阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

神田古本祭りが開かれている神保町をぶらぶらした。

2022年10月31日 | 東京あちこち

3年ぶりの古本祭りの開催とあってか 世界でも一、二の規模を誇る古本街「神田神保町」は老若男女・善男善女??で混雑かつ賑わっていた。

 

 

 

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白神山地のブナ林と小安峡の紅葉               16年前の今日 2006年10月31日の本ブログに掲載

2022年10月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

今回の旅行の行程は仙台空港に朝9時過ぎに到着し、そこからバスで北上し初日は小安峡を見て、秋田県を北上し男鹿半島の男鹿温泉で泊まりでした。

ガイドさんが書いた全体のルートはこのマップの通りです。最終日は秋田空港で飛行機に乗りました。

以後このルートに従い画像をアップします。

小安峡

雨がポツポツきていたので光量が不足していますが、なかなか迫力<ある紅葉の渓谷でした。
熱水がところどころで噴き出して湯気がたなびいている場所がありました。

白神山地のブナ林

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日本の 中央省庁の役人・官僚の巧妙な公文書廃棄

2022年10月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年03月11日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

日米核持込密約問題の調査の中で、外務省の原本書類が相当数見つかっていないと報道されている。

海外各国と違って、これまで日本の公文書の保管期間、保管対象範囲は、公開の可否、公開時期などを含めて、それぞれの役所に決定の権限が委ねられている。

つまり国家としての統一基準はなかった。そのあたりは同盟国のアメリカと全く異なる。

 そのことはある意味、国が明治以降も徳川幕藩体制をひきずる「国が 役人天国・官僚のための国家」であることを証明している。

つまり彼らにとって都合のわるいことはどうにでも料理できる仕組みがある。

今回の公文書破棄も、外務省の規定から言えば保管期間を過ぎているから廃棄しただけであって、誰も責任を取らずにすむ。

そのあたりは、法律の条文をメシの種にしている官僚にぬかりはない。お役人さまが時に「法の匪賊ー法匪」と言われる所以でもある。

そしてこれまでの立法府・国会は行政府の公文書管理について見てみぬふりをしてきた。そのツケが書類の破棄つまり死人に口なしにまわっている。

 われわれが選んだ議員が任務を果たしてこなかった不作為の作為の中でも、この馴れ合い行動はボディブローで社会を歪めてきたと思う。

今回の事態の以前から日本の公文書管理の問題を取り上げてきた国会議員の一人、岡田克也議員はいま外務大臣の職にあるが、9日の記者会見で、

自らを本部長とする外交記録公開・文書管理対策本部の新設を発表した。 

   公文書の管理、作成30年で公開を 有識者委提言   3月11日付NIKKEI NETから引用

 外務省の有識者委員会は公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置付け、管理や公開方法を提言した。

(1)国際標準である作成後30年を経過した文書の原則公開の徹底と審査体制の拡充(2)文書の保存・利用や評価選別に際して

専門家の支援を得られる仕組みづくり(3)公開文書の対象の判断に政治家も関与――などを挙げた。

 提言の背景には、核を巡る密約のように米国が文書を公開したにもかかわらず、日本が非公開の場合、相手国の資料を基に一方的な歴史がつくられかねないとの懸念がある。

外交や防衛に関する文書の開示は他の分野に比べてハードルが高く、外務省などが不開示を決めれば、国民の目に触れる機会がなくなる恐れも考慮した。

 提言では情報公開法に基づく開示請求制度の使いにくさも指摘。開示、不開示の基準があいまいであり、定められた期間での開示の是非の決定ができない例も多い。

利用者に配慮できる制度改善のためのモニタリングの導入や指針作りも打ち出した。(00:32)

外務省、文書破棄の可能性 多くは記録残らず

 外務省の有識者委員会は解明にあたった4つの日米の密約のうち2つを「広義の密約」、1つを「狭義の密約」と認定した。

歴代政権は密約の存在を否定し続けたため、真相解明に取り組んできた鳩山政権の一定の成果といえる。

ただ密約の関連文書を外務省が破棄していた可能性も否めず、過去の外交交渉に関する説明責任のあり方には重い課題を残した。

 「リーダーたる外相あるいは首相の問題だと思う。政権交代がないなかで困難だったことは間違いない」。

岡田克也外相は9日の記者会見で、今回、検証対象となった密約がこれまで解明できなかった理由をこう分析して見せた。

岡田外相は就任早々、密約問題の解明を掲げており、今回の成果は政権交代の象徴ともいえる。

 ただ、メスを入れたことで課題も浮き彫りになった。例えば、事前協議の解釈を巡る米側との「討議の記録」など密約を裏付けるとされてきた重要文書の原本の多くは

最後まで見つからず、写しだけが発見された。有識者委からも本来、あるべき文書が、不自然な形で欠落していたとの指摘が出ている。(00:57)

3月11日付神戸新聞から引用

正平調2010/03/11

「手前どもが嘘(うそ)をついているなど、ぬれぎぬでございます」。そんな言い逃れが桜吹雪を突きつけられてひっくり返る。ご存じ「遠山の金さん」のヤマ場である

◆「こちとら全部、お見通しだい」。金さんのセリフではないが見ている方はすべてを承知で、テレビの前で嘘に付き合う。

ドラマならそれも楽しみのうちだが、国会答弁となると話は違う。いつまで続けるのかと思いながら、国民は歴代の首相や外相の「嘘」に付き合ってきた

◆外務省の有識者委員会の報告書公開に、霧が晴れたと感じた方も多いことだろう。

核持ち込みをめぐって歴代政府は、核を搭載した米艦船の寄港や通過を認めないと言いながら実際は見ぬふりを通してきた。

「嘘を含む不正直な対応に終始した」。委員会の批判が金さんのたんかのように読める

◆報告書は、新たなドラマの幕開けも告げている。消えた外交文書をめぐる疑惑だ。米国側の公開資料や関係者の証言で裏付けられ、

本来なら残っているはずの文書が見つからない

◆情報公開法の施行を前に、日米の密約に関する文書が破棄されたという、耳を疑うような外務省幹部の証言もある。

やむを得ず嘘をつきましたと弁明するのならまだしも、なかったことにしようというのは、許し難い

◆自民党政権下ではあり得なかった密約調査に政権交代の意義を実感する。ただし、鳩山内閣の支持率上昇につながるかといえば「?」である。

☆あれつ、オチの下線部のところは昨日の阿智胡地亭ブログと同じでは!

参考にして頂いたわけはないけど、メディアには同じ思いの方も多数おられるのでしょうね

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10月30日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年10月31日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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今年八つ目に咲いた月下美人の花は急激な寒さに出会って気の毒だった

2022年10月30日 | 花・草・木・生き物

この八つ目の花芽は開かないかも知れないと 日中の温度が下がった日々やきもきした花芽が頑張って咲いてくれたが 時期的にご苦労様な経緯を辿りました。

咲いた日の一日はこんな感じからスタートしました。

今晩は咲かないなと思っていたら夜の10時頃少し開き始めました

そして11時ごろにここまで咲きました。しかしこれまでの花芽と違って 完全には開ききりませんでした。

寒風の中ほぼ開花したが全面的な開花ではなかったらしく 翌朝もこんな中途半端な終わり方でした。

翌朝に半分開いたような状態で 全面的にぐったりしなかったのはこれまでで初めてのことでした。

ご苦労様でしたと思わず声をかけました。

 

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神戸元町・トアロードホテルに宿泊した               11年前の今日 2011年10月30日の本ブログに掲載

2022年10月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

神戸で学生時代を過ごした11人の仲間が 東京、下関、総社、加古川、宝塚から神戸に集まった。全員が元町の中華料理店でゆっくり料理を楽しんだあと、

一人を除いて同じホテルに宿泊した。私は神戸でホテルに宿泊するのは初めてのことだった。




ホテルの部屋から朝の市街地を。

神戸在住の私ともう一人も泊まって、全員おそくまで一人の部屋で明け方まで積もる話を続けた。

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鶴見俊輔「言い残しておくこと」を読む     母親による初期化との 子供の戦い。

2022年10月30日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2010年03月04日「阿智胡地亭の非日乗」
 

今年88歳になる鶴見俊輔が昨年2回にわたり、インタビューを受けた。

インタビューと、そのインタビューに出てくる話題に関わる彼が書いた文章を、多くの著作から拾い出して掲載している面白い構成の本だ。

内容説明

善人は弱いんだよ。善人として人に認められたいという考えは、私には全然ない。

I AM WRONG.悪人で結構だ! 戦前・戦中・戦後の87年間、一貫して「悪人」として日本と対峙してきた哲学者が、自らの思索の道すじを語る。

目次
第1部 “I AM WRONG”
(私にとって、おふくろはスターリンなんです
『共同研究 転向』は、私のおやじに対する答えなんだ
もう一つの物差し―後藤新平
江戸と明治、二つの世を生きた「エリート」たち
つくる人とつくられる人
張作霖、鬼熊、阿部定)

第2部 まちがい主義の効用
(「まちがい主義」のべ平連
東大から小田実のような人間が出たのは奇跡だ
『世界文化』と『思想の科学』をつなぐ糸
『死霊』をどう読むか
花田清輝に叩かれて開眼する
桑原武夫、あるいは勲章のこと
埴谷雄高の見事な所作と丸山眞男の思想史的つぶやき)

第3部 原爆から始める戦後史
(執拗低音としての敗戦のラジオ放送
映画『二重被爆』が語る原爆の意味
科学者はみなハイド氏になった
丸山眞男の被爆体験
「無教育の日本人」の知性の力
“誤れる客観主義”からいかに逃れるか
私は人を殺した。人を殺すことはよくない)

☆もう15年も前になるが、ある日、ある人に「日本の母親は諸悪の根元です」と言われたことがある。

その人は「日本の母親は」と一般論化してそう言ったが、その人と母親との長い葛藤の積み重ねから出た言葉のようにも思えた。

  鶴見俊輔の本を読むと、必ずこの言葉を思い出す。

彼は岩手出身の政治家“後藤新平”の娘を母親として生まれ、母親に愛されつくして、そこから逃げて逃げて大きくなった。

この本でもまず、母親と彼との長い長い確執の日々のことが出ている。 

☆鶴見俊輔は自分が演説で人を動かすことが出来る人間ではないことを知っている。その彼は自分と全く違うタイプの“小田実”を知ったおかげで、

彼と共に役割分担をしてジョイントで同じ目的の社会活動が出来たことを強く感謝している。

☆私にとっては小田実は彼のフルブライトアメリカ留学とそのあとの世界旅行記である「何でも見てやろう」という本の出会いからスタートした。

この本から始まり、別の人の「ロンドン東京5万キロドライブ」や「まあちゃん、こんにちは」など当時の日本人の海外体験物の本に興味を持った。

  小田実はアメリカにフルブライト留学した体験から、アメリカ人は自国の相手はTamed indianだけが好きだ、と書いてあって当時、高校生の私には衝撃的な表現だった。

つまり、アメリカ人はアメリカ人に歯向かうアメリカインデアンは徹底的にやっつけるが、飼いならされたインデアンにはとてもやさしくしてくれる

アメリカ人にとっては日本人もtamedかどうかだけしかない

辞書を引くとTameには「手なずける」という意味もあった。そう言われると高校生の自分には当時の岸信介首相はまさに『Tamed Prime minister』そのものに見えた。

そして最近では、ブッシュ大統領の前でプレスリーの真似をして大統領を苦笑いさせた、エアーギターを弾いた小泉日本国元首相をテレビで見たときに

忘れていた「Tamed indian」という言葉を思い出した。

☆いろんな意味で小田実のこの本は、私の世界を見る目の物差しの一つになっているが、その小田実に鶴見が敬する気持ちを持っているのが、嬉しい。

☆また、鶴見は戦争体験者の水木しげる野坂昭如の画いたもの、書いたものを評価している。

そんなこんなでどこかで共通するのか、鶴見の本が出るとつい手が出てしまう。

    余談ながら、最終の東京行き新幹線に乗るべくJR芦屋駅で京都行き新快速に乗りかえようとした6年ほど前、

ホームで黒いコートの背中の広い大柄な男のすぐ後ろについた。電車が入ってくるとき横顔に電車の前方ライトが当たり、そのがっしりした顎の男の横顔が浮かび上がった。

小田実さんだった。確か当時彼は家族で芦屋に住んでいた。

高校生の時から40数年ずっと本も買ってきた憧れの人が目の前にいることに驚き嬉しかった。

二人だけの列は誰も降りてこないドアから乗ったあと、右と左に分かれて座った。

彼も新大阪で降りて、新幹線の改札口に向かった。恥ずかしながらミーハー辛好の大切な思い出です。

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10月29日に目に留まったSNS・メディアの記事

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小石川後楽園にはいる前に水道橋の焼き鯖専門の店「鯖匠」の「さばめし」で腹ごしらえした。

2022年10月29日 | 食べる飲む

水道橋は学生やサラリーマンやOLの街でもあるらしく、B級ながら優れものの飲食店が多い。午後1時半過ぎだったが店の前には列が出来ていた。

店はこんな感じのところにあった。

書いてある食べ方に従ってほぐしたりお茶漬けにしたり、三つの食べ方で楽しんだが、遠赤外線で食べごろに焼いた鯖の旨さには唸った。

店員は二人の熟年女性だった。 厨房の動作も 配膳も 片付けも食器洗いも 

全ての動作に手際よく しかも動きに無駄がなく言葉交わさずに行うその連係プレーも見事だった。

私は焼き鯖めしの旨さと 二人の所作の美しさの両方に感動した。こんな従業員がいる店に近ごろ出会った記憶がない。

 二人の日本語には韓国人のなまりがあった。

従業員にここまでひたすらな仕事ぶりを教え込んだ経営者の凄さを感じた。

もしくはこの二人が経営者なのか?? なお 鯖はノルウェー産 米は秋田米だそうだ。

 

 

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北京は中国各地からのオノボリさんで大賑わい               13年前の今日 2009年10月29日の本ブログに掲載

2022年10月29日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

印旛沼の里山の住人Kさんからメールが来ました。
「10月22日から北京4日間39,000円の旅行に行ってきました。ANA便利用、北京飯店3泊、
5つの世界遺産観光、7回の食事、北京雑技団の鑑賞が含まれこの値段です。

食事には北京飯店での上海料理、全聚徳の北京ダック付きです。特に北京飯店の料理は高級食材のナマコ入りのスープまであり、絶品でした。

中国は今、車と旅行ブームとの事。車については、ニュースで取り上げられていても信じがたかったのですが、北京に行って自分の目で見て実感しました。
しかもポンコツ車は無くて、すべて新車です。最近の北京の富裕層の挨拶は「あなたは車を持っていますか」とのこと。

旅行については、超富裕層が日本に来て、数十万円の買い物をして帰ると日本のTVで取り上げられています。一方、地方の年金生活のお年寄りが子供、孫のために貯金するのを止めて自分自身が楽しむためにお金を使い始め、国内旅行ブームが起きているとのこと。北京の観光地は年配のお上りさんの団体でごった返しています。

トップの画像とこれはお上りさんの観光客です。グループ毎に同じ帽子をかぶっています。特に上の画像は老人の笑顔が素晴しい。

万里の長城も凄い人出でした(23日金曜日の午後撮影)

天安門広場
 国慶節60周年記念式典のために設置された巨大モニターと民族団結の柱
(56本)を見ました。モニターでは、60周年記念式典の様子が映し出されていました。

紫禁城/太和殿
  明・清の重要な儀式が執り行われた建物と庭です。
  映画「ラストエンペラー」は実際にこの場所で撮影されました。

オリンピック公園のマクドナルド
 右前方は水立方、左奥は鳥の巣。

胡同の家族。 幸せそうです
 政府は古い街(胡同)を場所を限定して残す方針です。胡同でも路地に面した壁、共同トイレ等は改修工事をしています。写真の壁も綺麗になっています。

** Kさん、デフレもここに極まったというようなツアー価格で心底びっくりです。そして万里の長城の混雑振りには口あんぐり。万里の長城に登ったのは30数年前ですから、比較にならないにしろ驚きです。

 これらの写真を見ていると、やはり「現場、現物、現実」の三現主義で、そこに行って、そこに住んでる人の顔つきや表情を見ないとわからんことが一杯あるなあと思いました。
 テレビやwebsiteや新聞の情報だけでは、今の中国の勢いの良さはわからんですね。勿論光と影があるわけで、この繁栄の恩恵に浴していない人も内陸部やロシア、インドなどとの国境部に何億人といるのもまた事実でしょうけども。
 昨年の1月に銀座を歩いた時、大きな買い物バッグを一人でいくつも持っている団体さんが闊歩していました。身なりのいい彼ら彼女らは皆お金持ちの中国本土人でした。今やアメリカもアメリカ国債の世界最大の買い手の、中国政府の顔色を見て動かないと金融システムが回らない現実。歴史は繰り返す。アメリカを含めて、世界の各国が“遣唐使”?を中国に遣わさないといけない、そのとっかかりの時代なのかも知れませんね。

 

千葉県印旛沼の住人Kさんから追いかけてもう一本メールが届きました。
「北京の話をもう少し・・・。北京飯店の部屋に置かれているEvianの水は一本50元(700円)です。洗面所には中国の水2本が無料で置かれていましたが・・。Evianは有料とは知らずに4本も飲んで2,800円も請求された人もいます。


 ホテルの敷地内には夜に男数人がウロチョロしていました。こちらは夫婦なので近づいてきませんでしたが、男1人で参加した人によるとご想像どうりの客引きだったそうです。
 北京の人口は2100万人で、そのうち500万人は北京に戸籍の無い不法住人らしいです。市内で工事中の高層ビルは2,3件しか見かけませんでした。オリンピックも終わり、建設ラッシュも終わりのようです。
 北京の観光ツアーは朝7時出発で、夜9時ごろまで続きます。北京飯店の朝食会場(バイキング)に6時過ぎに行ったら、日本人だらけ。200人以上の人で座る場所を探すのに一苦労です。
 乞食は4人見ました。1人は天安門広場への地下道で老人。三人は盲人で子供や奥さんが脇について、楽器を演奏して物乞いしていました。
トップの画像は一本50元(700円)のEvian
 北京随一の繁華街/王府井(ワンフウーチン)の歩行者天国、 土曜日の20時頃
両脇には世界の高級ブランドショップが並んでいるが、入っている人は殆ど居ない。警察が巡回しているので安全です。

王府井の路地裏、光るコマを売っているおじさん

ビジネス街の高層ビル

オリンピック公園近くで見かけたおじさん
 このような姿は殆ど見かけませんでした。

**中国はヨーロッパと同じで、北京などの都市は城壁都市国家でした。住人の戸籍はそれが現代につながって、城壁内の戸籍とそれ以外の戸籍が峻別されていて大きな問題を残しています。例えば地方から家族で北京に出て暮らしていても、地方戸籍では住民登録が出来ない仕組みで、子供は学校にも行けず家など当然買えない。政府は域外から域内への戸籍の転換を認めると急激な人口増加につながるとして、簡単には認めないので、周辺にスラム化したゾーンが多数あるそうです。
 荷車を引いたおじさんの画像は懐かしいです。昭和50年代の北京や上海、天津での道路にはこのおじさんたちが普通でした。相変わらず、自転車にはブレーキがついていないように見えますね。それとも左手で握っているのがブレーキでしょうか?

中国と日本は、ヨーロッパと中国の関係より、基層では随分違いがあるなあと現地にいたとき思いました。一つは欧州と中国は城壁都市国家を中心として成り立ってきましたが、日本の京都、大阪、江戸は城壁をめぐらせることなく統治できる環境でした。また日常生活では中国と欧州は有史以来テーブルと椅子と寝台と靴の生活です。
 人の暮らしの中で,毎日のこの生活様式の違いはとんでもなく大きいなあと。
顔を見ているだけでは黄色人種として全く違いはありませんが、モノの考え方は、われら列島人と彼らとはとんでもなく違っていて当たり前、というところから付き合いをしていくのが当たり前かも。

 Kさん、今回も興味深い画像を多数ありがとうございました。

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小平奈緒さんの同郷人からメールを頂いた   ☆諏訪便り☆

2022年10月29日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年03月03日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

極眠老人さんから、小平奈緒さんに関する下記のエントリーに対してメールをもらいました。

→非日乗の記事を読ませてもらい、現住所諏訪、ルーツも諏訪の極眠老人は快哉を叫んだことでした。

われわれの世代は下駄スケートでしたが、奈緒ちゃん世代はみな靴スケート、校庭を凍らせた氷の上ではなくて、茅野市営の国際規格の立派なスケート場で育った世代です。

このところの温暖化で諏訪湖上でのスケートも夢のまた夢に。

 なお私が生まれ育った玉川村と奈緒ちゃんの在所の豊平村は古代より同じ御柱を曳く氏子仲間です。

諏訪神社上社の御柱は本宮4本、前宮4本の計8本をどこの氏子が曳くかを毎回くじ引きで決めるのです。

太い順に本宮1、前宮1、本宮2…の順番で、どこの氏子も太い御柱を曳きたがるのですが、今回の玉川・豊平組みは8本のうちで一番細い前宮4の御柱に当たってしまい、

意気消沈していたところです。そこへ(豊平出身の)奈緒ちゃん銀メダルのビッグニュースが入り元気回復していることでしょう。

☆そうですか、昭和一ケタ生まれと伺う極眠老人の世代は、戦後の昭和20年代まで、校庭で下駄スケートを楽しんでいたのですね。

 茅野市に国際規格に合った市営のスケート場があることは初めて知りました。立派な成果を上げた訳ですね。市民税はそういうふうに使って欲しいもんです。

諏訪大社の御柱祭りの、玉川と豊平は古代からの柱曳き合同チームだったと聞き、2004年の前回の御柱祭りの時に撮影した写真を見直しました。

確かに前回の祭りで一番太い本宮一の御柱を「玉川・豊平」チームが曳いていました。この観衆の中にきっと小平奈緒さんもいたに違いありません。

画像をクリックで拡大すると、曳かれる大きな柱に楔のように打ち込まれた2本の「めどでこ」に渡された旗に、「玉川と豊平」の文字があるのがわかります。

「めどでこ」の写真 

極眠老人さん:伊藤力司さん

(御柱祭の公式HP

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隣村の小平奈緒さん!   2010年03月01日(月)掲載

『小平奈緒さんお見事! そして下駄スケートの話』

こんどのバンクーバー冬季オリンピック報道は、メディアが囃す笛と太鼓の音がやかましすぎるのか、だんだん日本選手の実力や実態がわかってくると、

世界レベルとの落差が大きすぎて、日本の新聞やテレビも、彼らが日ごろ目を向けているのは、この列島の内部だけのことで、日本のメディアが、

全くの世間知らず(世界知らず)なんだということがミエミエだ。

 そんな中で女子スピードスケートに小平奈緒さんという人がいて1000mと1500mで5位に入った。そして終了間際の日程の「スピードスケート女子団体追い抜き」で銀メダルを取った。

事前にメディアが、「スピードスケート女子団体追い抜き」で日本チームがもしかしたら金メダルを取る可能性があると、あまり報道していなかったので嬉しかったのと同時にびっくりした。

 「小平(こだいら)」という苗字は長野県に多く、諏訪や茅野ではポピュラーな苗字なので、もしかしたら長野県出身の人なのかなと思っていた。

ある日のテレビで、茅野市の豊平小学校の児童たちが先輩の小平選手の応援をしているニュース画面があった。

ウン?豊平小学校?聞いたことがあるなあと思って、グーグルのMAPで検索すると、やはり阿智胡地亭の母親が通った玉川小学校の隣の小学校が豊平小学校だった。

小平奈緒さんは、母や母方のイトコたちが卒業した玉川小学校の隣の小学校を卒業している。

母が生まれた当時の諏訪郡玉川村は今は茅野市玉川だが、豊平地区も当時は諏訪郡豊平村で、現在は茅野市豊平になっていて、往時の玉川村の隣村にあたる。

 そのことに気がついたとき、母が話していた下駄スケートの話を思い出した。

冬になると、校庭全面に夜先生方が水を張って、朝になるとそれが全面結氷し、昼間は休み時間にみんなでスケートをしたと、そう楽しそうに話していた。

「ただね、昭和初年のあの時代に村で誰もスケート靴を買えるような家はないから、みんな下駄の下に村の鍛冶屋さんが造ったスケートの刃を、紐でしばりつけて滑ったんだよ」、

「冬は誰でも子供は当たり前のようにスケートをしていたよ」と言っていた。

聞いたときその光景を想像して面白かった。足袋と下駄を履いて着物姿で、校庭に出来たスケートリンクの上をみんなが滑っていたんだそうだ。

今は知らないが、イトコ達も同じように毎冬楽しんだと聞いたような気もする。もしかすると今でも冬は校庭がリンクに変わり、

小学生の小平奈緒ちゃんも(彼女の時代は)スケート靴で滑っていたのかもしれない。

そんな土地から小平奈緒さんは出て、オリンピックの代表選手になり2種目で入賞し最後の種目で銀メダルを獲得した。4年後にはメダルには金メダルを取って欲しい。

マップの上の丸印が小平奈緒選手が卒業した「豊平小学校」所在地。下の丸印は玉川小学校。(地図はクリックで拡大)

余談ながら諏訪市内の高島小学校に通っていた父は、冬の体育の時間は、結氷した諏訪湖でスケートばっかりさせられたと聞いたような気がする。
 
そういえば尼崎市の塚口に住んでいた昭和28年ごろ、西宮にあったスケート場に連れて行ってもらい、父が見事に滑るのを初めて見てびっくりした記憶がある。
 
当時から諏訪の子供は普通に冬はスケートを楽しんでいたらしい。
 
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引退インタビュー   2022/10/28 07:22 読売オンラインから引用。
 
小平奈緒さん「八ヶ岳に登りたい」「語学の勉強も」…スケート以外にも広げたい「文脈」

「『知るを たの しむ』『唯一無二の自己表現』という、これまでと変わらないテーマを探究していきたい」。スピードスケートの小平奈緒さん(36)(長野県茅野市出身)は27日、東京都内で開いた引退記者会見で氷上を離れて活動する抱負をこう表現した。今後は競技人生を支えた相沢病院(同県松本市)に所属したまま、新たな“学び”の道へ歩み出す。

引退会見の記念撮影で、スタートのポーズをとる小平奈緒さん(27日、東京都千代田区で)=青木瞭撮影
引退会見の記念撮影で、スタートのポーズをとる小平奈緒さん(27日、東京都千代田区で)=青木瞭撮影

 小平さんは22日の全日本距離別選手権・女子500メートルで優勝。最後の滑りに、「氷上に私が表現できる全てを描けた」とし、競技人生を「山あり谷ありのジェットコースターのような日々だった」と振り返った。

 このほか、イベントや講演会への出演予定も決まっており、「スケートは小さな勇気さえ持てば前に進むことができる。挑戦してみようという気持ちを持っていきたい」と語った。

 会見に同席した相沢病院の相沢孝夫理事長(75)は「僕も職員も皆の気持ちをどきどきさせ、感動させてもらったことに感謝したい」と花束を手渡した。小平さんは「新しい世界へ飛び出していくが、小平奈緒と一緒に歩みを進めてくれる皆さんがいたら幸せです」と締めくくった。

五輪「純粋に世界を明るくする舞台であってほしい」

記者会見での主なやりとりは次の通り。

 ――スケートを滑る時間はどんな時間だったか。

 「無限の学びが含まれているのが(500メートルを滑る)三十数秒間。これからも趣味としてリンクに通いたい。技術を書き留めたノートを一つにまとめて、未来のスケーターに役立つものを作れたらとも思う」

 ――引退した今だから取り組みたいことは。

 「地元の八ヶ岳に登山したい。現役中にはあまり時間が作れなかった語学の勉強もやってみたい。食も楽しみたい」

 ――五輪の舞台をどう子どもたちに伝えたいか。

 「4大会を経験し、確かにそこで成長したという思いがある。純粋に世界を明るくする舞台であってほしいし、世界の人と人とをつなぐものであってほしい。支える人たちも 真摯しんし にスポーツに向き合ってくれることをただ願っている」   

 
 
 
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10月28日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年10月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

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「小石川後楽園」には江戸時代神田上水が流れていた。酒亭もあった。    小石川後楽園シリーズその2

2022年10月28日 | 東京あちこち

水戸の偕楽園から移植された梅の木もある。

 

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昨日のランチはメン喰いシリーズ「愛媛県西条市の万長ラーメン」        10年前の今日 2012年10月28日の本ブログに掲載

2022年10月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

元々は新居浜に会社があった「万長ラーメン」。新居浜在住時代は工場の独身寮の自分の部屋に常備していたので 仲間もよく食べに来たものだ。

部屋には電熱器と鍋とラーメン鉢を揃えていた。  朝になると寝ている間に誰かが来て食べた後があった。

一回このラーメン製造会社はつぶれたが、ファンの声に押されてまた製造を今度は西条市で再開しています。

西条の永田さんの山荘に泊めてもらったときご馳走になった上に、お土産で頂いた。キャベツとウインナーをちぎって入れ、黒胡椒をかけておいしく食べました

この味は45年ほど前の四国の日々を思い出させます。味と匂いと音楽はそれぞれ瞬間的に、ある時のある情景を眼前に映し出す力があります。通販HP


 



2009年10月2日に、万長ラーメンの製造元が事業継続を断念したため製造中止になった。

2010年5月末、万長ラーメンを復活させてほしいとの声をうけ、新居浜・西条両市の地元スーパーの若手経営者らが「株式会社万長」を設立。

2010年10月10日から、万長ラーメンの製造が再開された。地元スーパーまたは通販で購入することが出来る。

昭和の万長ラーメンが復活したぞね。ほーよ 戻ったんよ!!

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高峰秀子のスピリット 「高峰秀子の流儀」を読む

2022年10月28日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2010年03月02日(火)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

目次

高峰秀子という知性
動じない
求めない
期待しない
振り返らない
迷わない
甘えない
変わらない
結婚
怠らない
二十七歳のパリ その足跡を訪ねて
媚びない
驕らない
こだわらない
ひとこと 高峰秀子

☆高峰秀子の書いたものは、40年以上前に週刊朝日に連載された「わたしの渡世日記」を毎週待ち遠しく読んだのが最初だ。

 彼女は55歳で俳優を引退し、今年は85歳になるそうだ。斉藤明美という人が書いた「高峰秀子の流儀」は、高峰秀子の近況を綴った本だ。

読み終わって高峰秀子は相変わらず、女優とか女とか言う前に人間としてとてつもなく秀でた人なんだと思った。

4歳で実母と死別して以来、養母とその係累を20数年食べさせながら、つぶれずに高峰秀子を作り上げた人間。それが彼女だ。

私にとって高峰秀子は映画「二十四の瞳」の大石先生につきる。

高峰秀子と旦那の松山善三の現況を知ることが出来たのは嬉しかったし、ありがたかったが、私には斉藤さんの文章が少し粗く感じられた。(「目に一丁字もない」など慣用句の多用など)

やはり高峰さんの書いたものを直接再読した方がいいと思った。

高峰さんの著作では「にんげん蚤の市」もどうしようもなく面白かった。高峰さんが骨董屋を開いていたとき以来の「中島誠之助」との付き合いの話は忘れられない。

人にやさしく、自分は突き放すという高峰さんが書いたエッセイは、どの本も一味違っていて読み出したら止まらない。

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