二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

寂しいことだ。

2018年09月03日 14時22分46秒 | ニ言瓦版
何か、寂しいのは、フネさんの声。
浪平の声と、フネさんの声が、よかった。
後、カツオの声。
新しい人がしているが、
昔からの声は、聞こえないと、寂しい。




「フジテレビ系アニメ『サザエさん』で、1969年10月の初回から2015年9月まで磯野フネ役を務めてきた声優の麻生美代子さんが、8月25日に亡くなった。92歳だった。所属事務所によると、死因は老衰のため、葬儀告別式は親族のみで済ませている。

■声優・麻生美代子さんの写真付きプロフィール 主な出演作品も

 訃報を受け、『サザエさん』共演者やスタッフがフジテレビを通じてコメントを寄せた。サザエさん役の加藤みどりは「現場でもムードメーカー的存在なので、『サザエさん』の中でも外でも麻生さんがいれば安心してやってこられました」と追悼。タラちゃん役の貴家堂子も「とても残念でさびしいです…。安らかにお眠りください」と悼んだ。

 麻生さんは1926年4月7日東京生まれ。テレビアニメ『サザエさん』フネ役のほか、『鋼の錬金術師』ピナコ・ロックベル役、『アルプスの少女ハイジ』ロッテンマイヤー役、吹替えで「赤毛のアン」シリーズのマリラ・カスバードなどのほか、テレビ東京系『和風総本家』のナレーションなどを務めてきた。

 以下、コメント全文。

・加藤みどり(サザエさん役)
放送が始まった時は私が一番年下だったのですが、それからずっと、何かあればいつも麻生さんに相談できて、頼りになる先輩でした。現場でもムードメーカー的存在なので、『サザエさん』の中でも外でも麻生さんがいれば安心してやってこられました。趣味人でもありいろんなことに前向きな方で、80歳になられても声が出るし、滑舌も良く、先輩として皆の目標になっていました。なので、私の中では同じ形で麻生さんが生きているような感じがして、懐かしい思いがします。どこにいても、麻生さんは麻生さんです。

・貴家堂子(タラちゃん役)
とても残念でさびしいです…。安らかにお眠りください。

・アニメ『サザエさん』スタッフ一同
放送開始から46年の間、麻生さんに演じ続けていただいたフネさんは、優しくてしっかり者でありながらかわいらしいところもある、磯野家の自慢の母でした。ひとりの女性として誰もが憧れるフネさん像を築いてくださったことに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。『サザエさん』スタッフ一同、これからも麻生さんの思いを大切につないでいきたいと思います。本当に、ありがとうございました。」




ちびまる子ちゃんも、サザエさんも、年齢と、突然のこの世が、消えるのは、
時代なのかもしれない。
平成の終わりに、昭和の人がこの世から消えていく。


CMの声、サザエさんの母、フネさんの声はいい。浪平と、共に。
https://www.youtube.com/watch?v=qcEjhFqRLgE
サザエさんの浪平、カツオ、フネの初代の声はいい。
https://www.youtube.com/watch?v=E-GH5E7sus0

サザエさん 「おフネちゃん時代」 いい。
楽しい、昔の女学生。
No5311https://www.youtube.com/watch?v=Bj4WB8H1OBU

何か、ちびまる子ちゃんの作家より、
フネさんの声が、聴けない。
年齢からするも、寂しいことだ。


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考えると、見たいものだ。名作のコント。

2018年09月03日 08時45分34秒 | ニ言瓦版
夕刊フジの記事。
コント55号。
何か、もう、知らない世代だろう。
ドリフターズと対抗した、番組と、今の台本通りない、お笑いの原点。




「★(1) 
 テレビ界はいまやお笑い番組が全盛。その元祖は「コント55号」。萩本欽一(77)とともに新たなテレビバラエティーを生んだ坂上二郎(享年76)。コント55号の初の冠番組「コント55号の世界は笑う」の誕生から50年という節目に、“天才芸人”二郎さんを改めて知っておきたい。

 歌手を志して鹿児島から上京した二郎さんは、人気歌手の司会や付き人を経て、漫才コンビを結成したがジリ貧生活が続いた。転職も考えた。
 そんな折、仕事先のストリップ劇場で出会った欽ちゃんからコントの台本「机」を「読んでくれ」と渡される。「これなら自分が相手役を演じたほうが面白そう」と進言した縁で「コント55号」が結成されたのは1966年のことだった。
 当時、スポーツ紙の放送記者だった私は浅草松竹演芸場で2人の芸を初めて見た。テレビ番組の公開収録だったが、2人は事前の打ち合わせもせず、楽屋も別々。心配になり、二郎さんに「稽古はしないんのですか」と尋ねた。すると「舞台をテニスコートと位置づけて、欽ちゃんが突っ込み、ボケの僕が受けるだけ」と平然としたもの。
 幕が開くと欽ちゃんがサーブを打ち、二郎さんが受ける。欽ちゃんが受け切れないところに意地悪に打ち込むものだから、二郎さんは汗だくで走り回り転がりまくる。その一挙手一投足に大爆笑が起きた。
そのころ2人のコントは作家が書いていたが、実際にはほとんどアドリブだった。関係者は「欽ちゃんは台本通りにやりたいが、二郎さんが覚えてくれないので即興が増えた」と見ていた。しかし、二郎さんは私に「僕はせりふ覚えはいいタイプ」と反論している。
 コント55号が70年代に活動休止状態に入ると、二郎さんも俳優や歌手として活躍。ディナーショーなどでは、カンペは置かず、歌詞を全部暗記していた。その光景を私は何度も見ている。
 欽ちゃんは近年、テレビなどで55号時代のエピソードを明かしているが、二郎さんの「セリフ覚え」には触れず「僕は台本を大事にするタイプ。ただし、お芝居の“間”だけは書いていないので僕の独断でカバーしてきた」と話している。55号のセリフは、ほとんど台本通りだったようである。 (フリーライター・中野信行)
 ■坂上二郎(さかがみ・じろう) 1934年4月16日、鹿児島県生まれ。歌手を目指して上京。青木光一の付け人、島倉千代子の専属司会などを経て、獅子てんや・瀬戸わんや門下となり、漫才コンビ、内藤ロック・安藤ロールを結成。解散後、66年に萩本欽一とコント55号を結成。「飛びます、飛びます」や「コタローね」などのギャグで人気に。
 55号の活動休止以降は俳優として活動。TBS「夜明けの刑事」(74~77年)で初主演。歌手でも「学校の先生」(74年)が30万枚のヒットに。2011年3月10日に死去した。」


この事務所も、問題かもしれない。
インタネットで、見れないと、もう、永遠に、知らなで、終る。
アニメもそう。
世代は、昭和。
平成も終わる。

映画でも、そうだが、誰が、見る、買うのかと、知らない、見たいも、記録も、
もう、新しい人が出てくれは、消える。

歌ではないか、ユーチューブで、見れるから、買いたい、見たいと思う。

もう、残るのは、倉庫に入れるも、数年後、誰が見る買う。

日々、無料で、見れるから買いたいと思う。

「2011年3月10日に死去」55号は、見る場は、映像と誰かみるのか、
若い人がと問われる。

名作の場面。


これは、アニメの作家が死んでも、残るのは、映像が、見れるから、残るものだ。俳優も。

コント55号、ドリフターズ、林家三平氏、面白いのは、記録と見せることだ。
https://www.youtube.com/watch?v=o84p8VWRRVw
https://www.youtube.com/watch?v=X7zkNnaDRYE&t=17s

個展、見たいものだ。

============

クレージーキャッツ、ザ・ドリフターズも知らない年代、昭和の話。

https://www.youtube.com/watch?v=Xa4WNF7cn_g

==========

林家三平氏の映像、四天王の話は、面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=Ouqttjxl5Tk



平成の時代も、終る。
昭和で、適用していたのか平成が、また、平成の終わりで、
どんなねお笑いのスターがでるか。

記録に残るも、過去はね、消えていく。
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改善。

2018年09月03日 08時03分02秒 | ニ言瓦版
 これも、問題。



「総務省は、大手携帯電話会社が格安スマートフォン会社に対して回線を提供する際、通信速度を遅くするなどの差別を禁じる。10月にも省令を改正する。携帯電話会社間の公平な競争環境を確保する狙いがある。

 電気通信事業法の施行規則を改正し、大手が格安スマホ会社と回線提供の契約をする際、通信速度などで不当な差別的扱いを行わないことを約款に記載するよう義務づける。大手各社は改正後、3か月以内に対応する必要がある。

 総務省は「差別の禁止を明確に定めることで、通信速度への疑念を払拭(ふっしょく)することができる」としている。

 携帯電話市場に関する総務省の有識者会議が行ったヒアリングでは、格安スマホ各社から、携帯大手が格安スマホ会社よりも自社グループ会社の通信速度を優遇しているとの意見が出ていた。」



改善するといい。
不公平が、現実の売りするのか疑問。
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ランドセルの改良か、使うが問われる。

2018年09月03日 07時52分04秒 | ニ言瓦版
時代が、ずれている。
教科書は、ランドセルに、入れて、持つ歩くのか。
学習塾など、知らないのか。
重い、ランドセルと、教科書が、問題。



「重いランドセル 文科省が“置き勉”認めるよう全国に通知へ


各地の学校で新学期が始まる中、文部科学省は子どもたちのランドセルなどが重すぎるという意見を踏まえて、宿題で使わない教科書などは教室に置いて帰ることを認めるよう、全国の教育委員会に対して求める方針です。

小中学校では教える量の増加で教科書が分厚くなり、教材も増える一方、原則それらを自宅に持ち帰るよう指導しているところも少なくありません。

そのため、ランドセルなどの荷物は重量が増し、腰痛となる子どもたちも出始めるなど、対策を求める声が上がっていました。

文部科学省は全国の教育委員会などに、従来の学校の対応を見直すよう近く通知する方針です。具体的には、家庭学習で使用しない教科書や、リコーダーや書道の道具などについては、施錠ができる教室の机やロッカーに置いて帰ることを認めるよう求めています。

また、学校で栽培したアサガオなどを持ち帰らせる場合は、保護者が学校に取りに来ることを認めるとしています。

文部科学省は「子どもたちの発達の状況や通学の負担などを考慮し、それぞれの学校でアイデアを出し合って対応してほしい」と話しています。

「苦役のような通学は見直すべき」
子どもたちのランドセルの重さについて、大正大学の白土健教授が去年、小学1年から3年までの合わせて20人の児童を調査した結果、平均の重量は7.7キロでした。

小学1年生の平均体重はおよそ21キロですが、なかには体重の半分近い9.7キロのものもあったということです。

白土教授は「体重の20%から30%の荷物を長時間持つと健康に悪影響があるという話もある。子どもが毎日小学校に苦役のように通うことは見直すべきだ」と話しています。」





学校には、ロッカーが必要なのか。
それも、疑問。


時代は、スマホで、いいではないか。
勉強も、スマホで、勉強。

その前に、果たして、教え方も、問われる。
生徒に、本当に重い、ランドセルがいいのか。リックでいいではない。

教科書も、日々、変更するタブレットで、いいではないか。

学力に合わせた、教科書ではないか。

しかし、ランドセルは、災害の予防、ヘルメット替わりなるが、重いと、無理かもしれない。

いろいろ、時代に遅れているのが、ランドセルの重さかもしれない。
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先の先は

2018年09月03日 04時02分40秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。


「完ぺきに満たされたのなら
そこから先の人生に
どんな意味があるっていうのよ」


井上雄彦 著  『 リアル』



勝手な解釈
完璧、成功、その時は、燃え尽き症候群か。
先は、興味の持ったことではない。
できる、先の疑問が、また、楽しい。
敗北した後、成功した後、その時の応用、反省である。

成功者の後、怠慢が、人生の敗北者の道かもしれない。

============


名言、珍言。


「誰よりも三倍、四倍、五倍
勉強する者それが天才だ」


野口英世

勝手な解釈
努力したものが、成功。
才能ではない、いや才能だろう。
努力したものが。

忍耐したものが、成功。

軽率な行為で、自滅するのか、才能あるものの顛末。
才能は、努力しいないものが、生き残る。

軽率な判断したものが、地獄に落ちる。
織田信長、豊臣秀吉も、軽率な子孫と、配下の軽視したこと。
源頼朝も、源氏を乗っ取られた。

忍耐したものが、残るのだろう。


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