goo blog サービス終了のお知らせ 

阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

カツ丼を食べたのは10数年ぶり  モリそばとセットで  亀戸7丁目の蕎麦の店「愛知」にて

2023年06月09日 | 食べる飲む

図書館に寄ってから「愛知」にランチに行った。

オーダーは「野菜天ざる」にしようと思ったが、メニューの写真を見て急に気が変わりカツ丼セットにした。

ぬる燗一合も忘れずに(笑)。

カツ丼を食べるのは随分久しぶりだったが 蕎麦屋のカツ丼は旨かった。

80を過ぎた歳でカツ丼をわしわし食べてしまうのもシアワセの一つかも知れない。

モリそばの量もたっぷりあって、これは働き盛りの現役向きのメニューだと思ったら、後から入店の若いサラリーマン二人が頼んでいた。

幸い私もほぼ完食した。

相方の注文は「海老天おろしそば」。とても満足していた。

そのあと旧中川河畔のアジサイを見て帰宅した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

92歳の日本人男性が200m走で世界新記録…ぶっちぎりの走りが世界中を驚かす

2023年06月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事

The 92-year-old Hiroo Tanaka ran 60 meters in 10.95s

引用元

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06月08日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年06月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月05日(木)のブログ]

2023年06月09日 | 東日本大震災ブログ
日本の外務・防衛省高官の発言が多数流失した。 ウキリークス

☆外務官僚は国内向けと宗主国向けの言動はダブルスタンダード(2枚舌)でやるしかないということだろうか。

満州国の現地人官僚も日本占領時代の朝鮮・台湾の現地人官僚も「買弁」と誹られながらも、そうするしかなかった。

2枚舌は外交関係が平等でない状況を示す明確なエビデンスで、歴史を見ればどんな時代にでもある。

 今回の情報流失は、外務当局も官邸もメディアもなかったことにするのだろうが、それも戦後から続く長い日米関係を現している。

なかったことになるかも知れないが、くにたみは斉木さんをはじめ、文書に登場する人たちの人間性や根性は知ってしまった。


 ウィキリークス公表の米公電要旨    2011年5月5日 00時31分 東京新聞

 内部告発サイト「ウィキリークス」が公表したり、米紙ニューヨーク・タイムズが報じた米公電の要旨は次の通り。(肩書は当時)

 一、06年4月の日米交渉で、グアムの軍用道路建設費10億ドルが再編費用に盛り込まれた。

 一、費用全体を膨らませることにより、日本の負担比率を(見掛け上)減らすことができる。米国はこの道路を移転に当たって絶対的に必要なものとは考えていない。

 一、移転対象の海兵隊員と家族をそれぞれ8千人と9千人とした数字は日本向けに意図的に最大化したものだ。

 【災害対策に関するシーファー駐日米大使の公電】=08年3月18日付

 一、縦割り主義でリスクを避けたがる日本官僚組織が「備えが不十分な際の危機に対する脆弱性」を高めている。

 一、日本をまひさせる災害が発生すれば、世界経済に影響を与える。

 一、重要な社会基盤の防御や、災害が発生した場合の悪影響を最小限に抑える方法を日米2国間で協議することは有益かもしれない。


【北朝鮮問題などに関するキャンベル・斎木会談】=09年9月21日付

 一、キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が外務省の斎木昭隆アジア大洋州局長と会談した。

 一、斎木氏は、北朝鮮が日本人拉致被害者の一部を殺害したが、一部は生存していると考えていると述べた。

横田めぐみさんは比較的若いことから、その安否が最大の問題であり、人々は横田さんのケースに最も心を寄せているとも述べた。

 一、斎木氏は、中国が東南アジアで優位に立つことは認められないと述べた。

 一、斎木氏は、民主党が米国との「対等な関係」を訴えていることについて、両国関係は既に対等であり、

鳩山由紀夫首相や岡田克也外相が何を考えているのか分からないと明かした。

 一、民主党が力と自信にあふれたイメージを打ち出す必要を感じ、そのために、官僚を統制し、

米国に挑む新しく大胆な外交政策を担っているということを示そうとしたと斎木氏は分析した。

斎木氏はこのような考え方を「愚か」と呼び、「彼らも(いずれ)学ぶだろう」と述べた。


 【政権交代などに関するキャンベル・山岡会談】=同日付

 一、民主党の山岡賢次国対委員長はキャンベル次官補と会談した。

 一、山岡氏によると、日米密約に関しては透明性を重視する。鳩山首相や岡田外相は政治的な理由から非核三原則の法制化を望むかもしれないが、

山岡氏と小沢一郎幹事長は核持ち込みが必要な場合もあると国民を説得することが重要と考える。

 一、小沢氏は中国で胡錦濤国家主席らに歓待されたが、米政府は同様の対応を取らなかった。

 一、小沢氏は民主党最大の実力者であり、次期参院選で勝利すればさらに影響力を強める。鳩山氏の次の首相となる可能性は高い。

 【在沖縄米軍基地問題に関するキャンベル・長島会談】=10月15日付

 一、キャンベル次官補らと長島昭久防衛政務官らが会談。

 一、長島氏によると、北沢俊美防衛相は現実主義者で現行の移設計画を支持している。

 一、キャンベル氏は、鳩山首相が北京で「米国に依存し過ぎていた」と述べたことを受け、日米関係に危機をもたらすと警告した上で、

米国政府が日本より中国に関心を向けたいと公言したら、日本はどう反応するか想像してほしいと発言。

 一、(長島政務官らが席を立った後)高見沢将林防衛政策局長は、長島氏の現行計画に関する発言を額面通り受け取るべきではないと指摘。

省内ではもっと強硬だと述べ、米側は再編計画見直しへの柔軟性を見せるべきではないと発言。

 一、防衛省側が在沖縄海兵隊のグアム完全移転や、沖縄県内の他の施設との補完により抑止力は維持可能ではないかとの仮説を提示すると、

キャンベル氏は劇的に向上している中国の軍事力を指摘し、有事の際は嘉手納基地と那覇空港以外にもう一つの施設が沖縄に必要だと述べた。

 【同問題に関するズムワルト・山岡会談】=12月9日付

 一、ズムワルト駐日米首席公使が山岡氏と会談。

 一、山岡氏によると、沖縄県の仲井真弘多知事は普天間移設は現行計画をやり通さなければならず、それが政治的に生き残るための唯一の道だと分かっている。

 一、沖縄の人の意思を尊重していては何も起こらないだろう。沖縄県知事選前に政府が決定すれば、沖縄の政治問題は大したことはない。

 【日米関係などに関するルース・前原会談】=10日付

 一、ルース駐日米大使は前原誠司国土交通相に「鳩山氏がオバマ大統領に『信頼して』と言いながら最後までやり通さないとの問題もある」と指摘。

 一、前原氏は日米同盟関係悪化について「喜ぶ国は2カ国だけだ。中国と北朝鮮だ」と発言。

 【基地問題などに関するズムワルト・松野会談】=10年1月26日付

 一、ズムワルト氏が松野頼久官房副長官と会談。

 一、松野氏は、鳩山首相と日米作業グループは、普天間飛行場を沖縄県外に移設する案を「形式的」に検討しなければならないが、唯一の現実的な選択肢は普天間をキャンプ・シュワブか、その他の既存施設に移転させることだと述べた。

 一、松野氏によると、日本の安全保障政策は地方自治体によって決定されることはなく、(移設反対派が当選した)名護市長選の結果は鳩山首相の最終決断において重大な要素にならない。

 一、松野氏は、キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる現行計画は「死んだ」と強調。工事現場の周辺で抗議行動が起きる可能性が強いとした。

 一、松野氏は、名護市長に当選した稲嶺進氏が普天間移設の現行計画への反対を表明したとしても、同氏は修正案を受け入れるかもしれないとの見方を示した。

 【日米安全保障高級事務レベル協議】=10年2月4日付

 一、キャンベル次官補と外務省の梅本和義北米局長らが日米安全保障高級事務レベル協議を開催した。

 一、キャンベル氏は「北朝鮮情勢、増大する中国の軍事力などに直面し、日米同盟は史上最も重大な試練を迎えた。だが、この現実は見過ごされがちだ」と指摘。

 一、米国はグアム周辺とアジアでの自衛隊のプレゼンスと活動の強化を要請した。(共同)

 
 
日本の外務省から米国へ助言「妥協するな」 ウィキリークス
 

普天間飛行場移設問題 官僚、米に「妥協するな」 
ウィキリークス 米公電公表
2011年5月5日 琉球新報

米軍普天間飛行場移設の日米交渉報告の米外交公電を公開しているウィキリークスのホームページ

 在沖米海兵隊グアム移転をめぐる「数値操作」

 米軍普天間飛行場の返還・移設問題で「県外移設」を模索する方針を示していた民主党政権に対し、外務省官僚が米政府に「妥協すべきでない」などと、

助言していたことが4日、分かった。内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米公電によると、

2006年春に日米両政府が合意した米軍再編ロードマップ(行程表)で示された在沖海兵隊8千人と家族9千人のグアム移転について、

政治的成果をアピールするため、実態より膨らませた数字を挙げていたことも明らかになった。

 在沖海兵隊のグアム移転費について、米政府が、関連費用を水増しして日本側の負担を見かけ上減らし、日本政府も08年に追認したことも判明した。

建設費約10億ドルの軍用道路を再編費用に盛り込んだことについて「総体のコストの見積もりを増やし、日本側が負担するコストの比率を減らすため」と言及。

92億ドルだった総額を10億ドル増やすことで、3分の2だった日本側の負担比率が60%を切るよう操作していた。

 民主党政権への交代後、官僚が再編行程表を維持するよう米側に言及したケースとして、2009年10月12日、高見沢将林・防衛政策局長が、

来日したキャンベル国務次官補らとの非公式の昼食の席で、「米側が早期に柔軟さを見せるべきではない」と助言。日本政府の政務担当の参事官らが

在日大使館政務担当者へ同様の発言をしたことが電文で報告されており、官僚が鳩山政権の県外模索を阻む動きをしていたことが示された。

 米軍再編を通し、日本政府は在沖海兵隊を「定数1万8千人」とし、グアム移転で約1万人が残るとの認識を示していた。

公電は、実際に移る海兵隊員は8千人に達することはないとの見通しを示し、家族の9千人は最も大きく見積もった場合の数字としている。

在沖海兵隊が06年時点で「1万3千人水準」とし、移転の実数が8千人を大幅に下回ることが確実だ。

 当時の鳩山由紀夫首相が移設先決定を先送りした直後の09年12月21日、藪中三十二外務事務次官(当時)の発言として「政府による見直し作業で辺野古移設に

代わる実行可能な案が見つからなければ、06年の再編合意に立ち返る、と鳩山氏は確認した」と、早い時点で辺野古回帰が念頭に大きくあったことも電文で示されている。

在沖縄海兵隊移転規模を水増し ウィキリークスが米公電公表
2011年5月5日 00時23分  東京新聞 

 【ワシントン共同】日米両政府が在沖縄米海兵隊のグアム移転で合意した2006年のロードマップ(行程表)について、

米政府が移転費用の総額や対象となる人員規模を実態より膨らませて示すことにより、日本側の負担比率を外見上減らす操作が行われていたとみられることが、内部告発サイト「ウィキリークス」が4日公表した米公電で判明した。日本側も米側の措置を認めていたという。

 菅直人首相は埼玉県内で4日夜、暴露された日本関連の公電情報について「合法的でない情報の発表と理解している。政府としてコメントすべきでない」と述べた。

 08年12月に在日米大使館から国務省に宛てた公電によると、06年4月の日米交渉の際、グアムの軍用道路建設費10億ドル(約800億円)が再編費用に盛り込まれた。

 公電はこの道路について「米国は移転に当たって絶対的に必要なものとは考えていない」と指摘。道路費用を盛り込んだ理由について公電は「費用全体を膨らませることにより、日本の負担比率を(見掛け上)減らすことができる」と国務省に報告した。

 06年当時は負担比率をめぐり日米が駆け引きを繰り広げており、日本側が受け入れやすくするための措置だったとみられる。92億ドルだった移転費用の総額が10億ドル水増しされたことにより、日本の負担比率は表面上、60%を下回った。

 また、移転対象とされた海兵隊員8千人と家族9千人についても、実際にグアムに移転する海兵隊員は8千人に達することはないとの見通しを示し、家族についても「9千人」という数字は最も多く見積もった場合の数としている。
..

 
 
河野太郎はまっすぐ怒る。 原発利権族へ。
☆まっすぐ怒る。

最近のいろんな人の論考を読むと、ああこの人のいう事は歴史の検証に耐えることが出来るなあというのと、この一時にのみ取り上げられるけど一年後には、誰も一顧だにしないだろうなあと言うのにわかれる。

河野太郎の「東電」を含む「原子力エネルギー問題」に対する提言には、普通のくにたみの目線、立ち位置での当然の怒りを感じる。

全文引用

.菅内閣なのか民主党政権なのかわからないが、東京電力の福島第一原発の事故の賠償案がひどすぎる。

5月3日の朝日新聞が一面トップでとりあげているが、なぜ、東京電力が起こした事故の賠償を国民が負担しなければならないのか。

まず、経営陣、株主、貸し手の金融機関がそれぞれの責任を果たさなければならない。経営陣は総退陣すべきだし、株主価値を残したまま国民が負担を求められることがあってはならない。金融機関も自分達がリスクをとって貸したお金を、国民に負担をさせて回収してもよいとは思わないだろう(思うかもしれないが、それは許されない)。

事故が起きてから作った仕組みで、他の電力会社に拠出をさせれば、それぞれの電力会社のステークホールダーが、「事故の後から」負担を迫られることになり、これもおかしい。 さらに、再処理を前提とした2兆4000億円の電力会社の積立金(もとは電力料金だ!)には全く手をつけないというのも恣意的すぎる。

賠償は、1兆円ずつ4年間で4兆円としているが、果たして4年で全ての事故処理が終わっているだろうか。漁業や農業が4年間で元に戻っているだろうか。 賠償のためには東電の資産売却は避けられない。事故の被害規模を考えれば当然だ。

スッカラカンになった東電を国有化し、原発部門を切り離し、送電と発電に分割して売却しなければならないかもしれない。 東電が、逆立ちしても鼻血も出ないようになって、2兆4000億円の積立金がきちんと活用されて、それから初めて税の投入の議論を始めるべきだ。

東電の株を大量に保有したり、貸し込んだりした金融機関が、この事故の賠償で大きな影響を受けるかもしれない。政府は、その影響をきちんと予測した上で、必要ならば、システミックリスクを起こさないように、その対策を立てなければならない。もちろん、その金融機関を助けるためではなく、システミックリスクの波及を防ぐための対策だ。

経産省と東京電力、それに電気事業連合会は、毎日、議員会館を歩いている。議員1人1人に面談して、なにやらいろいろと訴えている。「東電を分割したら電気の供給が滞ります」「東電に賠償を押しつけたら金融危機が起こります」。

議員に一方的な話だけを聞かせてはいけない。政治は正義を行う必要がある。報道されているような賠償案が本当に提案されてきたら、国民が立ち上がらなければならない。こんな政府とそれを支えている与党はつぶさなければならない。もちろん、こんな賠償案を支持しようとしている自民党の電力族も。

引用元
 
 
『災害がほんとうに襲った時』緊急出版   阪神大震災時、精神科医の50 日間の記録  中井久夫

☆あるメールマガジンから全文引用します。
『災害がほんとうに襲った時』本文より

「東日本巨大災害のテレビをみつつ」
2011 年3 月11 ー28 日
「ジャーナリストは電話をくれて、何をすればよいですか、と
いう。(…)私のいえるのは、まず、被災者の傍にいることで
ある。誰か余裕のある人がいてくれるのがありがたい。それ
が恐怖と不安と喪失の悲哀とを安心な空気で包むのである。」

1995 年1 月17 日夜ー1 月18 日
「現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさに
そうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。
統制、調整、一元化を要求した者は現場の足を引っ張った。」
「精神科救護所のネットワークは、誰が命令したわけでも指示
したわけでもなかった。片手で数えられる中堅精神科医が動
きながら形づくっていったものであった。」
「救援物資の中の薬は内科の薬ばかりで向精神薬は含まれてい
なかった。私はこの事実を知って、東京の精神科医に次々と
電話をかけて、この事実を知ってほしい、誰かに伝えてほし
いと頼んだ。麻薬取締法違反ではないかという異議があった
ことは後に知った。」
「総じて、役所の中でも、規律を墨守する者と現場のニーズに
応えようとする者との暗闘があった。非常にすぐれた公務員
たちに私たちは陰に陽に助けられた。」
「地震と同時にいやおうなしに活動を始めたのは当直医、夜勤
ナースであった。いきなり「状況」の中に投げ込まれ、倒れ
た家具の中から這い出し、開かない扉をこじあけて彼ら彼女
らは待ったなしの救出医療に当った。もっとも不眠不休だっ
たのは彼ら彼女らである。」

1995 年1 月20 ー22 日
「一般にボランティアの申し出に対して「存在してくれること」
「その場にいてくれること」がボランティアの第一の意義であ
ると私は言いつづけた。(…)待機しているのを「せっかく来
たのにぶらぶらしている(させられている)」と不満に思われ
るのはお門違いである。予備軍がいてくれるからこそ、われ
われは余力を残さず、使いきることができる。」
「「〔精神科医〕ボランティアが問題を掘り起こしたままでわれ
われにゆだねて帰るのは困る」と私は言った。たとえばその
後有名になってしまった「心的外傷後ストレス症候群」(PT
SD)の事例を引き受けたならば、最後は電話ででもいいから、
一年は継続してかかわる覚悟でいてほしいと私は言った。」
「行政当局が外部の応援を断ったのには接待や宿泊の世話が大
変だという本音があった。(…)多少ともPTSDの症状を呈
していた現地の職員は来援者には奇異に映っただろう。「彼ら
には帰るところがある」という感情が来援のヘリコプターを
見送る側に働いたこともあった。しかし、このような齟齬は
時とともに解消し、自然発生的なコーディネート・システム
によってすべてが円滑となった。」

1995 年1 月23 日
「多くの精神科医はPTSDについて語っている。しかし、わ
れわれの関係者の私への報告によれば、避難所のようにむき
だしに生存が問題である時にはこれは顕在化しない。おそら
く仮設住宅に移住した後に起こるのであろう。」
当面の問題
「私たちは涙もろくなっていた。いつもより早口で甲高い声に
なっていた。第三者からみれば躁状態にみえたかもしれない
が、実際には、自己激励によるエキサイトメントであったと
思う。万一「空しい」と感じてしまえばそれこそコトだと私
は思った。」
「黄色を主体とするチューリップなどの花々は一九箇所の一般
科ナース・ステーション前に漏れなくくばられ、患者にもナー
スにも好評であった。暖房のない病棟を物理的にあたためる
ことは誰にもできない相談である。花は心理的にあたためる
工夫の一つであった。」
「校長先生たちはある意味ではもっとも孤立無援である。避難
民には突き上げられ、市にはいっさいの人員援助を断られ、
そして授業再開への圧力がある。災害精神医学というものを
曲がりなりにも知っていた精神科医とちがって、校長先生た
ちは災害においてこのような役割を担おうとは夢にも思って
おられなかったはずである。」
「コミュニティが崩壊しなかった証拠はいくつもある。街の物
価が突然安くなった。(…)こういう状況では頭から人を信じ
てしまうか、頭から疑ってかかるか、どちらかしかない。神
戸市民は前者を選んだのであろう。」
当面の問題2
「実に多くの人が、この状況にあって「ただでものをもらう」
ことに抵抗を感じていた。初期にはそのためのためらいがあっ
た。かなりの神戸市民は政府の援助を争って受けたのではな
い。心理的抵抗を乗り越えてようやく受けたのであることを
彼ら彼女らのために言っておきたい。」

1995 年2 月24 日からみて
「終わったという感じが流れているね、まだ不通の電車も避難
所もあるのに」「四、五〇日しかスタミナは続かぬのだよ、生
理的に」「その間に主なことをやってしまう必要があります
ね」。われわれはやりおおせたのだろうか。」

「あとがき」2011 年3 月25 日
「これが役に立つだろうと判断したのはノンフィクション作家
の最相葉月さんで、私は最初何を言いだしなさったのかときょ
とんとしたのが事実である。」

2011 年4 月14 日
株式会社 みすず書房
阪神大震災時、精神科医の50 日間の記録
『災害がほんとうに襲った時』緊急出版


このたびの東日本大震災に遭遇し命を失われた多くの方々に哀悼の意をささげ、ご家族ご知友を失われた方々には心よりお悔やみを申し上げます。

また、被災された数十万に及ぶ方々に対しては心よりお見舞いを申し上げます。現在、被災地を中心に、警察・自衛隊・医師・看護師・地元職員はじめ数多くの人々が、不眠不休の被災者の救援活動にあたっています。

このような時にあたり、16 年前の阪神大震災後に私どもで刊行した二冊『1995 年1 月・神戸』『昨日のごとく』を読みたいという声が新たに起こっています。

そこで、私どもとしては、二著の出版に力を注がれた中井久夫先生の文章を再編集し、ここに新たに刊行することにいたしました。歴史から学ぶ・「神戸」から考える。

一精神科医が関与観察した阪神大震災の50 日間の記録と一年間の回顧です。

中井久夫『災害がほんとうに襲った時ー阪神淡路大震災50 日間の記録』家屋の倒壊、近親者の死、長びく避難所生活…… 阪神大震災は被災者たちに、計り知れない心の傷を負わせた。

「なにかやらなくては」――みずからも被災者である神戸在住の精神科医とナースがまず立ち上がった。

つぎに全国から駆けつけた医療ボランティアたちが。彼らが疲れてくると、さらには援助者を支える援助者
もやってきた。1995 年1 月17 日から50 日間。被災地では何が起こり、何が必要だったのか。1995 年3 月に弊社より刊行した『1995 年1 月・神戸―「阪神大震災」下の精神科医たち』から、編者・中井久夫が記した「災害がほんとうに襲った時」に、今回の震災に寄せた文章「東日本巨大災害のテレビをみつつ」を加え、緊急出版いたします。
4 月20 日刊行・1260 円(税込)・四六判・並製・144 頁・ISBN 978-4-622-07614-8電子書籍版もリリース予定 600 円(税込)

中井久夫『復興の道なかばでー阪神淡路大震災一年の記録』

被災地のみならず全国に共同体感情のようなものが生まれ、誰もが被災地に眼をそそいでいた阪神大震災から1 年。だが、あれから避難所で生活していた人たちは、ボランティアはどうなったのだろう。被災民への補償は、今後の地震対策は、町の復興は? こころに傷を負った人たちへのアプローチは、進んでいるのだろうか。1996 年3 月に弊社より刊行した『昨日のごとく―災厄の年の記録』から、共著者・中井久夫による1 年の記録を出版いたします。
5 月10 日刊行予定・1680 円(税込)・四六判・並製・176 頁・ISBN 978-4-622-07615-5
電子書籍版もリリース予定 800 円(税込)

中井久夫(なかい・ひさお) 1934 年奈良県生まれ。京都大学医学部卒業。
神戸大学名誉教授。精神科医。著書『中井久夫著作
集――精神医学の経験』全6 巻別巻2(岩崎学術出版社、1984-91)『分裂病と人類』(東京大学出版会)『記憶の肖像』(1992)『家
族の深淵』(1995)『アリアドネからの糸』(1997)『最終講義――分裂病私見』(1998)『西欧精神医学背景史』(1999)『清陰星雨』(2002)
『徴候・記憶・外傷』(2004)『時のしずく』(2005)『関与と観察』(2005)『樹をみつめて』(2006)『臨床瑣談』『日時計の影』(2008)
『臨床瑣談・続』(2009)『統合失調症』全2 巻(2010、以上みすず書房)ほか。共編著『1995 年1 月・神戸』(1995)『昨日のご
とく』(1996、共にみすず書房)。訳書としてみすず書房からは、サリヴァン『現代精神医学の概念』ほか、ハーマン『心的外傷
と回復』、カーディナー『戦争ストレスと神経症』(共訳)、さらに『カヴァフィス全詩集』『リッツォス詩集 括弧』ヴァレリー『若
きパルク/魅惑』『コロナ/コロニラ』などが刊行されている。『災害がほんとうに襲った時 ― 阪神淡路大震災50 日間の記録』
『復興の道なかばで ― 阪神淡路大震災一年の記録』

いまなぜこの2 冊の出版を2011 年4 月
みすず書房

東日本を襲った巨大震災は想像を絶する大津波による広汎な被害を引き起こし、多くの人々の尊い生命を奪いました。被災され、現実の困難に直面されている方々にはただ、早い復興をと願わずにはいられません。福島第一原子力発電所の事故による、放射性物質の拡散と、電力不足による経済・社会活動の停滞も、この後どれほどの悪影響を及ぼすかは、現時点では想像もつかない状態です。

今回、緊急に刊行するこの2 冊は、1995 年におきた阪神淡路大震災の記録、『1995 年1月・神戸』『昨日のごとく』を元とし、編者である精神科医中井久夫先生の「災害がほんとうに襲った時」を中心に、再編集したものです。

刊行の契機は、ノンフィクションライター最相葉月さんによるこの記録への評価と行動でした。最相さんは、救援活動に携わる医師や看護師、カウンセラーら病院関係者、後方支援の方々、さらにこれから支援を考えておられる方々にこの記録を届けようとの思いを持たれ、素早くサイトを立ち上げられました。前文に最相さんはこう書かれています。「ここには想定外の災害に初めて見舞われた一人の医師の逡巡、苦しみ、気づきがあります。災害の種類や時代を超えた普遍的なメッセージがあります。」「災害がほんとうに襲った時」は下記のサイトにて閲覧することができます。
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/

小社は、阪神淡路大震災当時に出版したこの2 冊をはじめ、災害について考えるための出版物の刊行を折々において行ってまいりました。災害の種類や規模や時代状況が異なるとはいえ、引き起こされた災害から学び、教訓を蓄積することは、危機への管理や予想せぬ災害に備えるためにも、不幸にして災害発生後は回復へと向かう道筋にひとつの方向性を示すことができる、との思いからでもありました。

版を新たに刊行するこの2 冊は阪神淡路大震災の発生から、1 年後の回復にいたるまでのプロセスに意志的に関わった一精神科医の観察の記録です。16 年という時を経ているとはいえ、当時の経験から学ぶ点は多く、今回の災害にあたって書かれた中井先生の一文とともに、この時期に、編集された「本」としての刊行をすることには大きい意義があり、出版社としてできるひとつの役割であると判断いたしました。

速報性をもったネットによる発信、編集された「本」というかたちでの出版、それぞれのメディアの特性は、より広く、より長く必要とする方々に届けることを可能にしています。今回の出版が、災害および災害後の課題解決に少しでも役立てることを願うとともに、被災された地域の一日でも早い復興を心より願ってやみません。

新たに刊行する2 冊は、広い読者に届けるため、電子書籍による発行も行うとともに、5 月刊行の『復興の道なかばで』から「1996 年1 月・神戸」は準備でき次第、小社ホームページにて掲載いたします。.

 
 
原発設計者の講演から  福井新聞
原発設計、全電源喪失考慮を 元東芝技術者、福井で講演
(2011年5月4日午前7時24分) 福井新聞

 東芝の元原発設計技術者で芝浦工業大非常勤講師の後藤政志氏(61)が3日、福井市の福井県教育センターで講演した。東京電力福島第1原発事故を受けて各電力事業者が行った電源車配備や訓練強化などの対策は「設計の立場からみて対策とは言えない」と指摘。安全性を確実に担保するためには、全ての電源を喪失した場合にも炉心損傷を起こさないようなプラント設計を検討していくべきだと訴えた。

 後藤氏は1989年に東芝入社し、原子炉格納容器の圧力と温度に対する強度設計を研究。2002年までに東京電力柏崎刈羽原発、東北電力女川原発、中部電力浜岡原発のプラント設計に携わり、09年に定年退職した。県平和センターなどがこの日開いた集会で講演した。

 福島第1原発1号機で水素爆発が発生した原因としては、原子炉格納容器のふたの継ぎ目部分か電気配線の貫通部から水素が漏れた可能性を示唆。格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出した緊急措置「ベント」が行われたことに関しては「圧力が上がったからといって放射能を外部に出してしまった時点で、原子力の安全な設計概念が破たんした」と重大性を指摘した。

 チェルノブイリ原発事故との比較では、福島第1原発全体として圧倒的に多くの核燃料を抱えている点を挙げ「格納容器内で水素爆発が起こっていたら、そのまま空中に放射性物質が飛び散っていた。(深刻度を示す国際評価尺度の)レベル7の上限にあり、最も危険な事態だった」との見方を示した。
 
 
近畿地方の大津波予測  最悪の想定は必要
2011/05/03 08:31  神戸新聞

1361年に定説覆す大津波か 南海地震 
 
100~150年周期で発生するとされる南海地震で、これまで最大規模とされてきた1707年の「宝永地震」以前に、この時を上回る津波に近畿地方が見舞われていた可能性のあることが、東京大地震研究所の都司嘉宣准教授の調査で分かった。兵庫県の津波予測は、宝永地震をモデルに最悪の被害想定をしてきたが、3月の東日本大震災と同様、南海地震でも従来の想定を超える超巨大地震が起きる恐れが出ている。(安藤文暁)


 南海地震は、東海沖から四国沖の南海トラフ(海溝)沿いで周期的に起こるプレート境界型の地震。直近では1946年にマグニチュード(M)8・0の規模で起こり、淡路島などに津波が押し寄せた。今後30年間の発生確率は60%程度とされる。

 宝永地震は、東海・東南海地震と同時に発生。M8・6は、M9・0の東日本大震災が起こるまでは国内最大級で、死者も2万人以上。兵庫県の瀬戸内沿岸部でも高さ2~3メートルの津波があったとされる。

 それ以前の南海地震に関する詳細な記録はほとんど見つかっていなかったが、都司准教授は1361年の「正平(康安)地震」について記した法隆寺(奈良県)の記録を調査。海岸から4キロ以上、宝永地震の記録より約1キロ内陸の大阪市天王寺区の寺社まで津波が押し寄せていたことが確認されたという。都司准教授は「宝永地震と同じく、東海、東南海と同時連動した地震だった可能性が高い」と指摘する。

 宝永地震については、同じ南海トラフ上にある九州・日向灘でも同時に地震が起きた「4連動地震」の説もあり、東京大や京都大などのチームは「300~500年周期で4連動地震が発生している可能性がある」とする。その場合、破壊される断層は約700キロに達し、東日本大震災の約500キロを上回る。

 国は東海、東南海、南海地震の同時発生に備え、本年度から本格的な被害予測に着手。東日本大震災を受け、兵庫県も防災計画を見直す。

 都司准教授は「兵庫でも宝永を上回る津波が過去にあったと考えてもおかしくない。最悪を想定した対策が必要」と話している。
 
 
九州・四国・瀬戸内海にも大津波の可能性は当然ある。
 
大津波危機 九州に警鐘 想定超す規模 専門家が指摘
2011年5月4日 10:03 西日本新聞

 広い範囲の大地震が連動して大津波を引き起こした東日本大震災は、死者・行方不明者の9割以上が津波の犠牲者とみられる。九州でも、四国沖-東海地方の海底で南海、東南海、東海の3地震が連動すれば、宮崎、大分両県沿岸を中心に5メートルを超す津波が押し寄せると推測されている。ただ研究者は、九州近海の震源域もさらに連動する可能性もあることなどから「想定を超える津波が到達する恐れもある」と、十分な備えをするよう警鐘を鳴らす。

全文はこちら
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする