eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

電気の出来事を技術者向けに適宜up中。
質問等はコメント欄にて。

トホホの単価9円の買い取りとなる

2019年11月12日 | eつれづれ

FIT買い取り保障48円単価(余剰電力買い取り)は12日をもって満了となる。

電力管理タッチパネル画面の単価48も今日までとなった。

13日からはタダ同然の買い取り9円となるので単価を変更する。

本年度中、約53万件が買い取り保障から外れる事になる。

太陽光発電、インバータの寿命もあり、これからバッテリーバンクに投資か...ここは、騒がず自家消費にバンバン使う事しか無い、余剰電力はボランティアで電力会社に差し上げる...これも社会貢献か!。

高価なバッテリーバンク、変換ユニットを購入して貯める...こんな事して省エネ貢献に自己満足...無駄...もう再エネ太陽光発電ブームはとっくに終わった。
夏場などエアコンがんがん使い自家消費する事だ。
東日本大震災前の買い取りは確か24円だったか...。
これで再エネ賦課金の国民負担も年々に軽くなる。

電力会社より第2パスワードのハガキが来たので設定して利用明細を見てみる。

今年1月の請求電力量グラフ。
これを見ると常に電気を使用している月が冬期間で太陽光発電も既に冬眠状態...余剰電力も無くクソの役にも立たない事がわかる。
春先から発電するが、余剰電力買い取りは9円のタダ同然...もう無駄を承知でドンドン使う他無し、省エネも何も無し...これが現実の様だ。

もう被災住宅にも冬到来する

2019年11月12日 | eつれづれ

97カ所にボランティア拠点 東日本大震災に次ぐ規模 台風19号
台風19号の被災地で設置されたボランティアセンター(VC)は97カ所に上り、延べ13万人以上が参加したことが12日、全国社会福祉協議会(全社協)への取材で分かった。
VCの設置箇所は2011年の東日本大震災に次ぐ規模で、全社協の担当者は「被害がいかに広範囲かが分かる」と話している。
東日本各地に爪痕を残した台風19号は、12日で上陸から1カ月を迎えた。
多くのボランティアが被災地入りする一方、人手が足りない地域もあり、偏在が課題となっている。
VCは被災地の要望の把握やボランティアの受け付け派遣先との調整を担う。
地域の社会福祉協議会が設置するケースが多い。
全社協によると、東日本大震災で設置されたVCは24都府県の196カ所。
台風19号では14都県97カ所に上り、10日までに延べ約13万3500人がボランティア活動に参加した。
VC設置箇所は、昨年の西日本豪雨の12府県60カ所を上回った。
一方、ボランティア希望者からは「どこに行けばいいのか」「交通アクセスが分からない」との問い合わせも相次いだ。
偏在解消に向け、要望が多い被災地にボランティアを運ぶバスを運行するなどの取り組みが進められている。
国土交通省によると、宮城、福島など7県の71河川、140カ所で堤防が決壊した。
土砂災害は8日時点で884件が確認され、記録が残る04年以降、台風による件数としては最多だった。

<10月12日>避難勧告が出たため、徳子さんと長女らと午後6時ごろに高台の公園に一時避難した。
名古屋にいた長男弘幸さん(51)から「堤防が決壊するかもしれない」と連絡があり、夜中に同市三才の北部スポーツ・レクリエーションパークへと移った。
<13日>家のすぐそばで堤防が決壊したことを知った。
避難所で待機を続けたが不安で弁当がのどを通らず、夜は目がさえて眠れなかった。
<14日>弘幸さんも合流し、初めて自宅を見に戻った。
どちらの家も物置には泥が積もっており、屋内は浮き上がった家具や畳で荒れ果てていた。「どれだけやっても終わらない」と苦しげに吐き出した。
<15日>泥をかき出しつつ、浸水で浮き上がった畳を外に運び出そうとしたが、泥水を吸った畳は重すぎて、1枚運んでくたびれてしまった。
弘幸さんからは「無理するな」と声が掛かる。
<16日>武さんと徳子さんは避難所を出て、長野市大豆島に住むめいの家に泊まらせてもらうように。
中部電力の点検が入り、2階だけは電気がつくようになった。
<17日>めいの家ではもてなしてくれるからこそ気を使う。
「食事は自分で用意するからいいよ」と伝え、北部スポーツ・レクリエーションパークに2人分の食事を取りに行くようにした。
<19日>家の前の泥はほとんど片付いた。
知人や災害ボランティアが来てくれて、物置の片付けをする。
「人手があると全然違う。若いっていいね」。
常備薬の高血圧の薬をもらいに徳子さんと病院へ行った。
<21日>大半の家具を部屋から出し終えた。
「きれいになったから見てってよ」と明るい様子だったが、がらんどうになった屋内に入ると「こっちの家は潰しちゃう。
そっちの方がお金かからないから」と話し始めた。
朝、長男の妻ゆかりさん(47)から「心配だし寂しいから、こっち(隣)の家に来てください」と言われたという。
「ずっと迷っていたけど、やっぱり解体すると決めたらちょっと心が楽になった」。
そう言いつつも、肩を震わせた。
「ずっとここにいたかった」。
1階の天井近くに置いていて浸水を免れた、約70年前の家族写真を下ろした。
この家の前で、武さんが小さい頃に撮ったものだ。
<27日>家の罹災(りさい)証明書の申請に、ゆかりさんが代わりに行った。
市職員が既に家の調査を済ませていたため、その場で写真を提出し、手続きは10分ほどで済んだ。
弘幸さんの家を修理するまで一時的に住む県営住宅の申し込みも25日にしたが、ゆかりさんは「倍率も高そう……」と心配そうな表情。
<11月1日>武さんが県営住宅の抽選に落ちたと、弘幸さんの携帯電話に県から連絡があった。
「ショックさあ。期待して申し込んだんだもの……」
<9日>知人の紹介で、2年間無償で一軒家を借りられる見通しが立った。
それでも引っ越しを済ませ、家を解体するまで気持ちは落ち着かない。
この1カ月、休んだ日はなかった。
「最初よりは楽になったよ。若い人たちの力も借りて……。長かったねえ、この1カ月っていうのは」。
複雑な表情で語った。

1階には、この状況で住めず2階に上がるしかない。
今から寒くなり雪が降り、土間より湿気あがり皆、木は腐れてくる。
身体もさすがに疲れが出てきて、そして心労で具合も悪くなる。
衛生環境、カビほかの悪臭も染みつき、これから本当に再建可能なのか...宅内の家財家具もあるが車、農機具、電化製品、暖房、ボイラーも何も使えず全財産が廃棄のゴミとなった。
写真は床上浸水なで国からの支援金は出ないかも知れない。
もう個人の負担だけでは、無理早急な行政の対策で救済しなければ...仮設住宅建設も急がなくては。