二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

将棋の話の映画

2017年04月30日 12時58分10秒 | ニ言瓦版
河北新報のコラムは、いい。
三月のライオンと、将棋の強い話。


「若き天才棋士を描いたコミック『3月のライオン』が映画化され、2部作の後編が公開中だ。主人公の名は桐山零(れい)。幼い頃に事故で両親と妹を亡くし、父の親友であるプロ棋士に引き取られる。家も家族も友もない、零からの再出発。多くの人に支えられながら器を広げていく過程を、大友啓史監督(盛岡市出身)は「匍匐(ほふく)前進するように少しずつ成長していく物語」(キネマ旬報4月上旬号)と表現した
▼零を変えたのは、偶然出会い家族のように接してくれる3姉妹の存在だった。「この人たちの役に立ちたい」という思いが、将棋で勝つことに生きるすべ以上の意味を与えていく
▼支え支えられて人は生きる。被災地の10、20代に伝えたいメッセージだ。一人一人がつながり、やがて太い糸になる
▼大型連休が始まった。就職や進学で新たな環境に身を置いた若い人にとっては、一息付く時だろう。ゼロからの1カ月。気苦労も多かったのでは。でも、自分がいつかこの地の全ての人の力になることを信じて前に進もう
▼俳句の辛口添削で知られる夏井いつきさんが、若者に向けた短詩集で一首を紹介している。<漠然と恐怖の彼方(かなた)にあるものを或(ある)いは素直に未来とも言ふ 近藤芳美>。歩のように一歩ずつ。零の字には石を穿(うが)つ雨だれの意もある。」


将棋の話は、今、話題だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無理がある。

2017年04月30日 12時55分42秒 | ニ言瓦版
東京新聞のコラム。
解らない、無理がある。
卒業の映画と、トランプ政権。


「米映画「卒業」の封切りは一九六七年というから今年で五十年である。サイモンとガーファンクルの主題歌を思い出す方もいるだろう
▼結婚式当日の教会から花嫁を連れ去るダスティン・ホフマン。間違った結婚であることに気づき、その手を取ってともに逃げるウエディングドレスのキャサリン・ロス。有名なラストシーンである
▼バスに飛び乗った二人は逃げ切ったことにはしゃぐ。だが、やがてその笑い顔が消えていく。言葉もなく、正面をじっと見ている。二人の表情に浮かぶのは、これからどうなるのかという不安と、おそれである
▼あの場面が浮かんだのは大統領就任からの百日間が「ハネムーン」と呼ばれるせいか。トランプ米大統領が就任から百日目を迎えた。トランプ政権には当てはまらぬようだが、この期間、議会、メディアも批判を手控える傾向があるため「ハネムーン」という
▼あの映画ではないが、最初は威勢の良いスローガンを口にしていた大統領もこの百日間で実際の政治の難しさを痛感し、とまどっているのではないか。支持率は低迷。百日以内に実現すると宣言した公約の大半は日の目をみない。シリアへのミサイル攻撃には驚いたが、その「力による平和」とて先行きは見えない
▼ハネムーンは終わった。それでもバスは走る。これからどうなるのか。不安を抱えているのは乗客の方である。」


最後は、別の環境の地獄。
ハネムーンの意味が違う。

それに、昭和の時代の映画。
知らないだろう、老人しか。
卒業。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疑問な勲章。

2017年04月30日 04時30分24秒 | ニ言瓦版
疑問な勲章。
なんで、森氏が取れるのか。
総理大臣のとき、失態した。
五輪の問題も、失態。
不思議。



「政府は29日付で2017年春の叙勲受章者を発表した。今回最高位の桐花大綬章に森喜朗元首相(79)を選んだ。演歌歌手大月みやこ(本名・脇田節子)さん(71)、作家佐藤愛子さん(93)に旭日小綬章を贈る。受章者数は桐花大綬章1人、旭日章977人、瑞宝章3102人の計4080人。女性398人は全体の9・8%、民間人1839人は同45・1%に上り、一般推薦を導入した03年の制度改正後、ともに最高となった。
 森喜朗元首相
 大綬章は天皇陛下が5月9日に皇居で授与する。」


桐花大綬章は、価値がない。


酷いものだ。


==========

「えひめ丸事故[編集]
「えひめ丸事故」も参照
2001年2月10日、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事故」が発生した。森は第一報が入ったときゴルフ場におり、連絡はSPの携帯電話を通じて入った。衝突により日本人が多数海に投げ出されたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森は第二報のあとの第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上問題とされた。国会でも採り上げられ、詳細が議事録に残っている[31]。
午前10時50分に第一報を受けたあと午後0時20分の第三報まで、3ホールほどを回った[32]とのことである[33]。森の主張によると、えひめ丸事故の一報が入った時、ある関係者から直ぐにはその場を離れないように言われたのでゴルフ場で待機していたとのことである[注釈 8]。連絡は携帯電話を通して伝えられた。この事故の報道で森のゴルフプレイ姿が繰り返し放送されたため悪印象が増幅した(ただし、この映像は当日とは別の、夏の日に撮影されたものである[34]。マスコミにこのことを問いただされた森が「プライベートだ」と答えたことで批判は拡大した。当日プレーしていたゴルフ場(戸塚カントリー倶楽部)の会員権は知人から無償で借り受けて自分名義としており、このことも批判を増幅させた。ただし、岡崎久彦のように「ゴルフであと三ホール回ったから「資質」がないという。何と低次元の話だろう」とマスコミ批判が新聞に載ったこともある[35]。
事故を起こしたアメリカ側はブッシュ大統領が「事故の責任は全てアメリカにある」と謝罪。マスコミはこれを異例の素早い対応と評価、日本の事後処理の印象を一層悪いものとした。
佐々淳行は、2001年2月14日に自身のHPのコーナー『危機管理小論』にて「えひめ丸・米潜水艦衝突事故と危機管理」という小論文を掲載し森政権の対応について議論している[36]。また、2004年に出版した著書『重大事件に学ぶ「危機管理」』などにて、この時の森の対応に関して述べている。それらによれば「危機管理には総理が陣頭指揮すべき『クライシス・マネイジメント』と、各省庁が国家行政組織法の定めに基づき対処すべき『インシデント・マネイジメント(事件処理)』と『アクシデント・マネイジメント(事故処理)』とがある。(えひめ丸事故が大きな国際的事故であったとしても)すべて総理の責任とするのは日本の法制上から言って誤りである。日米安保条約と日米外交問題は外務省所管だが、一般論から言えば海難事故は国土交通省とその指揮下にある海上保安庁の所管であり、「えひめ丸」が水産高校の実習船であることを考えると文部科学省の所管でもある。このように責任官庁が複合するようなときは、指揮命令系統の統一のために内閣官房を所管とする安全保障会議を開催するのが常道であって、外務省が動いた後に所管は内閣官房に移るので、森総理はゴルフ場からでもひと言「所管大臣は官房長官」と指示しておくだけでよかった。森総理が言うとおり、「えひめ丸」の衝突は事故であるが「総理の危機管理」ではない[37]。さらに、森総理は早く戻ってきた方で、私の経験からすればもっと狼狽した総理はたくさんおられる」と危機管理の責任上の面から森を擁護している(これは岡崎も上記産経新聞にて指摘していることで、村山富市の阪神大震災時の対応と比較している)。もっとも佐々は同じ著書で「総理自身の言動が、『事故』であった一件を『危機』にまで増幅させてしまった。」とも述べている[38]。また、実際の第一次対処をする部局の一つである、防衛官僚の参集が早かったことも評価した。佐々は別の著書『後藤田正晴と12人の総理たち』では「後藤田が森を庇っていた」とも書いており、米軍に謝罪、賠償などへの迅速な協力を提案したのも佐々などの日本サイドであり、ブッシュ政権はそれをすぐに実行したと言う。」


「2014年2月20日、ソチオリンピックのSPで浅田真央に転倒が相次いだことに関して、「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」と福岡市での講演で述べた。フィギュアスケート団体への出場に関しても「負けるとわかっていた」とし出場するべきではなかったとの主張を展開した[211][212]。アイスダンスのキャシー・リード、クリス・リード組に関しても「(米国代表として)五輪出場の実力はなかったが、帰化させて日本選手団として出した」と述べた(リード兄弟は日米両方の国籍を有していたが日本国籍を選んでおり、帰化したわけではない)[213]。浅田は帰国後の会見の中で「私は別に今なんとも思っていないですけど、たぶん(森さんが)ああいう発言をしてしまったことについて森さんは今少し後悔をしているのではないかなというふうに、少しは思っています。」と感想を語った[214]。」

これは、酷い総理大臣だった。
よく、勲章が貰える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普通に、会見することだ。企業の責任者ならば。

2017年04月30日 04時17分19秒 | ニ言瓦版
なんだ、企業家、投資家ではないか。
何が一般の男性だ。

正しい、会見しないと、
企業も問題だろう。




「女優の菊川怜(39)が28日、フジテレビ系「とくダネ!」(月~金曜前8・0)で、27日に結婚したことを電撃発表した。サンケイスポーツの取材によると、相手は日本最大の料理レシピサイトを運営する「クックパッド」の元社長で投資家の穐田誉輝(あきた・よしてる)氏(48)。2、3年前に知人の紹介で出会い、今年に入って恋愛関係に発展。交際2、3カ月のスピード婚となった。
東大卒と才色兼備ながら明るい性格で人気の菊川が電撃婚! しかも相手は、超大物だった。
 複数の関係者によると、菊川のハートを射止めたのは、結婚情報サービス業「みんなのウェディング」の会長などを務める実業家で投資家の穐田氏。昨年3月にクックパッドの“内紛騒動”で注目を集めた同社の元社長でもある。ITサービス業「カカクコム」「クックパッド」を東証一部上場に導いたやり手で、ネット業界では天才投資家&経営者と崇拝されるほど。2014年12月時点で総資産は約200億円にのぼり、実業家の堀江貴文氏(44)も一目置く存在だ。関係者は「知的で内に熱い闘志を秘めた男」と語る。
 2人は2、3年前に共通の知人を通じて出会い、今年に入って恋人関係に。1、2カ月前に結婚を意識し、大安の今月27日に婚姻届を提出した。菊川は初婚で、穐田氏は再婚。挙式・披露宴は未定。菊川は妊娠しておらず、仕事は続ける。
 四十路を前に“負け犬キャラ”を装っていた菊川。が、実はしっかりと愛を育んでいた形だ。
 この日、菊川はレギュラー番組「とくダネ!」で相手の詳細を伏せて結婚を報告。共演の小倉智昭キャスター(69)から花束を手渡され、思わず涙があふれた。
結婚の決め手は「優しいところ」と語り、一目ぼれではないが、結婚前提で交際を開始したと明言。「デートは散歩とか。私が運動不足なので一緒に歩いてもらってます」と幸せいっぱいだ。
 小倉は、約1カ月前に3人で食事をしたといい「(顔も心意気も)両方いい男。知的な人できちっとお話をされる方。39年間待っていて本当によかった」と祝福。
 菊川は書面でも報告し、「これからも感謝の気持ちを忘れずに、今まで以上にお仕事頑張ってまいります」と誓った。最愛の伴侶を得て、仕事にもますます磨きがかかりそうだ。」



正しく、会見と説明しないと、
それは、企業の投資した庶民も、批判させる。
「みんなのウェディング」は、いい結婚式でも、見せることだ。


人騒がせのこと、普通のホテルで、会見することだ。
テレビ番組で、報告では、投資家は、怒るものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二代目、三代目

2017年04月30日 04時11分29秒 | ニ言瓦版
面白い。
二代目、三代目。


「このところ日本企業では創業家の存在が見直され、経営トップの座を創業家に“大政奉還”する企業が目立つ。そうした準備が進んでいるのがサントリーや竹中工務店、セコムなどだ。
 創業家といえば、初代がいちばん偉大だと思われがちだが、実は今も成長を続ける大企業のなかには、2代目や3代目こそが凄かった、というところが少なくない。
 例えばスズキの名物会長、鈴木修氏は、2代目社長・俊三氏の婿養子として3代目の座に就いた。社長就任の翌年に軽自動車「アルト」を発売。地域によって車の価格が違った時代に、全国統一の格安価格で売り出し大ヒットを生み出す。1981年には米GM(ゼネラルモーターズ)との業務提携に打って出た。その際、こんな言葉を残している。
「GMは大きな鯨です。一方でスズキはメダカよりも小さな蚊。メダカなら鯨にのみ込まれてしまうかもしれませんが、小さな蚊ならいざという時には空高く舞いあがり、飛んでいくことができます」
 その言葉のとおり、スズキはGMに呑み込まれることなく業績を伸ばし、発展的に提携を解消。今年2月にはトヨタとの業務提携を実現させた。修氏が自ら豊田章一郎・名誉会長に打診し仕掛けたものだ。
 弱小メーカーだったスズキの売上高を就任時から10倍まで押し上げた修氏は、長男の俊宏氏に社長の座を譲った。
 カリスマ経営者としてのイメージがあまりに強く、創業者だと思い込まれている人たちもいる。たとえば、ヤマト運輸の「宅急便の生みの親」小倉昌男氏は、実は父が運営する運輸会社・大和運輸を継いだ2代目だ。「ファミリーコンピュータ」を世に送り出した任天堂の山内溥氏は創業者の曾孫で3代目社長。花札やトランプを作っていた老舗企業を、世界的ゲーム企業に変えた。
 ユニクロで知られるファーストリテイリングの柳井正社長も2代目。父親が山口県宇部市で営んでいた紳士服の個人商店を受け継いだ柳井氏は、服を「人間の暮らしに生活不可欠な繊維工業製品」とみなし、ベーシックなデザインを低価格で売るという路線で驚異的に店舗を拡大していった。
 伝説的な創業者を持つ企業でも、実は“中興の祖”の存在が大きかった。たとえば、三菱は岩崎弥太郎が有名だが、財閥の歴史に詳しい畠山秀樹・追手門学院大学名誉教授によれば、一大財閥に築き上げたのは子孫たちだという。
「岩崎弥太郎は海運業で富を築きましたが、2代目・岩崎弥之助の時代に海運業が国によって三菱から分離されてしまったことからその譲渡資金で多くの炭鉱や金属鉱山を買収し、さらに3代目の久弥の時代に事業部制を取り入れた。そして今も引き継がれる経営理念『三綱領』を残した4代目の小弥太の時代に各事業部を株式会社として分離・独立して財閥コンツェルン形態を完成したのです。4代にわたって財閥としての基礎を築きました」
 その強固な基礎が、いまなお続く三菱グループの絆に繋がっている。」




人材は、一族の明暗。
二代目、三代目。

北朝鮮も、そうかもしれない。

人は、初代より、二代目、組織は、確実するのは、
三代目。

日光を見るたび、徳川家は、家光が、成功させたということか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする