香川県の多度津町は江戸時代から金毘羅参りの港町として大変栄えました。
また北前船の寄港地として商業も大いに盛んだったそうです。
その多度津に天保3年創業の神原薬業と言う会社があります。
阿智胡地亭が社会人となって働き出した最初の職場は愛媛県の新居浜市にありましたが、
同じ職場にこの神原薬業にご縁の神原さんが先輩でおられました。
神原さんはその後、会社を辞められ多度津に戻り、神原薬業で長く専務をされていましが、
現在は神原商事を経営され、最近多度津商工会議所の会頭に選ばれました。その神原さんを新居浜市在住の松岡先輩と共に訪ねました。
本家七代目の当主である神原さんは、先ごろ一族の歴史を「想い遥かに」と言う冊子にまとめられました。
この冊子を読むと、多度津という開かれた土地柄からか、初代の頃から県内だけに留まらず広く国内外に目を向け、
大阪や千葉などで薬学を勉強され積極的に事業を伸ばされてきたことがわかります。
冊子の中には代々受け継がれてきたお店に関する帳簿や看板類など史料価値の高いものが整理され掲載されています。
多度津の旧藩時代の町並や博物館にも案内していただき、
四国で初めて鉄道会社が興ったという豊かな多度津の町の歴史の一端を知る事ができました。
ご馳走して頂いた魚料理はどれも本当においしくて、さすが港の町多度津だと思いました。
有り難うございました。
3月31日(土)から4月15日まで東京の荻窪で「ムムリク」展が開かれます。
♪♪♪これが、アートだ!って、声高に叫ばなくとも、これ、「現代アートです」って、素直に思える作品群♪♪♪
だそうですが、一度鑑賞すると、「そうだそうだ、そうやそうや、そやそや、うんだうんだ」、と間違いなく思います。JR荻窪駅南口から仲通り商店街を、ロイヤルホストを右手に見ながら、ひたすら真っ直ぐ5分歩いたところにある「遊美」と言うgalleryの一周年記念企画展です。在京の方も遠隔地の方もどうぞお訪ねください。
ムムリクさんのHPを一度訪問し、ムムリクワールドへ入ると魔力に捕まってなかなか出る事が出来ないので、心してご訪問を。こちらです。
阿智胡地亭は11日の夕方に訪ねようかなと計画中です。
厳島神社と護国神社の途中に「祥龍寺」があったと思いますが?と返信したらお寺の写真も添付して送ってくれました。
’05年の8月にブログ「阿智胡地亭の非日乗」に一度掲載したことがありますが、「祥龍寺」を再度ご紹介します。(撮影日は'05年8月)
このお寺には城山三郎の小説「鼠」でも有名な、当時日本一の起業家だった鈴木商店にゆかりの方々のお墓があり、明治時代のロンドンに駐在していて、世界で初めてゴルフのクラブカバーを使った人としてゴルフの公式記録に残っている高畑さんのお墓もあります。






こちらは裏門です。昭和40年ごろこちらから入って時々座禅をしたことがあります。同期の友人が二人、学生ながらこのお寺に住み込んでいて誘われたのです。当時はお寺から歩いて5分の所に住んでいました。

インドのご婦人が買物を済ませた様子で、ライブジャズレストランの「曽根」の看板の下をゆっくりゆっくり登って行きました。自宅にお帰りのようでした。

ハンター坂の上には、英国人のハンター氏の邸宅があったそうですが、今は王子公園の中に移築されています。ハンター氏は日立造船の前身である造船会社も設立したそうで、その子供は日本に帰化し、範多(ハンタ)商事などの会社を経営しました。偶然ながら、元勤務した会社は昔、範多商事と取引があり、その後範多商事を傘下に入れました。ハンター氏の子孫の方が、どこでどうされているのかは知りません。

山手幹線まで下りると、改装工事が終わった「にしむら珈琲店」があり、

三ノ宮の歓楽街だった?東門筋があります。この東門と言うのは先日タレントの挙式があった「生田神社」の東門のことです。
