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今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「FURUSATO~宇宙からみた世界遺産~」他(日本科学未来館)

2011年01月24日 23時00分08秒 | 美術館/博物館/展覧会
21日は夕方からお台場に用事があり(笑)それが中途半端な時刻だったのでいっそのこと有給休暇をとって一日中「遠足の日」となりました。

表題の「FURUSATO」は日本科学未来館の3Dドームシアターで上映される立体実写による作品で、私はこのあと同場所でのプラネタリウム「夜はやさしい」、と、未来館一階の特設展「テオ・ヤンセン展」、そして常設展と、館内のほとんどを見学しました。

当初の目的はそのプラネタリウム「夜はやさしい」だったのですが、それは夜の声を捉えて星空を眺めるというもので、原案とナレーションの谷川俊太郎さんはパンフレットで「このプログラムは夜の視覚空間と聴覚空間のいわば詩を媒介にした化合一を目指します」と書いていましたが、耳いっぱいに響く夜の音が私にはいささか賑やか過ぎました。

虫の音も、木々のささやきも、どこからか聞こえる夜行動物の遠吠えや息遣いも、町に溢れる夜の喧騒も、祭りの騒擾も、人々の語らい、恋人達のささやきや、誰かがもらした溜め息も……夜の音はそれぞれのボリュームや距離で聞いてこそ風情があり、情緒が刺激されるものかもしれない……などと思いました。


で、「FURUSATO」のほうなんですけどね、
これは3Dだから専用の目がねを使用して鑑賞するんですが、これが期待以上に良かったです!
老若男女にお薦めします。

「宇宙から見ると、自然の風景も、人類が作った景観も、共にひとつの地球環境」であり、地球はそこに住むもの全ての故郷です。
ここでは、ニュージーランドの自然遺産、エジプトの文化遺産、日本三景の一つであり文化遺産でもある厳島神社、そして同じ広島のもう一つの世界遺産、人類の負の遺産である「原爆ドーム」の世界三ヶ所の世界遺産を見ることができます。

その映像が凄いです!!
ほんとうにそこにいるかのように…たとえば、エジプトならば、ピラミッドの中に入り込んで、頭をかがめて狭い部屋の入り口をくぐっていたり、スフィンクスの足先にも今まさに触れられるのではないか?というほど近づけたりと、圧倒的な臨場感がありました。
ニュージーランドの満天の星空や自然も美しく、厳島神社には「改めてもう一度」ここに行って見たいと思いました。

もしかしたら、あと何十年かしてもっと3D映像が進めば、世界旅行の新しい時代が来るかもしれません。
映画館で映画を見るように、手軽に外国の観光地や秘境の地までも旅行ができてしまうのかも。

なんて、話は逸れましたが、この作品はその三ヶ所の世界遺産を、その地に暮らす子供達の目を通して語られます。
この子供達にもそれぞれのストーリーがありました。

構成は映画「おくりびと」の脚本でアカデミー賞を受賞した小山薫堂氏、ナレーションは下條アトムさんです。
とても素敵な作品でした。
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「鬼と遊ぶ展」ギャラリー・どんぐりころころ

2011年01月22日 23時21分19秒 | 美術館/博物館/展覧会

「鬼と遊ぶ展」 
【会期】 2011年1月8日(土)~1月25日(火)
【ギャラリー】 浦安 どんぐりころころ
千葉県浦安市堀江3-2-10
tel047-352-0778
東西線浦安駅より徒歩5分
http://members.jcom.home.ne.jp/donkoro/

金曜日はお台場で日本科学技術館のドームシアターで3D映像とプラネタリウムを観賞してから、夕方に中川晃教さん出演のラジオ収録を見に行き、翌土曜日には女流講談師・神田紅師匠の塾生発表会を上野で楽しみ、その後は浦安に足を延ばして作品展へ。

なんだって、そんな一辺に出かけたのかっていうと、時間短縮&交通費節約のためなんだけど、そんなわけで、書きたいもの、書いておきたいものがいっぱいよ!
どれもこれもが楽しかったし、すごく良い刺激にもなりいろいろと思うこともありましたが、順位からすると、浦安の作品展「鬼と遊ぶ」が会期終了間近なのでこれを書くのが先よね。

「見えないけれど、見える鬼のかたち」…この作品展は、鬼をモチーフにして様々な分野の作家さんたちが表現するそれぞの鬼が展示してあります。

鬼といっても、そのイメージはほんとに人それぞれですね~!
可愛らしい鬼や、やさしそうな鬼の作品のがたくさんで、ほのぼのしたり、微笑ましかったりと、心暖まるような作品展でした。
私は鬼というと、真っ先に思い出すのが子どもの頃に大好きだった絵本の「泣いた赤鬼」なので、もともと鬼って怖いイメージはないんですけどね、ここに展示されている作品のそれぞれの作家さんが、鬼をどのようなイメージで捉えているのかが伺われて興味深かったです。

鬼をたとえば、マイノリティー(少数派)であるとか、アウトサイダー的な存在と捉えることもできるかもしれない。
もともとは煩悩が具現化された姿なのでしょうけど、その姿も煩悩も、恐ろしいと見るか、悲しいと見るか、はたまた愛おしいと見るかで、同じモチーフでありながら作品の方向性が全く変わっていくようです。

そんな中で、思わずぐっと惹き込まれて見入ってしまったのが、友人の亀本みのりさんの作品、版画の「ai」です。 

鬼は指が三本しかないといいます。足りないのは「心」と「知恵」の二つです。
鬼は恋をしました。
恋をしたら、いつの間にか心が芽生え、翼が生えました。
そして、鬼はじっと自分の手を見つめながら涙を流します。
その作品がこれです。↓ 亀本みのり・作「ai」
           

煩悩に、誰かを想う心が加わると、それが恋になるのかもしれません。
翼は天使の羽根か、それとも悪魔のそれなのでしょうか…。
鬼は指が三本しかない手を見て何を思うのでしょう。
私はこの版画絵を見ているうちに、次第にこの鬼と一緒に泣きたい気分になりました。
今まで拝見した亀本みのりさんの作品のなかで一番愛しいと思う作品でした。
私も鬼をモチーフにして、いずれは何か創作してみたくなりました。

この作品展は今月の25日火曜日まで開催しています。
静かな路地の小さなギャラリーですが、お近くの方はぜひご覧になってみて下さい。
…って、今回は私、べつにまわし者じゃありませんけど(笑)

あ、そうそう、このギャラリーのご近所に清瀧神社という、境内に心地よい気の流れる神社を見つけたので、今年はまだ初詣をしていないのを思い出して参拝してきました。
神様のあとに鬼を見たことになりますが、どちらにも心が洗われたような気がしました。

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「三人展」堀内朗/亀本みのり/KURO~早稲田ドラードギャラリー

2010年12月16日 22時13分56秒 | 美術館/博物館/展覧会
12/12日曜日の昼に、ドラード早稲田というガウディ建築のような外観の建物のモダンなドラードギャラリーで、友人で版画家の亀本みのりさんが三人展を開催していたので行ってきました。

堀内朗…画家、大手百貨店や有名画廊での 取扱多数。
亀本みのり…若手期待の版画家。ホテルや海外出品など活躍中。
KURO…画家。SADU代表。国重文のお寺での個展をはじめ、国内有名サロンでの展示など活動。

すみません!お三人の作品をカッコよく載せたいとは思うんだけど、このブログをはじめてそろそろ一年になるというのに、ぜ~んぜんっ!使いこなせてないんです~(泣)
なので、携帯で撮ったみのりさんの作品だけを載せますが、他のお二人の作品もそれぞれの趣があり、それぞれに好きだと思いました。

版画家のみのりさんとは知り合ってもう三年くらいかな?
でもお会いするのはこの日で二回目でした。
彼女の作品は版画ですが、私は彼女の作品を初めて見た時、こんなことを言ってはなんですが、何故だかわからないですが「怖い」と思ったんです。
今はそんなことはありませんが。
でも、何故怖かったのか知りたくて、今回彼女の作品を生で見てお話しできて、とても得るものがありました。
今回は初対面のKUROさんともお話させていただきましたが、こんなふうにたまにアーティストの方々のお話を聞くことは、私にとってとても良い刺激になるし色々なヒントをいただくことができて、短い時間ではありましたが本当に有意義な時間を過ごすことができました。

亀本みのりさんとはどこか響き合うものがあるので、今後彼女が予定しているモチーフなども私にとって大いに興味があります。
ここ数年はコンクールで賞を取ったり海外の展覧会にも出品していらっしゃいますし、もともと別のきっかけで偶然にも知り合った方がたまたまアーティストで、こんなふうに徐々に夢を叶えていく様を見るのはとても嬉しいです。
今後もご活躍を楽しみにしたいと思います。




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上村松園展(東京国立近代美術館)

2010年10月03日 14時17分21秒 | 美術館/博物館/展覧会
上村松園展(東京国立近代美術館)

上村松園は明治8年京都で生まれ、12歳で京都府画学校に入学し、並行して鈴木松年塾にも通い15歳にして第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品、25歳には日本美術院連合絵画共進会の銀牌を受けるなど、ごく若い頃から頭角を現した女流画家です。
次々と気品あふれる人物画を生み出したのちは、73歳で女性として初めて文化勲章受章を受賞したそうです。

…という、詳細は↓この展覧会HPでご覧になって下さい(笑)
http://shoen.exhn.jp/index.html

この展覧会のHPは記事がわかりやすく、その文には作品への深い理解と愛情が感じられてとても良いですからご興味のある方はぜひ覗いてみてください。

そして会場では「音声ガイド」を借りることをお勧めします!
この美術館や博物館でよく貸し出している「音声ガイド」ですが、私は基本的には借りないことにしいてます。
何を見るにしても予備知識がなくていちいち初心者の私には「音声ガイド」があると詳細な説明が得られて良いことは良いんですが、時々どうにもその話し声が煩くて作品を感じることに集中できないような気がします。
どうせ専門的な話なんて右の耳から左の耳へ抜けるし(笑)
心を表現したような作品であれば、背景を何も知らなくとも何かしら心に訴えるのではないか……と、思ったりもします。
それで最近は展覧会の会場内の説明文だけで(これはもちろん読みますが) あとは作品を見るとこに集中するために「音声ガイド」は借りないことにしていますが、この上村松園展の音声ガイドは女優の原田美枝子さんが録音しているというので珍しく借りることにしました。
ちなみに料金は500円です。

原田さんのガイドはとても静かな語り口で声も美しく、小うるさい説明などで興醒めさせられるどころか、むしろイマジネーションを豊かに膨らましてくれるような、素敵なガイドでした。
この展覧会は、美術館らしくシンプルで淡々とした作品の展示の仕方とか、パンフレットや公式ホームページ、そしてこの音声ガイドといい、上村松園さんの作品に相応しく全体的に洗練されていたように感じられました。

上村松園さんの作品に現れる人物はどれも女性ばかりです。
松園さんは、美しいばかりの女性を描こうと思ったことは一度もないと言ったそうですが、彼女の作品はみな女性の内面を深く掘り下げたものばかりでした。
体の曲線やポーズ、衣装や小物、そして何よりも主人公たちの僅かとも言える微妙な表情により、作品の背景やその中で生きる彼女たちの心の揺れまでもが感じられます。
写生の段階では生々しく写し取られたそれらの人物も、実際に作品として描くときは表現としてその生々しさを抑えているとのことでしたが、だからこそかもしれませんが私にはどの作品にも生々しい命を感じました。

彼女の代表作といえば「序の舞」と言えそうですが、松園さんの理想の女性像とは、その作品の中の女性のように、ただ美しいだけではなく意地や張りのある女性、そして「意志を感じさせる女性」であったそうです。
あ、だから私は好ましいと思うのか(笑)
粋な艶かしい美人画を見るのも良いですが、生きた女性をそこに見るならば「意志を感じさせる女性」というのは私も好きだと思うので、だから上村松園の作品に魅力を感じるのかもしれません。

展示された作品はどれも素晴らしいものばかりですが、私が特に魅せられた一枚を挙げるとしたら写真にUPした「花がたみ」。
これは原田美枝子さんの音声ガイドを借りて良かったと思いましたが、それを聞きながらじっくり見ていたらウルウルくるものがありました(笑)
この「花がたみ」の女性は狂女です。
恋に狂っている様子はその表情と衣類の乱れでひと目でわかりますが、ガイドによると世阿弥元静の謡曲“花筐”という物語から取り出されたものだそうで、その物語の概要が聞けてとても良かったです。

この女性、照日前は愛する大迹皇子が帝になるために彼女をおいて京の都へ上ってしまったために、恋しさのあまり狂ってしまいます。
絵になったシーンは、恋狂いの照日前が紅葉狩りをする帝たちの一行の前へ立ちはだかるというシーンです。
紅葉がはらはらと舞う中で、照日前が手にしているものはかつて皇子から送られた花かごと手紙です。その表情は、私にはどこかうっとりと幸せそうにも見えます。

松園さんはこの作品を描くために精神病院を訪れ、患者たちと接してスケッチをしたそうです。
その時、心を患った人の顔とはどこか能面と似ていると思ったそうで、能面のスケッチも数多くしたといいます。
ですから照日前の表情は能面と通じるものがあり、うっとりと幸せそうであっても寂しげで、どこか悲しみが潜んでいるようにも思えます。
能面のような照日前の顔は決して美人には描かれていませんが、とても美しい作品でした。


話が思いのほか長くなってしまいましたが(笑)音声ガイドの最後のエピソードが気に入ったので忘れないように書いておきたいと思います。

当時の日本画では「東の鏑木清方、西の上村松園」といわれ美人画の双璧をなした清方氏に、晩年の松園が「私の一生は姉さま遊び(お人形遊び)をして過ごしたようなものです」と言った時、それに応えて清方氏はこう言ったそうです。

「お遊びにしても、随分と偉大な遊びをなすったものですなぁ…」


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弥生美術館

2010年09月01日 20時31分48秒 | 美術館/博物館/展覧会
弥生美術館
「稀代のストーリーテラー 栗本薫/中島梓展
 -書くことは生きること-」

もしかすると、私はこのままここに行かないのかと思い始めていました。
もしかすると、見たくないのかもしれないという気もしました。

でも、もし見なければ後悔するのは確実と思うから、やっぱり行って来ました。

展示されたこの膨大な量の著書は、ある程度は想像していたことです。
けれどもこれは、これでもまだ、ほんの一部なのだろうということも。

世に出したもの、あえて出さずにいたもの。
…商業的に流出したもの、あくまでもそっと趣味で書きためたもの。
ごくプライベートな、会話のような文章も。
その総数は…いや、そこに紡がれた世界の数はどれほどだったのか。
「書くことは生きること」であったこの方が生きた世界は、書いただけの、いやそれ以上の数があったのに違いありません。
もっともっと書きたかったことでしょう。

肉筆の原稿にはどれも目が釘付けになりました。
全部にじっくりと目を通さずにはいられません。

グイン・サーガは、
ああ、そうか……
夜の文学……布団に入ってから見る夢の世界。


最後に書かれた手書きの闘病記は、苦しい病状を語るように筆が乱れて途切れ途切れで、夢の狭間に…


これ以上は…書けません。


あまりに個人的すぎて大きく逸脱した感想を、いったい誰に向かって私は書けばいいのか……。


ただ、気がついたら閉館の時間を過ぎていました。
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黄金の都 シカン(仙台市博物館)

2010年08月23日 21時11分58秒 | 美術館/博物館/展覧会
仙台まで二泊三日も何しに行ったかと言いますとね、つまり、「歌って踊る若いお兄さんを見に行きました」という、非常に頭のお目出度い理由が最大なんですけど(笑)、そこで集まる友人達と観光やグルメも楽しみ、ついでに半日ほど一人の時間もあったので、博物館へ行ってきました。

仙台市博物館は、仙台駅からバスで15分程度行ったところ、青葉城址の手前あたりにありました。
上に載せた写真をぱっと見ると緑の建物のように見えますが、この緑の部分は博物館のガラスに周囲の木々の豊かな緑が映っているからです。

この「黄金の都 シカン」展は2009年7月から2011年の5月まで、全国を巡回しているのだそうです。
私は上野の国立科学博物館で開催された時には気付かなかったので、今回の旅行でこれが見られてとても良かったです。
仙台博物館は夏休みの親子連れが多く、この特別展の最終日ともありなかなかの盛況でした。


シカン文化は9~14世紀に南米ペルーで栄えた文化で、インカ帝国のルーツになるそうです。
アンデス地方の、あの有名なナスカの地上絵がある場所よりも北で興り、日本の時代でいえば、平安時代鎌倉〜室町時代頃と重なります。
「シカン」というのは「月の神殿」という意味だそうで、「シカン文化」と名づけたのは日本人考古学者の島田泉教授という方でした。
島田教授がこの研究を本格的に始めたのは1978年で、それまでは誰も調査や研究をしていなかったそうですから、この発掘の歴史はエジプトなどに比べると遥かに浅いんですよね。
それだけに、見ていると謎が謎を呼びます(笑)

シカンの遺跡を見ると、ピラミッドがありミイラもあるようで、だからエジプトを思い出します。
シカン信仰とは「月と太陽を神と崇める」信仰だということですが、では具体的にどのような信仰だったのかというと……それがね、よくわからないんですよ!
私はそれがとても気になって、でもエジプト展なんかでよく見るそれらの解説を探したんですが、本当にどこにもないんです。
係の方に聞いたら、「図録と、館内の全体をみて」(想像してほしい)ということだったので図録を見ましたが、やっぱり書いてないんですよね~。
ここで私がわかったのは、シカン信仰では儀式では、どうやら生贄を捧げていたらしいということくらいでした。
やはり、この文明が解き明かされるのはこれからなんだと思います。

遺跡から発掘された数々のものには、手のひらくらいのサイズの壺が多かったです。
シカン神や動物などをモチーフにした小さな壺はたくさんの水が入らないでしょうから、もしかすると、一人分のコップのような使い方をしていたのかもしれません。

まだほんの四年前の2006年には、ロロ神殿スロープ脇で高貴な女性の墓が発掘されました。
その墓にはたくさんの生贄が埋められ、墓の主は黄金の仮面を被り、胡坐に座した状態で埋葬されています。
これがね~また、その女性がどんな人なのかほとんどわかりません。
ただ、「シカン文化の社会で重要な地位を占める女性がいたことが明確になった」とだけであり、その女性の地位も身分も役割も全然解らないんですよね。
これって、だけどものすごくロマンがありますよね?

この黄金の国にはいったいどのような歴史があったのか。
どのような人々が、どのような生活をしていたのか。
そこにある人生とはどのようなもので、どのような物語があったのか……。


それにしても遺跡発掘で活躍するハイテク技術には感心しますが、やはり発掘の基本はスコップや刷毛を使う人の手なんですよね。
その地道で繊細な作業を、長い年月をかけてずっと根気強く続けている考古学者の方々って、ほんとうに尊敬してしまいます。

素朴なアンデス音楽流れる展示会場を出ると、お約束のグッズ売り場があり、私はまたしてもクリアファイルを買ってしまいました。
クリアファイルは先日のシャガール展でも買いましたが、そういえば、今年の吉村作治さんのエジプト展でも買いました。
どんだけクリアファイルが好きなんだか(笑)
あとは、こういう展覧会限定のガチャポンもしました。なんかやりたくなっちゃうんですよね~。
出てきたのは、シカンではなくナスカの地上絵の携帯ストラップでしたが、それはそれで嬉しかったです。


謎が謎を呼ぶ未知の文明、黄金の都シカン。

私が生きている間にどれだけ解明されるのか、折に触れて楽しみに待ちたいと思います。
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シャガール展~交錯する夢と前衛

2010年08月20日 09時16分53秒 | 美術館/博物館/展覧会
シャガールの絵がとても好きだと思ったのは、わりと最近のことです。

去年…2009年の2月4日、私はずっと早くから休暇を申請していたにもかかわらず、この日に行くべき場所を失いました。
けれども家でじっとしてはいられず、さりとて代わりにどこかの劇場へ行く気にも到底なれずに、その結果、ひとりで美術館のハシゴをしました。
青山にある小さな美術館に、シャガールの絵は静かに展示されてありました。
まるで貸切のようなそこでたったひとり、私はシャガールと愛妻ベラの二人の愛に包み込まれたように思い、自分の出会いたかった愛をそこで見つけたような気がして心が慰められました。


さて、今年の夏休み二日目は、まずは銀座の「ゲゲゲ展」から始まり、次は上野の美術館でシャガールを見て、そしてさらに池袋へと移動して演芸場で落語と講談を聞いて、最後にその千秋楽打ち上げに参加させてもらうという、我ながら全く統一性のない呆れた強行スケジュールでした。

上野の東京芸術大学美術館は初めて訪れましたが、思ったよりも駅から歩き、ずっと奥のほうにありました。
いくつかの大きな美術館を横目で通り過ぎるうちに、途中で大きな噴水が見えてきて、その白く噴き出す水がしぶきをあげて小さな虹を作り出す様子が、いかにもこの地らしく芸術めいて感じられました。
都会の中でありながら、緑豊かな自然と人の手が調和したこの辺りの一角は、なるほど美術館が立つ場所に相応しいと思いました。
それとも、美術館が立つ場所だから環境が整備されているのか。
鶏が先か、卵が先か…。

なんて、
そんなことはどうだっていいか(笑)

去年見た青山ユニマット美術館も良かったですが、そに比べてかなりたくさんの数の絵が展示されてあり、ここでも見応えがたっぷりありました。
絵には随所に解説がつけられ、シャガールの各時代の生活や、それが描かれた背景なども丁寧に説明され、それを読みながらじっくり絵を眺めているとあっと言う間に時間が経ってしまいます。

私はやはり、シャガールが、一番目の妻ベラと結婚して彼女を失ってから次の結婚をするまでの間の作品が特に好きです。
まるで魂が浮遊しているように夢と現実が交錯し、愛する人にぴったりと寄り添うようなこの世界は、やがてベラの死を経てより一層不思議な追憶の愛の世界へと変わっていきます。
私は絵画のことはまるでわからず、解説を読んでも次々とただ文字を追っていくだけで全く美術には理解がありません。
が、それだけに難しいことも何もかもを抜きにして、ただ自分の目と心のフィルターを通してのみシャガールの世界を感じようと思いました。
シャガールはベラが亡くなり数年間は筆が進まなかったそうですが、その後に描いたという「彼女を巡って」という作品の前で、私は思わず涙がこぼれそうになりました。

美術館の三階では販売しているDVDが上映されていて、生前のシャガール自身が語っている様子なども見られました。
シャガールはなんと97歳まで生きたそうです。
米寿になられた水木さんの展覧会にもありましたが、彼らの年表を前にして、私は自分の歳と同じところで一度立ち止まり、もういい歳なのだから今からでは何を始めるのにも遅いと思いがちな自分へ、叱咤と大きな激励をもらったような気がしました。

帰りに立ち寄った販売店では、この展覧会のおそらく全ての作品が載っていのではないかと思われる分厚い図録を見つけ、迷わず買ってしまいました。
この見ごたえで2,200円とはお安いと思います。
それを皮切りに、私の好きなクリアーファイルやらハガキやら絵のプリントやらと、結局5千円以上も使ってしまいました。
ゲゲゲ展では「私って節約家?」と思ったのに、実は好きなものを前にするとすぐになし崩しになってしまう自分を思い出しました(笑)

その後、予定通りに池袋へ移動し、粋な落語で笑い、トリの女流講談の神田紅師匠の怪談を楽しんだあとでその打ち上げ会のお仲間に入れていただき、しまいには去年にひきつづき紹興酒でヘベレケになるという経路をたどって家路につきました。
かなり充実の一日でした。
三日目はさすがに家で大人しく掃除でもしていたいと思います(笑)


2009/02/04
『シャガールとエコール・ド・パリ コレクション』(青山ユニマット美術館)
感想↓
http://blog.goo.ne.jp/a2836285/e/58ec6c5b8218067e0c66e061e273ff82
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「ゲゲゲ展」水木しげる米寿記念

2010年08月20日 01時52分25秒 | 美術館/博物館/展覧会
水木しげるさんの米寿(88歳)を記念した展覧会です。

「ゲゲゲの鬼太郎」ばかりでなく、「河童の三平」「悪魔くん」などの原画やオブジェなど、展示品は思ったよりもたっぷりで、かなり見応えがありましたよ!

それにしても…
いや~、混んでいるとは聞いてたけど、ここまで大盛況とは思いませんでした。
最初の部屋では行列が止まってほとんど足が進まないくらい。
たくさん展示してある原画を丁寧に見ていると、どうしたって一作ごとに時間がかかるのよねぇ。
原画は漫画の一ページというより、それ一枚で立派な作品とも思えるものがたくさんありました。
よく見るとかなり緻密なもので、草木の葉の一枚一枚までもが丁寧にリアルに描かれていて、その一枚にかけられた時間とエネルギー、イマジネーションはどれほどのものなのかと思うと気が遠くなりそうです(笑)

作品のほかには水木さんご自身のことなども詳しく紹介されていて、子供の頃は毎日のように学校を遅刻していたことや、大きくなってからは退学や退職ばかりしていたこと、戦争にいって負傷したことなど、その人生の軌跡がよくわかりました。
水木少年は動物の骨など、人には理解されないものを集める蒐集癖があった変わり者だったそうです。
そりゃ、そうでしょうよ!
これだけのものが書ける人が、そこらにいるような凡人であるわけがない(笑)
ところが、妖怪は本当にいるかどうかわからないものなので蒐集できませんよね。
けれども、水木さんには妖怪の気配が感じられます。
だからその気配から心に映ったものを描くことが即ち妖怪たちを蒐集することだったのだそうです。
つまり、すべては空想や妄想から生み出されたものと言えるのでしょうが、絵によって具現化されたことで彼ら妖怪たちは本当に生きているのかもしれませんね。
そこにいると思えば、いる存在。
妖怪たちはそれを信じる人の心の中で生きているのでしょう。

ところで、なんでこんなに混雑するほどこの展覧会が盛況だったかというと、テレビで水木さんのことがドラマになっているんですって?
私はテレビに疎いので知りませんでした。
展覧会の最後のほうでそのドラマが紹介されていて納得しました。

お土産品は、かつて展覧会でこれほど品数が多いのって私は見たことがありません。
文房具やお菓子などの定番はもちろんですが、ほんとうにいろいろあって、それを眺めているだけでも面白かったです。
でも私は買わないで見るだけにしました。

入場券は友達にいただいたものだし、お土産品も買わなかったしで、「私って、案外と節約家(ケチ?)かも」と自覚しました。
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「吉村作治の新発見!エジプト展」&トークショー

2010年01月12日 20時22分45秒 | 美術館/博物館/展覧会
日曜日に池袋サンシャインまで「エジプト展」を見に行ってきました。

夫婦・親子のミイラの木棺に描かれたウジャト(=ホルスの目)と
しゃがみ込んで睨めっこしてきました。
んで、その後振り返るとやっぱり友達も同じことやってる(笑)

そのホルスがのり移ったか? と冗談交じりに言う吉村作治さんは、
ホルスと同じ右目を大怪我して先日手術をしたそうですが、
そうは見えないほどお元気そうで、お話はとっても楽しかったです。
午前と午後の両方に参加しちゃいました。

せっかくだから私は図録を買ってトークショーのあとで握手会に参加し、
携帯で吉村先生とツーショットの写真を撮らせていただきました。
あとで画像を見てみると、吉村先生のほっぺたは丸く赤くて、
アンパンマンのジャムおじさんのように可愛いです

それにしても、ミイラの内臓の話はともかく、それを取り出す器具を見るのはイヤ~っ
だって、だってぇ~、先端がとがってるし~
ミイラを載せて施術した木の板なんかもあって、それに沁みこんだあれやこれやの染みが、何千年も前のものと思えないくらい生々しかったです

それにしても、最近なんだか内臓の話ばかり続いているような…
そして内臓と聞くと、「内臓はないぞー」というダジャレを必ず言いたくなる私です
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「海のエジプト展」

2009年08月09日 20時18分51秒 | 美術館/博物館/展覧会
これは失敗だったわ!
なにが失敗かっていうと、この展覧会を三時半頃に入場してしまったということよ!
これほどまでに会場も広く、見応えのあるものだったとは予想外でした。
二時間もあれば何とかなると思っていましたが、と~んでもない
特にじっくりと長々居座ったつもりもないのに、気がつくと6時近くになっていました。
エジプトの品々を見ながら聴く「蛍の光」って、なんだかな~…
それで、一番楽しみにしていた最後のブースの「バーチャル体験シアター」は5時45分が最終で、「古代エジプトの香り体験」の行列のところに並んだ時点でとっくに終ってしまってガッカリ
これに行こうと計画している方がいたら、朝から入って遅いランチ覚悟、または、早めにランチをして午後はたっぷりと時間をとってくださいね。
会場内にレストランもあるからそこでエジプト風のお料理やビールを楽しんで、長々と居座るのも良いかも。
いずれにしても、人が多い休日よりは平日、できれば学校の夏休みあとの9月に入ってからのほうがゆっくり観られるかもしれません。(9月23日まで開催しています)

随所に海の底を思わせる会場はものすごく大掛かりです。
海底発掘現場の再現などもありますが、その解説などを読んで「やっぱりな」と思ったのは、あれらエジプトの都市が沈んだ海底は、美しいエメラルドグリーンの海なのですが、それは発掘作業や撮影のために強い光をあてたからこそ。
本当はとても暗い海の底に、長い間…ほんとうに長い年月を、時を止めて眠っていたんですよね。
あのたくさんの石像も、金の耳飾や青銅のタライ(どのような人が身につけたり、お気に入りで使っていたのか…) そして、石のヒエログリフ……
それを沈めたのは、一都市をすべて飲み込むほどの巨大な津波で……

ううぅ……余計なことを考えるな、想像するな、私!
いや、想像したほうが何かと楽しいとは思うんだけどね、なにせ時間が足りなさそうだし、あの人ごみに酔ったせいか、どんどん疲れて体調が悪くなってきました。
椅子を見つけるたびに列から離れて腰かける。また列に並ぶ。それを繰り返しているうちに、半分ほど見たところで、「ああ、この会場の真ん中でもいいから誰かが布団を敷いてくれたら横になりたいかも」なんて、マジで思ってしまったわ(笑)
わりと体力には自信があったのにな~
そのうちぐったりしてきたので、仕切りなおして別の日に来ようかとチラッと思わないでもなかっけれど、これをもう一度観るために横浜に来るのはしんどいだろうと思ったので強行突破しました。

やっぱり、行楽は健康あってこそ。みなさん、遊びに出掛けるときこそ、体調を整えて元気に楽しみましょうね!

ところで、写真はメインともなる巨大石像の三体ですが、向かって一番右は女神でありクレオパトラ三世でもあるといわれています。
ちなみに、絶世の美女である、あの有名なクレオパトラは七世なので別の女性ね。
その石像の彼女の足を見て思わずニンマリ。
なぜなら、私の足って家族の誰とも似ていない足で、人差し指から小指にかけてのカーブが大抵の人より緩やかで、その指の形も節くれだっていなくて先は平らっぽくて長方形な感じです。
この自分の足と石像の足の形がよく似ています。
ほら、やっぱこういう足ってあるじゃん! 
しかも三世とはいえクレオパトラよ? 
これはちょっと喜んでおこうかと思ったのでした(笑)

見どころ多く、見応えたっぷりの「海のエジプト展」
お薦めです!
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「ムットーニ ワールド」からくりシアター 八王子夢美術館

2009年05月31日 21時44分05秒 | 美術館/博物館/展覧会
それは部屋でなく一冊の本なのです。

静かな音楽の前奏が始まるとともにゆっくりと開いたその表紙は、
それはでも、物語の開く扉でもありました。
開かれた本の奥に若い男が佇んでいます。翼ある者。
その姿、その顔はどこか憂いのあるようではなかったか…。
いつかどこかで私の見た誰かではなかったか…。
薄い紗の向こうはまるで夢の中のようにとても近くありながら、
手を伸ばしても決して届かない。
誰もが訪れることができ、誰も本当には踏み込めない世界なのです。

歌が流れます。それが哀しい歌なのかどうか私にはよくわかりません。
哀しいのは、切ないのは、今の私の心だから。自分の心が重なってしまうから。

歌に重なって、静かな声が聞こえます。
『詩人は自らの歌の囚われ人』

その本の中に佇んだ翼ある男の前に、うす布を一枚隔て
まるで鏡を見るように真っ直ぐに女性の姿が現れます。
彼女は詩人の作った歌の「君」なのです。
歌の中に生きる「君」にされたとき、彼女は
『歌の精霊となった』
歌の中で永遠に生き、永遠に愛されて…繰り返し、変わらぬままに…。
けれども二人は近くにいながら届かず、互いに触れることもできません。
そして…

自らの歌の囚われ人である詩人と、その歌に住む精霊の
瞳と瞳が合った時、
『物語は閉じる』

《作品「スピリット オブ ソング」》
* * * *

八王子の夢美術館へ「ムットーニ ワールド」からくりシアターへ行ってきました。
二月に行ったプレビューよりももっと充実した展示になって、とても見応えがありました。
このムットーニの世界は、マイミクさんたちにお薦めです!
私は栗本薫さん(中島梓さん)のファンであり、中川晃教さんのファンで、マイミクさん達はその関係で出会った方々がそれぞれに四割であわせて八割。残りの二割の方たちも音楽や舞台がお好きな方たちですから、きっとこのムットーニ氏の世界はお好きなはず。

でね、(と、急に口調がいつものように軽々しくなりますが)
私は栗本さんのファンにあっきーを薦める気はないし、あっきーファンに栗本さんを薦めようと思ったことってないのよね。世界観がやっぱ違うもの。
まあ、それぞれに既に好みって定着しているだろうし。
だけど、このムットーニ氏の世界は何故か、その二人の両方に重なるところがあると思う。
「全ての旅人、夢追い人へ」と始まるムットーニ ワールド。
その電動仕掛けの人形は、光と闇のゆらめきの中で、音楽と口上も加わって
不思議な夢の世界に生きています。
上記に書いた感想は「スピリット オブ ソング」という作品だけど、
これは初めて観ましたが、前にも観た「カンター・デ・ドミノ」と同じくらい好きだわ。
なんか涙が出るのよね。
そうねぇ、ひとことで言うならば、
普段私の日記を読んでくださっているあなたならば
「いかにも、あらぱんが好きそうな世界だよね~!」ってな世界です(笑)
百聞は一見にしかず。ぜひぜひ体験してほしいです!
あっきーファンは今週から「女信長」が始まるので日程はキツいですが
7月5日まで開催しています。
そして! これを観に行くならば、絶対に金曜・土曜・日曜の、14時または16時に
間に合うように行ってくださいね! 
この時間だけがムットーニ氏の口上付きです。
これを聞くと聞かないとじゃと楽しみが全然違います!

ところで!!
ムットーニ氏、つまり武藤さんの口上を聞きながら鑑賞する時は、武藤さんがそれぞれの作品のそばに立ち、それぞれ作品を紹介してから始まります。
一番前で観ようとすると、武藤さんとはむちゃくちゃ近いです。
作品をより近くに観てもらうために「みなさん、もう一歩前に出てください」と言われます。
それで、ある作品の時に一番前にいた私と武藤さんとの距離は約1メートル。
これで真正面で見詰めないでくださいよ、もうっ!!…と思わずたじろいでいたら、
何を考えてんだか、武藤さんはそちらから一歩を詰め寄る! その距離は60cmくらい?
うわっ!ちかっ! やめてぇ~! なんでアタシだけ~??
けれども真後ろには他のお客さんいるし、ジーっと見詰められて、私いったいどうしたらいいのよ! と落ち着かないことといったら。
もうそれで十分に普通でいられないのに、このムットーニ氏、私の反応を見て面白いのか、
さらにもう一歩近づく。
その距離、な、なんと30cm!! そして、真正面で長々と見詰め合う二人(爆)
もう、ちょっとぉ~、かんべんしてよぉ~! と心の中で泣きが入るけど
目を反らしたら負ける…じゃない、失礼かもって思うし、せっかくだし(笑)
私もじっと見つめ返しましたけどね、
特に親しくもない男性と、こんな至近距離で真正面で見詰め合うことって普通はありません。ってか、普通はやっちゃいけないよ、犯罪すれすれよ!!
あ~、ほんとうにあせりました。遠くで見ていた友達は笑っていたらしいけど。
でも、武藤さんって、もう50歳をいくつか過ぎたお兄さまなんだけど、間近でアップを見ても充分なくらいに、よく見ると整ったお顔の、わりとハンサムなお兄さまなんだわ。
だから私のほうは恥ずかしいのさえ我慢すれば、なかなか役得だったのかもって思わなくもないけれど、逆にこっちの顔は間近に鑑賞されるようなご面相じゃないので、向こうが勝手に近づいたにも関わらず、なんか申し訳ないしで、もう息も絶え絶え。
蛇に睨まれた蛙になった気分だったわ(泣)
もうっ!ほんとにいい歳して、ムットーニ氏はいたずらっ子な方です。

話が長くなったついでに余談だけど
その帰りに聖蹟桜ヶ丘のスーパーでストッキングを買った帰り、
スピリチュアル・アートの「いざら けい」さんに偶然お会いしました。
もう催し物はすっかり終った時間だと思ったのに、まだお片付けの途中でした。
で、「お疲れさま」と声をお掛けして、ちょうど例のピアス「心の中はいつも無限」を
付けていたのでお見せすると、「ああ、やっぱり似合う。エレガントだ」と褒めてくださいました。
あ、褒めたのはご自分の作品のことか(笑)
まあ,いいわ。病も気から…って、ぜんぜん意味違うしぃ~!!

なんだか、マルチな才能豊かなお兄さま方に、妙なサービスをしていただいた気分(?)の一日でした。
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「ムットーニ ワールド」プレビュー展

2009年02月28日 21時55分19秒 | 美術館/博物館/展覧会
八王子の夢美術館「ムットーニ ワールド」プレビュー展へ行ってきました。

ムットーニ氏の創り出す自動人形からくり箱は、光と影の織り成す不思議な夢の世界です。
ムットーニ氏自身の静かな語りが始まると、まるで催眠術にかけられたようにその世界にいざなわれてしまいます。からくり箱の扉が音もなく開かれた時、そこには生きた人形達の、生きた夢があるのです。
箱でありながら、深い奥行きや広さが感じられるのは、光と影のゆらめきとその広がりがあるからなのでしょう。そして何よりもそこから引き出される人の想像力こそが、その世界の広がりを創ります。

この日の中でも最も私が感動したのは、「カンターテ ドミノ」という作品。
パイプオルガンで賛美歌を弾く男の前の、オルガンのパイプが開き、ビーナスの女神が現れます。そのビーナスの背に翼が広がり、やがて天井が開きビーナスはゆっくりと天上を昇っていく。
最後にその背後の壁に、やはり翼の生えた神のような姿が映り、箱の世界から外へ向かいいくつもの光の筋が輝き飛び広がるのです。

その短い時間の中で、私は遠い時間を感じます。涙がひとすじ、どうしても堪え切れませんでした。
ムトウ氏は、「私はこれをもう一度、初めて見てみたい」と仰っていました。
私はまさに、初めて見ました。たった一度しか味わえない感動の時間。二度とこない夢。
そして、時間を開けて、今度はムトウ氏の語りがない状態でそれをもう一度見たとき、
それは、ムットーニの夢の世界と私自身の夢の世界が交じり合い、私だけの夢が開き、今度は涙が次々と溢れて止まりませんでした。

って、「私って、よくよく賛美歌とか聖歌に弱くて泣けちゃうのよね~、べつに何があったってわけでもないのにねぇ?」とか、言ったら、友達曰く「もともと、ゴスペルとかはさ、魂をゆさぶる歌だからね」とのこと。
ああ、そうよね。魂をゆさぶる歌って、宗教を越えて感動させてくれるものね。
でもって、夢って魂の領域よね。

ムトウ氏の言葉で「記憶は曖昧なもの」というのがあったけど、曖昧な記憶は夢にとてもよく似ているわ。
今という時が次々と過去になり、曖昧な記憶となり、夢となっていく。
私は今を生き、夢を生きる。
「人はみな、旅人であり夢追い人である。」という言葉もあったけど、ほんとうに最近そんな感じがします。

あ、そうそう、
DVDにサインをいただきました。
筆記用具を用意してなかった私のために、わざわざ金色のマーカーを持ってきてくださって、「これは乾くのに時間がかかります」と言って、氏自ら「ふ~っ、ふ~っ」ってしてくださったの
なんか嬉しくて、思わずのそのあとすぐに私も「ふ~っ、ふ~っ」しちゃいましたキャハハッ!
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『甦る中山岩太:モダニズム』(東京写真美術館)

2009年02月04日 22時07分05秒 | 美術館/博物館/展覧会
まるで絵画を見ているようです。
写真というからには、確かに現存していた物、実在した人々。
何処に光をあて、何処に影を見せるか…それによって物も人も全く独自の世界に生きているかのようです。
そして心のフィルターを通すことで幻想の物語が造り出されているような、そんな作品に触れて、今日はここに来て本当によかったと思いました。

写真のことはよくわかりません。こんなに熱心に写真を見たのも初めてです。
すべてモノクロの彼の写真には、世界や時代を飛び越すものを感じました。
この人の心の海には、タツノオトシゴがいる。
胎児のような姿、あるいはミイラのように乾いたそれは、たぶん雄と雌であろう二匹です。
他には貝や藻しかありません。
彼ら以外に活きたものが見えない海に、ある作品では二匹は漂い、またある作品では抱き合うように重なり合っています。

私はふと思いました。
「この人に会いたい」

でも、この人は既にこの世にはいないのです。
この写真たちを見ている時だけしか会えません。
なんだか涙が出そうになりました。

会いたくなる写真
会いたくなる絵
会いたくなる音楽
会いたくなる言葉

私はそういうのが好きなのかも。
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『シャガールとエコール・ド・パリ コレクション』(青山ユニマット美術館)

2009年02月04日 22時04分56秒 | 美術館/博物館/展覧会
シャガールが愛妻ベラを描くとき、それは深い愛に満ち溢れ、大抵の場合、柔らかで優しい花束が添えられているのです。
シャガールは、彼の愛するミューズには、常に美しいものを捧げたいと思っていたのでしょうね。
そして、ベラのいる世界にはいつもその体に、または心に密着するようにシャガール自身が存在しています。

ベラはどんな女性だったのだろう?

「わたしはあなたであり、あなたはわたしである」とベラは言ったといいます。
シャガールの描いた「ダブル・ポートレイト」はその言葉を具現したものですが、重なったひとつの体に二つの顔があり、シャガールは人を見、ベラは花を見て、互いに別方向を見ています。
だけど心はひとつ。
彼女はもしかしたら普通の女性には真似できない、芸術家を受け止める力のある稀有な存在だったのかもしれません。

シャガールが彼女に出会わなければ、これらの愛の作品は生まれなかったことを思えば、その出会いは芸術家にとって、まさに奇跡のような出会いだったといえるでしょうね。
彼女は早くに亡くなってしまったけれど、彼の心ではいつまでも生き続け、二人の愛は永遠に失われることはありません。

この美術館の4階の中央の椅子にひとり座っていると、二人の愛に包み込まれたような心地がしました。


「エコールド・パリ」ではモイーズ・キスリングの「長椅子の裸婦」が印象的でした。顔が良いです。瞳が強く、猫のような女性。
同じ画家の「ダリア」も好きだな。


ところで、今日の文がカタイのは携帯で書いたからです
や~っぱ、PCのキーボードのほうが、だんぜん好きっ
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自動人形師 ムットーニの世界「THE DIARY OF WINGS」

2008年07月19日 22時27分16秒 | 美術館/博物館/展覧会
公園で遊ぶ女の子。
彼女は赤い風船を持つことが自由だと思っていた。

電話を取らない女。
鳴り続く電話を取らないことで、女は部屋を密室にしている。

鏡をゆっくりと振り向く女。
彼女は鏡に映る自身の虚像に目が離せない。

通勤電車に乗る男。
規則正しく並ぶつり革につかまり、男は明日も同じ電車に乗ることを知っていた。

シュートができないバスケット選手。
彼のその躊躇は永遠のようだった。

やがて、公園の少女は、握った赤い風船が、自由ではなく
いつの間にか自分を束縛していたことに気づき……
手を離す。

空にのぼる赤い風船。

その時、閉じた本は開き、翼は広がった。

*  *  *  *

今週は、外気も身体も暑いのに、心の中はずっと冷たい嵐が吹き荒れ、憂鬱な雨が降り止まなかった一週間。
新宿コマの舞台を観る前に、友達に誘われて、
自動人形師、ムットーニの世界、「THE DIARY OF WINGS」を見てきました。
以前に、たけしの誰ピカに出演していたアーティストの作品です。
動く人形、音楽、照明が絡み合い、静かな口調で語られるムットーニの物語には、想像力が駆り立てられました。
約二十分の短い間ではありましたが、幻想的で不思議な味わいのある時間でした。
本当にこれが見られて良かったです。


私は何を握りしめ、何を拒み、何を見つめ、何をあきらめ、何を躊躇しているのか。
風船から手を離したら、翼が手に入るかな?

本当に苦しくて、昨日は友人の歌が入ったCDを聴いて泣いておきました。
今日はまた別の友達に思いっきり愚痴を聞いてもらいました。
どうもありがとう。

自分がうまくいかなくて、人によって傷ついて、人によって癒された一週間。
希望はそこにあるかな……あったらいいな。
あるよね?
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