この砂場の砂はスズメにとって最高の砂質なんでしょう。船橋のスズメ社会ではチョー有名な温砂地ですから、次々と砂につかりにきています。右下のお風呂なんかはカップルで入浴ですもん。
画像は写真家の栗田さんのoff時のワンショットです。
「沖縄へ行ってきました。16,17日は雨に祟られ、不運でしたが、マングローブの川探検では流木に当たりながらのスリリングな貴重な体験をしました。


18,19日は天気に恵まれ、陽射しによって海の色がこんなに綺麗になるものかとビックリするくらい変化しました。海底にある白いサンゴの粒が太陽光線を反射させて美しい色に変化するのです。


この日に川平湾、瀬底ビーチの素晴らしい海の色を間近に見ることができました。


18日は念願の小料理店「小桜」へ妻と行きました。

可愛い大将の娘さんが手伝いをしていました。

阿智胡地亭さんの名を出すとすぐにわかりました。去年は辛好さん、来なかったと残念がっていました。最終日に宿泊したホテルから眺めた海と結婚式場の景色は,これからも私たちの記憶に残るはずです。


沖縄は本当に海も空気も緑もきれいですね。「小料理 小桜」に寄って頂きありがとうございます。お店の写真で大将の中山さんや娘さんに会うと、今晩にでも“小桜”へ行って、泡盛の“南光”をがんがん飲んで、ソーメンチャンプルが食べたくなりました。美しい写真を沢山ありがとうございました。
神戸市灘区にお住まいのOさんから次のようなメールを頂きました。
「先日、但馬竹田の山城に行って来ました。山名宗全が治めた国内屈指の山城跡です。
写真は天守台から南千畳を望んだものです。」
弓道部の先輩Oさんからの、眺望のきいた名画のような写真です。
ありがとうございました。
城の詳細は→竹田城
「筑波山でカタクリが満開とのこと、天気もよかったので行ってきました。
車とロープウエイで山頂近くまで行って、後は散策路を歩きましたが、カタクリ他にも春の野草が一杯咲いていました。また頂上付近からは春霞の先に関東平野、筑波山の山桜が見えました。」
トップの画像はカタクリの花
キクザキイチゲー


エイザンスミレ

キブシ

タチツボスミレ

ハルトラノオ

ユリワサビ

Kさん、ありがとうございました。自分が知らないだけでなんとまあ沢山の野草があるもんですね。
千葉県と茨城県に住んだ13年間、筑波山は関東平野で見える唯一の山でした。昨年の春、山腹にあるゴルフ場でプレーをしたとき初めて筑波山に行きました。沢山の山桜が満開で綺麗でした。
「開演まで時間がありましたので、八坂神社にお参りに行きました。

八坂神社には舞殿があります。

舞殿に奉納された提灯の中に「枡梅」さんのを見つけたので、写してきました。

花見小路を歩いて歌舞練場へ。



お茶席は撮影許可されていました。




舞台の小之美ちゃんは、踊りも容姿もひときわ際立っておりました。さすがナンバーワンの売れっ子舞妓です。
「都をどり」を観た後、枡梅さんの玄関先を写してきました。

何しろ神戸からのJR新快速電車も、京都駅から乗った地下鉄も、何所もかしこも人だらけで、人に酔いそうでした。京都の街も何時も以上に外人観光客が多かったです。一番美しい時期の京都を観て下さっていたのでしょう」。
さくらさん、いい一日を過ごされましたね。
さくらさんの、前回掲載の「枡梅の一夜」はこちら
阿智胡地亭は2005年に「京おどり」を楽しみました。その画像はこちら。
「今日は久しぶりに暖かい春の日差しだったので花の写真を撮りに出かけました。
昨年見つけた(教えてもらった)、カタクリと


ヤマエンゴサクがちょうど見頃を迎えていました。

その後、成田空港に隣接するさくらの山公園で写真を撮りました。」

カタクリの花が咲く季節になりましたか。Kさん、今年も里山の植物と日本の原風景の画像を送ってください。
「房総の里山便り」の過去2年のバックナンバーはこちら。
雀とヒヨが春の微風を楽しんでいます。このひと時、戦闘モードは一休みです。
雀も、オジさん早くパンを買って帰ってこないかなと、朝6時過ぎからこうしていつもの窓を見ながら待っています。
[ヒヨは、二組きますが、その仲の悪さ、やはり、縄張り争いがあるのでしょうか?一羽がパンを空中でキャッチすると、後のヒヨが、追いかけ回して追出す感じですが、遊んでいる様にも見えます。
空中で取るのを見る、スズメや、ムクが真似をします。]とのことです。
♪ところで、この角度の雀の顔って愛嬌がありますね。
画像はいずれも写真家の栗田格さんからお借りしました。
栗田さんのPhoto Salonはこちら。
2005年11月06日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載記事の再録。
「佃島で佃煮を買う」
[佃煮]というのはいまや一般名称になっていますが、元は江戸時代の[佃島]の漁師が小魚を甘辛く煮付けて、
冷蔵庫のない時代の保存がきくオカズとして売りだしたのが[佃煮]の始めです。その[佃島]の漁師は、摂津の国の「佃」(今の大阪市西淀川区の佃)から、移住した人たちを祖先としています。
10月31日に[月島]でもんじゃ焼きを食べたあと、佃地区へ回りました。[月島]の商店街から歩いて10分もかかりません。
大阪の住吉神社の分社の住吉神社の前を通って、佃地区に出ると何軒も佃煮屋がありました。
そのうちの一軒を覗くとイナゴの佃煮という札があるのを相方が見つけました。
これを買わなければ、のちのちまでも後悔すると思って店に入り、ハゼの佃煮と一緒に買いました。
この店は、この佃大橋が出来る昭和39年まで渡し舟があった渡船場のたもとにあったようです。
船は浅草と日の出桟橋を結ぶ水上バスです。
最寄のJRの駅までどれくらいの距離かわらないままに、佃大橋を渡り、新富町の交差点の交番で聞くと、JR有楽町駅まで20分くらいと言われたので、そのまま歩きました。佃大橋からは路地の下町とすぐそばの高層住宅群が見えました。
画像の右下のエリアが佃煮屋さんがある一画です。
大倉山にある神戸文化センターは落語を聞きに行ったり、映画を見に何回も行ったことがあります。
しかし文化センターのすぐ近くの中央図書館に隣接して、大倉山公園と言うのがあることは知りませんでした。
明治時代に大倉財閥を作った大倉喜八郎の邸宅があったところだそうです。
久しぶりにJR神戸駅で降りて、湊川神社の西側の道を上がっていきました。
文化センターの敷地に孫文の胸像がありました。神戸華僑協会の肝いりのようです。
古典的な噴水があってしばし見とれました。
入口の案内板に各県の「ふるさとの森」の所在地が表示されていました。
諏訪の湖柳町出身で現在神戸在住のMさんから教えてもらった「信濃の國」の歌碑が「長野県の森」のエリアにありました。
県歌というものがあって、それがいまでも歌われているというのは、あまり聞いたことはありません。
ちなみに歌詞と合唱です。
信濃の国4K映像