阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

「たけちゃんの四日市街歩き/第3回、四日市、四つ(数えたら五つ)の橋の物語」

2023年02月28日 | 辛好のJukebox

「たけちゃんの四日市街歩き/第3回、四日市、四つ(数えたら五つ)の橋の物語」

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昭和50年代の海外あちこち記 その14   モスクワで道路を渡るのは命がけの時代。   本編のみ昭和50年代ではなく昭和47年9月の体験。

2023年02月28日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1)休日に高台にあるモスクワ大学の正門に連れていってもらいました。ここからは首都モスクワが眼下に一望できます。

森と河とネギ坊主の教会のクラッシクな大都会の中に、帝政ロシア時代以降、共産党政権下で建設された威圧的なだけで美しくない壮大な官公庁ビルも沢山見えます。

 この高台へ次から次へと、式を終えたばかりに見えるウエデイングドレスの花嫁と花婿が友人達と車で上がってきて、何枚もモスクワの町をバックに写真を撮ります。

はしゃいだり、ふざけたり本当に楽しそうでした。

人前結婚式の後、ここで写真を撮ってから、役所へ結婚届を出しに行くというのが、当時のカップルのお決まりのコースで若いモスコビッチ(モスクワっ子)が

早くあそこで写真をとりたいと憧れていると聞きました。

2)訪問先への行き帰りは、商社の車で移動しましたが、この車が猛スピードで街中を飛ばします。大通りを横断する人は命懸けで渡るし、

乗ってるこちらも生きた心地がしないほどです。助手席に乗ったベテランの商社駐在員が大声のロシア語でロシア人運転手を叱りつけると

ようやく速度を落としますが、次に乗る時は又同じことで、前以上に怒鳴って何とか平常の速度に戻ります。

 あまり同じ事が繰り返されるので、その支店次長である大堀さんに運転手を毎回こんなに怒鳴らんといかんのですかと聞きました。

彼の答えによると、オフィスの事務員から運転手まで全てソ連邦外務省に申請してその部局に登録している人間が派遣されてくる。

必ず雇用するように義務づけられているので断る訳にはいかない。

 また当然ながら、その中に諜報部門の人間(エージェント)も紛れ込んでいる。

社会福祉政策の故か、殆どが戦傷者の退役兵だが、無学文盲に近いのもいて、その場合は運転手にしか使いようが無いのが派遣されてくる。

彼らには軍用車を運転する感覚しかない。色々やってみたが、この連中はまあ犬が悪さをした時と同じで、その場で怒らないとわからない、と言いました。

 どうみても立派な顔立ちの白人を犬呼ばわりして叱り付けるとは、何と言うことやと顔に出たのでしょう。

彼からすぐに言われました。

 この国は日本と違って社会階層差がきついんですよ、連中も社会的に生まれた時からずうっとそういう扱いをされているから そういうもんだとしか思ってない。

 この運転手に、このご主人様はいくら猛スピードで飛ばしても怒らないと一回思われたら、命がいくつあってもたまらないと言われてしまいました。

3)当方は九州若松で、ギブミーチョコレートとアメリカ占領軍のジープを追いかけた最後の世代ですから、白人と見ると無意識に一歩引くという

「擦り込み」をされてしまっていたなーと思いました。

その商社のモスコウ支店の次長さんは、ソ連の中央官庁の幹部役人の前でも、いつも背筋を伸ばし、愛想笑い一つ浮かべず堂々と振る舞っていました。

こういう社会主義国家の首都で単身赴任を続け、貿易ビジネスをやっている日本人がいるんやなと実地に知りました。

 今思えば商社マンの中に、社会主義国ビジネス専門に携わるプロフェッショナルの分野があった時代かも知れません。

出会いとは面白いもので、この商社の次長さんとは、10数年後、北京で支店長として駐在されている時にもお会いしました。 

幾つもの商社の、個性豊かな商社マンたちと仕事を一緒にさせてもらいましたが、モスクワで出会った大堀さんは、今でも忘れられない方々の中のお一人です。

 今思えば彼らは皆、「仕事師」でした。彼らの世代が去ったのちに増えたのは、「サラリーマン商社マン」でしたが、

それは日本が豊かになったことの現れ、またその証明かもしれません。 

 (画像は全てネットから借用。昭和47年当時現地で撮影したものではありません)
 
 (本編は1972年・昭和47年9月に私的な理由で突然モスクワに行くことになった時の見聞に基ずく)

 

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神戸市東灘区の住吉川から岡本(本山)を経て阪神電車の青木駅まで歩きました。   9年前の今日 2014年2月28日の本ブログに掲載

2023年02月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

住吉川の両岸には遊歩道があって、一年中ウオーキングやジョギング、犬の散歩に活用されています。



下流側

上流側

水道橋から本山方面。向こうに見える白い建物は神戸薬科大学と、その向こうの甲南女子大学?でしょう。

岡本の交差点

昔からある一本だけ屹立している棕櫚の木は、車で走っているときは気づかず通り過ぎます。

JRの電車に乗って通過するだけで気が付きませんでしたが、摂津本山駅の階上駅の改装工事は、エスカレーター工事だけを
残して完成していました。昨年の大雨のときは地下道が冠水して大変でしたが、もうあの事態は起こりません。
 浜側から駅舎を見た画像(トップの画像)
国道2号線方面

阪神電車の青木駅まで歩いて御影駅に戻りバスで甲南病院で下りました。




草ぼうぼうだった妖精の家の敷地は草刈されていました。

この家の持ち主の妖精はもう長く留守をしているようで、住んでいる気配を感じませんでした。

 

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日本の農業の基礎情報と 日本の農業に対するある提言   13年前、すでにして日本の農業従事者の平均年齢は65歳だった

2023年02月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2010年12月14日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

♪日本の農業従事者の平均年齢は65歳? そんなことも知らなかった。

この評論の意図がどのあたりにあるのか知らないが、一つの情報として紹介します。

大前研一という人はこれまでの立ち位置を見てくると、基本的にはアメリカ政府の考えを代弁する機能を果たしてきたように思うが、

この論評は農業改革に何も具体的な手を打たず、手をこまねいているわれわれを直撃している。

大前研一「ニュースの視点」Blogから引用。

「農家もどき」では国民の胃袋を守れない~世界の最適地で農業を

菅直人首相は16日の衆院本会議で「若い人でも障壁なく農業に参加できるよう農地法など法体系も見直す必要がある」との見解を示しました。

また、農業従事者の平均年齢が65.8歳と高齢化していることにについて「わが国の農業は貿易自由化とは関係なく、このままでは立ちゆかなくなる」と強い懸念を示しました。

 私はすでに20年以上前に、拙著「大前研一の新・国富論」の中で、この問題を指摘し、2005年までに改革する必要性を主張しました。

国民の平均年齢、農民が抱える様々な問題を考えて、「農業は世界の最適地でやるべき」というのが私の一貫した主張です。

 「農民憎し」と考えるのではなく、私たち国民の「胃袋」を中心に論理的に考えると答えはそれ以外にないからです。

今までのように農業利権だけで政治が成り立っているという状況が続けば、いずれ「国民の胃袋さえ守れない」という時代が来てしまうと私は思っています。

 農業従事者の平均年齢65歳とのことですが、米作農家に限って言えば、もっと平均年齢は高くなります。おそらく70歳に近いのではないでしょうか。

 農水省はこれまで適当な理由をつけて頑なに「農業の開放」を拒んできました。そして、圃場工事で莫大な税金を使って農業整備基盤事業を押し進めてきました。
 
しかしそれだけの資金を費やしても、農業の生産性はほとんど向上していません。おそらく、「やる気」がない人が増えているからだと思います。

 「(国内で)自由にやっていい」と言われても、オーストラリアやアメリカなど「農業最適地」で自由にやっている人を見てしまったら、

モチベーションは上がらないでしょう。

オーストラリアでの農業、大規模かつ効率的な機械化で日本とは比較にならないほど高い生産性を期待できます。

広大な土地を使い少人数で大々的に機械化された農業を営んでいる姿を見たら、若い人はそちらでやってみたいと思うのが自然だと思います。
 
中途半端に日本国内に固執するのではなく、「農業は世界の最適地でやるべき」という考えに基づいて農業を解放するべきです。

日本の会社や農民が世界の農業最適地へ行き、そこで作ったものを国内に持ってくるという流れを作ることです。

そして、間違っても日本国内に持ち込む際に「邪魔」をしないようにすることが重要です。
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 ▼ 日本には農業利権だけを主張する人が多過ぎる
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 例えばオーストラリアでは、大体「1キロ25円」くらいでコシヒカリを作ることができます。しかしそれを「1キロ100円」で日本に輸入しようとすると、

物流コストで一気に値段が跳ね上がってしまいます。

 というのは、日本の法律によって物流会社の選択にも様々な制約があるからです。同じような障害は他にも沢山ありますが、

自由にコスト競争力のある物流会社を選べないというのは代表例と言えるでしょう。また農業を取り巻く状況を見ると、もう少し大きな問題も見えてきます。

 この20年間で、農業従事者数が約900万人から560万人に激減し、耕作放棄地は約15万ヘクタールから40万ヘクタールと拡大する一方です。

しかも、「土地持ち非農家」の割合が増えてきています。

※「日本の農業を取り巻く状況」


 農業従事者に対する税制が優遇されているため、一層この流れが助長されています。例えば、農業に従事していると、農地の遺産相続の際に相続税がかかりません。

正確には相続者が30年間に農業に従事すれば相続税が免除されることになっています。また農業従事者は青色申告者と同様、

一般の事業者と比べて多くのものを経費に算入することができます。このような事情もあって、農業利権だけを持っていて実際には

農業に真剣に携わっていない人が一向に減りません。私に言わせれば、日本は「農民もどき」が多過ぎると思います。

 実際のところ、専業農家は全体の2割くらいでしょう。農業利権だけを主張している人が500万人くらい居るはずです。
 今、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を推し進める動きが活発化していますが、この辺りの法整備を含めてばっさりと改善していけば話は前に進んでいくでしょう。

そして、本気でTPPにより「際限ない自由化」を実現しようと思うなら、「農業は世界の最適地でやるべき」という考え方は大切だと私は考えています。

現実的に日本の若者が国内で農業に従事する、というのは考えづらいと思います。まだバングラデシュの若者が日本に来て日本で農業をやる、という方が納得します。

日本の若者がオーストラリアなど国外の農業最適地で農業に携わり、そこから日本に農作物を輸入するという流れをぜひ実現してもらいたいと私は願っています。

 
 
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02月27日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

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図書館の帰り 梅の古木に白い色が付き出しているのに気が付いた。

2023年02月27日 | 身辺あれこれ

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神戸・阪急御影駅の上の深田池をひさしぶりに散歩            9年前の今日 2014年2月27日の本ブログに掲載          

2023年02月27日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ







住吉川の方へ向かいました。




残念ながら長く楽しみに歩いた大正時代からあると思われる路地は、日本邸宅が取り壊され、低階層マンションに建て替わったために風景が変わりました。


情緒があった「光悦垣」が消えて、この垣根になりました。


このお屋敷はそのまま変わっていません。新しく建った低層マンションはこのお屋敷の対面になります。

2009年2月8日に掲載した同じ路地のエントリー。「光悦垣」がありました。

   池の近くの路地には明治か大正かというような場所が残っています。



材料取替えの費用は大変でしょうが、同じ仕様を維持して欲しいと思います。

2006年3月2日に掲載の付近の写真。 右側の敷地が低層マンションになりました。

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「鹿児島老夫婦殺人事件」  検察に死刑を求刑されたが地裁の判決は無罪に   鹿児島県・南日本新聞の報道は大手マスコミとは違った。

2023年02月27日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年12月12日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 
鹿児島市夫婦強殺 被告に無罪判決/鹿児島地裁 (2010 12/10 10:50)南日本新聞

 鹿児島市で昨年6月、高齢の夫婦が殺害された事件の裁判員裁判で、鹿児島地裁(平島正道裁判長)は10日、強盗殺人と住居侵入の罪に問われ、

死刑を求刑された無職白浜政廣被告(71)=同市三和町=に無罪を言い渡した。死刑求刑事件の無罪判決は裁判員裁判で初めて。

 白浜被告は「(現場に)行っていないし、やっていない」と一貫して否認。同事件は殺害の直接証拠はなく、

弁護側は被害者夫婦に執ような攻撃が加えられていることから、

「動機はえん恨と考えるのが自然」として、強盗目的とした検察側立証に反論していた。

 事件は2009年6月19日午前6時ごろ、鹿児島市下福元町の男性=当時(91)=方で、男性と妻=同(87)=の他殺体が見つかった。

県警は被害者宅で採取された指紋・掌紋が白浜被告と一致したとして同29日、殺人容疑などで逮捕。鹿児島地検は住居侵入と強盗殺人罪で起訴していた。

 裁判員裁判では東京地裁などで4件の死刑求刑があり、いずれも有罪判決(3件死刑)が言い渡されている。

♪地元新聞南日本新聞は判決前に下の引用した記事を書いていた。  本社在京記者クラブメディアと違って、

(検察と警察にやはり多少は遠慮がちながらも)ジャーナリズムとしての当然の取材と報道をしている

 引用開始・・

求刑死刑と捜査 (2010-12-04)

 鹿児島市下福元町の高齢者夫婦殺害事件。悲惨な現場に残されていた指紋などから逮捕、起訴された被告は裁判でも全面否認したが、鹿児島地検は死刑を求刑した。

有罪か無罪か、さらに有罪なら極刑も認めるのか。12月10日の判決言い渡しに向け、6人の裁判員と3人の裁判官は難しい判断を求められる、と各マスコミは報じた。

しかし、それ以前に論じなければならないこともあるのではないか。捜査は本当に十分なされたのだろうか。

「難しい判断を求める」ことになったのは、鹿児島県警、鹿児島地検にもその責があるかもしれない。と言ったら、酷過ぎるだろうか。

 「事件の前足、後ろ足をまず調べるべきだが、今回はそれが立証できていないようだ」。事件捜査に詳しいある関係者はそう懸念する

 裁判で出てきた証拠からは、被告と被害者夫婦が顔見知りだったという事実はない。近所でもない。事件の半年ほど前に被害者宅を望める高台に行ったという過去はある。

年金生活だが、パチンコで大負けしてカネに困っていたかもしれない。

 お金欲しさで被害者宅を狙ったとして凶器を準備せず、午後8時ごろ、その場にあったスコップで窓ガラスをたたき割って侵入したとされるが、

被害者や近所の耳目を引くようなそんな物騒なまねをするだろうか。お金が本当に欲しかったら、まずはこっそり目立たないように犯行に及ぼうとしないだろうか。

 犯行現場や周辺に被告の靴と一致する跡はなかった。車のタイヤ痕も一致しなかった。被告の車の中から現場や犯行とつながる証拠も出てきていない。

もちろん事件発生から逮捕までに10日たっているから、その間に証拠が隠滅された可能性はあるが、いずれにせよ証拠がない以上、判断はできない。

 カネ目的だったのに現場に現金が計13万円ほど、通帳も残っていた。被害者夫婦をスコップで何十回もたたいたとされるが、

そんなに激しい犯行現場で被告の髪の毛は特定できなかった。鉄製のスコップの柄や取っ手に皮膚細胞片も検出されなかった。

指紋も出ず、肝心の凶器と被告との関連はわからないままだ。

 一方、現場のタンスなどに残っていた指紋が、コンビニ強盗未遂の前科のある被告の指紋と一致したとして、

それまで捜査線上に上っていなかった被告が重要容疑者となる。県警はすぐさま翌日、任意同行を求め、そのまま逮捕する。

「任同をかける前にまずは、被告の周辺捜査をじっくりすべきだったのでは」という指摘は一部関係者から出ているようだ。

ただ逮捕後は徹底した周辺捜査が行われ、事件との関連は何も出てこなかった。

 否認する被告にポリグラフ(一般に言われる嘘発見器)はかけられていない。「通常、捜査上の心証をつかむには必要なのになぜ?」と先の関係者。

無理はしなかったということか。そして、県警は自白を取れなかった。えん恨による犯行ともみられるような悲惨な現場。

被告が犯人だとしたら、なぜあのような大胆で残虐な犯行に及んだのか、

その自供があって初めて合点のいく事件の概要がわかっただろう。

 もちろん、これだけ注目された事件だから、あとで自白の任意性、信用性に問題をもたれないためにも、代用監獄(警察の留置場)は使わず、

ちゃんと拘置所(鹿児島の場合は拘置支所)に収監して、真剣勝負の取り調べを行い、自供をとらなければならなかったはずだ。県警はそれができなかった。

 被告は「現場に行ったことはない」と犯行を否定している。本当に犯人ではなかったら、これらの疑問は解消できないで当然のことだ。

 鹿児島地検は、タンスなどの指紋のほか、逮捕後に採取した被告のDNAと侵入口とされる窓の網戸についていた細胞片が一致したことと、

割れて立てかけてあった窓ガラス片にも指紋があったことを根拠に被告が強盗殺人犯である、とする。被告が「行ったことがない」と否認しても、

侵入痕と物色痕があることから犯人でありえないはずがない、というわけだ。

 ただ、指紋やDNAが住居侵入の証拠だとみても殺人行為と結びつく直接の証拠は提示されてない。厳しい言い方をすれば、強盗殺人の罪を問いながら、

その証拠を導き出せなかったプロの捜査側、訴求側としては胸を張れるものと言えるだろうか。

 一方、弁護側は「指紋は不自然な付き方をしているなど誰かが細工したもの、DNAは採取方法に疑問がある。資料が残っていず再鑑定もできない」と

証拠価値に疑問を投げかけている。その主張の根拠をもっと示してほしいと言っても、捜査権のない弁護側には難しいだろう。

最終弁論では「ずさんな捜査」と断じ、「疑わしきは被告人の利益に」と、刑事裁判の鉄則を説いた。 (宮下正昭)
引用終わり

検察側に立って、検察がリークした内容で文面を構成してきた大手マスメディアの記者ではとても書けない内容だ。

しかも今回の判決はこの記者の推定を越えて踏み込んだものだった。

くにたみの身になってお上の手抜き、不始末、いい加減さをチエックするのはメディアが預かる大きな役目。

南日本新聞はその役割を果たしている。この事件のようなヤメ検ではない真っ当な弁護士もいるし、このような新聞社もある。

日本は捨てたもんでは決してない。大手新聞もテレビも、本来の仕事をせんとエビゾー君を追いかけるので喜んでいたら、誰も新聞買わんようになり、

テレビ見るのは入院患者だけになりそうですよ。

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02月26日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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京葉道路の新中川橋を渡って 亀戸九丁目のインド料理の店「フルバリ」でランチを楽しんだ。

2023年02月26日 | 食べる飲む

家から出て図書館に寄り 江東区亀戸九丁目のこの店のカレーや「銚子丸」の寿司、蕎麦店の「愛知」などが集まるこのゾーンまで行って帰ると

歩行数はどうしても6,000歩ほどになる。

 この日も行くにはちょっと遠いなあと、図書館に近い町中華の店「珍来」の名も出たが、今日はやはりあの本場のカレーが食べたいねとなり「フルバリ」に向かった。

行ったおかげで幸い旧中川にかかる新中川橋上からは、鴨がたくさん泳いでいるのも見ることが出来た。

私はタンドリチキンセットでチョイスのカレーはマトンを頼み、酒はジントニックをオーダー。

相方はレディースセットでチョイスのカレー2種類は、サグ(ほうれんそう)チキンとキーマをオーダー。サフランライスやマンゴーゼリーもついている。

スープとサラダもいつもおいしく、セットに入っている飲み物の中からは 二人はともにラッシーを頼んだ。

 この日は休日でもあり 店は若い二人ずれや家族客でほぼ満席だった。客はほとんどが近所のマンション街の住人のようで

店内の雰囲気は近所使いの町の蕎麦屋さんとおんなじだ。その存在はもうすっかり街になじんでいる。

完璧な日本語で接客するホール係のインド人の彼は「この間はトニックウォーターを切らしていてすみませんでした、今日はありますよ」

と濃いめに感じられるジントニックを出してくれた(笑)。

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尖閣映像流出──大手マスコミ・メディア危機の「本質」 

2023年02月26日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年12月11日(土 )「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

●(『現代産業情報』12月1日号より転載)

尖閣諸島沖の中国漁船衝突の映像が、動画サイト『You Tube』に投稿された問題は、それが国家機密にあたるか否か、投稿主の海上保安官の行為が違反か否か、

強制捜査が妥当か否か──等、メディアは多様な論点で語っているものの、その評価軸には海上保安官の行為が犯罪性を帯びている、

投稿映像は日中関係や日本の国益に影響しかねないとの前提がある。

  しかし、メディアは自身の足元が見えていないようだ。

「映像はなぜ既存メディアではなく、動画サイトに流出したのか」というテーマは、メディアにとって回避できない現状認識のはずである。

象徴的な光景が、『朝日』記者(名古屋)のツイッターだった。

記者は、自社が尖閣映像をスクープできなかったのが悔しかったらしく、「この映像を自分が、というか新聞社が入手することはできなかったのかなあ」(11月5日)と書き込み、

加えて、メディアを通じた内部告発のメリットを再三にわたってつぶやいた。

曰く「メディアの紙面を通せば付加価値がつく」「You Tube運営元のGoogleが捜査当局にIPアドレスを開示したように、内部告発にネットを使うと足がつ

きやすい」「一方でメディアの取材源秘匿は絶対であり、捜査当局の調べに明かすことはなく、押収されるような証拠を残さないノウハウもある」──。

しかし“世論”は異論を述べ立てた。

メディアの報道は映像情報を「編集」し、「つまんで流すだけ」と、批判意見が朝日記者のツイッターに書き込まれた。

記者は、「流出ビデオそのものも当局の都合で編集されている」と反論したものの、ネットユーザーたちは「マスコミを介すとさらにバイアスがかかる」と一蹴。

所謂「メディア不信」を象徴する意見である。

民主党の小沢一郎前幹事長は、既存マスコミではなく、動画サイト『ニコニコ動画』のインタビューに応じ、資金問題をめぐる国会招致を拒否すると明言し、

新聞、テレビはこれを追いかけざるを得なかった。

「編集することなく全てを流してもらえる」という点を評価して、小沢氏サイトが『ニコ動』を選んだという評価軸は、

前記の「なぜ既存メディアに尖閣映像が流出しなかったのか」という問いに対するものと、同じ解答を示している。

「編集権」を盾に立脚してきた既存メディアが、それ故に支持を失っているのだ。

「メディアが権力側と癒着しており、内部告発をしても、“向こう側”に流されてしまうのではないかという不信感を持たれていると痛感する」(ジャーナリスト)

以前は、新聞で書けない情報は記者から付き合いのある雑誌メディアに伝えられ、そこでも書き切れないものは『噂の真相』のような独立系雑誌に流れる“情報流通路”があった。

だが、『噂の真相』がなくなり、週刊誌ジャーナリズムが暴露性を失い、新聞が検察報道に象徴されるような権力追随体質を強めていくのに伴い、

内部告発を考える者にとっては、既存メディアは信頼できるメディアではなくなっているのだ。

その象徴例が今回の尖閣映像のYouTube流出に他ならないとみるべきであろう。

投稿した保安官は当初、米CNN東京支局に映像データをSDカードに入れて郵送したと供述。

CNNはウィルス感染を疑い、SDカードの中身を確認しないまま廃棄したという。

こうやって内部告発はメディアに無視されていくという典型例ではあるが、「仮に中身を知ったところで、本当にCNNが報道に踏み切れたかは疑問。

真贋の確認、日中関係の考慮など、ためらう要素はあまりに多すぎる」(関係者)との指摘がある。

ネットには当然ながら危うさがつきまとう。

GoogleのIPアドレス開示はその典型例だが、そのリスクがあっても重大情報が既存メディアに入ってこない情報流通路の地殻変動こそがメディアの危機の本質である。

だが、メディアは民主党外交への罵詈雑言を連日並べ立てるばかりで、自らが陥っている危機の本質を認識しているとは、とても思えないのである。

♪既存メディアつまり記者クラブメディアは、わかっていると思う。

罵詈雑言を発するしかないその苛立ちは、自民党の谷垣総裁の苛立ちと同じで、盛り返しの手段方法が見えないことにある。

 
 
 
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02月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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図書館へ行く近道の お寺とお寺の間の路地にいつもいる猫    「ちばてつや」さんの本をまた借直した。

2023年02月25日 | 身辺あれこれ

4冊のうち二冊は読み切れていなかったので再度予約して借り出しました。

「ちばてつや」さんは、何人かいる阿智胡地亭が生きていく上での指針になる方の中で 現存するお一人だ。

出版社のコピーから引用;

 ジョーも松太郎もてつやから。名作の裏に…

いつしか老作家となったマンガ家・
ちばてつやは、様々な社会的
役割を務め多忙だった。だが…
ある日、コミック雑誌から執筆依頼が来た。
最初断ろうと思ったちばだが、その脳裏には
幼い頃の満州の物凄い夕焼け、
人生の節目で出会った素晴らしい人々、
そしてどんなときも不器用に苦しみながら
マンガを描いてきた自分の姿が去来する。
オールカラーショートコミックで描く
半生の記。ちばてつや18年振りの最新作、今ここに結実!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

ひねもすのたり日記』(ひねもすのたりにっき)は、ちばてつやによる日本漫画

作品タイトルの“ひねもすのたり”とは「一日中だらだら」の意。

概要

ビッグコミック』(小学館)の2016年1号から連載中。全編カラーページで掲載されている。

ちばの『ビッグコミック』連載は1998年に終了した『のたり松太郎』以来18年ぶりで、ちばの新作としては

コミックアルファ』に1998年から1年間連載された『ハネ太』以来17年ぶりとなる。

本作は、水木しげる[1]エッセイ漫画わたしの日々』が2015年5月に連載が終了して以降、しばらく空席となっていた『ビッグコミック』の巻末ページ[2]の新作として、

同年12月に連載が開始された。作品の内容は、ちばてつや本人の日常的な生活、満州国や引き揚げ後に暮らした千葉県での幼少時代、漫画家活動のかけだし時代、

といった過去に起きた出来事などを、ちば自らが綴るというもので、『わたしの日々』のコンセプトを継承する形となっている。

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塩サバにスコッチ   ある日の居酒屋E❝e❞にて            10年前の今日 2013年2月25日の本ブログに掲載

2023年02月25日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

肴は塩サバ、広島菜、粕汁。酒はスコッチをストレートで。

和食には合わないように思えますが そんなことはありません。時々こうして飲みます。

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ウクライナ戦争1年、なぜ停戦へ至らないのか地域紛争を超え、先進国と後進国の戦いへ    東洋経済オンライン

2023年02月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

的場 昭弘 : 哲学者、経済学者、神奈川大学経済学部教授

2023年2月20日、ウクライナの首都キーウ(キエフ)を訪れ、ゼレンスキー大統領(左)に出迎えられるバイデン米大統領(写真・AFP=時事)

2022年2月24日にロシアとウクライナの本格的戦争が始まってから1年が経つ。しかし、現在まで停戦合意に至っていない。最新の兵器をもった2つの国の軍隊が行う本格的戦争は、もう長い間忘れていたものであった。

確かにアフガニスタン、イラクなどの地域で戦争はこれまでにもずっと続いていたが、それらの戦争は圧倒的に勝る近代兵器をもったアメリカ軍などによる戦いだった。

これは、多くの場合短期決戦で決着がつくか、そうでなかったらゲリラ戦に突入し、近代的兵器それ自体が意味をもたず、ずるずると長期の内乱状態へと進むかであった。それに比べると今回の戦争は、短期に決着がついた、アルゼンチンとイギリスが戦った1982年のフォークランド紛争以来の、国家間の本格的近代戦争である。

国家と国家との対立ではない戦争

しかし、今回の戦争をこれまで以上に複雑にしているのは、それが国家と国家との対立の戦争ではないことだ。問題の発端になっているドンバス問題は、すでに問題の範囲内にはない。

問題はNATO(北大西洋条約機構)とそれに対抗するロシアを含むBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5カ国)の戦い、すなわち世界を分断する天下分け目の戦いへと変化している。そしてそれは、両国の背後に巨大な経済力をもつ両陣営の世界戦争による様相を呈している。

だから停戦合意はまったく問題になっていない。戦争を終わらせる話し合いの場すらできていない理由は、この戦争が旧来の先進国と勃興する後進諸国との雄雌を決める戦いになっているからだ。

しかも、それが2つの国の背後にいる中国とアメリカという、世界を二分する国の意地をかけた代理戦争の役割を負わされていることで、停戦合意の目途はますます遠ざかるばかりである。両陣営とも、妥協点を探ることを放棄している。しかもそれが国連の場での解決を困難にしている。これでは戦争は終わることはない。

この戦争が終わらないのは、戦争が維持されることで経済が繁栄すると思っている背後の国々の、平和のための代償となっているからでもある。こう考えると、19世紀のトルストイの小説『戦争と平和』(1869年)の話が思い出される。

トルストイの『戦争と平和』は19世紀を代表する名作だといわれる。なぜか。その理由は、19世紀の戦争が平和の延長線上にあることを描いた作品だからだ。戦争と平和という2つの言葉はけっして相対立するものではなく、平和は戦争によって作り上げられているという近代世界の皮肉な逆説を、トルストイが長大なロマンスの中で描いているからだ。

トルストイはこの作品の発想を、フランスの思想家ピエール=ジョゼフ・プルードンの作品、その名も『戦争と平和』(1861年)に負っている。彼はブリュッセルに亡命中のプルードンに会い、そこからこの小説のタイトルを思いついたのだ。この小説にピエールという、プルードンを思わせる主人公も登場する。

プルードンの『戦争と平和』

プルードンの『戦争と平和』は今ではほとんど読まれることのない作品だが、とても重要な意味を持つ作品だ。プルードンはこの作品の中で戦争を特別のものだと考えることをやめ、戦争は平和と表裏一体のものだということを明らかにした。

プルードンは、文明をここまで発展させたのは戦争だという。戦争があってこそ人類はここまで発展してきたのだ。19世紀の西欧をつくりあげている文明とは国家と教会のことであるが、彼によると、これらはその根源にある、他人のものを所有したいという所有欲から発生しているという。だから所有欲が存在する以上、そこに戦争はつねに正当なものとして出現する。

したがって、近代国家の侵略の権利は近代の神聖な権利だという。だからこそどの国家もこの権利を正当な権利だと主張し、戦争は日々行われることになる。そして平和はその代償として戦争によってもたらされるというのだ。

考えてみると、19世紀以降の西欧資本主義の国家の歴史は、日々戦争の歴史であったといってもいい。プルードンは「国家はつねに戦争状態にある」とさえ述べる。

もちろんプルードンは戦争を礼賛しているのではない。その逆だ。戦争を理性的なものとし、それを正当化する国家の論理、それは所有欲の原理であるが、これらを批判しようというのだ。

19世紀前半のナポレオン戦争が、19世紀の戦争に与えた影響は大きい。それが、ヨーロッパ全土を巻き込んだ壮絶な戦争であったからだ。その中から、近代の戦争論の基本的教科書ともなる作品が生まれる。それが、プロイセンの軍人・軍事学者であるクラウゼヴィッツの『戦争論』(1832~34年)と、今のスイス出身の軍人・軍事学者であるジョミニの『戦争概論』(1838年)である。

クラウゼヴィッツは、戦争を「政治的行為であるばかりか、政治の道具であり、彼我両国の政治的交渉であり、政治におけると異なる手段を用いてこの政治的行為を遂行する行為である」(『戦争論』篠田英雄訳、岩波文庫、上巻、58ページ)と述べる。しかし、問題は政治的行為を動かすのが、いったい何かである。

ジョミニは政治的行為よりも、その銃後にある貯蔵と補給という経済的視点に焦点をあてている。いわゆるロジスティック(兵站)だ。広くこの兵站を解釈するならば、それはその国家の生産力を含めた総体的国力である。

近代の戦争は経済力を背景にしている

それは、近代の戦争が経済力を背景にしていることを意味する。戦争を始める前に、どれほどの経済力をもっているかが、勝負の分かれ目ということになる。

だからこそ、国家はその国の経済力のみならず、自らに利する友好国をしっかりと見極め、それらの総合力で勝利を収めることになる。NATOそして、BRICSが、戦争以外の分野でしっかりと結びつき、経済制裁と国際外交を展開するのは、まさにこうした戦争行為の背後にある経済行為の問題だといえる。

資本主義が登場してなぜこれほど戦争が増えたのかといえば、まさに政治が経済と深く関係し、その経済が資本による利潤の拡大と密接につながっているからだ。戦争と経済について最も明確に語ったのは、ドイツの経済学者ヴェルナー・ゾンバルトであり、『戦争と資本主義』(1913年)である。

ゾンバルトは、資本主義の発展は戦争がもたらしたものだと述べている。資本主義の市場拡大、すなわち利潤の拡大が、戦争を引き起こし、その戦争のための軍事技術の発展がさらに資本主義の産業革命をもたらしたのだという。

国家による軍の創設が市場に巨大な需要をもたらしたことは、間違いない。とりわけ軍が組織化され、膨大な武器や被服、食糧備蓄などの需要がもたらされれば、その需要を満たすべく、産業は発展する。大砲の需要が製鉄所の高炉の建設に結びついたことも正しい。

武器需要が資本主義経済発展にとって重要なものであることは、植民地争奪戦争、経済的ライバルの屈服などといった直接的軍事力の行使の問題だけを意味するものではない。経済的システムを含めた自国優位の経済体制が、軍事力によって形成されるからである。

だからこそ、こぞって武器の開発にしのぎを削るのだ。軍事技術の優位が経済的利権の獲得に寄与するならば、経済的裕福さは戦争の上に成立していることになる。

停戦合意よりも武器の輸出

こう考えると、資本主義システムの恐ろしい意味を暴いたプルードンやトルストイの問題意識を、改めて思い出すべきかもしれない。資本主義経済、とりわけ先進国の経済は、かなり長い間長期経済停滞の中にある。新しい発展を促す市場の拡大や新製品の発明がない。その結果、先進資本主義国の経済成長は軒並み弱い。一方、その先進国の消費市場となっていた後進地域は、自ら経済成長を遂げ、今や先進国のお株を奪う状況にある。

ここで先進国は、後進地域を再び従属し、自らの経済発展と優位を確保したいという思惑に駆られる。こうして代理戦争として、ロシアとウクライナの戦争が出現したともいえる。

2つの国はともに西欧の外の地域の戦争といえるが、ウクライナは西欧の代理として、ロシアは後進地域の代理として登場している。この戦争それ自体の最初の原因は、すでに述べたように東西の対決などではなく、スラブ社会の小さな問題にすぎない。しかし、これがいつのまにか世界戦争に発展する大きな問題となったのだ。

この戦争のおかげで、軍事生産市場は活況を呈しはじめた。軍事生産は、裾野の広い分野である。その波及効果を考えると、なるほど好景気も考えられる。これを機会に、各国とも、それまで控えていた武器の生産や軍事費の拡大を、一気に図ろうとしている。今では、軍拡は当然の事実として進んでいる。

しかし国民のほうは、この戦争で経済成長を享受できていないどころか、さまざまな被害を被っている。経済制裁によるエネルギー資源の枯渇、また農産物や工業製品の輸入の困難、それによる物価の上昇である。

ウクライナでの果てしない戦いの中、西欧の市民も最近、政府批判と戦争批判を行い始めている。

西欧のあちこちで展開するデモは、一見すると年金問題であったり、石油問題であったりするが、

最近では明確にウクライナへの武器輸出批判というデモに変わりつつある。

疲弊するばかりの国民

年金の減少、インフレは、戦争の継続、とりわけ政府による武器支援から生まれていると感じはじめているからである。

結局、今の状況は、一部の資本家と国家エリートなどが利益を独占するだけで、国民が疲弊していることだ。

さらには、当事者であるロシアとウクライナでは、この終わることのない高度な武器による戦争で、毎日多くの人々が死んでいるときている。

なんと常軌を逸した話であろう。

これが21世紀の戦争と平和の現実だとすれば、われわれはいまだに19世紀の「戦争と平和」という葛藤から一歩も脱却していないということである。

早くこの悪夢から眼を覚まし、世界戦争へエスカレートする前に、停戦のための外交努力を行うべきであろう。

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