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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

 向田邦子ドラマと言えば  「阿修羅のごとく」

2011年09月24日 | 音楽・絵画・映画・文芸
【ショートクリップ】土曜ドラマ 向田邦子シリーズ 阿修羅のごとく
このドラマに杉浦直樹さんは出演していませんが、彼が常連だったドラマの空気は同じです。
「YouTubeで見る」をクリックしてYouTubeに飛んでください。劇中に使われたトルコ軍楽隊の「ジェッディン・デデン」は
今も時々口笛で吹きます。勿論CDも持っています。

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石屋川から都賀川まで二駅分を歩く    

2011年09月24日 | 神戸あちこち

    ☝二駅のあいだの六甲川。六甲山からは沢山の急流の小さな河川が流れ出す。
阪急の駅間でほぼ二駅分を歩きました。ルートは神戸市バスの路線の中で六甲山の麓に一番近い②系統
のバスが走る道です。灘区の東端から歩きだして、王子公園駅そばの都賀川沿いの居酒屋“いなかもん”まで約6000歩の距離です。
 日頃は車かバスで通るのであまり気が付かないけど、空き地に大きな新築の家が出来ていたり、新しいマンション
の工事があったりと変わっていっています。
〇昭和20年代によくあった木製の外壁ですが、このあたりではこの一軒だけに残っています。



〇六甲登山口の交差点そばに、このプレートをかけた歯科、鹿島歯科は健在です。

〇このあたりに45,6年前に3年ほど住んでいたのでやはり懐かしい。





〇居酒屋“いなかもん”には五M会の三人と小唄のお師匠さんの四人が集まりました。

亡くなった俳優の杉浦直樹さんとテレビドラマの仕事で付き合いがあった宮崎純さんから、彼は酒豪であったとか
彼にまつわるいくつかのエピソードを聞けたのはこの夜の望外の僥倖でした。

向田邦子ドラマに欠かせなかった杉浦直樹さん。このNHKドラマ「あ・うん」の主役フランキー・堺さんと
同じで、自分と同時代を生きた人が消える寂しさを感じます。杉浦さん、楽しませてくれてありがとう。

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黄昏の坂道を下りる

2011年09月23日 | 神戸あちこち
十三で一杯やってほろ酔いで甲南病院のバス停でバスをおりました。
夕焼けの坂道をゆっくり歩いて帰りました。
 ↓駅近くでバスの車窓から撮影。バスはここから急な坂を一気に病院のある高台まで登ります。


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十三の“第7芸術劇場”は繁華街の中にある。映画「セヴァンの地球のなおし方」   

2011年09月23日 | 音楽・絵画・映画・文芸

「セヴァンの地球のなおし方」を観に十三に行きました。
映画館はちょっと前まで、“十三のねーちゃん”たちが頑張っていた繁華街の中にある雑居ビルの6階にあります。
阪急十三駅から交差点を渡って東へ5分ほど。ボーリングのピンが目印です。
 観終わると3時過ぎでしたが、朝10時からやっている十三駅1分の居酒屋“十三屋”でNさんと観た映画の話をあれこれ。
映画は一人もいいし、二人で観ると、あとの一杯やりながらの話のやりとりがまたいい。
↓映画館が入っているビルの前から十三駅方向を見る。




映画の公式HPはこちら
このフランス人監督の感性は日本の風土にマッチしている。それにしても12歳のセヴァンという
女の子が発した思いが、世界に伝わっていく国境のない時代に自分は生きている。
映画『セヴァンの地球のなおし方』予告編

映画の感想は近々「阿智胡地亭の非日乗」に掲載

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2006年秋 白神山地・秋田・青森

2011年09月21日 | 北海道/東北旅行
2006年秋 白神山地・秋田・青森

画像切替速度は砂時計で調整してください。
 
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与力町の“酒房 竹うち”は「さば棒寿司」も逸品!

2011年09月18日 | 食べる飲む
なるほどこれが刺身だという刺身が目当てですが、最後にオーダーする
サバ寿司も逸品です。昨夜も話が弾み「長久」のぬる燗も旨く少々飲みすぎました。







前回の“酒房 竹うち”はこちら
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神戸の日仏商事㈱の前社長に50年前にお会いしたことがある。(2013年6月追記あり)    

2011年09月15日 | ゲストルーム

月刊神戸っ子の9月号を読んでいたら、日仏商事という会社が取り上げられていました。



社長の名前を見ると“筒井潤”さんとあります。そのときふと“筒井ベルナール”さんの名前が頭に浮かびました。
もしかしたらお二人は親子かなと思いました。思い立ってネットで「筒井ベルナール」さんで検索すると、
「日仏商事社長」の記事が出てきました。

両方の記事から推測するとお二人は叔父と甥に当たるようです。

 筒井ベルナールさんは、昭和35,6年ごろ月に2~3回ほど、身内のフランス語の先生として、当時住吉にあった
家に来られていました。お会いした頃、ニューカレドニアからかなり前に日本に移られ、神戸に定住を決められた白皙の美青年でした。
 その後、神戸で商事会社を立ち上げられ、社長として活躍されていたようです。「神戸っ子」の取材記事のおかげで
心のどこかで、どうされておられるかなぁと思っていた方の消息が、わかって嬉しく思いました。

2013年6月22日追記

若き日の筒井ベルナールさんの写真を、平田真実さんから頂いたコメントからのリンク先で見せて頂きました。

懐かしく思い、ふと、あらためてベルナールさんのことを検索したら、ベルナールさんが昨年の9月13日に亡くなられたことを知りました。

50数年前に何回かお会いしたベルナールさんは、忘れられない方々の中のお一人です。ご冥福をお祈りします。

ネットから⇒

○日仏商事名誉会長  筒井ベルナール氏「お別れの会」
 
日仏商事⑭は10月17日、ANAクラウンプラザホテル神戸で、9月13日に79歳で逝去した同社名誉会長筒井ベルナール氏の生前の功績を偲び「お別れの会」を執り行った。

【筒井ベルナール氏略歴】
▽昭和8年3月24日ニューカレドニア・コネ村にて出生
▽昭和34年早稲田大学卒業
▽昭和44年藤井幸男氏と日仏商事⑭設立 代表取締役専務
▽昭和61年代表取締役社長
▽平成9年会長
▽平成20年名誉会長

 そして在日フランス商工会議所のHPで筒井さんのミニ伝記が掲載されているのを見つけた。

○CCIFJ / ニュース / 会員紹介
「ニューカレドニアリズムと迅速な行動」
私の履歴書 |2005年11月15日 |日仏商事株式会社 社長 ベルナール筒井氏

ニューカレドニアでの幼少時代

ベルナール筒井氏を知るには、ニューカレドニアですごした幼少時代の話からはじめるべきであろう。1933年ニューカレドニア・コネで生まれた彼は日系移民の父とフランス人の母、そして兄弟たちに囲まれ成長する。他の少年と同様、彼もまたサッカーを愛する少年で、ニューカレドニア代表としてタヒチまで遠征に行った経験も持つ。移民の子としての苦労もあったが、おおむね南太平洋リズムでのんびりとした青年時代を過ごした。

ニッケルからパンへ

当時、ニューカレドニアで産出されるニッケルを日本に輸入するため、店には日本人がよく訪れており、ほどなく彼はその日本人たちの仲介業務を手伝うようになった。彼らのアドバイスもあり、日本語と鉱学を学ぶため来日を決意したのは、24歳のときである。

早稲田大学在学中も、筒井氏はニューカレドニアからのニッケル輸入のアシスタントを続けていた。しかし、しばらくしてニッケルの暴落のため鉱業分野での仕事をやめざるを得なくなる。ただ、実際のところ、彼はそれほど鉱業分野に興味を持っていたわけではなかった。日本人上司から「君はニューカレドニアに帰りなさい。」と言われると、「はいそうします。」とあっさり、未練もなく答えていた。ニューカレドニアに戻るまで、まだ少し滞在許可期間が残っていたため、父方の親戚のいる神戸で過ごすことになった。

神戸では、近所で輸出業を営むラオス人を手伝いはじめた。そこで彼は、戦争中、敵国であったために輸入が途絶えてしまった日本からの商品を、ニューカレドニアに輸出しようと考える。当時ニューカレドニアでは日本からの商品はほとんど手に入れられない状況だった。彼は、ニューカレドニアで貿易業を営む兄へ、トランジスターラジオ、自転車、オートバイ、ジープなどの日本の物資を輸出することにしたのである。

こうして輸出業に携わっている間に、運命的な出会いがあった。株式会社ドンクの藤井幸男氏(現名誉会長)との出会いである。藤井氏の助言に加え、折からの万博景気・海外からの輸入規制緩和もあり、1969年、パンを焼くためのオーブンをフランスから輸入することになった。日仏商事株式会社の発足である。

南太平洋リズムと迅速な行動

今や118人の従業員を抱え、年商88億円の日仏商事株式会社の創立者であるベルナール筒井氏は、ニューカレドニアで釣り糸を垂らすことが好きだ。静かに、のんびりと・・・。筒井氏はあくせくすることがない。日本にいるときも、南の島のリズムだ。常に穏やかで、あわてて決断をすることなどない。

しかし、一度決断すると行動は迅速だ。新しいビジネスチャンスがフランスにあると判断すれば、翌日にはフランスへ飛ぶ。1995年の阪神・淡路大震災の際も、彼の行動は早かった。従業員のためにマンションを借り上げ、事務所を移転し、船を用意し商品を名古屋や東京へ運ぶ・・・。迅速な行動の結果、日仏商事は最悪の状態を避けることができた。

彼は常に余裕を持って熟考し、ここぞという時に迅速に行動する。ニューカレドニアリズムと迅速な行動。一見矛盾しているように思えるこの二つの要素が筒井氏の根幹を成している。そして今、日仏商事は東南海・南海地震に備え、自社の倉庫を山の手に建設中である。先手必勝だ。

- See more at: http://www.ccifj.or.jp/jp/news-japon/nouveaux-membres-articles/actus-entreprises/n/-40e6b96bf5/#sthash.uTZZyl2F.dpuf

引用元
 

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「はんそ」でちょっと食べてきた。  えっ、 「はんそ」って?

2011年09月11日 | 大阪あちこち
初めて「はんそ」と聞いた時、なんのことか全くわからなかった。

大阪人はイラチ(苛ち)だから、長くて七面倒くさい名詞は、どんどんショートカットしてしまう。地名では谷九(たにきゅう=谷町九丁目)、
南森(なんもり=南森町)、天六(てんろく=天神橋筋六丁目)、梅新(うめしん=梅田新道)、上六(うえろく=上本町六丁目)…など。

商業施設でもソニープラザなら「ソニプラ」、フェスティバルホールなら「フェス」、アメリカ村なら「アメ村」と短縮化される。
「マクド」も最初聞いた時、「マクドナルド」のこととは思わなかった。東国では「マック」だが、促音がない西国弁では「マクド」になる。
「言っちゃった」と「言うてもた」の違いである。

「はんそ」は「阪急そば」の短縮形だ。十三駅構内に昭和42年開店の関西最初の駅構内立食店がある。
学生時代に阪急京都線と宝塚線をそれぞれ使っていた相方と次女は、時々この十三店を利用していたそうだ。



石橋駅の「はんそ」は駅の外にあった。

(9月11日 公開講演会「東日本大震災と原発事故:いま、関西からできること」@大阪大学豊中キャンパスに参加して
初めて石橋駅のホームにも立った。)
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阪大・豊中キャンパスに行った。        

2011年09月11日 | 大阪あちこち

先輩の東京の森さんから連絡を貰っていた公開講演会「東日本大震災と原発事故:いま、関西からできること」に行った。

パネラーの一人は森さんもメンバーである「福島原発行動隊」の理事長 山田恭暉さんだ。


 行きは阪急宝塚線の蛍池駅で降りて、大阪モノレールに乗り換え、

伊丹空港駅と反対側の一駅隣の柴原でおりた。



広いキャンパスの中を、会場の大学会館を探して歩いた。ぶり返した残暑の陽光も厳しくて席に着いたとき汗が噴き出した。

帰りは人が歩いている方向が石橋駅方面だろうと見当をつけて違う道を歩いた。今まで通過するだけで降りた
ことがない石橋駅に無事到着した。

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三宮センター街   土曜日の午後

2011年09月10日 | 神戸あちこち
午後2時から約2時間、三宮のセンタープラザ西館で集まりがありました。
終わって外に出ると、高い湿度の空気に身体が包まれました。梅雨時でも
こんなに蒸し暑く感じたことはなかったです。台風が南から空気にたっぷり
水分を持ち込んだようです。

昼は讃岐うどんを食べてから出かけました。しっかり腰があって、
このコープこうべの「冷凍うどん」はすぐれものです。
下手なうどん屋のうどんよりよっぽど美味くて、いつでも食べられるのがいい。

画像はつゆを入れる前。
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与力町「竹うち」で今回も話が弾んだ

2011年09月07日 | 食べる飲む
気が付くと4時間いたことになる。おいしい料理においしい酒。
そして何を話したかは忘れたが、つながる話の後口の良さ。金目鯛の煮付けなど
が出てきた頃はもう写真を撮るのを忘れていた。今回も店のお二人の自然体の
対応と、満席の中の接遇の手順の良さを感じた。





 [竹うち]を紹介してくれた李欧さんありがとうございます。

行きは東梅田の富国生命ビルの前からタクシーでワンメーター。
 帰りは店のお客さんに教えてもらって環状線の「天満駅」へ歩いた。
歩く時間は10分もかからず、一本道でわかりやすかった。このルートなら神戸からでも
大阪駅で環状線に乗り換えれば店までそう遠くはない。

「竹うち」大阪市北区与力町4-8 末広センタービル1F / 06-6809-1661
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大阪駅ノースゲイトビルに初めて上がった。         

2011年09月06日 | 大阪あちこち

大阪駅に新しく出来た商業ゾーンを「大阪ステーションシティ」と言うらしい。
その複合体のうちの北側に出来たビルが「ノースゲイトビル」。11階の映画館に行った。
 富国生命ビル前17:45の待ち合わせで、与力町で飲むことになったので、その前に「コクリコ坂から」を
見たいと思って、大阪の映画館をネットで検索した。
 このノースゲイトビルの11階にある、12面のスクリーンを持つシネマコンプレックスで15:45-17:30という
好都合の上映時間が見つかった。チケットを購入してから屋上からの展望を楽しんだ。









「コクリコ坂から」は舞台が横浜で、時代設定が1963年。東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開かれた年の
前の年だ。自分の学生時代にもやや重なる時間が懐かしく流れる。そして映画はアニメの絵柄の細部まで瑞々しく美しい。
エンドロールには2百人ほどの製作アニメーターの名前が流れた。大変な人手がかかっている。
 映画はつくづく総合芸術だと思う。特にスタジオジブリのアニメーションの作りは丁寧で美しい。

『コクリコ坂から』予告編 The latest trailer for Studio Ghibli "Kokuriko-Zaka Kara"
From Up On Poppy Hill - Official Trailer

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九条の“シネ・ヌーヴォ”で映画「人類学入門」を観ました

2011年09月01日 | 音楽・絵画・映画・文芸
神戸から大阪・九条に行くには、阪神尼崎駅の同じホームで阪神なんば線に乗り換えます。
 ところで尼崎駅の浜側には、電車用の変電所と阪神電車の車両基地が見えます。

野坂昭如の原作は40年以上前に読んでいます。その原作を今村昌平が監督をしている!!
しかも主役のスブやんを我が尊敬する「小沢昭一」が演じている。この映画の再上映は見逃すことは出来ません。
 映画は昭和41年の封切ですが、当時は四国は愛媛県の町で働いていて、上映を見逃していました。
登場する俳優群像を懐かしく観ましたが、それだけでも入場料千円の価値以上のものがありました。


解説 - エロ事師たちより 人類学入門  1966年制作  日活映画・・・webから引用。

野坂昭如の原作を、「赤い殺意」の今村昌平と沼田幸二が共同で脚色、今村昌平が監督した社会風刺喜劇。撮影もコンビの姫田真佐久。

『エロ事師たちより 人類学入門』あらすじ全文

人間生きる楽しみいうたら食うことと、これや。こっちゃの方があかんようになったらもう終りやで。スブやんこと緒方義元は、いつも口ぐせのようにこうつぶやくと、エロと名のつくもの総てを網羅して提供することに夢を抱いている。スブやんは関西のある寺に生れたが、ナマグサ坊主の父親とアバズレ芸者の義母の手で育てられた。高校を卒えて大阪へ出て来たスブやんは、サラリーマンとなったが、ふとしたことからエロ事師の仲間入りをしたのがもとで、この家業で一家を支えることになった。彼の一家とは彼が下宿をしていた松田理髪店の女王人で未亡人の春と彼女の二人の子供、予備校通いの幸一と中学三年生の恵子である。スブやんは春の黒髪と豊満な肉体に魅かれてこうなったのだが、春にとっては思春期の娘をもって、スブやんを間に三角関係めいたもやもやが家を覆い、気持がいらつくばかりだ。そして、歳末も近づいた頃、遂に春は心蔵病で倒れた。スブやんは病人の妻と二人の子供をかかえて、動くこととなった。仲間の伴的は暴力団との提携をすすめたが、スブやんは質の低下を恐れて話を断わり、8ミリエロ映画製作に専念した。帰宅するとスブやんは恵子の様子がきがかりで仕方がなかった。その夜、スブやんはニュタイプの器具から足がついて、警官に拉致された。その頃、春の病状は思わしくなかった。幸一のバリ雑言の中で、春は、スブやんの仕事を信じていた。出所したスブやんにまた生気がよみがえってきた。数日後、酔いつぶれて帰って来た恵子に、スブやんはいとしさがこみあげて来た。事の成りゆきを知った幸一は家出した。「緒方はんいたづらしはるねん」死期の迫った春には、返す言葉もなかった。四月春はスブやんの子供を妊ごもったまま、恵子の写真を針でつきながら死んでいった。春と恵子を愛し、スブやんは幸一をも案じながら年をとっていった。それから五年美容師に成長した娘の側で、白髪のスブやんは、エロ事師一世一代の仕事の植毛に眼をすえていた。

☆ベテランキャストたちがスクリーン上でねちっこく演技をしてくれました。
そして坂本スミ子は可愛くて哀れな役柄を一世一代の熱演で見せてくれました。
今は亡き殿山泰司、西村晃などは何とも懐かしくてこの二人に会えたことも嬉しいことでした。

小沢昭一 (スブやん)
坂本スミ子 (松田春)
近藤正臣 (松田幸一)
佐川啓子 (松田恵子)
田中春男 (伴的)
中野伸逸 (カボー)
菅井一郎 (緒方蓼雲)
園佳也子 (その後妻照代)
木下サヨ子 (古本屋のタケ)
菅井きん (小田先生)
北村和夫 (医師)
浜村純 (きたの会社の部長)
二代目中村鴈治郎 (白鳥重役)
榎木兵衛 (やせ型の中年男)
西村貞子 (小肥りの女)
桜井詢子 (精薄の少女)
殿山泰司 (その父親)
ミヤコ蝶々 (処女屋のおばはん)
甲田啓子 (処女チヨ子)
西岡慶子 (町工場のおかみ)
小倉徳七 (町工場の親爺)
玉村駿太郎 (西岡)
福山博寿 (祈祷師)
福地登茂 (グラマーの映子)
西村晃 (真田警部)
島米八 (関口銀次郎)
佐藤蛾次郎 (マコト)
加藤武 (予備校講師)
須藤圭子 (女子学園園長



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