このところ、綾部山(兵庫県揖保郡御津町)の梅林のことを神戸新聞が盛んに紹介するので、
かなり前に行った事がある同じ御津町の室津やその先の赤穂御崎にももう一回行くことにして梅を見に出かけました。
43号線のセルフのスタンドで給油をした後、阪神高速でなくそのまま国道2号線を走りました。
須磨を過ぎると、山と海の間の狭いゾーンにJR山陽本線、私鉄の山陽電車、国道2号線の3本だけが隣り合って走っている個所があります。
外には何も通る余地はなく狭いエリアにこれしかありません。戦時、交戦相手国がここに爆弾を落とせば、一発で日本の東西の物流の大動脈を
ぶちきる効率のいい場所だとここを走るたびに思います。
暫く走ると明石ですが、明石ではいつもなら「魚ん棚(ウオンタナ)」に行き、昼網のトレトレの魚か鯨専門店で鯨肉を買って帰るのだが
今回は寄り道なので断念し、これも外したことはない駅前から浜側へおりた「きむらや」の<玉子焼>をテイクアウトで買い、車の中で食しました。
やはりウマイ。カカーナビも私も大満足で折りの中身を変わりばんこに食べました。
この他所でいう「タコ焼き」を漬け汁にひたして食べる<明石の玉子焼>は「明石浦の地タコの生きのよさ、つけ汁の珍味、卵白と黄身の
ミックスには元祖としてきむらやの貫禄十分で名物としての舌覚味あり。」と包み紙に地元紙の昭和初期の記事が印刷されている惹句どうりで、
これまで一回も裏切られたことがない。
この店の大ダコの足のおでんも軟らかさと味の良さで外では食べられないが、今回は遅い朝飯で家を出てきたため、無念ながらパスした。
明石からは県道718号とそれに続くR250を行きました。
沿線にはダイセル、日本触媒、多木肥料、アースなどの工場があり、仕事で昔行ったことがある会社も出てきました。
この沿線は百年ほど前までは白砂青松の海岸だったのでしょうが、今は工場と住宅、マンションと畑、たんぼが無秩序に連なり
川端康成の「美しい日本である私」はどこやねんという感じです。
会社同期の友人野本夫妻の在所の高砂/曽根を通る時にメーターを見たら丁度家から60kmで、新日鉄広畑の正門前が80kmでした。
結婚式でよく謡われる謡曲の「高砂や、尾上の松の・・・」は高砂あたりが舞台で、高砂市を通過する時に大きく
「ブライダル都市高砂」と看板が出ていたので、市も頑張ってるやんと思いましたが、今日びどれだけの人がわかるんやろうとも・・・。
昔の街道跡の道を、山陽電車のレールと平行して走ったり、古い商店街を注意して走ったりして国道250号を姫路、網干をすぎ新舞子の綾部山の梅林に着きました。
一目2万本という宣伝文句をあまり信じてなかったのですが、行ってみて一山全て梅林というスケールの大きさとむせ返る梅の芳香に驚きました。
ここまで凄い梅林は始めてでした。
◎梅林は 幹の太い沢山の古木が良く手入れされていて、てっきり江戸時代からの梅林かと思ったら昭和43年に農林省の何かの補助金をうまく利用して、
土地の人たちが、梅の実を採集する組合をつくり梅の植林からスタートしたとのことでした。ゴルフ場で使われているカートのレールが斜面に張り巡らされ、
手入れの道具、肥料などの運搬に使われ、良く見ると給水パイプも全山に敷かれていました。
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」といわれるとおり、よく手入れがされていて枝がバランスよく裁断され、また高さも低くトリミングされていて斜面に立つと丁度目の高さに、
白や紅やピンクが織り込まれた絨毯が見渡す限りひろがっていました。
知らなかったが、相方によると実がなるのは白い梅とのことで、なるほど 8:2くらいの割合で白梅が多かった。
山の下から上まで梅の芳香に包まれて上っていくと、黒崎の市街地や塩田あと、そして新舞子海岸のある瀬戸内海が視野に入ってきて春霞の中に雄大な眺めが広がりました。
充分堪能して、 ここで取れた梅で作られたウメ缶ジュースをサービスでもらい、おいしく飲み干し、室津に向かいました。
2002年3月記。画像は全てネットから蒐集。