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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

月島で「もんじゃ焼き」

2009年03月30日 | 食べる飲む

月島のもんじゃ焼きの店「はざま」で生まれてはじめて食べた「もんじゃ焼き」はおいしかったです。

2005年10月31日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載記事再録。
[もんじゃ焼きはうまかった]
月島へ初めて行って「もんじゃ焼き」と言うものを食べてみました。有楽町線で月島駅で降りて7番口を上がると、“もんじゃ焼き案内所”なるものが出ていました。

神戸の北野の異人館の案内所の事がピーンときました。確か月島では昔からのもんじゃ焼きの店と外部資本の促成もんじゃ焼きの店の熾烈な抗争があったことを思いだしました。

この案内所では地図だけもらって、案内所のお姉さんが「お勧めの店です」と言う店は外すことにしました。

この案内所は新興の外部資本が組んで作っている案内所に違いないと思ったからです。

月曜日の今日は、裏通りの老舗の店は休みの店が多かったのですが、幸い一軒開けている店がありました。「はざま」です。

店の中は、お世辞にもきれいとは言えず、昔の横丁の近所の子供たちが来る一銭お好み焼き屋という感じでした。

壁には沢山の色紙が張ってあり、中に「八千草薫」さんの色紙があるのを見つけて嬉しくなりました。

生まれて初めての「もんじゃ」なので店の男性に、焼いてもらいました。やはりうまく焼く手順と言うのがあるもんだと分かりました。

すぐ自己流でやりたいタチですが、反省しました。

焼いてもらいながら話をすると、開店は昭和25年とのことで、老舗の店でした。「表通りの店とは出来が違うんだ」と言うと、

そうなんですよと誇らしげな返事が返ってきました。

今は新興の店も組合に参加させたそうですが、いい加減な儲け優先の連中が月島へ入り込み、シャッターを下ろして廃業した店を安く借りて、

流行の「もんじゃ」で稼ごうとしたそうですが、地元のモンジャの店が、彼らのあまりにひどい「もんじゃといえないもんじゃ」でのぶったくり商法に、

待ったをかけ、伝統の「もんじゃ」のレシピを守らせるようにした経緯があると読んだ事があります。

相方の話では、テレビで見た、新興勢力と対峙した老舗グループの代表の女将さんが、この店の女将に似ていたとのことです。確かに気風のいい女性でした。

旨いものを初めての土地で食べるための、いつもの時間をかけたぐるぐる回りの偵察、鼻利かせタイムの甲斐があって、

結果的に、裏通りの本格派のこの店にめぐり合ってハッピーでした。







サイドオーダーの「マグロステーキ」や「レバカツもんじゃ」も飛び切りの旨さでした。









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黄砂に霞む六甲山麓

2009年03月18日 | 神戸あちこち
3日連続で神戸・阪神間は厚い黄砂に覆われています。阪急西宮北口駅近くの元西宮球場跡に阪急・阪神電鉄グループが作った複合ショッピングセンター「西宮ガーデンズ」の屋上から。
六甲山と神戸方面がこれほど霞むことは珍しいです。
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神戸・三ノ宮から大阪・難波へ阪神電車直通開始

2009年03月17日 | 神戸あちこち
阪急電車三ノ宮駅からJR三宮駅に渡る陸橋から「そごう」を見ると、3月20日に三ノ宮から特急の直通電車が大阪の難波まで走リ出す阪神電車の垂れ幕が下がっていました。梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換えなくても、近鉄電車と相互乗り入れし、難波で乗り換えずにそのまま奈良まで行ける電車もあるようです。将来的には名古屋まで直通で行けるそうです。難波には尼崎駅から出ている従来の西九条線を延伸して難波に入ります。
三ノ宮の街中にこんな彫刻があるのに気が付きました。

そこからフラワーロードの方にカメラを向けました。
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神戸文学館から新神戸駅へ 高羽交差点から三ノ宮まで歩く その4

2009年03月14日 | 神戸あちこち

阪急神戸線の昔の終点の駅があった上筒井2丁目の方に坂を下っていくと、市電が走っていた原田通りにでます。

その角に創立当初の関西学院大学の旧チャペルの建物が修復されて残っています。現在は神戸文学館になっています。

入場は無料で、明治以降の神戸ゆかりの、あるいは神戸を舞台にした小説を書いた作家たちの資料をゆっくり見る事ができます。


原田通りを西へ歩きました。いつもは車で通り過ぎるだけの道も歩いてみると、違った街並みに見えます。

新神戸駅周辺にはいつ完成したのか高層マンションが立ち、現在ももう一棟建設中でした。

生田川の対岸に大きな教会がありました。

新神戸駅から徒歩5分のこのホテルは「ダイエー」がオーナーでしたが、今は外資が買い取って営業されています。

日本で最初にスーパーマーケットを開き、日本の小売業界に革命を起したダイエーの創立者故中内さんは、今となっては乱世の一代の梟雄だったのでしょうか。

この日1日の万歩計の数字は11333歩でした。

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王子公園のあたり    高羽交差点から三ノ宮まで歩く その3

2009年03月13日 | 神戸あちこち

阪急電車の王子動物園駅の北には動物園やグランド、体育館、テニスコート、弓道場などがあります。また海星や松蔭などの女子中高、市立葺合高校もあります。
 葺合高校の前の坂を下りました。
市立葺合高校は戦前は旧制神戸市立一中があった場所で、太平洋戦争当時、小説家の野坂昭如(当時は張満谷昭如)が通学していました。



ここには昭和10年頃に六甲台に移転するまで神戸高商ー神戸商業大学があり、下の地図のように大正9年に十三から敷設された阪急電車の当時の終点
「上筒井2丁目」の『神戸駅』がありました。この上筒井線は阪急が三ノ宮まで延びた昭和11年から4年後の昭和15年に廃線になりました。
関西学院大学もこの場所で設立されました。webから借用したこの地図は昭和初年頃のものだと思われます。
(関西学院は昭和4年に西宮市上ヶ原に移転)

不審火で一度焼けた弓道場も再建され、通りかかったこの日は有段者たちが射場で弓を引いていました。

この場所で緊張しながら弓を引き、昇段試験を2回受けたのは遠い昔のことですが、弓道二段の免状を頂いたのは嬉しい思い出です。

葺合高校の前から坂を見上げると海星女子学院の上のマリア像が見えました。


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沖縄でクジラウオッチングが出来る!

2009年03月12日 | ゲストルーム
マダガスカル島やエジプト旅行シリーズでおなじみのIsabonが今回は梅雨の沖縄へ(沖縄は1月から3月は雨季)鯨を見にいったそうです。沖縄で鯨ウオッチングが出来るのは知りませんでした。
旅行記の一部から・・
 「●座間味①早速ですが、クジラの見つけ方です。
で、船からのクジラの見つけ方は簡単です。水平線をずっと裸眼で追うのです。すると、冬に息をふっとした時の息吹が白くなります。あのような感じの霞がかすかに小さく、あたかも目の錯覚のように視覚のどこかに現れます。そこで「あっ!居た!」と言えば、船長はその方向に船を向けてくれます。簡単でしょ?
実は座間味への往復の船上でも、天気さえ良ければ、この方法でクジラを楽しめるらしいです。試してください。

クジラ展望台からクジラを探すのも楽しいものです。ここでは双眼鏡が必需品です。通常はクジラ展望台には監視人が居るので、クジラの居る場所辺りを教えてくれます。そこで、双眼鏡をゆっくりと移動させながら、冬の息吹を探すのです。クジラを見つけ、そこをじっと見ていると、クジラが飛び出すのです。なぜか楽しくて時間が過ぎるのを忘れてしまうのです。」

♪ 面白くてためになる沖縄旅行記の全文はこちらです。
またこの沖縄旅行の全画像アルバムはこちらです。
クジラ用クルーザー。手前の小さな方に乗ったそうです。
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赤い風船とプーさんと女の子          

2009年03月09日 | 身辺あれこれ

そのまま一緒に飛べそうな大きな赤い風船!


画像はSaltBeanさんから。

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イスズベーカリーとフロインドリーブ   高羽交差点から三ノ宮まで歩く その1

2009年03月06日 | 神戸あちこち
新神戸駅から三ノ宮までは地下鉄でも一駅ですから歩いても15分ほどの距離です。ひさしぶりに歩きました。トップの画像は加納町の交差点にある「イスズベーカリー」の創業店。「イスズベーカリー」はいま神戸でも旬なパン屋さんの一つです。三ノ宮から元町にかけていくつも店があり、どの店もいつも賑わっています。昭和21年に出来た頃は普通の町のパン屋さんだったそうですが、このあたりは最初に進駐軍相手の、次は外国船の船乗り相手のバーやクラブがあったところで、彼らに鍛えられて本物のパンを作り出した?イスズの店の前を通りかかるとつい入ってしまいますが、多少多めに買いすぎても家で文句を言う人は誰もいません。

その横には同じく昭和20年代に開店したという「アカデミーバー」があります。駅からの距離もあって入ったことはありません。市電が走っていた頃は、目の前の交差点で市電に乗れば、酔っ払っても歩かずに市内東西どこへでも帰れたロケーションだったと思います。

大磯の吉田茂宰相の屋敷へ毎朝、パンを航空便で届けたという伝説を持つドイツパンの
フロインドリーブ」は、震災後中山手の本店からこの元ユニオン教会の建物に移転しました。今から40数年前、初めてフロインドリーブの山食を食べた時、それまで食べていたパンはなんだったのだろうと思いました。なお、昭和45年に開店した東京・広尾の「東京フロインドリーブ」は神戸のフロインドリーブで8年間修業した人がやっているそうです。

大通りから少し入ったところにお風呂屋さんがあるのに気がつきました。
表通りで戦後づっと小商いをしていた個人経営の店は殆ど姿を消し、洒落たマンションやコジャレたショップに変わってしまって、自分が知っていた街はもうなくなっています。この大衆浴場もいつまで営業出来るのかと思います。


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トアロードのビリケンさん

2009年03月02日 | 神戸あちこち
トアロードのアンティークの店の店頭に「ビリケン」さんがいました。
トアロードに出る途中に回教寺院の前を通りました。

寺院の近くには回教徒のためのハラルフード店もあります。

「ナーンイン」はインド料理だけでなくインド・パキスタン料理の店で回教徒のお客さんも多いと言う事がわかりました。こちら
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