阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

小豆島はやはり一度は行きたい場所です。  小豆島シリーズその1

2014年10月31日 | 新居浜便り
新居浜市の住人Iさんがご夫婦で小豆島へ行かれた、内容豊富な旅のレポートが届きました。何回かに分けてシリーズで掲載します。
⇒「やっと穏やかな秋らしい季節が続くようになり先日、何十年ふりかで久しぶりに小豆島行きのフェリーに乗船しました。
「二十四の瞳」や「八日目の蝉」のロケで一躍有名になり変貌ぶりが楽しみでしたが是非、一度は行かれることを皆さんにおすすめしたいと思いました。
 18日昼の便でいよいよ高松港から小豆島行きのフエリーに乗船。 フエリーは以前より大型となり船内はゆったりしています。

オリーブラインのフエリーの煙突がユニークですが何をモチーフにしているか分からない。

進行方向の左側は男木島(通称:鬼ヶ島)と赤灯台を見ながら高松港を出発。

右方向に「源平合戦」の扇の的で知られている屋島を見ながら一路、小豆島へ。

途中、高松行きのオリーブラインとすれ違う。

高松から約一時間で土庄港に到着。

オリーブの葉のモニュメントが土庄港でお出迎え。

葉の一枚一枚にスポンサーのメッセージと名前が記入されています。

☆小豆島には畏友Iさんのお墓がありますが、未だに墓参をしていません。ぜひ近々行きたいと思いました。


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新居浜の太鼓祭り

2014年10月31日 | 新居浜便り
愛媛県新居浜市の住人Iさんから祭りの便りが届きました。⇒「10/16~18日まで新居浜太鼓祭りでした。 
勇壮なカキ比べの昼間とは対照的な夜のカキくらべも趣があります。(中萩地区の10台のみ集合したもの)

勢い余って隣とぶつかる場面もあったが流石に夜なので騒ぎなどはなく「ソーリヤソーリヤ」の掛け声も勇ましく重さ3トン近い
太鼓のカキ比べは相変わらず迫力ありました。


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ある日の酒の肴は「鶏のモモ焼き」

2014年10月31日 | ある日の肴/夕食
六甲道の商店街にある焼き鳥屋さんで購入。
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永井荷風先生が生前毎日通った京成八幡の「大黒家」でカツ丼を食べました。

2014年10月30日 | 東京あちこち

取手から常磐線で新松戸へ、新松戸から武蔵野線で西船橋、そこから総武線に乗り換えてすぐの本八幡で下車しました。

集合場所の京成八幡駅まで7分ほど歩きました。

このブログの名前は荷風先生の日記名「断腸亭日乗」からお借りしているので、前から一度荷風先生が毎日通われたという「大黒家」には行ってみたかったのです。

 初めてこの店に来た姐さんと私の2人は「荷風セット」をオーダーしました。

ムムリクさんは実家が法事の精進落としなどで時々使うこの店には馴染みがあります。

カツ丼は久し振りでしたがおいしいカツ丼でした。

カツ丼、上新香、日本酒一合が荷風先生のいつもの注文で、セットはそれをカバーしています。

11時過ぎから2時過ぎまでほぼ3時間、ゆっくりお喋りをしていい時間を過ごしました。

帰りは総武線JR本八幡駅から錦糸町へ、錦糸町から総武快速久里浜行に乗り東京駅へ。

東京駅から毎時一本の岡山行き「ひかり」にうまく間に合い、七泊八日の旅を終え帰宅の途に就きました。  
 荷風先生の愛したカツ丼


 日本最高の日記文学と評される「断腸亭日乗」は、戦前から戦後へと移り行く日本を独特の視線から捉えた名作である。

当時の大黒家
 永井荷風先生が、その名作の最後に記すこととなったのが、大黒家での食事についてであった。
ほぼ毎日、店が休みでも先生がいらっしゃるとお作りしました。いつもきまって「並のカツ丼」と「上新香」、「お酒一合」をただ黙々と召し上がられました。
 

亡くなる直前になると、日記の内容も「天気の事」と「正午大黒屋」 (家とは書かれなかった)のみの記述となっている。

亡くなられた前日にも、いつもの「カツ丼」を召し上がっていかれました。続きはこちら

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西宮市のあれこれを動画で紹介「西宮ウイーク」  神戸新聞動画報道から

2014年10月30日 | SNS・既存メディアからの引用記事
〇西宮市中部に広がる甲山(309メートル)はもとは火山だった。長い歳月をかけて山は削られ、マグマの通り道が丘のようになり残った。
太古、南には海が広がり、甲山は島のように浮かんでいた。悠久の稜線美が人々の心に残る。

〇西宮市高畑町の伊藤ハム西宮工場では、発売から今年で80周年を迎えるウインナーのほ-か、約200種類の商品が製造されている。
ウインナーの「パリッと感」を出すのは羊の-腸。関西で“ソウルフード”がここから生まれる。

〇関西学院大学の学生に人気の「u CAFE」(西宮市松籟荘)。阪急甲東園駅から南西に100メートル。
無農薬野菜でつくるランチなど、おいしくて体にやさしいメニューがそろう。

〇阪急夙川駅の北側。大手前大学でスイーツ学を専攻する学生が勧める洋菓子店「エルベラン」(西宮市相生町)は、苦楽園へと続く落ち着いた通りに面する。

〇「こてっちゃん」で知られるエスフーズ(西宮市) 内臓肉の加工食品として1980年から開発した。
みぞ味ベースのたれが下味となる。昨年期間限定で出した塩味、コチュジャン味の商品も好評を博した。

〇兵庫医科大学生に人気なのが隣接するイタリアン料理店「Romeo」。「鶏むねテリヤキ丼ランチ」は国産鶏肉と手作りの照り焼きソースが食欲をそそる。

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朝の取手駅東口広場と前夜飲んだホッピー

2014年10月29日 | 東京あちこち
取手駅東口とその周辺は、当然ながら自分が住んでいた30年ほど前とはまったく別の街のように変身しています。
 前夜は当時のご近所さん二人と、お二人が行きつけの東口の居酒屋でゆっくり飲みました。
このバス停から十五分くらいのところに住んでいました。

関東の居酒屋で飲むならホッピーです。焼酎は四日市市楠町のキンミヤ焼酎が正当な飲み方ですがこの日は確認しませんでした。

ネットから、
  〇ホッピー
ホッピー (Hoppy) とは、コクカ飲料株式会社(現・ホッピービバレッジ株式会社)が1948年に発売した、麦酒様清涼飲料水(炭酸飲料でビールテイスト飲料の一種)である。また、焼酎をこれで割った飲み物も、ホッピーと呼ぶ。

ホッピービバレッジ株式会社は、飲料関連を主体とした「ホッピー」の登録商標(日本第1534522号ほか)を各種取得している。飲料関係以外の商品・区分では同社以外による取得もある。
 発売当時ビールが高嶺の花だったことから、ビールの代用品の「焼酎割飲料」として爆発的に売れ、合計3度のブームが発生している[2]。

消費の主要エリアは東京・神奈川・埼玉の一都二県[3]で8割を占め[4]、2000年代後半以降も急速な販路規模拡大の意向はなく関東圏を主体に地盤強化を築く展開を行うとしている[5]。業務用と家庭用の比率は6対4と業務用が多くなっており[4]、現在でも東京、特に京成電鉄沿線を中心とした下町および神奈川県横須賀市の大衆居酒屋では、定番の飲み物である。
 ミニコミ誌『酒とつまみ』の編集者・大竹聡によれば[6]、中央本線の東京~高尾間では全32駅すべての周辺にホッピーを扱う飲食店があるという。

その背景から「東京の味」「懐かしの味」「昭和の味」などといった情緒的な味覚表現が用いられることもあり[2][7]、発泡系飲料のビール・発泡酒や焼酎割飲料のサワーにはない、ホッピー独特の味を作り出すための原材料と独自ノウハウを用いて製造されている[8]。

黒ビールに相当する黒ホッピー・ホッピーブラックも存在する。

ビールに含まれるプリン体がないことや、ビタミン類・必須アミノ酸などの各種成分が含まれていることから、健康志向の焼酎の割り材とされている[5]。他のリキュール類と相性が良く、様々な飲料スタイルに対応可能である[5]。前述の飲料スタイルや健康志向も含め、業務用瓶のレトロなデザインがおしゃれ、苦味が少なく飲みやすい、好みのアルコール濃度に調整できるなどの理由により2000年代には女性の支持も広まりつつある[9]。

 〇キンミヤ焼酎
キンミヤ焼酎は三重県の株式会社宮崎本店の甲類焼酎。クセのないスッキリとしたまろやかな味わいで、関東地方の下町居酒屋では割材として定番の焼酎となっています。添加物、増量剤などを全く使用していない甲類焼酎であるキンミヤ焼酎。クセはほとんどないのですが、ほんのりとした甘みも感じることが出来るので、そのままロックで飲んで頂いても美味しく頂けますよ。
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先日の居酒屋E“e”のおばんざい    10’14②

2014年10月29日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
キープの「竹鶴」とおばんざい。
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綿アメ売りの達人

2014年10月29日 | びっくり画像・映像
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竹橋の毎日新聞社地下の[SAPANA]で酩酊

2014年10月28日 | 東京あちこち
菱田春草展に酔って、次はアルコールで酔おうということに話は進み、美術館から歩いて3分の、
以前はリーダイズダイジェスト社のビルでもあった毎日新聞社ビルの地下飲食街へ移動。
蕎麦屋も居酒屋もあるが、エスニック料理の店に入りました。









チーズナンもうまかったが、ピッツアスタイルで出てきた。

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神田美土代町から小川町、神保町を通って白山通りを竹橋の国立近代美術館へ

2014年10月27日 | 東京あちこち













菱田春草展で菱田春草という画家の作品を生れて初めて見ました。嬉しくなる体験でした。絵そのものの厚み、深み、そして細部の精妙さ!
日本画というだけでなく、絵画というものが持つ自然や人との一体感を持たせる力を感じました。
 画家が描く落葉の森の中に自分は間違いなくいました。
横山大観と同じ時代に世に出ながら明治末年に満37歳直前に夭折。この人の作品を見ると人は生きた年月の長短ではないとも・・。
 今回、菱田春草が信州飯田の人だとも初めて知りました。誘って頂いたMさん、本当にありがとうございました。こんな画家が
日本にいたのですね。常設館の藤田嗣治描く戦争絵2面からも静かな衝撃を受けました。この絵を描いたことで戦後彼はメデイア
スクラムで大批判を受け、日本から放逐されましたが、大手新聞が揃って攻撃ターゲットを作り痛めつける図柄は当時も今も
変わっていないです。これらの絵はむしろ反戦画であり、絵画そのものとして優れた作品です。
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