阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

錦糸町で本場の湖南料理を味わった。  李湘潭 湘菜館 (リショウタン ショウサイカン)

2019年10月31日 | 食べる飲む

冠動脈狭窄手術後の定期検診は2カ月に一度だが、2010年からの神戸労災病院から昨年墨田区の墨東病院に引き継いでもらった。

今回は血液検査の結果で少し薬の増量があった。

検診が終わってからあいかたが錦糸町駅南口の喫茶店Osloでモーニングをしているのに合流してそのあと錦糸町をぶらぶらした。

ツワブキがきれいに咲いているコーナーがあった。

ランチはあいかたが前に検索して、阿智胡地亭にきっと合うよという湖南料理の店に入った。

5組の客の内二組は中国人のカップルと女性の二人連れだった。

いわゆる日本の町の中華料理店ではなく、中国本土の味を出している湖南料理の専門店だった。

私は汁なし担々ミーフンを

トッピングとミーフン麺をよく混ぜて旨さを出すのがおいしく頂いくコツだ。

あいかたは醤油焼き飯と平麺の汁ミーフン

湖南料理の辛さは四川料理の花山椒(麻婆豆腐など)ではなく唐辛子で出しているそうだ。

 麺そのものもおいしいが好きなシャンツアイが適量使われていてとてもおいしい。久しぶりにシャンツアイを使った中華料理を食べた気がする。

シャンツアイは同じ錦糸町のタイ料理の店でも(ここではシャンツアイではなくパクチーだが)楽しめる。

デザートに付いていた杏仁豆腐のこしらえは並ではなく、この店の味に対する感度の高さが伺えた。自家製だと思った。

味を日本風にアレンジしなくても湖南料理の専門店が成り立つのも、この辺りに住む中国人の存在や、旨さを知り始めた

日本人のビジネスピープルが多く来店しているからのようだ。キッチンには時折中国語で会話している三人の若者たちが

忙しく立ち回っている姿が見えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリヤ抑留を体験した画家の「四國五郎展」を新宿住友ビル33階の平和祈念展示資料館に見に行った。

2019年10月29日 | 東京あちこち

フルムリ地区207分所  1946年2月伐採作業<br>(11月10日まで展示)

フルムリ地区207分所 1946年2月伐採作業
(11月10日まで展示)

1946年埋葬者を運ぶ私を写生する<br>1993年の私(11月12日より展示)

1946年埋葬者を運ぶ私を写生する
1993年の私(11月12日より展示)

陶板 伐採・休憩<br>(11月10日まで展示)

陶板 伐採・休憩
(11月10日まで展示)

手製のリュックサック

手製のリュックサック

署名する母子(11月10日まで展示)

署名する母子(11月10日まで展示)

四国五郎、反戦の「原点」 シベリア抑留など描いた40点 来月から新宿で企画展 「おこりじぞう」原画も /東京

 四国は広島出身。3年にわたる抑留を終えて帰国してから弟が原爆で死亡したのを知り、反戦・反核運動に深く関わった。原爆をテーマにした絵本「おこりじぞう」で知られている。

 企画展では、寒さと飢え、重労働で最も多くの人が亡くなったとされるシベリア抑留の最初の冬を描いた「フルムリ地区207分所 1946年2月伐採作業」など、帰国から約半世紀後に描いた油絵や抑留当時に残した鉛筆のデッサンを展示。さらに、「おこりじぞう」の表紙原画や挿絵など原爆を描いたものも含めた絵画約40点を、11月10日までと12日からの前・後期に分けて展示する。四国が自身の抑留体験を記した「わが青春の記録」や、その基になった「豆日記」などの資料約20点も展示する。

 同館の田中晴久学芸員によると、四国は抑留中、本格的に絵画を勉強した。91年に戦友の墓参のため現地を再訪したのをきっかけに、抑留について描き始めたという。田中さんは「画家としての原点であるシベリアを描いた絵画を見てほしい」と話している。

企画展「四國五郎展」

生涯をかけて描き続けた平和へのメッセージ。

近年、注目を集めている画家、四國五郎(1924-2014)。
彼は、3年間のシベリア抑留を経験しました。栄養失調と酷寒のなかでの重労働で体を壊しますが、療養中の病院で得意な絵が認められ、壁新聞や雑誌の表紙、挿絵に腕を振るいます。
1948年に帰国後、広島に復員し弟の被爆死を知り、これをきっかけに、平和を望む彼の創作活動が始まります。
記憶が薄れないうちにと描いた1000ページにも及ぶ「わが青春の記録」。原爆詩人の峠三吉との共作「辻詩」。平和を祈念する数々の「母子像」。さらに、67歳にして参加したシベリア墓参・慰霊の旅を契機に描き始めたシベリア抑留の油彩や水彩など、生涯にわたって平和のための創作活動に命を燃やし続けました。

※11月11日(月)の休館日に、一部展示替えを行います。

日 時

2019年10月1日(火)~12月27日(金)
9:30~17:30 (入館は17:00まで)
休館日:毎週月曜日  (月曜日が祝日の場合は火曜日)

会 場

平和祈念展示資料館 企画展示コーナー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和祈念展示資料館@新宿住友ビル33階を訪ねたのは2回目だった。

2019年10月29日 | 東京あちこち

10月の3人会は四国五郎展を見るべく新宿住友ビル33階にある平和祈念展示資料館を訪ねた。

私は平和祈念展示資料館はかなり前に学生時代の弓道部の先輩の、亡くなった五十棲さんと来たことがある。

五十棲さんの父上は関東軍の将校として満州にいたので、父上がわずかに戦後、話された満州の地名を資料館の地図上に見つけて

「ああここにいたのか」とじっくり地図を眺めたあと、館内を丁寧に回られた。 平和祈念展示資料館があることを教えてくれたのも五十棲さんだった。

阿智胡地亭の母方の従兄、信州茅野市のセロリ農家・故丸茂耕一さんは兵隊にとられた後、敗戦でシベリヤに長く抑留され、冬の森林木材伐採の時に丸太を

満載した橇が倒れその下敷きになり足を大怪我をした。

その時応急手当に使われた針金が足から飛び出してきたので舞鶴港に復員したあと再手術が必要だった。

彼は抑留体験を一冊の本にまとめ自費出版された。丸茂さんからシベリヤ抑留の不条理を一度伺ったことがある。

ソ連によって戦後にシベリヤをはじめとしてソ連全土に抑留された日本人は約57万5千人に上りそのうち約5万5千人が死亡したと言われる)

引き揚げ船の船底のありさま

赤塚不二夫、北見けんいち、ちばてつやなど多くの漫画家が満州からの引き揚げ体験をしている。

館を出てから入った思い出横丁の居酒屋は20人ほどの外国人がビールを飲んで大声で楽しんでいた。

ラグビー世界戦の応援者か?

シベリヤ抑留はわずか74年前に日本人が受けた戦争体験の一つ。

昭和20年以前生まれの日本人が16.4%になった今、本人も遺族の家族もほぼこの世から去っていく。

 お近くにお出かけの節は是非一度「平和祈念展示資料館」に足を向けてください。入場無料です。

体験者の一兵士 中澤 理さん が綴った「シベリア抑留者の生活実態」 ⇒ こちら






 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼 八千草薫さん 一つの時代が過ぎた寂しさがあるが生ききる人生を示して去った

2019年10月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事


いずれも画像クリックで本文に飛びます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亀戸の「井上臓器」でランチにホルモンミックス定食と米沢豚のロースかつを食べた

2019年10月28日 | 食べる飲む

亀戸は天神さんだけではなくホルモンや餃子でもそれなりに名を馳せているが、これまでホルモン屋に入ったことがなかった。

某日、ふれあい橋から亀戸中央公園、亀戸水神を経て亀戸中央商店街までぶらぶら歩いて時分どきになったのでその名に臓器がついている

店に恐る恐る入ってみたらこれが大当たりだった。

ふれあい橋からスカイツリーを見る。

亀戸中央公園は日立製作所のモートル工場の跡地に昭和55年に出来た広い広い公園だ。

折も折とてカボチャのオブジェが置かれていた。

東武亀戸線の亀戸水神駅を越してしばらく歩くと「亀戸水神宮」があった。これがこのあたりの亀戸水神という地名の由来らしい。

ここからすぐの通りが亀戸中央商店街で、韓国語、中国語、ヒンディー語を普通に喋る人たちが行き来している。

沢山ある八百屋で売っている野菜など他所より廉価なので、遠くからいろんな人が買いに来るようだ。

ちょうど昼の時間になったので、日本蕎麦屋にするか時々寄る中国の朝鮮族の人がやっている店にするかなど

あいかたと話ながら歩いていると前に気が付かなかった「井上臓器」という看板が上がっている店があった。

ミックスホルモン定食600円と店の前の案内板に出ている。ホルモンを食べてみようかと意見はすぐに一致した。

ミックスホルモン定食 600円

米沢豚のトンカツ 1000円

キムチ 190円

いずれも文句のつけようがない旨さだった。二人でシエアーしながらきれいに全て食べ終わった。

店はまだ業容変更しての新規開店が間もないらしいが、もうランチの常連らしい客が次々きていた。

我々も間違いなく再訪するつもりだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街のあちこちで見る秋の花々

2019年10月27日 | 花・草・木・生き物







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【絶対タブー】恐怖の電通(笑)。脱税も逮捕もない。政治もメディアも操る電通といえば「この人」と「この番組」。ついに明かされる既得権益のラスボス。なぜ「嵐」が天皇の前で演奏できたのか?

2019年10月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事
【絶対タブー】恐怖の電通(笑)。脱税も逮捕もない。政治もメディアも操る電通といえば「この人」と「この番組」。ついに明かされる既得権益のラスボス。なぜ「嵐」が天皇の前で演奏できたのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4分30秒煮込む「辛ラーメン」はやはり味になじんでいて止められない。

2019年10月26日 | 食べる飲む

1993年ごろ神戸の元町商店街の食料品の店先で見つけた「辛ラーメン」。年数を数えてみたら食べだしてもう26年になるのに驚く。

最初の頃は知名度は全くなかったが5,6年後には単身赴任した広島の行きつけのスナック「かわぞえ」で、小腹がすくとママさんが辛ラーメン(click)

作ってくれるほど普通に知られるようになっていた。

   久しぶりに常備品ボックスから袋を取りだして作った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクとワタシの フライングハイ       

2019年10月25日 | 身辺あれこれ

Photos shot by MM

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

災害時の避難所  一般国民の扱いもあまりに劣悪で世界レベルでも最低 女性を検討に参画をさせないから必要な準備品もいい加減すぎる

2019年10月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事





いずれも画像クリックで本文に飛びます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今月もやはり神田「四川一貫」に出かけて辛子そばを堪能した。

2019年10月24日 | 食べる飲む

9月の初めに行ったばかりだがやはり月に一度は食べたくなる神田美土代町の「四川一貫」の担々麵。

オーダーして待っていると先代の写真が目についた。

伺うと先代が亡くなってもう4年だそうだ。一昨年まで年に数回神戸から上京するときに店に寄ってきたが

お元気な時の先代に古くからの客が神戸に引っ越しても来てくれると喜んでもらい何かとよくお喋りしたのが懐かしい。

この店の料理は何を食べても絶品だが、自分はやはり「担々麵」をオーダーしてしまう。

 担々麵を「からしそば」と表現するのでお店の方から、錦町の店の時からのお客さんですよね、と言われてしまった。

当時まだ東京電機大学が錦町にあり、神田警察署が前の建物だった頃から錦町にあった店に通ったものだ。

 相変わらず、麺も汁も野菜のシャキシャキ感も他店では味わえない旨さが維持されていて有難い。

前回は駿河台の坂を上がるのがしんどかったので神田駅に歩いたが、この日は小川町交差点から御茶ノ水駅に向って坂を上がった。

ニコライ堂の中は公開されていて、数年前に四日市時代からの友人と一緒に見学したこともある。

家から店まで30数分、交通費は最寄駅からJR御茶ノ水駅まで片道168円でもあるので、つい気軽に足が向いてしまう(笑)。

 それにしても昭和52,3年ごろに昼食のために事務所の近くの店をあちこち探検している内に見つけた店が、

今は2代目になってより賑やかな場所に移転して、今もよくはやっているのは嬉しい。

自分としてもほぼ40年間ずっと食べに通っている店が存在していることは有難いことだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前回五輪は10月なのに、なぜ今回は真夏なのか BLOGOS

2019年10月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

■55年前の東京五輪は涼しい10月に行われた

東京オリンピックの開催期間は、来年7月24日~8月9日の17日間で、東京パラリンピックは8月25日~9月6日の13日間である。

そもそも猛暑が懸念される真夏での開催自体が大きな誤りだった。55年前(1964年)の東京オリンピックは夏が終わり、秋風が吹き出す10月10日(後に体育の日)から始まった。マラソン競技では、「はだしのアベベ」と呼ばれたエチオピアのアベベ選手が、アスファルトの甲州街道を走り抜けて話題となった。

なぜ、来年の東京五輪は真夏に行われるのか。それは国際オリンピック委員会(IOC)が夏季(7月15日~8月31日)に五輪を開催できる国を募ったからである。

それではなぜ、夏季なのか。

■米テレビ局からの巨額の放映権料が「夏季開催」の背景

夏季がアメフト、バスケットなど人気のある米プロスポーツのオフ期に当たり、この期間だと、IOCが米テレビ局から五輪中継に伴う巨額な放映権料を得やすいからである。オリンピックはこの放映権料に支えられている。米テレビ局が夏の五輪開催を求めれば、IOCはそれに従わざるを得ないのだ。しかも五輪には関係者に「裏金」が流れる構造があるという指摘もある。

今回の札幌への変更についてIOCは「アスリートファースト」を強調するが、実態はそんな生やさしいものではない。その裏では巨額のオリンピックマネーが動いているのだ。

画像クリックで本文に飛びます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノモンハン 責任なき戦い - 弁護士落合洋司(東京弁護士会)の日々是好日

2019年10月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事
画像クリックで本文に飛びます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和 慶祝 カラー 

2019年10月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

日本流行色協会選定。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幼稚園に送ったあと、図書館へ

2019年10月21日 | 身辺あれこれ

図書館の前の小さな空間

今日借りた本  上野千鶴子の本はなかなか手が出なかったが読みだしたら面白くなった。三分の一まで読んだところで

期限が来て、3回目の借り出しになった。今回は最後まで読み通そうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする