伊勢神宮は俗称で、正式名称は「神宮」と言う。秋の伊勢神宮は参拝の人で賑わっていた。
内宮の一般参詣者が参拝するスペースは相変わらず狭くて混雑していた。
深い尊崇の念を持ってしばし頭(こうべ)を垂れた。
ただいつものように拍手(かしわで)は遠慮させてもらった。
諏訪大社の氏子としては両者の歴史的な成り立ちからしてかしわ手を控えることにしている。
諏訪大社の祭神は大国主命の二男である建御名方命(たけみなかたのみこと)で大和朝廷軍の出雲進出の結果、
出雲を脱出して日本海沿いに越の国に逃げ最終的に諏訪の地に落ち着いた。
土地の「みしゃぐち神」との戦いのあと、両者は手を結び聖と政の役割を分担しながら諏訪大社として今日まで存続している。
Wikipediaから:
〇伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」である。
他の神宮と区別する場合には「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて俗に「お伊勢さん」とも言う。
神階が授与されたことのない神社の一つで、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた。
明治時代から戦前までの近代社格制度においては社格の対象外とされた。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が存在し、
一般に皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮と外宮は離れた場所にあるため、観光の場合は時間の都合上、
内宮のみ参拝することもあるが、本来はまず外宮を参拝してから、内宮に参拝するのが正しい方法とされている。
元来皇室の氏神であることから皇室・朝廷の権威と強い結びつきがある。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。
この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
〇諏訪大社
祭神 上社
建御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)
下社 上社の2柱の他に
御兄八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)
本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。
現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。
神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
記紀神話が伝えるところでは、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、
出雲を支配していた大国主命に国譲り、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、大国主の次男である建御名方命が、
国譲りに反対し、武甕槌命と相撲をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている。
八幡や住吉など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、纏めて「諏訪大明神」として扱われる事が殆どで他に「お諏訪様」、「諏訪大神」などと呼ばれている。