上諏訪の湖畔から下諏訪、岡谷方面を望む☝
コロナ禍が起きる昨年まで月に一度は三人会で美術館巡りしていたメンバーの一人である鎌倉在住の田中さんが11月半ばに信州諏訪の旅を楽しんできました。
写真シリーズ第一回は諏訪湖です。阿智胡地亭が自分のルーツの地、「諏訪」を最近訪ねたのは10年も前なのでしみじみと懐かしく画像を楽しんでいます。
朝の諏訪湖
夕暮れ時の諏訪湖
上諏訪の湖畔から下諏訪、岡谷方面を望む☝
コロナ禍が起きる昨年まで月に一度は三人会で美術館巡りしていたメンバーの一人である鎌倉在住の田中さんが11月半ばに信州諏訪の旅を楽しんできました。
写真シリーズ第一回は諏訪湖です。阿智胡地亭が自分のルーツの地、「諏訪」を最近訪ねたのは10年も前なのでしみじみと懐かしく画像を楽しんでいます。
朝の諏訪湖
夕暮れ時の諏訪湖
作家・映画プロデューサーの小倉美惠子さん(57)=川崎市=が、諏訪地方の風土や産業、文化を丹念な取材で掘り起こしたノンフィクション「諏訪式。」を刊行した。9年を費やして「ただならぬ場所」諏訪の魅力をまとめた本書が、全国で話題になっている。
諏訪との縁はなかったが、諏訪信仰にまつわる甲賀三郎伝説をモチーフにしたノンフィクション映画「ものがたりをめぐる物語」を撮影することになったのがきっかけで、諏訪を訪れるようになった。
2011年に取材を開始。膨大な資料を前に途方に暮れていた際、長野日報社刊で同社の伴在賢時郎・元特別編集委員らが企画取材に携わった「諏訪マジカルヒストリーツアー」を手にし、同書にヒントを得て、情報誌「そもそも」に連載した。「諏訪式。」はその原稿に加筆し、全4章から構成される。
話は、明治期の諏訪で製糸業からものづくりが勃興する場面から始まる。昭和に至るまで、東洋バルヴや諏訪精工舎(現セイコーエプソン)など諏訪の産業へと受け継がれる特性を探っている。岩波書店創業者の岩波茂雄とアララギ派の歌人・島木赤彦の2人を中心に、作家や出版人たちの多彩なネットワークを描いている。
物語の後半は、広大な空間を生んでいる諏訪湖を中心とする風土と、そこで培われた科学的な態度が語られる。彼らを通して、近代の形成期に自分たちの持ち味を生かし、環境の変化に立ち向かっていった「軸足のある人」の姿が浮かび上がってくる。
豊富な史料から、当時の人々の息遣いが伝わってきて、タイムスリップした気分が楽しめる。小倉さんが訪問先で出会った人から受けた印象と川崎市で見た風景とを重ね合わせた思いが、随所に柔らかいタッチで記された紀行文のような文体も魅力的な作品となっている。
小倉さんは執筆していた頃を、都会の目まぐるしい時の流れから「タイムカプセルのように守られていた幸せな時間」だったと振り返る。諏訪で出会った人たちは「自分の地域を知ろうとする人に、丁寧に教えてくれる気さくな人たちだった」とも話す。刊行されると全国の小さな書店などからも反響があり、「諏訪スタイルが全国の人にも響いているのではないか」と寄せた。
四六判、262ページ。価格は1800円(税別)。
店の帰りには大型水鳥の楽園の中を歩いて帰ったが、店の中ではおいしい寿司を堪能した。
例のごとくサービスのアラ汁は2杯のみほし、全国チエーンの有名回転すし店より寿司ネタに付加価値をつけざるを得ないローカルチエーンの店に入る
利点を十分活用して、回転すし店といってもなかなかレベルの高い寿司の味を楽しんだ。
中でも北寄貝は初めて頼んだがこれには唸った。
店へは旧中川にかかる京葉道路の橋を越えてしばらく歩かなければならないが古希を過ぎた二人には適度な運動になる。
店内は安全対策がきちんと取られていて、いつものように従業員の自然体の接客態度が気持ちよかった。
1126 ウオーキング 歩行数 6847歩 歩行距離 4.2㎞
一部引用・・・
全国の新型コロナウイルス重症者数が400人を超え過去最多となり、医療崩壊や、緊急事態宣言という声のトーンが日に日に大きくなっているのを感じています。
私の視点では、全国での重症者数が435人というのは1億人単位の国家規模で考えれば、まだまだ緊急事態宣言などを出すような状況ではないです。日本国内で他の病気で発生している重症者の数と比べれば、これも桁違いで少ないからです。
100万人都市を例に考えれば、1つの100万人都市に4人程度の重症者数となりますから、常識的に考えれば十分対応可能な規模と思います。
現在国が準備している重症者用のベッドは2000程度ですから、それが現在も大きくは増えていないとすると、現在の使用率は約2割強程度となります。しかし、重症者数が1000を超えてくると新型コロナ用の重症ベッドは半数以上が埋まってくる計算となり、一部地域によっては準備した重症ベッドが溢れ、県外への搬送が必要な事態となりうるでしょう。
連日、新型コロナのことばかり報道されているので、あたかもこの400や500という数字が夏場の150と比べて、増えているように感じる方が多いのですが、この冬に差し掛かる時期というのはあらゆる疾患の重症者が続々と病院に運び込まれる季節です。
特に血圧と連動する血管系の疾患、脳卒中や心筋梗塞などの重症者は増えますし、冬場の環境と免疫の低下による肺炎などの感染症も例年増加します。
たとえば、私の専門である脳卒中を例にしますと、私の勤務先の病院では11月の頭くらいまでは50床程度の急性期病棟の6割程度くらいしか埋まらない日も多々ありました。
それが、先週から今週にかけて、どっと一気に満床です。しかも脳卒中は意識障害や、永続的な半身麻痺などの後遺症を残し、中には数日で亡くなるような重篤の方もいますので、多くは重症ということになります。
新型コロナでは人工呼吸器が話題になりますが、脳卒中でも重篤であれば発症後直ちに呼吸不全をきたして人工呼吸が必要になりますし、麻痺による嚥下障害から誤嚥による肺炎を引き起こし、状況によっては肺全体の機能不全からの人工呼吸となります。現にこの1週間で当科に搬送された脳卒中患者のうち3名が人工呼吸器が必要となりました。
脳卒中という病気だけを見ても、この1-2週間で私の勤務する病院だけで重症者が30人以上増えています。全国規模で言えば、数千~数万の単位の重症者が増えているでしょう。
感染症である新型コロナウイルスと、非感染症である脳卒中などを比較するのはおかしな話ではありますが、重症度や重い後遺症を残すという点や、治療が必要な期間や長期のリハビリを要する点で医療への圧迫もひけをとりません。
私が言いたかったのは、そういった他の疾患の重症者が、国の規模で言えば万の単位で増えるのがこの時期であるということです。コロナで取り沙汰される全国で数百~千程度の重症者数というのは、これら他のメジャーな疾患と比べればずっと規模は小さいということを認識いただければと思い、比較させていただきました。
さて、医療崩壊という言葉が躍る中、現在11月28日に私の眼から見た医療の状況についてお伝えしたいと思います。これは後にも述べますが、私の勤務している病院はコロナ入院患者の入院はありません。正確には、いざ患者が増えれば入院の受け入れを行政に対して標榜してはおりますが、要請がないというのが現状です。
全文はこちら。
新型コロナウイルス 感染症非専門医から見る医療の現状 #BLOGOS https://t.co/TJ6Z3WCX1L
— achikochitei (@achikochitei1) November 28, 2020
図書館の帰りに回転寿司の「銚子丸」に寄った。そのランチタイムを楽しんだ後、いつものように旧中川の遊歩道を歩いて帰った。
全く人を恐れない鳥たちを立ち止まってゆっくり鑑賞した。☝アオサギ。
鴨
小サギ
アオサギ
川鵜はふれあい橋のてっぺんが定位置らしい。
1126 ウオーキング 歩行数 6847歩 歩行距離 4.2㎞
諏訪市小和田の温泉共同浴場「平温泉」を管理する平温泉組合(鉄羅康夫組合長)は23日、同温泉の改築100周年記念式典を隣接する市総合福祉センター「湯小路いきいき元気館」で開いた。記念事業で製作した温泉熱利用の電飾看板に点灯するなどして、温泉の恵みに感謝するとともに、歴史ある温泉文化の継承と発展に向けて決意を新たにした。
平温泉は組合員専用の共同浴場で、江戸時代から庶民に親しまれた。1921(大正10)年築の建物は和洋折衷の木造2階建てで、市内最古の共同浴場とされる。現在の組合員は約180人。10月は1日当たり53人が入浴した。
式典に先立ち、組合役員ら約30人が参列して男子浴場で神事が行われ、八剱神社の宮坂清宮司が祝詞を奏上し、組合役員や来賓が玉串をささげた。鉄羅組合長(76)は式典で、改築時に思いをはせて「今や平温泉はランドマークとして輝いている。先人の努力を大切に、組合と建物を守っていく」と決意を述べた。来賓の金子ゆかり市長と宮坂宮司、平温泉に配湯する湯小路統合温泉組合の岩波政雄組合長が祝辞を寄せた。
電飾看板は、平温泉の改築100周年を知って「見過ごすわけにはいかない」と考えた鉄羅組合長が理事会に諮り、機械設計士の小酒井正浩さん(76)=同市岡村=に依頼。60度の温泉と25度の水道水の温度差を利用して発電する装置と電飾看板を4カ月かけて製作した。
記念撮影の後、浴場入り口に掲げた電飾看板に点灯すると、350個のLED(発光ダイオード)電球がともり「祝平温泉百周年」の文字が浮かび上がった。参加者からは拍手が湧き起こり、笑顔が広がっていた。
この日は浴場2階の部屋が公開され、改築時の写真や新聞記事、小川平吉(射山)が当時揮毫した「八百万神共笑」の額装、新旧の組合員証、風呂おけなどが展示された。10月に募った記念事業の寄付には164人から170万円が寄せられた。記念の手拭いや記念グッズ、記念誌の作製に役立てるという。
◎阿智胡地亭は小中学生の時の夏休みに、当時住んでいた三重県四日市から小和田の北小路の伯父の家に泊まりに行き 地区の共同温泉をあちこちいとこたちと入った記憶があるので
間違いなくこの「平温泉」にも浸かったと思う。諏訪便りに再々登場する「八剱神社」は小和田地区の氏神さまで高島城が築城されるときに諏訪湖の中にあった
高島という島から現在の小和田の地に移築された。阿智胡地亭の本家が所属する「マキ=Clan」の社も小さな4本の御柱を立てて八剱神社の境内にある。
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小和田地区はもともと今の高島城のあるあたり、つまり当時諏訪湖中の島状の場所に暮らしていた人たちが、16世紀末ころの高島城築城の際に移転してできた村です。
移転と引き換えに、諏訪湖での漁業権や八劔神社による御神渡りの認定やそれにまつわる神事、記録や諏訪大社を通じての宮内庁への報告などの数々の特権を今も持ち、そして大工や職人を多く抱える村でした。 引用元。
一画にツワブキの群生している所があった。
まだまだ歩けるというので亀戸中央公園を突っ切って亀戸水神駅を越えて蔵前橋通りを梅屋敷まで歩くことにした。
建物の外壁のプラントデイスプレイ
亀戸大根の料理で知られる「升本」の店の前を通った。
梅屋敷の対面、蔵前橋通りに面して蕎麦屋があった。夕食には少し早い時間だったが店に入ってみた。
私は天せいろ、あいかたは鴨せいろをオーダー。
「町中華」と同じような「町蕎麦屋」のレベルの味だった。
鍋焼きうどんや丼物のメニューも豊富で 町の蕎麦屋さんとして地域で頑張っているお店のようだった。
これを読んでそういう見方もあるのかと思って納得もしたが、自分とは遠い世間に住んだ男で、いい気なもんだという思いも消えない。
2020年11月24日 05時50分
三島事件 1970年11月25日、「潮騒」などの作品で人気作家だった三島由紀夫(1925~70年)と、三島が結成した民兵組織「楯の会」メンバー4人が陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入し、益田兼利・東部方面総監を人質に立てこもった。三島は自衛隊員を集めてバルコニーから演説し、決起を訴えた後、楯の会学生長の森田必勝とともに割腹自殺した。
ほさか・まさやす 1939年、札幌市生まれ。同志社大卒。多くの関係者を取材する実証的な手法で昭和史を研究し、2004年に菊池寛賞。著書に「昭和陸軍の研究」「三島由紀夫と楯の会事件」など。
2020年11月17日 06時00分
三島事件 1970年11月25日、三島由紀夫と、三島が結成した民兵組織「楯の会」メンバー4人が陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で、益田兼利・東部方面総監を人質に立てこもった。自衛隊員を集め、2階バルコニーからの演説を要求。自衛隊に決起を訴えた後、三島と森田が割腹自殺した。事件の約1年半前、三島が東大全共闘のメンバーと激論を交わした映像を基に、ドキュメンタリー映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」が今年全国公開され、話題となった。必勝は三島の護衛役として会場にいた。
亀戸中央公園には多数の種類の山茶花が植えられている。あいかたの希望で見に行った。
公園にいく途中の小学校の校庭の柿の木に柿がぎっしりなっていた。誰も採ろうとしないのでたわんだ枝が可哀そうだ。にしても校庭に柿の木とは珍しい。
ふれあい橋を渡ってスカイツリーを見て公園に向かう。
1122 ウオーキング 歩行数 7261歩 歩行距離 4.5㎞ 公園の後亀戸の街まで歩いて蕎麦屋に入ったので距離が伸びた。
諏訪の浮き城・高島城の北向き天守を上手く撮る方法 気まぐれ城散歩・諏訪高島城(前編) | JBpress(Japan Business Press) https://t.co/TDTMqYbSTD @JBpressより
— achikochitei (@achikochitei1) November 21, 2020
全文はこちら。
https://www.facebook.com/keitaro.nomura/posts/3267942543267390から引用 本エントリーは上出さんのfacebookにより教唆を受けました。
日本が完全にオカシイ。もうヤバイぐらいに変だ。
小池百合子女王の街・東京では連日数百人の「PCR陽性者」が発見されて、感染者が全国に広がっているような報道だが、チョイ待てや。
ウチは菌の専門企業なので昔から菌の種類を判別するのにしょっちゅうPCR検査を使ってきたし、PCRを普段から使う医療関係者なら知っている常識だが、
あれは「感染者数」じゃなくて「陽性者数」だ。いいか、ど素人のテレビコメンテーターども。
決して「感染者」ではない。あくまでも「陽性者」である。
その中には「感染」に至っていない「曝露者」が大勢いる。
コロナウィルスが細胞に侵入したら「感染」なのだが、その前に、ほとんどが自然免疫で処理されてしまう。
更に「感染」しても普通はT細胞が細胞ごと破壊する。だから、ここまで「曝露者」と「感染者」の98%が「自然免疫」で片付いてしまう。
今の統計を正確に読み込むと分かるけど、「PCR陽性者」(曝露者+感染者)のうち約98%が、無症状か風邪程度で治っている。
国による違いがあるがコロナは「日本人の場合」、曝露力は強いが、感染力が弱いから、重症者も死亡者も大変少ない。
1、陽性反応者
単にウイルスが「曝露」(ばくろ・体の中に入る)しただけで、「感染」(細胞の中に入って増殖する)には至っていない人。
免疫にやっつけられて破壊されたウイルスの残骸が出てきただけの人
2、感染者
ウイルスが細胞内に侵入した人。無自覚、無症状多数。
3、患者
発症してる人。
そして死亡者は全然増えていない。
なのになんでこんなの国を挙げて第二波だの緊急事態宣言だのと騒いどるんだ?
なんでNHKも保健所までただの陽性者を「感染者」と呼んだり「患者」と呼んだりするんだ?
一体どうしてしまったのだ?日本は。
ノーベル賞の山中伸弥先生まで出てきて「厳重警戒」だの「元の生活にはもう戻れない」だのwithコロナだのアフターコロナの「時代」だの、
なんかもう人生がめっちゃ変わるかのような報道合戦だが…山中先生…どうしちゃったの?
ワシ大ファンだったのに…。
コロナ、日本は絶対もうすぐ終わるぞ?
まるでマスコミが大騒ぎして煽って第二次世界大戦に突入していった頃の日本に戻ってないか?
日本人、テレビの見過ぎでバカになったのか?
野村慶太郎さん こちら⇒https://www.facebook.com/keitaro.nomura
09月13日追記 本ブログでは「いいね」が一番多い記事なので8月4日掲載の記事を再掲載。
11月21日追記 9月13日に再掲載した記事だが現在もアクセスされる方が多いのであらためて掲載。