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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

奈良に『アビイ・ロード』があった!  鹿のビートルズ!

2018年05月31日 | びっくり画像・映像
奈良にもアビイ・ロードがあったとは。鹿のビートルズが出現「前からジョン、リンゴ、ポール、ジョージと命名しました」

撮影者の「奈良の福」さんは、ハフポスト日本版の取材に以下のようにコメントしている。
「5月27日午後3時半頃、奈良市春日野町の春日大社参道と東大寺参道の間にある横断歩道で撮りました。鹿の横断もしばしば見られるところですが、ちょうど4頭が整然と歩いてる様子がまさにアビイ・ロードだと、手にしてたカメラで思わず撮りました」引用元。
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紫陽花祭り 旧中川の土手

2018年05月31日 | 身辺あれこれ

亀戸中央公園まで散歩しようと旧中川のふれあい橋を渡ったらアジサイ祭りをやっていました。











なかなか見事なものでした。行政にその気があればまた住民が声を上げればかなりのいい環境を作れるのだなあと思いました。

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亀戸餃子を初めて食べた。

2018年05月31日 | 食べる飲む
亀戸中央公園の西の出口まで歩いたのでそのまま亀戸駅まで歩いてみることにした。グーグルマップを見ないまま思い付きで歩き出したので途中で2回道を聞いた。本を読みながら歩いていた高校生男子は説明してくれた後、駅までついていきましょうか?と言ってくれた。ごく自然に気負うことなく。江東区や江戸川区のような下町にはこういう気風が残ってるみたいだ。お江戸の時代はこうして町人どうし助け合って暮らしていたのかなあ、それがずうっと続いているのかなあと思ったが、彼から見たら老人が道に迷っているように見えたので手助けしようとしただけかも(笑)。もう一度は駅近くになって念のため工事現場のガードマンに聞いたら丁寧語で教えてくれた。亀戸駅について北口の右手の細い路地に入ってみると亀戸餃子の店があった。前にネットで読んでいたので入ってみた。餃子はいわゆる町の中華店の餃子の完成品という趣で美味かった。一皿5個で250円。二皿が注文数の最低単位ということだった。皿に辛子が最初からついていたので餃子につけて食べてみた。神戸の味噌だれをつける食べ方は嫌いでやらなかったが辛子はいける!

店に三宮や元町の餃子専門店に似た雰囲気があるのが面白かった。3人ほどの70歳を過ぎた女性たちがいいリズムと間で接客していた。

今度は二人で来よう。参考
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ネパール・インド料理店を居酒屋使い

2018年05月30日 | 食べる飲む
好天の某夜、二人で軽食と酒のつまみを楽しむために「ジグリ」に行きました。一人は飲めませんがかの国の料理は時々食べたくなります。


お店はメインディッシュを頼まなくても笑顔で接遇してくれました。

















ジントニックにネパール料理もよく合います。






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アジサイの季節

2018年05月29日 | 身辺あれこれ

敷地の中のアジサイが咲いている。






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映画「海街diary」を見た。   是枝裕和監督 作品

2018年05月28日 | 音楽・絵画・映画・文芸
第71回カンヌ国際映画祭は19日夜(日本時間20日未明)に閉幕を迎え、長編コンペティション部門に参加した是枝裕和監督(55)の「万引き家族」が、最高賞のパルムドールを受賞した。」このニュースを知って、録画してあった彼が監督した映画「海街diary」を見ることにした。上映されていた当時、なぜか映画館に行って観ようと思わなかった映画だ。
「予告篇

まぶしい光に包まれた夏の朝、三姉妹に届いた父の訃報。 十五年前、父は女と出て行き、その後、母も再婚して家を去った。 三姉妹を育てた祖母もとうに亡くなり、広くて古い鎌倉の家には、彼女たちだけが残った。 両親へのわだかまりを抱えた、しっかり者の長女の幸と、そんな姉と何かとぶつかる次女の佳乃、マイぺースな三女の千佳。 三人は父の葬儀で、腹違いの妹すずと出会う。 頼るべき母も既に亡くし、それでも気丈に振る舞う、まだ中学生のすず。 そんな彼女の涙を見て、幸は、別れ際に「いっしょに暮さない?」と誘う。 そして、秋風とともに、すずが鎌倉へやって来る。 四人で始める新しい生活。 それぞれの複雑な想いが浮かび上がる――。(C)2015吉田秋生・小学館/フジテレビジョン 小学館 東宝 ギャガ
俳優 綾瀬はるか, 長澤まさみ, 夏帆, 広瀬すず, 加瀬亮, 鈴木亮平, 池田貴史, 坂口健太郎, 前田旺志郎, キムラ緑子, 樹木希林, リリー・フランキー, 風吹ジュン, 堤真一, 大竹しのぶ
「そして父になる」「誰も知らない」などで国際的にも高い評価を受ける是枝裕和監督が、第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞やマンガ大賞2013を受賞した吉田秋生の人気コミックを実写映画化。湘南を舞台に、異母妹を迎えて4人となった姉妹の共同生活を通し、家族の絆を描く。鎌倉に暮らす長女・幸、次女・佳乃、三女・千佳の香田家3姉妹のもとに、15年前に家を出ていった父の訃報が届く。葬儀に出席するため山形へ赴いた3人は、そこで異母妹となる14歳の少女すずと対面。父が亡くなり身寄りのいなくなってしまったすずだが、葬儀の場でも毅然と立ち振る舞い、そんな彼女の姿を見た幸は、すずに鎌倉で一緒に暮らそうと提案する。その申し出を受けたすずは、香田家の四女として、鎌倉で新たな生活を始める。主人公の姉妹を演じるのは、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず。第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、第39回日本アカデミー賞では最優秀作品賞や最優秀監督賞など4冠に輝いた。ネットから引用」

映画を見た後思った。大竹しのぶはやはり凄いなあ、間違いなく演技すると憑依がある特殊な演技者だなあということだった。メルヘンの中に彼女の出る場面だけがリアルだ。生身の人間がそこにいる。綾瀬はるかを筆頭に4人の女優さんたちはそれぞれ頑張っていた。しかしこの映画の撮影ではみんな演技に苦労したような気がする。監督が欲する自然さは彼女たちのレベルを越えるものだったのでは?私の好きな 加瀬亮、大河ドラマで主役をはるようになった鈴木亮平(彼は縁がある兵庫県の芦屋南高校の卒業生だ)がいい味を出していた。そしてベテランのキムラ緑子, 樹木希林, リリー・フランキー, 風吹ジュン, 堤真一。大竹しのぶと彼らの演技を楽しむという意味ではいい映画だった。
この映画は是枝監督が次の映画製作のための資金稼ぎに、4人の人気女優さんを表に立てて作った商業映画だと思うが、美しい鎌倉の街と自然を楽しんだだけでも価値があった。

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大竹しのぶさんフリーク阿智胡地亭は、大竹しのぶさんと握手したことを今も忘れないシルバーミーハーだ。

2018年05月28日 | 音楽・絵画・映画・文芸
阿智胡地亭便り#46<聞きに行く・見に行く・・その3> 2004.01.22 書き下ろし
 
大竹しのぶの「POPS!一人舞台」というのが大阪にも来るよと相方から言われて、インターネットで探した。すぐチケット会社のHPも見つかり、「POPS」の情報画面も見つかった。チケットもネットで買えることがわかったので、そのままネット会員になる手続きをした。
 
画面を見ていくと東京の7日間公演に引き続き、大阪は3日間公演になっており、どうせなら全10日間公演の最終の「楽」の日が面白いかもと思って12月28日を申しこんだ。
幸いまだこの日に空席があり、インターネットバンキングを使いその場でチケット会社の口座へ振込み手続きをした。
 **朝日新聞社前のフェステイバルホールのすぐ近くまで大阪駅から地下街だけを通って行ける。会場のリサイタルホールはフェステイバルホールの地下のこじんまりした劇場だ。
 ロビーに入ると客筋が一ケ月前のオカリナの演奏会の時と全く違う。圧倒的に女性が多い。しかも仕事を持っていて、その職場なり店を仕切っているという感じの元気一杯の女性が殆どだ。たまたま目の前で「アラツ、貴女たち新幹線で来たの?私たち、なんとかフライト取れて飛行機で来たの」と5人組が話しているのが聞こえた。この5人はクロウト筋の若手のようだった。この日が千秋楽でもあるので、しのぶさんの「おっかけ」が東京からも来ているらしい。夫婦モンはほんの少数で、いてもかなりの年配者ばかりだ。男はサラリーマン経験者と思える人は殆ど見えない。演劇・舞台関係者というかBoxOffice業界の人がかなり多いように思えた。
 **(あの子かわいやカンカン娘)と♪いながら彼女が下手から出てきた。真っ黒なフレヤースカートに大きな紅いバラが一輪だけ刺繍してある。前後に身体を揺らして歌いながら、視線は会場の全部をずーっとなめていく。
 始まったばかりで誰も手拍子を取らなかったが、無意識に音を出さずに手拍子を取ったらこちらに彼女の視線がスッと来た(と勝手に思った)。そのうちに座った反対側の席から手拍子が出だして会場に広がった。
 「一人舞台ってあるので大竹しのぶが一人で劇をすると思ってこられた人には申し訳ないけど、今回は歌とおしゃべりなんです」、最初の歌が終わったあと、彼女が話し出した。
 銀座カンカン娘、花、悪女、見上げてごらん夜の星を、などを次々歌い、あいまに
「今も杉本さんが時々遊びに来てくれて、今年もクリスマスには例の調子で盛り上げてくれました」などと喋る。客は全員子供のイマルちゃんの父親が明石屋さんまさんということも知っているからすぐに彼女と一体感の中で笑ってしまう。
 舞台で鍛えられたのか、口先でない腹の底からの声は厚みがあり、透きとおって良く通る。そして、彼女は自分でもとても歌が好きなんだろうと思える情感がこぼれる。
 「奇跡の人」に出演するための勉強で知った施設の人たちとの交流の話なども、静かにそして長く話した。
 **最後に「明日があるさ」を歌いながら狭いといっても結構ある会場を、彼女は右から左、真ん中から上から下まで歌いながら殆ど走った。千秋楽でもあるせいか彼女の瞳が少し潤んで見えた。席は最左端から二つ目と三つ目だったが、そのお陰で最後に左の端っこを走り上がってきた彼女が、順番に握手していく中で、精一杯伸ばした僕の左手の3本の指をギュッと握ってくれた。「握手してくれた」と上ずった声で隣の相方に言ったら、「良かったね、長年の願いがかなって」と即、返ってきた。



 
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勝どきから月島へ  居酒屋の多さと良き蕎麦屋があるのが嬉しい。 蕎麦屋で一杯は「上むら」で その2/2完

2018年05月27日 | 食べる飲む
居酒屋の「岸田屋」は噂どおり5時の開店を待ってもう20人ほどが店の前で列を作って待っていた。また「肴の味泉」は予約客ありで断られた。次回は電話予約をと言われてしまった。では蕎麦屋でもう少し飲んで蕎麦で締めようとM山さんご贔屓の「上むら」へ向かった。

大きな店であっという間に人でいっぱいになった。店はなかなか凝った造りだった。

酒肴には珍しく島らっきょうがあったので頼んだ。

定番の板わさ

もちろん天婦羅も

私はM山さんとの会話を芋焼酎の蕎麦湯割りでゆっくり楽しんだ。
 
M山さんから後日メールが来た。「月島に(もんじゃ焼き)店以外に沢山のそしてユニークな居酒屋店があること初めて知りました。またやりましょう。」

上むらの外観、内観の画像はネットから引用。


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勝どきから月島へ  居酒屋の多さと良き蕎麦屋があるのが嬉しい。 居酒屋「魚仁」に入店。 その1/全2回

2018年05月26日 | 食べる飲む
JR両国駅東口で降りて少し歩き地下鉄大江戸線に乗り換えて勝どき駅で降りた。勝どき駅を出た交差点☝

夕刻4時半に当地の住人M山さんと待ち合わせた。彼は元勤務先の人の中で自分の一番近くに住んでいる。そして先月両国で一杯やり二人M会を月例にすることになった。もちろん参加者が増えるのは大歓迎だ。
勝どきのタワーマンションの数には驚く。
以前月島(click)から銀座まで歩いたことがあるが大した距離ではなかった。本当に東京駅にも近い。



隅田川につながる運河を超えて月島へ

月島の本通り



一歩路地を入ると懐かしい風景がある。

目指した魚主体の居酒屋「魚仁」はもうほぼ満員だった。(ネットから引用の画像多数)



イカの刺身500円、ホルモン煮込み500円

エンガワの刺身500円。







5人の女子会のメンツもいてよく食べよく飲んでいた。こんな魚の居酒屋が家から歩きの範囲が羨ましい(笑)。









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8年使ったパソコンを買い替えた。 5/26追記

2018年05月25日 | 身辺あれこれ
ここ一年ほど使用中に電源が突然落ちるようになったパソコン。画面が急に真っ暗になるのは大きなストレスだ。機体が熱くなってある温度になるとこの現象が起こるようだ。再立ち上げもいちいち面倒だし、ある日突然全く動かなくなるかもしれないと思うようになり、買い替えることにした。2010年2月に前のパソコンから買い替えたパソコンだから8年使ったことになる。我が家のパソコンは1997年に購入したIBMのAptivaが第一号で今回のパソコンが4台目になる。
 会員になっているのでNECdirectというメールがNECから定期的に入っていた。今回はこれを利用してハードの購入に加えてソフトのSpecUpとインターネットなどの設定、パソコン内データの移設、プリンターの接続をインターネットを使って手配した。
パソコンが届いた翌日に技術者が来て開梱から始めて2時間半ほどで前のパソコンと全く同じように使えるようになった。今回のパソコンの買換え更新はインターネットだけで全て手配できた。お代は〆て163,296円也。大手量販店に依頼するより多少は安くついたかなと思う。追記:神戸時代にブルーレイで録画したTV番組が沢山あるが、これまでそれらはTVのデイスプレイでしか見ることが出来なかった。いまTVはあいかたと二人だけで見るのではなく6人で見ている。自分単独で好きな時にそれらを見ようと思うとパソコンでブルーレイDVDが見える装置がいる。その装置はパソコン本体には入ってなかったので有料追加仕様の中に入れた。昨夜初めて使ってみた。初期設定に四苦八苦したが無事にブルーレイDVDをパソコンで一人で楽しめるようになった。これで大切にとってある2時間物の ちあきなおみ、高橋真梨子、中島みゆきさんたちの歌唱をゆっくり楽しめるし、与党と宗主国の軍需産業経営者が強める言論統制をかいくぐって放映された原発事故関連や戦争に関するドキュメンタリー特集などもまたゆっくり見ることが出来る。





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浮世絵のコレクターが作った原宿の「太田記念美術館」を訪ねた。やはりホンマモンの実物浮世絵を沢山見ると日本の庶民芸術の世界性に感動する。

2018年05月24日 | 関東あちこち
5月某日、原宿の表参道にある太田記念美術館を三人で訪れた。5月27日まで広重の「名所江戸百景」展をやっている。







美術館内外と作品の画像はネットから引用。(美術館の内部と作品は当然ながら撮影禁止のため)





展示の浮世絵をみて自分は浮世絵の実物に接したのは初めてだと気が付いた。何しろ今のグラビア誌のような役割もあってそんなに大きなものではない、というかむしろ小さい。広重の浮世絵は構図からしてもう目を奪われる。なんという大胆さだ。そして絵師、彫り師、摺り師と版元(出版社)の見事な連携が江戸時代に花を開いたこともよくわかった。全くIT時代の前の人間たちの技とは恐ろしい。そして見事だ。彼らは自らを職人であってアーチストとは思っていなかったかもしれないが、彼らのおかげで日本のかけがえのない芸術作品が地球上の今に残った。













一階と二階だけの美術館だけど品質の良い浮世絵を1万4千ほど所有していることが知られているせいか、適度の人数が途切れることなく美術館の中に入っていく。
次の回は





美術館の紹介



表参道はさすがによそでは見たことがない雰囲気の皆さんがいる。鑑賞したあとの定例の飲み会は新宿でやることになった。



正直な話、この三人の集いは後半の飲み会がホンセンかもしれない(笑)。

恐らくまた来月も美術鑑賞のため?三人は集まることになるだろう・・・。ちなみにこの3人の参加者の共通点はそれぞれが九州の小学校に在学したことがあるということと、時期はたがえど愛媛県新居浜市の工場の独身寮に2年以上はいたことがあるという2点だ(笑)。









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[印旛沼の里山住人夫妻、台湾の最南端、温泉、グルメを楽しむ ] シリーズ補遺。

2018年05月24日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集
個人手配の海外旅行を楽しむ印旛沼の里山住人kさんからメールがありました。

⇒台湾旅行記のブログ掲載ありがとうございました。

ネットで飛行機、ホテルを予約していく個人旅行の第一回目は2010年のソウル旅行でした。
そのあと韓国へは3回、台湾へは4回の個人旅行です。
特に台湾は気候、人、食事、日本時代の名残、温泉等魅力的でここ4年毎年旅行しています。
韓国のような観光客向け料金設定もなく、食事料金も本当に庶民的です。

ネットで個人旅行に必要な情報がほとんどといっていいほど探すことができます。
8年前とは比べ物にならないほど進化しています。
鉄道の時刻表&料金、目的地までの移動方法(バスの路線番号、時刻表、バス停の場所)
グルメ情報、ホテル情報&予約サイト、観光情報、地図(google map)等

今回もネットで調べて計画したとおりに進みました。
うれしい誤算は車城でマンゴーを購入できたこと、四重渓温泉のホテルで夕食付だったこと、
ウーライ温泉で足湯を楽しんだこと。
残念だったのは鵝鑾鼻灯台に近づけなかったことことぐらいでした。

台湾はどんな小さな路地にも名前がついていて、かつ標識が有るので街歩きには苦労しません。
google mapにはバス停の位置、路線番号も記載されています。

今回初めてWifi機器をレンタルして5日間で5千円支払いましたが必要なかったが結論です。
ホテル、公共交通機関内は無料Wifiが利用できるからです。
また観光業の人はほとんどgoogle翻訳を使って会話をしようとしてきます。

今回有効だったのは漁港の海鮮食堂で調理方法を確認するときにgoogle翻訳の音声翻訳機能を
使いました。
実はこのことを想定して調理方法の台湾語訳をメモ帳に控えていたのですが見つからず音声翻訳で
話が通じました。


ここからは全くの余談ですが、つい最近Kさんと阿智胡地亭の互いの親戚同士が長い間親しくつきあっているということが分かってなんと世間は狭いものかと互いに驚きました。Kさんの両親の従兄と阿智胡地亭の従兄は日本を代表する通信社であるKD通信社に勤務して昔から信条を同じくする先輩後輩の付き合いがあり、会社は定年で辞めてもジャーナリスト精神を持ち続けるお二人は昨今も時々茶飲み話を交わしているそうです。そんな関係があるとはkさんと50年以上の付き合で全然しりませんでした。かくも人の世は面白いことがあるものです。


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ある夜のスカイツリー  夕焼けが美しい。

2018年05月23日 | 身辺あれこれ
この夜も、ももいろクローバーがライティングのスポンサーかな(笑)。
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印旛沼の里山住人夫妻、台湾の最南端、温泉、グルメを楽しむ(4)今回シリーズ完

2018年05月23日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集
千葉県にある印旛沼のほとりの里山住人kさん夫妻の台湾最南端旅行の4日目です。 (Kさんとはお互い愛媛県新居浜市の工場独身寮で出会って昭和41年に「椎(41)の会」という同期会に加入して以来の付き合いです。)4日目の朝ホテルより山側の方へ散歩に行った。100mほど行くと大きな門があり「歓迎光臨牡丹郷大梅」と書いてあり原住民風の彫刻も施されている。この一帯は原住民の村なのだ。村には小さなお寺が二つ、道端には可愛いピンクの時計草などの花が咲いていた。
大梅



今日は高雄、台北を経由してウーライ温泉に向かう。高雄/左営駅で下見していた土産物屋に行くと一昨日の女性店員が笑顔で迎えてくれた。ここで土産物を購入した。予約していた新幹線には時間があったのでタピオカミルクティーの名店、春水堂へ行くことにした。三越にあることまでは調べておいたが詳細は不明、多くに人に助けられながら11時開店と同時に入店してタピオカミルクティーを注文、ゆっくりとお茶を楽しむ時間もなく店を後にした。
タアピオカミルクティー

昼食は三越のフードコートで買った台湾風おこわ2種類とセブンイレブンで買ったアサヒスーパードライ。台北駅で大きなバッグを置いて一人で駅前の福州世祖胡椒餅を買いに行った。気温計は30度だったが風があったので心地良かった。

昼食のおこわ

晴天の台北駅

台北駅のクラーの効いたメインロビーで胡椒餅を食べたが焼き立てで美味しかった。
福世胡椒餅

台北駅からウーライ温泉まではバスで1時間10分ほど、バス料金は180円という安さだ。バスは4時ごろウーライ温泉駅に到着、ホテル迄ウーライ老街を通り抜けて向かった。土曜日であり温泉街は人でごった返していた。外国人客も見受けられた。ホテルのチェックインは18時だが荷物を預けに行ったら17時30分にはチェックインOkと言われたのでそれまで温泉街を散策した。ウーライ温泉の多くのホテルは昼間は日帰り客に部屋を提供しているのでチェックイン時間は遅い。

ウーライ温泉
老街の散策、吊り橋を渡ったりしながら時間を過ごしてホテルに戻り、温泉に浸かってから食事に向かった。日か暮れかかってくると日帰り客はいなくなり寂しい温泉街だ。食事は原住民タイヤル族の家族が経営する泰雅婆婆美食店、店先には新鮮な山菜、野菜などが並んでいる。
夕暮れのウーライ老街
泰雅婆婆美食店



注文書を貰ったがメニューと店先の現物を見合わせているとおばさんが日本語のメニューを持ってきた。空心菜、山ネギ、川エビと小魚の唐揚げ、竹筒御飯4点を頼んだらおばさんが日本語で「水連と山猪肉がお薦め」と言ってきたのでこちらも注文、計5品になって今日も食べ残した。ビールを注文すると店の端の方を指さす、行ってみたがビールはない。再度聞くと開かれたドアーをくぐって隣の店に連れていかれた。ビール瓶を取り出して飲み始めたら隣の店のおばさんが何か言いながら来た、どうもビール代を払えということらしく持っているお金を出したら100元持って行った。隣の店は同族経営で主に酒類のお土産物屋だが会計は別の様だ。ライトアップされた吊り橋を見てからホテルに帰った。
翌朝は5時半にホテルを出て山側のウーライ滝まで30分ほどの散歩、空気もきれいですがすがしい。ホテルに戻ったが朝食まで時間があるので部屋の窓から見えたウーライ名物の川湯温泉に行ってみた。ウーライ名物の川端での入浴は最近禁止されたが、今回2か所で確認された。
夜の吊り橋

ウーライ滝




川端の石の間から高温の温泉が湧いていて、石で堰き止めて川の水を引き入れて温度調節している。地元の人、子供を連れた家族が30人位入浴していた。温度は泉源の近くは高温、川に水の近くは冷たい、温度調節が必須な温泉だ。地元の人に交ざって足湯を楽しんだ。
川湯温泉

ホテルに戻り朝湯を浴び、朝食を食べてウーライを後にして帰途に就いた。

 ☆kさん、旅行記を読んで今回もまた自分も台湾最南端を楽しんでいるような気になりました。今まさにこうして台湾人が暮らしている!そういうことも自然にわかり昭和50年代の台湾からかの国が大きく変化したと実感しました。それにつけても一般の国民が幸せな国、余裕のある日常生活のある国は旅行で行っても楽しいですよね。沢山の貴重な面白い情報に謝謝你 。

里山住人夫妻の海外旅行記の掲載は2006年11月24日に掲載した大連旅行記からスタートしました。その後の全記録は本ブログのカテゴリー「印旛沼の里山住人の寄稿アルバム集」にあります。南米北米欧州中国韓国まで含む広範囲の世界旅行記を楽しめます。寄稿アルバム集には現在国内の投稿記事を含めて147編のエントリーが掲載されています。

kさんの旅行記投稿のきかっけになった阿智胡地亭の「大連に関するエッセイ」は次の通り。
海外あちこち記#32中国/大連篇(1982年ごろ?の大連出張でこの文章は2001,2年ごろ作成)

1)大連駅を降りると駅前は大きな放射線状のロータリーになっていました。
他の中国の都市の道路は碁盤の目の設計ですが、この都会は1899年にロシア人によって完成したため、ヨーロッパ式の町作りになっているそうです。ロシアの後は日本が戦前まで統治していましたから沢山の日本人が住んでいました。
現在市内人口177万人という大都会です。出張で行った20年前はまだ町全体が暖房用の石炭の煤のせいか、くすんで見えました。

大連港には旧式の港湾クレーンが林立していましたが、大型外航船の数は少なく神戸港やシンガポール港を見た目で見ると寂しい限りです。旅客船埠頭に立ち、ここと日本の間をどれだけ多くの人達が船で往来したのかと思いながらしばらく立ち尽くしました。今この港にこの出張の後の国際入札で落札した荷役機械が稼動しているはずです。
大連には入札に備えての事前調査で大連機械公司を訪問した訳ですが、大きな製缶工場や機械工場がある会社でした。

2)余談ながら、大連に滞在している時は頭に浮かびませんでしたが、満州からソ連の参戦で脱出した家族の中に新田次郎の家族がいます。
藤原てい作『流れる星は生きている』という本があります。戦後すぐのベストセラー小説です。夫がソ連の収容所に連行され、27歳の作者は子供三人を連れて満州から脱出せねばならない。正広六歳、正彦三歳、咲子は生後まだ一ヶ月である――昭和20年8月9日のソ連参戦の夜から昭和21年9月に日本にたどり着くまでの一年におよぶ記録です。作者の夫は「強力伝」「八甲田山死の彷徨」「アラスカ物語」などを書いた新田次郎ですが、この本が出た当時は気象庁勤務の一介の技官でした。

たまたま藤原ていさんが諏訪二葉女学校で母の数年後輩であり、母はていさんの姉と同級で寄宿舎も一緒だったというご縁で、この本が家にあり小学生時代に読みました。昼間は隠れ、夜間だけ歩きに歩いてプサンを目指して移動。毎晩泣く子をしかりつけ、子供の足裏に食い込んだ小石や砂を指でほじくり出すのが日課だった。沢山の引き上げ日本人が経験した極限状態の逃避行の記録です。新田次郎は同じく諏訪の角間新田地区の出身で、角間新田は僕の父の実家から上の方にあり、角間新田の新田をペンネームにしたと聞きました。新田次郎は気象庁ではノンキャリアであったことと、奥さんが先に世に出たこともバネにして、官舎で夜こつこつと小説家を目指して習作に励んだと知り合いから聞きました。

「若き数学者のアメリカ」を書き、 『心は孤独な数学者』などの作者で、最近はエッセイも多い藤原正彦は引き上げ当時3才だった2人の次男です。また、乳飲み子で背負われて日本に辿り着いた藤原咲子さんが最近「父への恋文」という本を上梓したようです。

中国、台湾、韓国など乗りこまれた方(ほう)と乗り込んだ方、いい目にあった方と辛い目にあった方、一瞬にして攻守ところを変えられて翻弄された一軒一軒のそれぞれの国のそれぞれの家族の歴史。町の歴史。いつもそんなことを思って出張するわけでは毛頭ありませんが、アジアの国の町で出張の中の休日に町を一人で歩くと、パリやロンドン、ソールトレイクシテイなどを歩くのとは違う思いが時にはします。特に大連には旧大和ホテル、満鉄大連本社、その社員の宿舎群、アカシア並木等が残っており、おいしい肉饅頭をほおばりつつ、当地にご縁のある自分の何人かの知り合いの方のことを思い出しながら歩きました。
 








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蕎麦屋の「満留賀ーまるか」の肉豆腐はしっかり鍋で出てきた。

2018年05月22日 | 食べる飲む
5月の連休中に蕎麦屋に行った。量が多いので蕎麦は一人前にして酒肴として肉豆腐と天ぷら一皿を頼んだ。
居酒屋の感覚で肉豆腐650円なんだと思ったら、出てきたのはたっぷり豆腐とお肉と野菜が入った鍋だった。驚いた。☝
キスとメゴチの天婦羅450円も二人分かと思った。

蕎麦焼酎・吉兆雲海の蕎麦湯わりも旨かった。

蕎麦はあいかたの定番で鴨せいろ1300円。二人でわけてちょうどいい。



このいかにも街の蕎麦屋の風情そのものが何とも好ましい。





家から歩いて十数分のところに蕎麦屋、韓国人がオーナーシェフの韓国料理店、ネパール人がシェフのネパールインド料理店、瀋陽から来た中国人がやっている中華料理店、
大阪の全国チエーン 餃子の王将の直営店などがあり、どこも安くて美味いのは後期高齢者にはありがたい限りだ。
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