阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

細川コレクション「永青文庫」を訪ねる   シリーズその2/全三回  旧細川侯爵家の家政所(事務所)だった建物も見どころが多かった。

2019年11月30日 | 東京あちこち


「永青文庫」は前から一度見ておきたかった細川家のコレクションだ。細川家は室町幕府の三管領の一つから出た古い家柄で徳川幕府瓦解の折には肥後熊本藩54万石の藩主家だった。

それにしても戦争に負けて、アメリカ主導で出来た戦後のいわゆる“嫉妬の税制”のお陰でこういう美術館が出来て、(おそらく相続税がらみと想像するが)元大大名の

侯爵家所有だった、他所になく、元の本国にも残っていない貴重なお殿様ご愛顧の芸術品を市井の一町人である自分が鑑賞できるというのはいつもながら複雑な気持ちになる(笑)。


  余談ながら、藤森照信さん(click)の設計になる茶室「一夜亭」も永青文庫の敷地にあるように誤解していたが「一夜亭」は

細川家当主である細川護煕さんの伊豆湯河原の工房『不東庵』にあるようだ。

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・西芳寺のお庭で苔寺の秋を心ゆくまで楽しんだ  友人の便りから

2019年11月29日 | ゲストルーム

Oh散歩かい(会)のメール交信の中で会員のKさんから京都へ行って来ましたとの記述がありました。

メールの添付写真に苔寺の秋を見事なショットに切り取った二葉がありました。

⇒「苔寺で有名な西芳寺、ここは見学予約制で人数制限、加えて見学だけでは許してもらえず 本堂での写経も参加義務付けです。

筆ペン持参で行ってきました。 30分ぐらいですが久しぶりに正座をしました。金髪の外国人(男ですよ!)なんかも居て、

出来るのかな??と余計な心配してました。」

京都の街中に溢れるインバウンドの観光客についてのやりとりは・・あえて皆さんのご想像にまかせて掲載を控えます(笑)。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細川コレクション「永青文庫」を訪ねる   シリーズその1/全三回  JR高田馬場駅から神田川桜並木を通って都電荒川線を越えて

2019年11月28日 | 東京あちこち

11月の3人会の訪問先は待望の「永青文庫」だった。メンバーの一人のMさんは肥後の国にルーツがあり、季節の折々に熊本のお殿様の屋敷跡にある永青文庫を訪ねているそうだ。

某日三人は高田馬場駅早稲田口改札で落ち合った。

少し早くついて周辺を歩いてみたが、なにしろ若い人が多い。しかも外国人の学生風が多い。耳に入ってくる言葉は八割が外国語のような感じだ。

この辺りには日本語学校も多いとあとで聞いた。

こんな古い日本家屋が残っていた。

50年ほど前にこの駅周辺の寮に身内が住んで学校に通っていたので「高田馬場」という地名は耳に親しかったが

今回自分は初めて高田馬場駅に降りたって、ああこういう所で彼は過ごしていたのかと感慨無きにしもあらずだった。

永青文庫に行くには多くのルートがあるが、Mさんのお陰で神田川沿いの遊歩道を歩いていく素敵な散歩になった。まこと「先達はあらまほしきことなり」だ。(徒然草52段)

神田川桜並木には桜の古木が両側に並んでおり、桜の季節もとてもいいよとのこと。春になったらまた歩いてみたい。

大きな森が現れた。ここに永青文庫がある。

かなり急な坂を上った。胸突き坂と言う案内が出ている。

下をみると丘陵地というか武蔵野台地というかの風情だ。

続く


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「芸人はNG」でも「政治家はOK」? 桜を見る会、菅官房長官「反社?とツーショット写真」のモヤモヤ - 毎日新聞

2019年11月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

画像クリックで本文に飛びます。

画像クリックで本文に飛びます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホームセンターの島忠から蔵前橋通りを亀戸まで歩いたら、途中で弁護士の「故正木ひろし」さんのお墓があるお寺があった。お参りした。

2019年11月27日 | 身辺あれこれ

幼稚園に送ったあと、ホームセンターまで足を延ばした。ここの2階には110円で珈琲を出している食堂がある

食堂の窓から小岩市川方面を望む。

 

Wikipediaから部分引用:蔵前橋通り(くらまえばしどおり)は東京都文京区サッカーミュージアム入口交差点から、千代田区台東区墨田区江東区葛飾区を経由し、江戸川区の市川橋手前の国道14号千葉街道)との交差点にわたる道路の通称。

路線名としては、国道4号昭和通り)との交差点を境に東側は東京都道315号御徒町小岩線西小岩二丁目、東京都道60号市川四ツ木線交点から東側は同路線である。都心から千葉街道に直通し、千葉県方面に通ずる重要な交通拠点であり、総武線にほぼ近いルートを通っている。京葉道路靖国通り)・春日通りなどと区間を平行することから、重要なハブとしての機能も果たす。

           どこまで歩こうかと迷いながら初めてのルートを歩き出した。歩き出すと旧中川にかかる大きな橋がある。橋から見た風景。

川の向こうは江東区になる。

橋は大掛かりな塗装工事を長期にわたってやっているようだった。

東武亀戸線のレールを陸橋の上から見て丸八通りルートをとるか少し迷ったがそのまま蔵前橋通りを歩くことにしたら、

こんな説明版がかかるお寺の前にさしかかった。

庫裡に案内を乞うてお墓の場所を聞いたら、若い僧が墓地のその場所まで連れて行ってくれた。

そのままどこまで行こうかと逡巡しながら歩を進めると亀戸の駅から伸びる亀戸天神さんにいく見慣れた交差点に出た。

帰りはJR亀戸駅から総武線に乗って帰った。この日の歩数計:7363歩。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

正木ひろし
まさきひろし
(1896―1975)

 
弁護士、戦闘的ヒューマニスト。東京生まれ。戸籍上は昊(ひろし)だが、本人はひろしを常用した。東京府立三中卒業後、第八高等学校理科に進むが落第し退学。このときエマソンの『セルフ・リライアンス』(自己信頼)を読み共鳴する。第七高等学校文科を経て東京帝国大学法学部入学。1923年(大正12)卒業。東大在学中から千葉県佐倉中学、ついで長野県飯田(いいだ)中学で英語教師をし、24年中学を辞めて帰京。25年以降、売文業や受験生向きの私塾を開くなどして生計をたてるが疲れ、弁護士業を始めた。この間絵画の研鑽(けんさん)だけは欠かさなかった。32、33年(昭和7、8)ごろから腕利きの民事弁護士として知られるようになり、中堅弁護士として世俗的には成功を収めたが、その生活に飽き足らず、37年4月には「公共心と社交性」を満足させるべく個人雑誌『近きより』を創刊、3000余名の知人に呼びかけた。当初の社交雑誌はしだいに社会批評の度合いを強め、誌上、正木は東条英機(ひでき)首相を激しく弾劾するなど戦時下において不屈の思想的抵抗を貫いた。また44年には警察の拷問(ごうもん)による殺害事件を告発し権力犯罪に対決した(首なし事件)。この戦争末期に正木はキリスト教をもっとも身近なもの、真理と感じたという。戦後は食糧メーデーの際のプラカード事件弁護団に加わり、天皇制を痛烈に批判した。その後、三鷹(みたか)事件、八海(やかい)事件、菅生(すごう)事件、丸正(まるしょう)事件などの冤罪(えんざい)事件に取り組み、チャタレイ裁判では人類永遠のヒューマニズムの観点から弁護を行った。自然を愛し、作画を好み、卓越した自然科学的観察力と結合したヒューマニズムに基づいて権力悪に対決した自由主義的思想家・弁護士であった。[北河賢三]
『『近きより』全5冊(旺文社文庫) ▽『正木ひろし著作集』(1983・三省堂) ▽家永三郎著『正木ひろし』(1981・三省堂)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

まさきひろし【正木ひろし】

 
1896‐1975(明治29‐昭和50)
弁護士。本名は旲と書く。東京生れ。1923年東大法科卒。中学教員,画家,雑誌記者を経て,27年弁護士を開業。37年から個人雑誌《近きより》を刊行し,キリスト教的ヒューマニズムを基礎に,時代の狂信を批判した。44年警官による殺人事件(いわゆる〈首なし事件〉)で警察当局を弾劾。戦後はプラカード事件,三鷹事件,八海事件菅生事件,白鳥事件などを弁護したが,〈人道主義〉をみずからの立場として,共産党とは一線を画した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報masaki

白鳥警部事件:

白鳥事件は縁者が鑑定に関わったので子供心にも記憶に残った。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御徒町の中国東北料理の店「延吉香」で本場の延辺料理を楽しむ アカデミー展あとの懇親会も大きな楽しみ

2019年11月26日 | 食べる飲む

「場所は、御徒町駅南口より徒歩1分。ハトヤビル3F。眼下には、御徒町南口駅前広場(おかちまちパンダ広場)を望めるというロケーション。

延辺料理とは、北朝鮮の国境に程近い中国北東部の延辺朝鮮自治州の料理。

朝鮮族が多く住む地域で、甘酸っぱい味や、唐辛子、孜然(クミン)を使うのが特徴。

東北料理は、黒龍江、吉林、遼寧、内モンゴル東部の東北地区の料理で、

穀物、羊肉、茸などの漢方食材などを使い、濃い味付けで、土鍋料理(燉)も多い。ということだ。

当店では、延辺料理のほか、東北料理、四川料理と楽しめる。引用元。

 久しぶりの豆苗炒めは店の火力の自宅の火力と調味料の違いのせいでやはり納得の旨さだった。

美味い豆苗炒めを食べると昭和51年に台北でこの料理を教えてくれた丸紅台北支店にいた王さんのことを思い出す。

店では一皿がこの写真の4倍分の量で来たがあらかた自分が食べてしまった。すみません(笑)。

王さんはカナダに移ってカナダで暮らしているとかなり経ってから聞いた

この日は雨の土曜日で空いていたがいつもは客の95%が中国人で大賑わいとのこと。

一皿の量が多いので3、4人で行くのが正解だ。後期高齢者の3人は頼んだ料理を全てペロリと平らげよく飲み良く食べた。

今回掲載に当たりわかったが、亀戸で時々行く中国朝鮮族の人たちがやっている店(こちら)のメニューと

同じ品がいろいろあった。上野や御徒町方面に来たら必ず寄ることになりそうだ。

ビルの3階にあるので教えてもらわなくては気付かないロケーションだ。同行の佐藤さん、上田さんありがとうございました。

53年前に入社した会社の四国の工場では、独身寮に入る新入社員は一年間、二人が同じ部屋に入ることに決まっていた。

その同じ部屋で一年間暮らした二人が50数年後こうしてまわりまわって東京で時々会って一杯飲む。不思議なご縁というべきだろう。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御徒町で吉田版画アカテ゛ミー展を鑑賞した。

2019年11月25日 | 音楽・絵画・映画・文芸

浮世絵の技法の伝統を継ぐ「吉田版画アカテ゛ミー」の展覧会に友人の佐藤さんが出品しているので行ってきた。

一口に版画と言っても多様な分野があり「吉田版画アカテ゛ミー」は江戸時代から続く伝統をベースにしている団体だ。  

今やかっての 大木をもとにした版木や和紙や摺師やらが日本文化の中でも限界集落のようになりそうなので、

今この世界で創作を続けておられる方々は貴重な存在だと思った。佐藤さんの版画は一目見てわかった。

奥さんと旅行した奄美大島で見た花をモチーフにしたそうだ。

昨年のアカデミー展⇒こちら



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒川と中川を渡って新小岩公園へ

2019年11月23日 | 東京あちこち

某日、ぽかぽかしたいい日だったので思いついて散歩に出かけた。相方はこの橋を渡るのは初めてだったが無事に往復できた。





総武線の鉄橋



刈り取りの跡の虫を狙ってか鳥が群れていた。



橋を渡り切り少し歩くと公園に入る




公園の中に亭があってザルそばを食べた。400円という値段が嬉しい。定年族には葛飾区の下町価格がありがたい。



亭の庭にキジバトがいた。






元のルートを辿った。



この辺りは中川が荒川に隣接して流れている。




都鳥ーユリカモメに餌をやっているおじさんがいて沢山寄ってきていた。



橋の真ん中に首都高の料金所がある






荒川の河川敷に一本だけポツンと立つこのケヤキの樹との付き合いは長女一家が当地に住みだして以来だから


10年以上になる今回の台風による大雨は上流にある地下神殿などの施設のお陰か、河川敷にも水が上がることなくすんだ。








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューズウィーク最新号の表紙が夏休みの宿題の「環境をよくする絵画コンクール」で小5の子が区長賞をもらった絵と同じモチーフだった。 2019年11月26日号(11/19発売)

2019年11月23日 | ゲストルーム
☝キャプション プラスチックごみ問題は世界の海を脅かし、やがて人類に返ってくる。今すぐ私たちがすべきこと。
👇10月31日から11月14日まで区内3か所で掲載された絵



コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あと15年で日本から九州と四国足したくらいの人が消えるってことを、6割以上の人が知らないっていうのがホラー

2019年11月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事
画像クリックで本文に飛びます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする