ちょっとアルコールが欲しかったので、帰りに阪急王子公園駅で降りて、前に五M会で2回行った居酒屋“いなかもん”
にちょっこし寄りました。
「入魂の一滴」という奈良の純米酒があったので熱燗で頼んだら、女将さんが「このお酒は
かなりの辛口なので、ぬる燗にしましょうか?」と言います。
このセリフでもう心底安心しました。日本酒を本当に理解していないとこの言葉は出ません。
○「ささみの涙焼き」。ワサビをこんな風に使う一品は初めてです。名前の由来はすぐわかりました。
○山芋の炭火焼き。山芋のナマの感触を残しながら焼きの旨さを押し出している。
○名古屋コーチンの炭火焼き。塩でやってもらいました。鶏の旨さを久しぶりに思い出しました。
この店のウリの“ナマズの刺身”をと思ったのですが、この日は入荷なし。しかしお蔭でほかの
素晴らしい品々を堪能することが出来ました。最後は泡盛の“残波”のロックで〆て終わりました。
このスケールはすごい!上空から砂浜を撮影したアニメーション。
ストップモーションアニメは1コマ1コマ撮影します。
イギリスで、砂浜をキャンバスに巨大なアニメーションが製作されました。
世界記録を塗り替えたと言う、ハイクオリティな作品です。
メイキングを見てから再度見るのも面白い。
Gulp. The making of.
HAT神戸に出来た兵庫県立美術館と周辺風景です。運河は以前は製鉄所の原料陸揚げや製品船積み用の
クレーンが並んでいました。
Wikipediaから引用:HAT神戸(ハットこうべ)は、神戸市の東部新都心として開発された地区の名称。
名称の「HAT」とは「Happy Active Town」の略で、公募により決定された。三宮地区を中心として、
西側のハーバーランドと対をなす東側の新都心である。1996年に着工、1998年に供用が開始。
区域はおおむね阪神高速3号神戸線の摩耶出入口から生田川出入口の区間の南側にあたる。
この地区には屋内スキー施設のマヤ・エスポートや川崎製鉄阪神製造所、神戸製鋼所など
があったが阪神・淡路大震災の被災により移転したり空き地となった。
出るようになりました。そしてソーメンに韓国海苔がこんなによくフィットするのを初めて知りました。
朝は蒸し野菜とハム。キャベツをしんなりさせた調理はなんでも好物です。
一昨日はしめ鯖とエビのちらし寿司の夕食。
昨夜は豆腐に食べられるラー油をかけて、鯖の味噌煮もアテにして飲みました。
お題は「神戸・人・小松左京」。江戸時代の神戸の回船問屋・北風家、鈴木商店の大番頭・金子直吉と鈴木商店の興亡史。桂枝雀と野坂昭如は
中郷町2丁目、3丁目で戦前の同時期に少年時代を過ごしたこと。小松左京の突拍子もないお調子者の一面と繊細な正義感、そして幅と奥の深い包容力。
戦時中の神戸一中で配属将校から中学生の小松が、4時間殴られ蹴られボロボロにされた拷問のこと、教師たちの忠君愛国教育から、
敗戦後手のひら返した民主主義教育の浅ましさ。星新一や筒井康隆とSF人たちのエピソード。中学同級の高島忠夫とのバンド活動。
そして聞きたかった小松左京と開高健の交友関係。やはり二人は肝胆相照らす仲だったそうだ。
盛りだくさんの内容の一時間半を堪能しました。肉声で聴く日本のSF作家の内輪話はやはり面白い。
会場で不動坂の日本料理「西嬉」の女将さんに声をかけられてびっくりしました。
彼女も昔からのSFファンなのだそうです。
10時半から昭和26年製作の「麦秋」、午後2時から昭和33年制作の「彼岸花」の上映でした。いずれも小津安二郎監督の作品です。
美術館へはJR灘駅か阪神岩屋駅から歩いて十数分です。今日はカンカン照りの道をJR灘駅から歩きました。
トップの写真は美術館の手前の陸橋から、HAT神戸という神戸製鋼灘浜製鉄所の跡地に出来た人口タウンを撮影。
館内に入って涼しくてほっとしましたが、しばらく汗はとまりませんでした。
2本目までに一時間半あいていたので満員の県立美術館のカフェとレストランは敬遠して隣のビルの喫茶店へ
行きました。がら空きの店で一日30食限定と書いてある600円の弁当をゆっくり食べました。
隣のビルから美術館へ戻りながら美術館を外から撮影。
文化庁の支援を受けている上映会なので一本をワンコイン500円で見ることができました。
会場は60代から70代の男女で埋まっていました。彼岸花には有馬稲子、山本富士子、久我美子に桑野みゆきも
登場し、佐田啓二、高橋貞二、浪花千栄子も出てきてそれだけでもう涙が出そうになりました。
こんな風に人が生きていたいた社会が戦後間もなくの日本にあって、その階層社会は気が付かないけれど、
日本からかなりの部分が消えたことを実感しました。
二人は三田から、一人は宝塚から、もう一人は甲陽園から、と私です。
前回の5M会のときに初めてこの店を教えてもらいましたが、今回も酒も料理もおいしく
皆さんに好評でした。特に「真澄」を冷酒で飲みましたがやはりいいです。
写真は刺身の五種盛。この店の料理のプライスと味のバランスは気持ちがいい。
今回の展示で初めて知りました。自分がやりたいことで苦労するのは、苦労することに
ならないのだろうか?と思いながら見てまわりました。
「火垂るの墓」の背景画には、自分もその空間に立ったことがあると思いました。
ポスターを買って帰りました。そのあと東門街の店で飲みましたが、忘れることなく
無事家に持ち帰りました。
○神戸市立博物館のHPから引用。
山本二三が描く背景画の世界 初公開
日本を代表するアニメーションの画家・美術監督である山本二三(やまもとにぞう、1953~)の展覧会を、神戸ビエンナーレ2011・プレ企画として開催します。
山本二三は、テレビアニメーション「シートン動物記・くまの子ジャッキー」(1977)で美術助手を、そして「未来少年コナン」(1978)、劇場版「じゃりん子チエ」(1981)、「名探偵ホームズ」(1982)、「天空の城ラピュタ」(1986)などの美術監督をつとめました。
野坂昭如(のさかあきゆき)の名作を、高畑勲監督がアニメーションとした「火垂るの墓」(1988)、宮崎駿監督「もののけ姫」(1997)、筒井康隆のジュブナイル小説をアニメ化した細田守監督「時をかける少女」(2006)などの作品で表現された詩情豊かな世界は、多くの鑑賞者を魅了しました。
山本二三が描く作品は、入念な取材と、精密なスケッチに基づいています。特に光の輝きとさまざまな表情を見せる雲の描写は「二三雲」と呼ばれ、広く知られています。
本展は、山本二三みずからが選択した、アニメーション用の背景画、その前段階のスケッチ、イメージボード(監督の要請をうけて描くアニメーションのための下絵)など約180点を一堂に紹介する展覧会です。初期から最新作まで、多数の初公開作品をご覧いただきます。日本のアニメーションを牽引してきた山本二三の全貌にふれる絶好の機会です。
「ジブリフリーク」から引用。こちら
プロフィール
●山本二三(やまもと にぞう)
1953年6月27日、長崎県福江市(現五島市)に生まれる。
1969年、中学卒業と同時に離島し、岐阜県立大垣工業高校定時制建築科に進学。同時に関ケ原石材に就職。
1973年、同校を卒業し、関ケ原石材も退職して上京。猪狩工業所に就職し、専門学校の夜間部に入学。
1974年、アニメーション美術スタジオのアド・コスモに入社。
1976年、アド・ジューブに移籍。武蔵野美術短期大学通信教育学部美術科に進学。
1977年、日本アニメーションに移籍。
1978年、宮崎駿監督の「未来少年コナン」で初めて単独で美術監督を担当。
1979年、テレコム・アニメーションフィルムに移籍。
1985年、スタジオジブリに移籍。
1988年、「NEMO」の制作のため、フリーの立場でテレコム・アニメーションフィルムに復帰。
1990年、テレコム・アニメーションフィルムを退社し、美術スタジオ「シネマ・アート・クラブ」を創設。
1992年、スタジオ名を「絵映舎」に改名。
以降、絵映舎を拠点に、スタジオジブリ作品をはじめ数々のアニメーションの制作に主要美術スタッフとして参加している。
豆腐は塩をかけてペーパータオルで包み一晩置きますが、水分が出るのでタオルを一回
取り換えるそうです。チーズの風味がでていたので豆腐と聞くまでは、すっかりモッツア
レラチーズだと思っていました。バジルのドレッシングがよく合いました。
久しぶりの高野豆腐の卵とじでした。高野豆腐は子供の時から大好物です。
三宮の東門街を入って5分ほどの場所に5M会員のうち4人が集まりました。
メンバーの李欧さんが前から知っている日本料理の「舟櫓(ふなやぐら)」です。
私ともう一人はこの店は初めてでした。
集合は生田神社横の東急ハンズの前でした。いろんな人が待ち合わせている18時半でした。
どの料理も一定レベルをキープしていておいしい。一皿の量は二人分くらいなのでそれぞれがいろいろ
オーダーして楽しみました。日本酒のリストの中に「真澄」があっておいしく飲みました。