井上靖の「おろしゃ国酔夢譚」と吉村昭の「大黒屋光大夫」は共に伊勢国白子の船頭「大黒屋光大夫」を題材に取り上げた小説だ。 彼は江戸へ向かった船が暴風に会い、カムチャッカ半島まで漂流した。 そして何回かの挑戦の末、エカテリーナ女帝に面談し、彼女の心を捉え、また苦労の末幕末の日本に戻ってきた。 この男の生涯は、多くのロシア人を人間として自分に惹きつけたこと、自分で運命を切り開いたことを知ると、教科書で習った江戸時代の町人のイメージを根底から変える。 吉村昭は白子に何度も足を運び、村の旧家に残された古文書の中に、光大夫が密かに江戸から白子を訪ねた記録を見つけ出した。 吉村昭の小説にはその感激モノの挿話も記されている。 やはり光大夫はいまもこうして生き延びている。 それは「コミュニケーション」という言語の根本的存在理由の軽視の上に立脚し、日本の経済と将来の繁栄を内側から立ち枯れさせている。 だれも聞きに来ない記者会見で、だれも座っていないイスを相手に、英作文を朗読している。 そして女帝エカテリーナとの謁見を果たしたペテルスブルグまで、当時の日本人としては想像を絶する世界体験をした。この10年間、 彼の行動の全ては、伊勢白子の回船「神昌丸」の船頭として、部下の水夫たちと共に、無事ふるさとの日本へ戻ること一点に絞られ、けっしてぶれることが無かった。 彼には皆を代表して、生き延びるために「話を通じさせるーコミュニケーションをとる」をとる必要性があり、その責務を存分に果たしたのだ。 行く先々でその地の名士の歓待を受け、ついには時のロシア宮廷をも感服させたのは、光太夫のそうした「お人柄」とリーダーシップにあったのだろう。 光太夫のように「日本人の代表」として世界の人々と「繋がって」いって欲しいからだ。 この路線にはもう何年も何回も乗っているのに、いままで気がつきませんでした。 そしてこの吉村本が平成15年に毎日新聞社からハードカバーで出たのが、鈴鹿市があの看板を出す事になったきっかけかなと想像しました。 それを周囲に認めさせ得た彼の人間関係能力・コミュニケーション能力の高さです。 そしてなぜ謁見を実現出来たのか?そしてなぜ帰国出来たのか? 信楽から加太越えで白子浦にたどりついた。そしてこの地の廻船業者に渡船を依頼した。業者は快諾して船を出し一行は無事に三河の国大浜に上陸して岡崎に帰城した。 船乗りを生業(なりわい)にした人間ではなく商人(あきんど)として育った人間でした。 彼は、宮廷の高官、高級軍人、貴族、そして宿屋の主人や庶民やその他の誰の前でも臆することなく、誰の前でも態度を変えずに、自分の思いや考えを述べています。 江戸時代に生まれ、育った人間の、この一人を知ったそのことだけでも、この上下2冊1080円は貴重な投資でした。 続く それを教科書(*)にすべきだと思います。三重県では「大黒屋光太夫」は沢山いる土地の誇りのうちの一人だと思うのですが。 殆ど田舎出身の成り上がり東京モンなんで、かえって地方を下に見て、日本では、それぞれの土地の固有の歴史を明治開国以来、あまり記述せず、評価しないようになりました。 こたびの太平洋のイクサに敗れて60年、また自立するまで、日本があと40年もかかる前に、老いも若きも、まずワガ生まれ育った土地の歴史を知り、 それを出来うれば誇りにしたいもんです。それが自国を大事にする気持ちにつながると思います。 彼らは「ツボは歴史教育だ」と基本を抑えています。その国「固有の近代史を出来るだけ教えない」と言うのがツボです。占領した国民を、 自ら卑下させるのが人手をかけないですむ、もっとも効率のいい支配方法らしいです。 この組織は明治以降、中央政府から目をつけられ、多少は迫害されたとも聞きます。 信州人の中には「学校の教科書に書いてあるとか、お上が言ったことだからと言って 丸呑みにせん奴が出来てしまい」信州を離れて就職したとき、 東京や大阪などの他国でかえって苦労させられたそうです。 |
いま「原発鬱」とも呼ぶべき症状が増加している 以前なら内閣支持率が3割から4割ぐらいの微妙な水準のまま、国民は不平や不満を言いながらも、白黒つけずにジリジリと見守るという状態がありました。 しかし、いまは支持か不支持か、とちらかの極に振れると、一気にその評価が決まってしまいます。 原発事故の問題で言えば、爆発という最悪の事態に陥らない一方で、一気に解決まで進まないという膠着状態が延々と続いています。 しかもいつこの膠着状態が動き出すかすらわからない。これでは不安で仕方がないのです。 今回の原発事故は、現代の日本社会にとって最も苦手な部分に突き刺さる問題になっていて、それが日本人のこころに大きなダメージを与えているのです。 「一進一退」「三歩進んで二歩下がる」というジリジリとした状況は、いまの日本人が最も苦手とするところだと思います。 もちろん、やきもきしなくて済むなら、それに越したことはありません。しかし、本来、人生には、自分の思うようにならない情況でひたすら待つしかない情況は山ほどあります。 恋愛はその典型で、自分が好きになっても、相手がその気になってくれるかわからない。想いを伝えることができても「少し考えさせてほしい」と言われたら、 待つしかありません。こういう情況への耐性が、いまの日本社会は脆くなっていることが、今回の原発事故で浮き彫りになりました。 |
「浜岡原発の停止は合理的だろう - wasting time?」から そして南西の風が吹きやすいといわれている。 そしてそれはチェルノブイリの事故でも指摘されている。浜岡で問題が起こったときに東京や横浜などの大都市が安全と言い切れるだろうか? また、これらの地域は人口が多すぎると同時に経済的に日本の心臓であるから何かが起こったときに避難という措置を取ることは不可能である。 そして、45キロの距離に人口70万を超える静岡という都市があることだ。(福島市と福島第一原発の距離は70キロ以上あり、福島市の人口は約30万) この土地で福島第一と同じような事故が起こった場合の経済的損失は(福島の方々には申し訳ないが)今回の事故とは比べものにならないだろう。 |
一部引用・・ 日本のために行動を起こそうとしていることがうかがわれ、温かい気持ちになります。しかし、その中で気になることもありました。
ハーバード公衆衛生大学院の3月16日の会議で登壇した日本医師会の災害担当者に海外からの医療援助の必要性について質問したところ、 混乱を生むことになるから海外からの医療援助は来ない方がいいという答えを頂きました。・・ 私たちがそのように信じているだけということはないでしょうか。 異なる制度についての知識を高めたりすることができるようになるでしょう。そうしたら、海外からの善意を喜んで受け入れることができるようになるでしょう。 「世界共同体」の一員として、もっと困っている他の国々の人たちに対して援助してゆくことでもあるでしょう。このような行為の中で、 国際社会における日本に対する信頼が築いてゆけるのでしょう。 真っ直ぐに目を見つめて真剣に聞いて下さいました。そして、「どんな協力も惜しまない。ハーバードは日本と共にあるHarvard with Japan」、とおっしゃって下さいました。 日本は長い復興の道のりを歩み始めたばかりで、今後、国際社会からのたくさんの協力も必要でしょう。 「世界の一員であるという意識Global Citizenship」を持って進んでいけるよう、どんな協力も惜しまないという気持ちで、共に歩んでいきたいと思います。 |
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