旧中川の遊歩道で定点地撮影をしたあと暑い日中を歩いて最寄りのJRの駅に向かった。
8月30日に「しんぱち食堂」が隣の駅の亀戸に開店したことを知っていたのでしんぱち食堂で午後三時半の遅い昼食にした。
今回ネットで大阪の十三や天神橋筋商店街にまで店があるのを知ったが 東京の東部の区への出店は亀戸が初めてのようだ。
食堂業種営業でのこの価格帯は東京東部では確かに亀戸が限界の出店立地だろうと思う。
あかうお粕漬定食と納豆とビールを頼んだ。旨かった。
これからは焼き魚を食べたくなったら飯田橋の「越後屋亀丸」clickまで行かなくても隣の駅の亀戸でいつでも食べられる。
地元の歯科クリニックの3か月定期検診を受けた後、一駅総武線に乗って隣の町の新小岩のルミエール商店街に移動した。
商店街に入って最初の十字路を左に2分ほど歩いた場所にある韓国料理店「キュンちゃん」で豆腐チゲと生マッコリで昼食にした。
240910新小岩の韓国料理店「キュンちゃん」の明太子豆腐チゲ
この店の豆腐チゲは調味料を韓国現地のものを使って韓国人が作っているから全くもって唸るほど旨い豆腐チゲだ。
豆腐チゲは関西関東各地のあちらこちらで食べてきているが、これまでのベスト神戸三宮のガード下の店click「とんがらし」と同等かそれ以上のレベルだった。
この店があるからもう亀戸や錦糸町の韓国料理店でチゲ豆腐を食べることはない。
八卓ある店内は私で満席になった。午後一時半でも固定客がついている店は違う。
店の五つの席から聞こえてくるのは韓国語だった。
もし店名がオーナーの名前に由来するとしたら 「きょん」と読む韓国の苗字には「慶・景・京・耿」がある。
昼食に上野駅周辺の店をあちこち見て回ったが 観光客相手の割高の店が多く 入るのはやめて、20分で戻れる亀戸の行きつけの店に向かった。
残念ながら目当ての春菊そばは今回も売り切れ! やむなく「冷やしかき揚げそば」をオーダー。
天麩羅も麵も出汁もレベルが高くておいしかった。540円也。
240904 神田美土代町「四川一貫」の担々麺
必ず頼むこの店の塔ブランドの紹興酒はいい。
昭和52年ごろ 以前の店は 当時神田にあった東京電機大学の正門前にあって 昭和62年に大阪支社に転勤になるまで
ほとんど10年ほど通った店だ。先代の時に現在の美土代町に移って来てもう長い。よくお喋りした先代も3年ほど前に亡くなった。
現在は先代と一緒にやっていた人があとを継いで同じ味を守っている。
以前の先代の時からの客らしく今回も担々麵を「辛子蕎麦」と言ってオーダーした。
野菜天ざると日本酒の「真澄」を楽しみました。「美津田」は蕎麦が旨いのと諏訪の酒「真澄」を常備しているのとで
月一回の定期検診後の必須コースになりました。JR亀戸駅北口の横の明治通りと、蔵前橋通りが交わる交差点を少し過ぎた明治通りに面している
「美津田」は先代が亡くなってから しばらく客の足が遠のいていたようですが、その後二代目が必死で修業して現在は先代のレベルの味に戻ったと聞きます。
この店の蕎麦は本当に行くたびにいつも満足して味わって食べています。
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2011年11月25日掲載 「神戸労災病院の大楠」
2010年の9月に二回に分けた冠動脈ステント手術を受けた後の2か月に一度の検診。今日は心電図と診察。異常なし。
しかし6種類の薬の量は変えないとのこと。神戸労災病院の大楠はいつ見ても頼もしい。
病院に車を走らせる途中にこの看板がある。もう30年以上ここに設置されている。
この看板から下に行くと菱の紋の面々の総本山がある。
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2018年1月16日掲載
「20年来お世話になった神戸労災病院で循環器内科の最後の定期検診を受けた。 蕎麦屋の「二滝」で神戸最後のカレーうどんを味わう」
腹部大動脈瘤から始まり、腸閉塞、冠動脈狭窄、昨年夏の肺炎まで、この病院には本当にお世話になった。
手術や治療のため何度入院したかわからない。
この日はお願いしていた紹介状と全てのデータが入ったCDを頂いて お礼の挨拶をして
2010年9月に冠動脈に二回にわけて合計三個のステントを入れたカテーテル手術以来 長くお世話になってきた小澤先生にお別れした。
2か月後の冠動脈の定期検診と投薬は東京の東部の区で新しい病院を探すことになる。
昼食はいつもの蕎麦屋さんにした。
寒かったのでザルそばは止めて初めてカレーうどんを頼んだ。やはり特段に旨かった。この店ともこの日でお別れだ。
小岩のフラワーロード商店街の理髪店で散髪をすますといつものように歩いて2分ほど先の「元咲」に向かった。
昼下がりの時間帯のせいか先客は女性一人だけだった。
オーダーは目当ての馬刺しとレンコン、マイタケ、キスの天婦羅。それに芋焼酎のお湯割り一杯。
最後に「素(す)うどん」、いや関東では「かけうどん」と言わないと聞きかえされるが、
を頼んで残った天ぷらをトッピングにして讃岐うどんをおいしく食べてこの日も大満足で店を出た。
それにしても同じものなのに大阪神戸の「するめのてんぷら」を 東京では「さきいかのてんぷら」と言わないといけないのと同じで
「素(す)うどん」を東京で「かけうどん」と注文するたびにいまだに大きなストレスを感じる(笑)。
こういう庶民の日常の食べ物の言い方が東西で違う境は地質学的には糸魚川静岡構造線だが、関ヶ原町の東西でくっきりわかれるとか。
確かに最近の日本人のDNA検査の深まりにより 日本民族構成の多様性の理解がすすみ 東西の地域でいろんな面で違いがあって当然なのがわかるが
→click 【日本人のルーツ。DNA・言語からわかる結果|茂木誠 || 人類はどのように日本列島にやってきたのか?|ガリレオX第10回
個人的には好きな普通の食べ物の言い方の関東と関西の違いにはそのつど途惑いを感じることではあるョ!!(すうどんとかけうどんは特に・・)
この店内の昭和の飲食店の雰囲気は昭和40年代に時々寄った愛媛県はJR新居浜駅前の食堂とそっくりで まだまだ改造や廃業をしないでほしいといつも念じている。
と勇んで店に入り 食券販売機で「春菊そば」を探したが どう見まわしても見つからない。ふと目を上げると手書きの字で「春菊売り切れ」の札が貼ってあった。
横浜で何も食べずに午後三時半になって、亀戸の文殊の「春菊そば」を楽しみにしてきたのにとがっかりした。やはり「春菊そば」はこの店の人気一番のアイテムらしい。
止む無く かき揚げとゲソ天を頼んだ。 まあ蕎麦と出汁がいいからこの店は何を食べても裏切らないと思いながらもやはり残念だった(笑)。
肩掛けBAGにつけて歩いている「辛ラーメン」のガチャガチャチャームを店で披露したら
これ初めて見ましたヨ と笑いながらコリアンの店員が驚いていた。
このチャームは孫がガチャガチャにあるのを発見してゲットしてくれたものだ。
チャームを見せながらメニューにある「辛ラーメン」と「マッコリ」を頼んだ。辛ラーメンは食べだしてもう30年になるよと店員に言いながら。
韓国ではインスタントラーメンも食材の一つとして いろんなアレンジを加えて店で出しているが この店で辛ラーメンを頼んだのは初めてだ。
格別においしかったのでこれからの鉄板メニューになりそうだ。
テイクアウトで海鮮チジミを頼んだ。図書館ではこのところ気になっている人物の本を借りた。
月に一度の循環器内科クリニックの定期検診に亀戸へ行った。今回の採血の検査項目に前立腺血清PSA測定も入ることになった。
自覚症状は全くないが 先月の墨東病院の腹部CTの結果を見て、墨東病院の担当医師からかかりつけのクリニックへ
血液検査アイテムの中にPSA測定も入れるようにとの所見があったからだ。
薬局でいつもの毎日の薬をピックアップしたあと 中国人夫婦のやっている店へはいった。
発注システムがタブレットに変わっていて
なぜか店名まで別名になっていたが 頼んだ豆苗炒めは同じ一品だった。
酒各種から一品と料理壱品で680円の値段設定はかわってなくてありがたい。酒は紹興酒を頼んだ。
もう少し飲みたかったので次にピータンと紹興酒を頼んだ。
店はほかに3組の客が入っていたが 全て中国人で 珍しく4人組がたくさん料理と酒を並べて小宴会をやっていた。
彼らの大声の発声を聞いているとなるほど中国語は「四声clickという発声」だとよくわかる。
駅に向かって帰りながら ふと『文殊の春菊そば』clickを食べて帰ろうという気になって東口に向かった。
文殊に着く一分ほど手前のところにこれまで気が付かなかったバーがあった。6時半ごろにこの辺りを歩くことがなかったからだ。
文殊の店の前まで行ったが やはり気になってちょっと戻ってバーに入ってみた。
かなり広い店で、マスターの聞くと2014年からやっているとのこと。
棚にはぎっしりと洋酒が並んでいた。
ボトルごとにその酒の特徴がマスターの手書きで書いた紙のカードがかけられているのには驚いた。
ジントニックを一杯飲んでから マスターに好みを言ってストレートで飲むウイスキーを選んでもらった。
だしてくれたのは「コッパーフォックス 」だった。口の中に余韻が残る旨いシングルモルトだった。
「コッパーフォックス は2005年にヴァーニジア州に設立されたコッパーフォックス蒸溜所で生産されるユニークなアメリカンシングルモルト。」と知った。
いい気持になって店を出て もう『文殊の春菊そば』clickのことは忘れて亀戸駅東口の階段を上ってホームに上がった。このニコハナには時々寄りそうだ。
click→神戸・三宮のショットバー「C Moon」 2008年8月7日撮影 神戸ノスタルジックシーン
某日 前回初めて訪ねた「いすず」を再訪した。
やはりオーナーシエフ夫婦の腕はさえていた。
稚アユの塩焼きも旨かったが烏賊飯もとても良かった。
前回大満足の刺身三種盛り合わせはいの一番にオーダーした。
日本酒は店のおすすめの銘柄出羽桜のぬる燗にしたが 料理とよく合った。
店に入った途端 お相撲さんの方々がお客にいることに気が付き驚いたが やはり両国にある店だなと実感した。
家とJRの駅の10分の歩きにはルートが二つある。
決して賑やかとはいえない商店街(亀戸と新小岩という大きな街にはさまれている小さな小さな街だから)が二つ
それぞれのルートの通りにあって一つの商店街のベトナムカフェ「バイン ミー シン クン」でときどきバインミーを買って帰る。
買う時は必ずベトナム人の店員に「シャンツアイ(パクチー)はたっぷり入れてね」という。
店の客にはいつも必ず若いベトナム人の男女や家族がいるが 若い世代の日本人男女も多い。
出張先のジャカルタで昭和50年代の初めにシャンツアイを初めて食べて、これはなんと美味いものかと思って以来 シャンツアイは大好きだ。
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2022年9月29日「ベトナム料理にパクチーをたっぷり使ってもらって美味しく越南の味を楽しんだ。 両国の「ホイアン」にて」一部再掲載
→この日はオーダーの時に相方が パクチー(シャンツアイ)をたっぷり使って下さい、と念を押した。日本人とみるとネギやほかの野菜を使うからだ。
この日は一人客を入れて 我々と同じ時間帯に入れ替わり立ち替わり7組の客がいたが 日本人の客は二組だった。
ベトナム人のシェフ達にホール係もベトナム人のこの店は東京の東部地区に多く住むベトナム人の食事の拠り所なのかと思う。
一椀や一皿のボリュームは中国料理と同じで基本 多人数で飲食する量なのがわかっているので オーダーは2品だけで十分だ。
まずは パパイヤサラダ。なんともおいしい! 現地の調味料をそのまま使っているからニョクマム(魚醬)の味もした。
頼んだ通りパクチー(コリアンダー)はベトナム人の客に出すのと同じように使われて出てきた。
もう一品のメインの麺はブンボーフェ
二品だけのボリュームたっぷりのオーダー品は 全く余すところなく きれいに二人の腹中に納まった(笑)。
最後に蓮茶を飲んでさっぱりした。蓮茶は常連になった日本人客へのオーナーの心遣いだった。
この場では腹いっぱいで食べられないのでテイクアウトでバイミーを頼んで持って帰って夜食にした。
ベトナムはフランスの植民地だった歴史からパンが旨い国でパンを使ったバイミーは定番の食物だ。
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阿智胡地亭便り #32 シャンツアイが茂った 2003.08.16記
*どこの国の空港も 飛行機から外に出るとその空港特有の匂いがします。シンガポール空港(旧空港)のシャンツアイ(香菜)の匂いのように。
(行った人はご存じのように、彼らはどんな料理にも最後に三つ葉かパセリのようにこのハッパをのせます。
シャンツアイは最初あぶらむしの臭いやと思いましたが、すぐに好きになり今も種を買って夏は家のプランターで栽培しています。
ボク以外家族の誰も食べませんが。
今年もベランダのプランターでシャンツアイ(香菜)が青々とした葉をつけている。最初のものは枯らしてしまい、
今のシャンツアイは神戸元町の「ブハラ」というインド料理屋か、六甲道の「上海外灘(バンド)」という中華料理店で食べた帰りに、
袋入りの種を貰ったのがうまく育って毎年開花し、種を取り、代々続いている2代目だ。
先日、相方がプランターから摘み取って台所に持っていくのが、その香りというか匂いですぐわかった。
晩飯は確かニホンメシと言っていたのに何に使うのかと思っていたら、豆腐の澄まし汁に振り掛けて出てきた。
何の違和感もなく、澄まし汁に合う。和食系にも三つ葉の代用でなくそのまま使えるんだと思った。
シャンツアイは強烈な青臭い匂いがするので、中国、台湾、東南アジアへ行くと、半分冗談ながらこれを食べられるかどうかで、
土地に適応出来るかどうかのリトマス試験紙みたいに使われることがある。好きか嫌いかだけだから、
嫌なら「シャンツアイ プーヤオ」(香菜不要)と言えばいいのだが、シンガポールあたりでは何にでも乗せてくるので、慣れた方が早いような気がする。
ボクは一番始めは、ジャカルタのホテルの中華の店のヤキメシの一口で、この変わった葉っぱは何ですかと聞き、これはうまいと思った。
貿易部員として、8年間アジアを担当したが、幸いなことにどこの街に行っても食べ物で手がでないものは一つもなかった。
というか中国人(韓国以外は東南アジアも基本は華人系食事)が食うものに不味いものはないという思いは強まったし、今でもそう思っている。
1cmの葉っぱ1枚でもいい匂い(ボクにとって)が台所中に漂うほど独特かつ強烈なので、最初は家族に総スカンを食ったが、
一人でチキンラーメンや焼き飯、ヤキソバにも乗せて食べているうちに、家族も慣れてきて今や家族全員がおいしいと食べるようになった。
やはり独特のウマミがあるのだろう。そしてプランターの春の植え付けも相方がしてくれるようになった。
ある曲が流れてくると、子供の頃のある場面が浮かんでくるように、匂いも時々ある状況を思い出させる。
家で匂いがするとスマトラ島のメダンからトバ湖へ向かう山中で、車が道に迷い、時分どきになってしまい、
路傍に一軒だけあった店で食べたホーコー鍋(火鍋)にたっぷり乗っていたシャンツアイを思い出したりする。
今では阪神間の殆どのスーパーで売っている香菜(シャンツアイ)、日本人の何でも試してみて良かったら取り入れる能力は全然変わっていない。
今年も茂ったとさ。
某日 5時過ぎの開店すぐに両国駅西口から両国橋に向かって4分ほどの居酒屋に初めて行った。
普通の居酒屋のメニューにはない品目があって喜んでオーダーした。
仙台で20年以上前に伊藤英治さんが連れて行ってくれた店で食べて感激したホヤ。それに負けない味だった。
鯨の竜田揚げは神田の鯨料理専門店「くじらのお宿 一乃谷」で食べて以来で感激した。
刺身の三種盛りも良かった。二人ともに大満足だった。
相方はいつもの上海刀削麺を 私はいつもの海鮮焼きビーフンを頼んだ。
この店で出てくるものは まごうかたなくプロの料理人が造っているなぁと食べるたびに思う。
調味料も本場だし 調理の具合に 客に旨いものを食べさせたいという おのずからなる気が流れている。
いつ行っても店の客に中国人が多いのもよくわかる。
彼らにしたら 日本人がパリで日本人オーナーシエフの日本料理店に行くのと同じなんだろう。
錦糸町辣香坊で刀削麺と焼きビーフンを楽しむ