鎌倉の「七里ヶ浜写真館」館主 田中さんから美しいヨットの写真が届きました。
⇒「現在、七里ヶ浜の沖合では連日オリンピックのセーリングが展開されています。
49er級男子二人乗りのレースだと思いますが、国旗をモチーフにしたスピネーカー(主に追い風から横風までに使用される3枚目の帆)が
美しいですね。江ノ島のヨットハーバーは一般客は立ち入り禁止で、艇や選手を間近に見ることはかないませんが、
海岸から遠目にレース見物をする事は出来ます。 写真はズームで撮影しました。 」
鎌倉の「七里ヶ浜写真館」館主 田中さんから美しいヨットの写真が届きました。
⇒「現在、七里ヶ浜の沖合では連日オリンピックのセーリングが展開されています。
49er級男子二人乗りのレースだと思いますが、国旗をモチーフにしたスピネーカー(主に追い風から横風までに使用される3枚目の帆)が
美しいですね。江ノ島のヨットハーバーは一般客は立ち入り禁止で、艇や選手を間近に見ることはかないませんが、
海岸から遠目にレース見物をする事は出来ます。 写真はズームで撮影しました。 」
#91<ボンベイから出した手紙> 2005年9月6日 記
自分の子供時代の品物を整理していた長女が、「お父さんがインドから送ってくれた手紙が出てきたよ」と言って、その手紙を私の所へ持ってきました。
読んでみると、長女の小学校の入学式のことが書いてありました。それからすると昭和55年の4月ごろに、インドのボンベイから、
当時住んでいた茨城県北相馬郡藤代町(現取手市藤代町)の自宅に出した手紙です。(当時のボンベイは今はムンバイという名になっています。)
泊まったホテルはオベロイホテル。
プライベートな手紙なのですが、25年前のことなので「一つの記録」ということでお許しください。
「Y子へ
おとうさんは おしごとで たいわんから また べつのひこうきにのって いんどの ぼんべいというところへ きています。
ままに ちづでどこか みせてもらいなさい。いんどの人ひとはいろが みなくろく にほんじんとは ちがっています。
Y子のにゅうがくしき おめでとう。おとうさんが いえへかえってから にゅうがくしきのときの ようすを
おはなししてください。おとうさんの にゅうがくしきのときは きゅうしゅうの わかまつ ふたじま というところに いました。
がっこうのさくらのはなが まんかいで きれいでした。これから あたらしいことを たくさん べんきょうして よくかんがえるこどもに
なってください。そしてじぶんのかんがえを はっきり いえるようにしよう。
M子と なかよくしていますか。ときどきはけんかしてもいいけど(M子がわがまましたりするとき) ままと M子と みなで なかよく
ぱぱのかえりを まっていてください。では げんきで まいにちがっこうへ かよってください。 ぱぱより。」
◎オベロイホテルのロビーで。3回目?くらいのボンベイ出張で。
最近のムンバイの街中。ネットから引用。
2021年7月30日 23時12分 YAHOOニュース
国、東電に10億円賠償命令 帰還困難巡る原発訴訟
<#80 宇宙は粒子に満ちています> 2005.05.11記
一部引用・・
お聞きなさい
私たちは 広大な宇宙のなかに
存在します
宇宙では
形という固定したものはありません
実体がないのです
宇宙は粒子に満ちています
粒子は自由に動き回って 形を変えて
おたがいの関係の
安定したところで静止します
お聞きなさい
形のあるもの
いいかえれば物質的存在を
私たちは現象としてとらえているのですが
現象というものは
時々刻々変化するものであって
変化しない実体というものがありません
実体がないからこそ 形をつくれるのです
実体がなくて 変化するからこそ
物質であることができるのです
お聞きなさい
あなたも 宇宙のなかで
粒子でできています
宇宙のなかの
ほかの粒子と一つづきです
ですから宇宙も「空」です
あなたという実体はないのです
あなたと宇宙は一つです
○これは、生命科学者の柳澤桂子さん(67歳)が訳された「般若心経」の現代詩訳の一部です。
柳澤さんは31歳で発病し48歳からは完全な寝たきり状態になりました。
病床で中村元氏の「般若心経」の現代語訳を10年間繰り返し繰り返し読まれてきたそうです。
この詩訳は「生きて死ぬ知恵」文・柳澤桂子、画・堀文子、小学館刊から引用しました。
私は「般若心経」を中村元氏の現代語訳を読んで始めて、お経は本来仏壇の前やお墓の前だけで称えるものではなく、
ブッダが生きるものへ話された言葉であって、聖書などと同じものなのだと知りました。
日本人は三蔵法師が自国語に訳した、つまりは中国語の「般若心経」を仏教導入以来今に至るまでそのまま使ってきましたが、
中村元氏とこんどは柳澤氏のお蔭でこのような美しい自国語で読むことが出来るようになりました。
何度も読み返しているうちに、この「般若心経」の現代詩訳をついご紹介したくなりました。
◎ハイビジョン特集 いのちで読む般若心経 生命科学者 柳澤桂子 こちら。
一部引用・・・新型コロナウイルスの感染者急増を巡り政府や東京都が発するメッセージについて、医療関係者らから疑問の声が上がっている。重症化リスクの高い高齢者の感染が減っていることなどを念頭に、現状を楽観しているととられかねない発言が相次いでいるからだ。最前線でコロナ対応にあたる都内の保健所の関係者らは「今週になり、夜中まで入院調整ができない事例も出ている」と危機感を強めている。 【承認ワクチン3社】接種間隔や年齢、有効性の違い 菅義偉首相は都内の新規感染者数が過去最多を更新した27日に記者団の取材に応じた。その際、「不要不急の外出を避け、オリンピックはテレビで観戦してほしい」と呼び掛けたが、大会中止の可能性を問われると「人流(人出)も減っている。そこはありません」と否定した。また、東京都の吉村憲彦・福祉保健局長も同日、報道陣に対して「医療提供体制がすぐににっちもさっちもいかなくなって、死者がばたばた出ることは、現状ないと思っている。(報道が)いたずらに不安をあおることはしてほしくない」と述べている。 どちらの発言も、重症化のリスクが高い高齢者の感染者数が年末年始の第3波に比べ減少していることが念頭にあるとみられる。ただ、都内の保健所の職員は「陽性者が出れば全数対応をしなければならない。数が増えれば増えるだけ業務は逼迫(ひっぱく)する」と話す。複数の保健所で感染者への連絡や入院調整に時間がかかり始めているといい、「さばくのに手いっぱい」の状況になっているという。「(東京都などに)緊急事態宣言が出ているのに過去最多の感染者。先が見えない」という不安の声も聞かれた。
政府・都のコロナ楽観発言 医療関係者ら危機感「先が見えない」(毎日新聞)#Yahooニュースhttps://t.co/haIX1k7p4f
— achikochitei (@achikochitei1) July 29, 2021
◎ 処置に要した時間は、瞳孔を拡げる目薬や点眼麻酔の目薬など前後の準備時間を入れても1時間ほどで レーザーによる所要時間は自分の感覚では3分ほどだった。
病院へは 一人で歩いていき、支払いもすませて歩いて帰った。 ☝ 日本白内障学会 (jscr.net)から引用。
江戸川区の二本松眼科病院では、後発白内障に対するレーザー治療を対応しております。 (nihonmatsu.net)から引用。☝
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
28日 歩行数 1696歩 歩行距離 1.1km 病院往復
歩行数 2066歩 歩行距離 1.4km KFC とりの日パック購入 往復
#72 <プロジュエクトX> 2005年1月12日記
☆1月11日の夜、何年かぶりでNHKの「プロジェクトX」を見ました。自分が大阪勤務時代、10年間通勤駅として利用した
JR東海道線の六甲道駅復旧工事がテーマと新聞に紹介記事が出ていたからです。
地上の星 / 中島みゆき [公式]
1)「プロジェクトX」はだいぶ前に「新潟のコシヒカリ」をテーマにした番組を見てからは、身内にご縁があった古野電気さんの
「漁船用魚群探知機の開発」の回を見たくらいで、後は殆どまともに見たことがありません。
「コシヒカリ」の開発のプロセスをテーマにした回は、開発者の苦労やプロセス自身は面白かったのですが、
番組の構成とナレーションのシナリオに驚きました。
この回は「善玉」の開発者に対し、立ちはだかる障壁として「悪玉」に時の新潟県知事を配し、完全な勧善懲悪ドラマに仕立てられていました。
何度も何度も大写しされ、全てに邪魔をし続けたかのように表現される悪代官ヅラそのものの当時の知事さんが、だんだん気の毒になってきました。
もう亡くなれていたようですが、遺族の方々はとても正視出来ないだろう内容でした。構成には、なんのヒネリもわずかなエスプリもありませんでした。
地方にいけば、NHKの放送内容は間違いないと思っている日本人がまだまだ多いのに、こんな取り上げられ方をして、もし奥さんなど遺族が新潟に
住んでおられたらお気の毒と思いました。そんな配慮は微塵も伺えませんでした。
このとき「プロジェクトX」も、番組の創生期に汗を流したスタッフが去って、安定して視聴率を取れるようになってから担当した第二世代の連中が、
人気の上にあぐらをかいて傲慢で楽な方法で作りだしたなあと思いました。
2)もともとこの番組は、対象がどんなに素晴らしい開発や社会的功績のあるプロジェクトであっても、ラジオ番組ではなくテレビ番組ですから
「映像」が入手出来ない場合は番組化出来ないという大きな制約があります。
つまり、成るか成らないかわからないままプロジェクトに専念し、記録写真やスナップ写真が残っていなければ、その事柄の価値とは無関係に
番組として取り上げ得ないのです。
おそらく「プロジェクトX」という番組の企画を発案し、実現した初期の製作者とそのスタッフは、持ち込まれるネタではなく、
自ら全国を走り回って対象を探し、しかも選別し吟味して製作していたような気がします。
番組スタート時に見ていた私は、文句をつける余裕も無く、♪風の中のすばる~と「地上の星」が流れだし、「ヘッドライト・テールライト」の
エンデイングが消えていく時間まで、この番組にじっと身を浸らせてもらっていたような気がします。
3)今回の<「鉄道分断 突貫作戦 奇跡の74日間」~阪神・淡路大震災~>を見ていたら、自分が経験した「JRも阪急、阪神も甲子園あたりで不通になったため、
始めは代替バスで一番近い駅まで行くしかなかった。通勤ルートは毎日変わった。最寄りのJR六甲道駅は地震の瞬間に崩壊して東海道線がここで長いあいだ断絶した。
阪神青木まで2時間ほど歩いた事もあった。」頃を思い出しました。
ここまで大変な工事だったことは、この番組を見るまで知りませんでした。
映像的には、震災で崩壊した駅のシーンは、当時を思い出してあまり見たくはなかったのですが、今も乗り降りする駅がこんなんだったんだと、
自分が今は記憶から当時の情景を押しのけていることにも気がつきました。
そして最後の完成試験で、上下逢わせて4軌道のレール上を各2両連結の機関車が4台同時にスタートし、平行走行して、
桁のタワミをチエックする場面は迫力がありました。
当時我々に聞こえてきたのは、東海道線がここでブチ切られ、日本列島全国輸送の大動脈が機能しなくなったことから、
また戦争突発に備え、国家として威信をかけて金に糸目をつけない突貫工事にかかったという話でした。
この24時間昼夜を問わない、金に糸目をつけないお上の工事のため、重機や建設資材、工事人員がこの工事現場に独占され、
阪急や阪神のような私鉄では、六甲道駅が復旧するまで工事の着手も出来ないということでした。
確かに阪急と阪神の復旧工事は大幅に遅れました。ただ利用者にとっては大阪と神戸の間のいわゆる阪神間には阪神,JR、阪急という
3本の路線が平行して走っているため、どれか一本が復旧すれば何とかなるという面がありました。この震災の後、復旧費用がかさんだこと、
乗客の減少などで両私鉄のバランスシートが一挙に劣化したことはまた別の話としてあります。
今回の番組のシナリオは、工事業者の奥村組が提供した工事記録ビデオと写真類をメインに構成されたためか、
余震をかいくぐり短時間で大変な工事を貫徹したという美談仕立てに終わり、番組制作者の固有の視点が初めから終わりまで感じられませんでしたし、
近辺の住民からの感謝と暖かい応援という添え物の時間も結構長く感じられました。なんか作る方に「泣かせるノン作ったやろ、
人間の思いやりの気持ちを思い起こそう」という、上からさとしてくれるような傲慢さがあるのを少し感じました。
ほぼ5年間、同じコンセプトのドキュメンタリー番組を作り続けるのはしんどい。毎週毎週、企画当時のレベルを維持するのは、ネタ切れもあり、
もう無理なんだろうとも思いました。
浮かれ節(講談の前身)のイントロではありませんが、テレビは、「・・・これじゃからとて皆様方、現場見てきてやるのやおまへん、
昔作者が暗い行燈のその陰で書いて残した筆のあと、筆に狸の毛がまじる。
嘘かほんまか知らんけど、本当らしゅうにやりますさかいに聞く皆様もその通り、たとえ嘘じゃと思うても本当らしゅうに聞いてもらわにゃ仕様がない、
一生懸命に勤めまするで、しばらくの間お遊びを給わる。」なんだと思います。
テレビが普及しだした頃に大宅壮一という人が、テレビのことを「電気紙芝居」と言いましたが、作る方もかっこつけずにそう思って作り、
見るほうもそう思って見れば、テレビも「なかなかおもろいもんではないかいなア・・・・」
この年の12月にこの番組は終了し、最後の番組に【中島みゆき】さんがライブで登場してエンディング曲を歌った。
ヘッドライト・テールライト 中島みゆき【cover】
#69<星の降る町に行った> 2004年11月頃記
雲がかかってはいたが、久しぶりに満天の星を見てきました。
☆六甲山トンネルを抜けて神戸北ICで山陽自動車道に入り、岡山JCTで岡山自動車道へ、 そして総社ICで下りて、まず総社市の友人三上君の家を訪ねた。
総社駅近くの陸橋を渡り、市街地を通り抜けて高梁川を渡り、濃い緑の稲の葉が光る一面の 水田の中を走って到着した。
ここまで家を出てから2時間40分、179㌔のドライブだった。
☆神戸から先着していた別の友人近藤君と辛好は車を置いて、三上君の車に乗り換え美星町の彼の言う “星の野原という茶室空間”へ向かった。
途中、矢掛町を通過して30分ほどで美星町に着く。矢掛とか笠岡とか聞いた事のある地名が 案内標識にも沢山出てくる。
大阪で何年も一緒に仕事をした川上さんはここ矢掛町の出身だ。ああ、彼はこの町で生まれ育ったんだと思いながらづっと窓から外を見ていた。
「確かこのまっすぐ南が 玉島になるんだよね」と聞くとそのとおりと言われた。
玉島には元勤務先の工場があって、 何度も行ったことがある土地だ。今、JRの駅名は「玉島」ではなく「新倉敷」に変わってしまったのは残念だ。
車の窓から見る総社から美星町のあたりの竹林と山林と水田の緑のアンジュレーションがとてもきれいだった。 そして全般的に地味が良い豊かな土地柄だなあと思った。
農家の屋根がどこも全部立派な黒い瓦葺だ。 昔から竹林が大好きなので、久しぶりに綺麗な竹林を沢山見ることが出来たのも嬉しかった。
このあたりは筍の名産地でもあるそうだ。
☆3000坪はあるという彼の領地に作られたコッテージが今日の宿だった。 露天風呂に入り、黒ビールをジョッキで飲むともう独りでに顔がゆるむのがわかる。
☆殆どが畠と丘陵と山林の町内を車でまわって、彼の活動のスポット(農協の倉庫を利用したジャズ演奏や美術品展示空間など)を案内してもらった。
そのあと、ここに来るまでにスーパーで仕入れた材料やビール、焼酎でメシになった。彼がうまい肉と玉葱やピーマンなどを次々手際よく焼いてくれた。
この土地の彼の協力者である農家の川上さんも加わってくださり、楽しい飲み会になった。 川上さんは兵隊に取られていたとき以外はこの土地で生まれ住んでこられた。
岐阜の各務原航空基地の航空兵として出征していた経験談や果物作りの苦労話、美星町の歴史など次々話してくれた。
この飲み会に持参してくれた握り飯と自家製の漬物は本当にうまかった。
話はどれも興味深かったが、彼が復員して村にたどり着いたとき、村の分校で遊んでいた子供達が、リュック姿の彼を認めたとたん一斉にいなくなった。
どうしたのかと思ったら、子供達みんなで川上さんの家に走り、そして 川上さんの母親の手を引き、背中を押して彼がほっとして座り込んでいた所へ連れてきてくれた
というエピソードは胸にぐっと来た。徴兵されて軍隊経験をしたおそらく最後の世代の一人だろう。
三上君はこの土地の化石の研究を続け論文を書くという。これからやることが山ほどあって後60年生きるという。 君達も一緒に60年生きようという。
これから60年生きる、そんなことは思ったこともなかった。 この3000坪の土地は、あと10年掛けて屋外劇場にするという。
そしてこの場所のどの場所でも貸すから好きなことをやったらと言う。
☆少しモヤがかかっていたが北斗七星や星座で見た星たちをしっかり眺め、
そんな話しを聞き その晩はこの標高303mの場所でぐっすり眠った。そして翌朝、朝5時前にウグイスの声で目が覚めた。 彼の総社の家へ戻って朝食後、
高梁川沿いに岡山自動車道の有漢ICまで地道を先導してもらい、 ここで友人達と別れ、北房JCTで中国自動車道にのって院庄ICへ向かった。
奥津温泉近くで、広島の呉に本社がある二社目の勤めの時に出来た別の友人達と合流し、日曜、月曜と二日続きでゴルフをして家に帰ったら 車のトリップメーターは476.2㌔になっていた。
星空のある風景 タイムラプス 4K #86 ~願いかなう星空/美星町星空公園~ Starry Night Timelapse 4K#86 星景微速度撮影
東京五輪から初採用となったスケートボードのストリート男子で初代王者に輝いた堀米雄斗(22=XFLAG)が、メダリスト会見に登場し、地元江東区への感謝の言葉を繰り返した。
「江東区で生まれてスケボーも江東区で始めて、いまだに五輪に自分がいることが信じられない。この江東区でベストな滑りができて本当にうれしいです」。
江東区で1番好きな場所はと聞かれ、大島小松川公園を挙げた。
「自分が江東区で1番好きな場所は小松川公園。そこで自分はスケボーを始めて、お父さんが昔スケートボーダーだったので、
最初は一緒についていく感じで遊びに行って、そこで本当にスケボーを始めた」と幼少期の思い出を語った。
米国在住の堀米は今でも帰国時は、同公園に足を運ぶといい「たまに日本に帰ってきた時は、小松川公園で今までずっとスケボーしてきた友達と滑ったり、
スケボー以外でも一緒にいる時間がすごく楽しいです」と述べた。【三須一紀】 引用元。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大島小松川公園(おおじまこまつがわこうえん)は、東京都江戸川区小松川と江東区大島にまたがってある都立公園である。
芝生の広場とスポーツ広場が主体の公園となっており地元の人の憩いの場となっている。江東区側の地下には都営地下鉄新宿線の車両基地である大島車両検修場がある。
公園の周辺地域(平井や大島、小松川)は海抜0m地帯であるため、この公園が避難場所となるように土地のかさ上げが行われて作られた。
江東再開発基本構想によって計画された大規模な防災拠点公園である。Wikipediaから部分引用。
(旧中川の東が江東区、西は江戸川区)
配信
東京五輪・男子飛び込みのイギリス代表トーマス・デーリー【写真:Getty Images】
東京五輪・男子飛び込みのイギリス代表トーマス・デーリーが21日に自身のYouTubeチャンネル「Tom Daley」を更新。選手村の自室や選手村の様子を公開し、反響を呼んでいる。 【動画】「日本はいい仕事をした」と喝采…英国代表デーリーが公開した五輪選手村の自室&美景ショット 「五輪選手村ツアー」と題した動画をアップ。選手村の自室に登場したデーリーはバルコニーからの景色を紹介し、「素晴らしい景色」と眺望を紹介した。 また、段ボールベッドで何度も飛び跳ねて「強固だし、壊れない」と説明し、トイレへ移動。ウォシュレットのトイレに「多機能で確実にきれいにできる」と驚きをあらわにする。 自室を一通り説明した後は選手村を歩き回り、「あれは自動運転のバス。選手村のあちこちに連れて行ってくれて、自動で停車する。クレイジーだよ」と語る。最後は「選手村は、とってもかっこいい場所で、ここに居られて超ラッキーだと思う」と総括していた。 動画は80万回以上再生されるなど注目を集め、コメント欄では「日本に金メダルを授与したい」「日本はいい仕事をした」「自販機のカード、かっこいい」「選手村の内部を紹介してくれてありがとう」「素晴らしいツアーだったよ」などの声が上がっている。
ENCOUNT編集部
OLYMPIC VILLAGE TOUR! I Tom Daley
むかご
むかご(零余子,珠芽[1])とは、植物の栄養繁殖器官の一つで、わき芽が養分を貯え肥大化した部分のこと[2]。主として地上部に生じるものをいい、葉腋や花序に形成され、離脱後に新たな植物体となる。
葉が肉質となることにより形成される鱗芽と、茎が肥大化して形成された肉芽とに分けられ、前者はオニユリなど、後者はヤマノイモ科などに見られる。両者の働きは似ているが、形態的には大きく異なり、前者は小さな球根のような形、後者は芋の形になる。いずれにせよ根茎の形になる。
ヤマノイモなどで栽培に利用される。
食材として単に「むかご」と呼ぶ場合、一般にはヤマノイモ・ナガイモなど山芋類のむかごを指す。灰色で球形から楕円形、表面に少数の突起があり、葉腋につく。
塩ゆでする、煎る、米と一緒に炊き込むなどの調理法がある。また零余子飯(むかごめし)は晩秋・生活の季語である[3]。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
#67<隠居の茶話・その四①> 2004.09.04 記
売れない落語家の 阿智胡地亭辛好 が今日も今日とて、楽屋横の隠居部屋に上がりこみ、席亭のご隠居と毒にも薬にもならない話で盛り上がっております。
隠居:
おう、ようやく顔を出したか。はらあ切ったっておめえのカミサンから聞いたが、いってえどのくらい切ったんだい?
辛好:
ミゾオチからせがれのすぐ上まで真っ直ぐに20センチくらいのもんでさあ。
隠居:
で、詳しく聞いてなかったが、なんで腹なんぞ切る羽目に?何か不義理でもしたのかい。
お前さんみたいな売れねえ噺家にもご贔屓筋が何人かついてるみたいでな、看板が下りてるがどこか出稼ぎにでも出かけたのかとか、
いつから高座に戻るのかとか聞いてくれるお客様もいたんだよ。
辛好:
そいつはナンと嬉しい話じゃあござんせんか。ありがてぇこった。
実は少し昔、安芸の国の席亭で3年ほど高座に上がっていたんでやんすが、5年ほど前、席亭指定の施療院で春の健康診断を受けたんでさあ。
指定目入の診断をこなしたあと、くすしの院長が「ちょうど息子が他院の修業を終えて戻ってきたんだが、超音波腹部検診のカラクリを入れて
くれってねだられて“回向(エコー)”のカラクリを買ったばかしなんじゃが、特別割引銭で見るがどうじゃ」って言うじゃあありませんか。
それまで「回向」なんぞやったことがないもんで、おもしれぇと思って「ようがす」って言ったら、若が喜んじゃって詳しく見てくれるってやりだしたが、
途中からえらく真剣な顔になったんでさあ。
隠居:
どうしてまた?
辛好:
「腹部大動脈瘤がありますね、破裂するかも知れんけん、すぐにでもそっち方面に明るい「くすし」に見てもろおてください、紹介状も書きます」
って言うじゃあござんせんか。あんまり真剣に言うので翌週市民病院の心臓血管外科で見てもらったら、この秋にでも手術をしたほうがいいが、
するかどうかを決めるのはアンタだと言うン。
隠居:
くすしに自分で決めろと言われても患者はちょっと迷うわな。
辛好:
手術をするにもカミサンが近くにいねえと万事不都合だと思って、カミサンにこんな事になったが家の近くに心臓血管外科に強い病院がねえか
調べてくれって連絡したら早速、パソコンで 印多蜘蛛網をあれこれ調べてくれて、家の近くの労災病院に心臓血管外科の「神の手」(click )がおられるらしいと。
それで夏休みの1日にこの病院に行き、腹のCTを撮ってもらったら「本来約20ミリ径の大動脈が35ミリまで膨らんでいるなあ。
形状がなだらかなので、まだ手術はしなくてもいいと思う。そやけど半年に一回はチエックに来てもらわんと」となってそれからずっと見てもらっていたんでさあ。
隠居:
それで?
辛好:
安芸の国から地元に戻って何回目かの検査で50ミリ程になって先生も次はそろそろ手術やなあと言われていたんだが、
なんせこの大動脈瘤ってやつは自覚症状がまるでないン。
原因は動脈硬化らしいんだが自覚症状が全くないもんで、生活習慣を変えもせずこないだまで飲む吸う打つを懲りずにやってきたン。
隠居:
そういやあ、お前の好きな司馬遼太郎さんも確か腹部大動脈が破裂して惜しい人を無くしたが司馬さんの奥さんの話でも
動脈瘤をお持ちなのは本人も周囲も気づいてなかったそうだなあ。
確かに、司馬さんの写真で煙草をくゆらしてない写真は一枚もないなあ。
辛好:
ホントに司馬さんは同時代にあんな人を持てたのは有難いことで、それだけにあんなに早く亡くなったのは心底勿体無いことでさあ。
司馬さんと同列に並べてもらう気は毛頭ねえが、病気としては同じに違いがねえ、ってことでいずれはと思う気持ちと、
身体にメスが入る、しかも全身麻酔の手術ってえのは生身のカダラには一生どえれえストレスが残るって聞いているもんで
正直出来たらやりたくないって気持ちでいたン。
ところが半年前くらいから夜、布団に入って天井を向くと、腹の一部が時々ぴくんぴくんと動くのを感じるようになって
そろそろ年貢の納め時かなとは予想していたんでさあ・・。
それで7月中ごろに見てもらったらCTのフィルムを見たとたん、先生いわく「こら切りごろや、よう育てはったなあ」
「どれくらいになってます」「60ミリくらいやねえ」 「風船膨らますとおんなじでな、瘤いうのんはある時から急に大きなるねん」
それまでに調べていたんで、径が55ミリを超えると破裂率が年間33%になり、いったん破裂すると死亡率50%を越えるって
知ってたこともあり、その場でもう手術を観念して先生と相談して入院日も決めたン。
隠居:
そうか、そんなもんを後生大事に育てて、この5年ほど好き勝手やってきたんじゃな。
辛好:
そういう事なんでさあ。まあそれでも8月16日に入院して20日に手術、9月1日に退院てえことで順調な経過の方らしいのは有難いことで。
ただ心臓から下りてきて両下肢へ伸びる「人」型の大動脈部分を人工血管と取り替えるのに、腹割いて腸を掻き分けて背骨のすぐ 前に
位置する大動脈を一望に見えるように出して、3箇所でいったんクリップして血流を止めてってなことをしてるんで、長時間空気に
さらされた大腸なんぞのハラワタが元の場所にうまく戻り、ストレスで反乱を起こして壊死しないようこっちの方の対処も
大変ってことらしく、4日間点滴だけだったン。
それなのにじっと安静にしていたら腹の傷口と腸が変に癒着したらいかんからと、15時間の集中治療室から病室へ戻ったらその時点から
点滴液のハンガーを自分で押してトイレへ行けと 言われて・・・・。(思い出したのか殆ど涙声)
隠居:
噺家が泣いてどうする。それにまだ下腹に力が入らないのか声がまともに出てねえなあ。
今日はもういいから茶をいっぺえ飲んで帰りな。入院のあれこれはまたこんだ聞かせてもらうから。
辛好:
そんじゃあ、今日のところはお腹のお開きという噺まででお開きに。
しっかり傷がくっつくまで、しばらく大人しくしてまさあ。
ただ退屈だからこの歩いて来れる隠居部屋にはまたすぐ遊びにきますんで。
#67<隠居の茶話・その四②> 2004.09.08記
売れない落語家の 阿智胡地亭辛好 が今日も今日とて、楽屋横の隠居部屋に上がりこみ、席亭のご隠居と毒にも薬にもならない話で盛り上がっております。
隠居:
おう又、来たな。おめえさん、こないだは、手術中自分で自分の腹切りの一部始見ていたようなことを話していたが、確か全身麻酔だったんだよな。
辛好:
それはそうなんでやんすが、あの話は手術前の手術説明会と術後に病室で先生に聞いた話なんでさあ。
隠居:
手術説明会ってえのは何のことだい?
辛好:
アタシもなんせ初めての経験だったんだが、近頃の(因報務度懇宣度)「同意説明」っていう奴らしく、
手術前の血液テスト、アレルギーテスト、自己採血2回、カテーテルでの血管造影撮影で手術対象箇所のレントゲンなんぞ
が済んだ後、医者方が手術設計をして、それを患者本人と親族・関係者に説明するって言うン。
外科部長は何人来てもらって、聞いてもらっていいですよなんてね。
隠居:
じゃあ、自分がどんな手術をされるのかその場で事前に何でも聞けるンじゃね。
辛好:
これまで5年付き合ってきた心臓血管外科の脇田部長と今回、辛好の主治医になったN先生の二人が出てきて脇田部長が黒板に図を書いて、
手術内容とか時間とか説明してくれたン。
この病院で同じ手術を年間20例から30例やっており、成功率はほぼ99%だから安心して欲しいが、
100%安全だとは言えませんなんてね。怖気がついて患者に止めますなんぞとと言われないようにソフトに丁寧に説明してくれたン。
ただ、こっちがどれくらい切るんですかって聞くまでは、切り口なんぞのことを具体的に向こうから言わなかったのは笑っちゃった。
聞いて「ヤダもう手術は止めた。オレ帰る」なんて言い出す奴が時々いるに違ぇねえって思ったね。
面白かったのは、最後の方に若手のN先生が「この手術だけは手術しても患者に感謝されない手術なんだよね」って言うんだよね。
「なんでです?」って聞いたら、破裂の原因が取り除かれるから、破裂そのものはもう起こらねえんで、手術の後の痛みだけが残って、
恨まれこそすれ感謝は後々までされないんだと。
隠居:
なるほどそう言われてみれば、そういうこった。こいつはおもしれえ。
辛好:
まあ、手術説明会のもう一つの目的は「手術同意書」、「輸血同意書」にスムーズに署名してもらうことにもあるんだなと思ったね。
それと裏を返せば、あれの本音は医療訴訟に備えているんだ。
それからこれとは別に麻酔科の担当医との面談もあったなあ。アレルギーやこれまでの煙草と酒の付き合いなんぞ聞かれましたよ。
そしてインタビューの後、「麻酔同意書」にも署名だよ。
それから当日の手術室の担当看護師、今は看護婦って言わないんだね、も病室に来てアタシの顔を見ていった。横浜市立大学病院だったかで
手術患者の取り違えがあってから、トリプルチエックくらいで顔を確認する仕組みになったんだと思ったね。
隠居:
そりゃ当たり前といえば当たり前だが、安心だね。それで手術は何時間くらいのもんだったんだ?
辛好:
1時25分に看護師が呼びに来て、一時間ほど前からつけていた麻酔液の入った点滴ハンガーを自分で押しながら手術室へ歩いて行った。
入り口で身内と別れて、なんか台に乗ってくれと言われて、乗ったらでは始めますと言われてからはもう覚えがなかった。
それから次に気がついたら身内がベッドの上から覗きこんでいたな。後で聞いたら5時20分に終わりました、
目が覚めたからどうぞってN先生が呼びに来てくれて、集中治療室に入ったって。
予定が3時間で麻酔処置など前後一時間って言ってたから殆どピタリの時間だったみたいでさあ。
隠居:
麻酔がうまく醒めねえで、管を取ったり暴れる奴もいるらしいがお前はどうだったい。
辛好:
先生には名前を呼ばれて普通に返事をして醒めたらしいが、その後が大笑いでさあ。
カミサンと娘の顔が見えたとたん「ヨッ、どういう訳かここに美人が二人いるよ」って言ったらしいン。
カミサンはこんなときに身内にヨイショしてどうするって思ったって。
ワタシはこれを後で聞かされた時、芸人の悲しいサガを思ったン。
それからもう一つ、「出血も少なくて自己採血の半分の400cc使うだけで良かったんだって」と手術後の身内に対する手術結果の
説明で聞いた事をカミサンが言ったら、ワタシが「日頃の冷血人間は、血液の量まで少ないんだ」って訳のわからないことを口走ったってさ
隠居:
お前いつも身内から冷たい人間って言われてるから、そういう時に気にしてることが出るんだよ。
辛好:
そんなことがあって、翌日の午前中に病室に戻ったら、すぐさまリハビリですって言われて、トイレもベッドから起きて行けって、
まだ縫ったばかりの腹を抱えてどんどん歩いて動けって。
点滴も丸4日間で後はオカユになった。
手術の後の医者の関心は、どうも人工血管が中でちゃんとくっつくのは当たり前、腸がだんだん動くかどうかが問題らしくて、
ひっきりなしに看護師が来て腹に聴診器を当てて、あっ腸が中で動き出しましたなんて嬉しそうに言 うン。
1日一回傷口の消毒に来たとき初めて見たが、縦線の切り口はあまりカッコのいいもんではなかったすよ。
24時間腹帯を締めて、切り口が離れてヘルニアにならないように、ゼッタイに腹に力を入れるなと無理難題を
言われてるのがいまだに一番弱ることでさあ。
日頃あまり意識してなかったが人間、声を出すにも下腹に力入れてるン。
この手術後の最大の難関は雲古みたいなン。初めて雲古が少量出たと報告した時は先生も看護師も喜んだね。
便秘予防の漢方薬が出て飲むんだが、なかなかうまくいかないのでふと思い立って、下腹を刺激するために
「声に出して読む日本語」をやろうと思って、「般若心経」を称えるようにしたら臍下丹田が整ってきたらしく、
腸が動き出したン。「般若心経」でも「サラダ記念日」でも「風の又三郎」でも李白の「靜夜思」でも何でもいいンだが、
声に出してみて「息を長く吐く」ことの大事が又わかったン。
隠居:
まあ、お前はそんな御託を並べて冷房の効いた病室で五輪を見ていりゃいいんだが、どうだい手術で入院したという経験は。
辛好:
いやあ、職人芸の凄腕の先生方も有難いが、月並みながら、24時間中、検温、血圧、腹の聴診器、点滴とやってくれる看護師チーム、
ルームメークのおばさんなど、誰一人欠けても自分のイノチは、うまくまわらねえとつくづく思ったねえ。ホントに他人様に吾が命を預けっぱなしだよ。
隠居:
それとなんだかんだ言っても暑い中、病院に通った身内が一番心配で大変だったはずだから、おめえが無事に医療事故もなく家に帰れて良かったよ。
辛好:
病院から家に帰って最初の夕飯のときに次女いわく、広島で偶然コブを見つけてもらって、神戸で腕のいい先生にめぐり会うなんてオトッツアンやっぱ悪運が強いよね。
そしてカミサン曰く、それもそうだけど、この病気は結局、自業自得なんだよね。
ワタシはこれを聞いて心づくしの退院祝いのお赤飯を噛みしめながら、人生、誰のせいでもない、自分のクジは自分で引くンだと改めて実感したんでさあ。
隠居:
まあ、ちょっとキツクは聞こえたかも知れないが、きっと身内の嬉しさの裏返しだと思わないといけないよ、それは。
それにしても、おまえさんが入院中自分でやったことと言えば、冷房の効いた部屋でアテネをミテネてただけのことだな。
お後がよろしいようで。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
手術後3か月して一回経過を見て頂いて以来、2004年以降無罪放免ですが、やはり動脈硬化は腹部大動脈血管だけでなく心臓の冠動脈にも生じており、
2010年に同じ神戸労災病院で冠動脈狭窄の3本の血管へのステント挿入カテーテル手術を受け、手術後ずっと循環器内科で2か月に一回の検診を受けています。