帆船「あこがれ」が名前を変え、神戸港を母港に新スタートします。
友人のHalimaoさんから嬉しいメールが来ました。 ⇒「本日の神戸新聞に帆船”みらいへ”の記事がありました。これは、以前皆さんと見学した”あこがれ”です。 橋下大阪市長の打ち出した予算削減で、まずこれが無駄ということで、売りにだされたものです 今回これが神戸港を母港として、こどもの教育用に活用されることになっています。 私達を案内してくれた、吉川さんがこの船の船長として乗船されることになっています。 また、皆さんと訪船する機会をつくりたいとおもいます。」
以下は過去の「あこがれ」のエントリーから。
オリジナル掲載は2012年3月26日掲載「大阪市が運営する『帆船 あこがれ』を見学しました。」 (2013年3月31日編集して再掲載)
今日、3月31日に運営が廃止されてしまう帆船「あこがれ」。橋下市政では生き延びることが出来なかった。一国の文化はその国が持つ「余裕・遊び心」から生まれる。一流国と二流国以下を分けるのは、保有する軍隊の強大さではなく、その国民がどんな文化を楽しみ、それがまた他国民に広がるかどうかで決まる。関係者が守ってきた「帆船 あこがれ」。「あこがれ」が維持してきた海洋文化や技術の伝統。それが大阪市のこれまでの長年の失政のツケで、大阪市に余裕がなくなり、ここにきて廃止される。『文化ではメシ喰われへんがな・・』はい、まことに。なにしろ大阪市民一人当たりの職員数が横浜市の2倍あって、市に入る税金が大阪市の職員の給料で全部消えてしまう。そら市民のための事業は出来へんわな。本日をもって運営を終わる「あこがれ」。ここに昨年の記事を再掲載して、ご関係の皆さんの維持のためのこれまでのご奮闘を称えます。
⇒大阪南港を母港とする帆船「あこがれ」を月曜会のメンバーが見学しました。「あこがれ」は“日本丸”や“海王丸”を造った住友重機械工業社の浦賀工場で1993年に竣工しました。海洋諸国では地方公共団体や帆船愛好家団体が帆船を持って、若い世代に海に対する関心を持ってもらうべく乗船や航海体験をさせています。日本では行政として唯一「大阪市」が体験用帆船を所有し、これまで20年間、海洋国家日本の次世代のために貢献してきました。乗船してみると、まことにこじんまりした船でしたが、勝海舟や福沢諭吉などは、ほぼこの大きさの船「咸臨丸」で太平洋を渡ったのです。幕末の日本人の「国家が存続するために、それぞれの人たちが持つた使命感ーミッション」を果たそうとする気概の重さ、大きさを思います。 「あこがれ」が係留されているATCは毎週日曜日にはコスプレ愛好者が集うそうで、多くの男女が非日常の衣装で異界の自分を楽しんでいました。
案内して頂いた吉川指導員、ありがとうございました。
○この2枚はHPの壁紙からダウンロード。
橋下市長さん、大阪市の中高生の課外活動に最適の帆走体験が“あこがれ”で出来ます。そして海洋国家日本のためにもこういう教育の場は貴重だと思います。これからもこの帆船の活用を是非考えてください!
“あこがれ”の主要目
起工 1992年6月19日 進水 1992年11月24日 竣工 1993年3月31日 船種 帆船 用途 国際航海に従事する練習船 船型 全通平甲板型 帆装形式 3本マストトップスルスクーナー 主要寸法 全長 52.16m バウスプリットを含む 垂線間長 36.00m 型幅 8.60m 型深 5.90m 上甲板まで 満載吃水 4.50m 総トン数 362トン(国際) 航海速度 8.5ノット 主機関 4サイクルディーゼル 最大出力 320PS×1基 プロペラ フェザーリング式可変ピッチプロペラ 搭載人員 乗組員 10名 訓練生等 40名(ただし国内での1日コースの場合は60名) 帆枚数/帆面積 横帆3枚/約215㎡ 縦帆10枚/約568㎡13枚/約783㎡ 総帆 通常セットしている帆の枚数と面積13枚/約783㎡ マスト高さ(最高) 約30m 上甲板上
参考 咸臨丸Wikipediaから
艦歴
発注: 1855年(江戸幕府) 起工: 1855年 (オランダの造船所) 進水: 1856年 就役: 1857年 退役: 1871年沈没 性能諸元 排水量: 620 t 全長: 48.8 m 全幅: 8.74 m 吃水: 機関: 3本マストの帆 100馬力の蒸気機関 燃料: 石炭 最大速: 6 ノット (10 km/h) 兵員: 兵装: 砲 12門
1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港。艦長は勝海舟。(正確には勝海舟は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、勝が艦長、木村が提督と考えると現在の呼称に最も近い。福澤諭吉やジョン万次郎らも乗船していた。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。
しかし現実に登場したホバーボードは、ジェットエンジンを利用して、空高く飛翔する。
2017.05.21 〜 2017.05.27
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神戸ではそんな感じの中華料理の店が下町のあちこちに溶け込んでいる。
「say☆yan」の担々麺はコクのある旨い担々麺だった。麺の後口もいいし量もたっぷり。小鉢二つがついて麺定食710円也。
これで神戸で4軒目の担々麺OKの店に巡り合った。
財布を盗んだ後にカメラに気づいた男wwwwwwwwwww手合わせてるwwwwwww pic.twitter.com/rZglqKEmkA
— 今日の動画 (@kyonodoga) 2017年5月25日
映画を観終わってすぐ頭に浮かんだのは、アメリカにも「脚本家 山田太一」はいるんだ、という思いでした。
映画の序盤で亡くなる兄。その兄の子の面倒を見ることを兄の遺言で頼まれてしまった、それまで町を離れてボストンで暮らしていた弟。
16歳の甥とのこれからの生き方についての様々な二人の口論と葛藤。その日々がある状況に落ち着くまでが淡々と、しかし主役の弟と
その連れ合いの過去の事件から来るそれぞれの心の闇が深く描かれて行きます。
彼には生まれ故郷の「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を離れてボストンで暮らすしかない過去があった。
それらのことがめまぐるしく多用されるフラッシュバックで徐々にわかってきます。
それぞれが個としては自分の人生を主役として生きるアメリカ人の夫婦関係の在り方は日本人のそれとは違う。
だからまた、その二人の間に生まれた子供たちが置かれる環境のある意味の過酷さ。
なあなあで生きることを許さない主語がいつもある人間関係や、その社会で生きる連中が持たざるを得ない強靭さとしんどさ、そんなことも画面から感じました。
映画が進行するにつれ、こんな普通の人間を描く映画はハッピーエンドでなくてもいいから、せめて映画のドラマにエンドマークが出ても、
その先に何か明かるいものが少しだけでも予感できる終わり方であって欲しい、と思いながら観ていました。
そして映画は時にクスッと笑えるユーモアもちりばめながら、「山田太一」の脚本のようなエンデイングに向かってくれました。
人はどんな状況になるか明日のことは私もあなたも誰もわからない。しかし人はどんな目に逢おうとも、それでも生きていかなければならない。
そんなことを感じさせられながら場内が明るくなるのを席に深くかけたまま待ちました。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という町の景色はドラマの中では多く登場しませんが、オープニングとエンデイングシーンに美しく
描かれています。なんかとても懐かしい思いにさせられる景色です。それも含めてこの映画は観る価値のある映画だとお勧めします。
余談① このカタカナの題名は何とかならないのか? どうして「海辺のマンチェスター」ではいけないのかと思っていたら、
なんとManchester by the sea というのが全体で正式な町名だそうです。
余談②主演俳優はこの役柄の演技で今年のアカデミー賞主演男優賞を取った。私が知らないだけでそれなりのアクターのようだ。
脇役を含めて、アメリカ映画界の俳優の層の厚みと幅にはアメリカ映画を観るたび毎度毎度恐れ入るばかりです。
余談③この映画を観ようと思ったのは姐さんから送っていただいた「銀座百点 5月号」の映画紹介欄を読んだからです。