

静岡県は県別GDPで10位である。交通の大動脈がすぐ間近を通るだけならず日本の製造業の中心である。

この土地で福島第一と同じような事故が起こった場合の経済的損失は(福島の方々には申し訳ないが)今回の事故とは比べものにならないだろう。

全文はこちら

 
 
弱腰自民党外交力をアメリカが酷評
 

自民政権の北方領土交渉「指導力欠く」 米当局が酷評

2011年5月10日4時2分  朝日新聞
 米外交当局が、自民党政権末期の北方領土問題への取り組みを、「指導力に欠けている」などと、非常に厳しく評価していたことがわかった。

朝日新聞が内部告発サイトのウィキリークスから提供を受けた外交公電を分析した。

 在日米大使館はロシアのプーチン首相の訪日を翌月に控えた2009年4月、日ロ関係全般についての分析を国務省に報告。

「日本には、北方領土返還交渉のための計画も、計画を策定して最後までやり遂げる指導者も欠けている」と、当時の麻生政権を酷評していた。

 同年2月、麻生太郎首相とメドベージェフ大統領は「独創的なアプローチ」で解決を目指すことで合意。日本側では進展への期待が高まっていた。

だが、公電は、麻生首相について複数の情報源の見方として「北方領土問題について信頼できる助言者がほとんどいない。

彼の指導スタイルが他人に耳を傾けることを妨げている」と指摘した。

 野党・民主党についても見方は厳しく、北方領土問題では「政策の真空状態」に置かれていると指摘。新しい発想が出てこない理由として、

「(02年にロシアに柔軟姿勢を示したと批判された)鈴木宗男前衆院議員を巡るスキャンダルの後遺症」を挙げた。

 問題解決への日本の「本気度」を疑う記述もある。「日本は、エネルギー供給を、領土問題の速やかな解決よりもはるかに切実に必要としている」と分析。

経済関係が深まる日ロ双方にとって「現状維持は受け入れ可能。それどころか好都合」と指摘している。

 米側が日本の楽観的な見通しを一貫して冷ややかに見ていた様子は、他の複数の公電からもうかがえる。

たとえば、06年末に石油・天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」をめぐってロシア側が三井物産、三菱商事などから権益の過半数の譲渡を受ける妥協案がまとまったが、

07年1月の公電は「日本外務省は、この結果が北方領土交渉を促進すると信じている」と指摘し、「驚くべきことだ」とした。

同年2月には、在モスクワ米大使館発の公電が、前月に始まった外務次官級の「日ロ戦略対話」について、

「ロシア側は領土問題解決のためのチャンネルとは見ていない」のに「日本側は領土問題が『隠れたテーマ』になると主張している」と報告していた。

 09年4月の公電は、日本の外務官僚が、「メドベージェフ大統領にはやる気がある。交渉が進まないのは、

部下が大統領に適切な情報を上げていないからだ」と信じていると指摘した上で、「おそらく、ナイーブ(世間知らず)な評価だ」との見方を示している。

 こうした分析の背景には、米側がロシア側から得ていた情報があったようだ。「ロシア指導部は北方領土について、

第2次大戦でヒトラーを支持した結果日本が払った代償で、対独戦でロシアが失った数百万の命の補償の一部だと考えている」とし、

譲歩は望めないとの見通しを繰り返し伝えている。(文中の肩書は当時)

 
 
 
日本の震災へのボストンからの思い

一部引用・・

●海外からの援助を断る日本

こうしたボストンでの動きをみると、日本人もアメリカ人も、みんなが今回の悲劇に心を痛め、専門家として自分に何ができるかを真剣に考え、

日本のために行動を起こそうとしていることがうかがわれ、温かい気持ちになります。しかし、その中で気になることもありました。


それは、これまで日本の側が海外からの医療援助を要請しなかったり、時には断ったりしてきたことです。確かに海外からの援助には言葉の壁があります。

ハーバード公衆衛生大学院の3月16日の会議で登壇した日本医師会の災害担当者に海外からの医療援助の必要性について質問したところ、

混乱を生むことになるから海外からの医療援助は来ない方がいいという答えを頂きました。・・


●「グローバル・シチズンシップ」にむけて

海外からの援助を断る理由は、言葉が違うから、文化が違うから、処方や治療が違うからということが挙げられていて、確かにそうなのでしょうが、

私たちがそのように信じているだけということはないでしょうか。

日本人が「世界市民Global Citizen」の一員としての心構えを持ったら、言葉や文化や制度の違いは知った上で、共通の言語を習得したり、異文化を理解したり、

異なる制度についての知識を高めたりすることができるようになるでしょう。そうしたら、海外からの善意を喜んで受け入れることができるようになるでしょう。

「贈り物」を上手に受け取ったら、お返しをすることもできます。それは、与えてくれた相手に直接返礼することでもありますし、

「世界共同体」の一員として、もっと困っている他の国々の人たちに対して援助してゆくことでもあるでしょう。このような行為の中で、

国際社会における日本に対する信頼が築いてゆけるのでしょう。

講演の後、サンデル氏にご挨拶にいって、上記のようなことを話しました。彼は、握手の手をずっと握ったまま、

真っ直ぐに目を見つめて真剣に聞いて下さいました。そして、「どんな協力も惜しまない。ハーバードは日本と共にあるHarvard with Japan」、とおっしゃって下さいました。

日本は長い復興の道のりを歩み始めたばかりで、今後、国際社会からのたくさんの協力も必要でしょう。

世界の一員であるという意識Global Citizenship」を持って進んでいけるよう、どんな協力も惜しまないという気持ちで、共に歩んでいきたいと思います。

全文はこちら

 
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タイ食堂を出た後、錦糸公園の賑わいの中を通って錦糸町駅南口のカフェ「オスロ」で一休みしてから帰宅した

2023年06月14日 | 東京あちこち

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居酒屋E❝e❞の女将の川柳と俳句   「神戸新聞文芸」シリーズ13/全24回

2023年06月14日 | 居酒屋“e”の女将の俳句と川柳

○俳句三句    伊丹 公子 選


今朝もまた一歩近づき  めじろ待つ        
09年4月20日 入選

黒と黄と  青筋揚羽   美濃路行く        
09年7月20日 入選 

照明を落として探す  天の川         
09年8月10日 入選

居酒屋E❝e❞ の女将が「神戸新聞文芸」に投稿した句の中で入選し掲載された句です。

(画像はネットから借用)

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