昨日広島の上田宗箇流家元の屋敷の再現特別展へ行ってきた。
上田宗箇流は武士のお茶手前と言われて、豊臣秀吉にも使え古田織部とも親交の有った初代が広島藩に赴任した浅野家に従い広島入りしたのちも、広島で上田流の独自の路線を歩き続けた人であった。
今回お披露目されたのは広島城内にあった上屋敷を構成再現されたのだそうだ。
広島市の北寄りの古江と言う町のやや高台にその広大なお屋敷があった。
ここは市内から離れていたので原爆の被害にも遭わずに済んだのだ。
会場に入ってすぐ今回のお茶会は若宗匠プロデュースよるものだと説明があった。
なのでサプライズがあるかもしれません、と言うのが趣旨だったが・・・(笑)
案内人の誘導で待合を通り迷路のように入り組んだお屋敷の中を通り抜け、薄茶席に通された時目に飛び込んできたのが・・・
この写真、新聞をスキャンした物なので見にくいのでごめんなさいですが、横山大観の軸の前に飾られた花入れ、織部斜壺・・・、現代の作家であるが活けられた花がカラーである
少しでもお茶を習った事の有る人の常識からすると、お茶事に洋花は絶対使わない。
ましてカラーだなんて・・・。
他にも信楽土を使って叩いて造形した怪奇な形の入れ物に塗りの蓋を載せ水差しとして使っている。
なるほど、これがサプライズか・・・
屋敷の中にはお殿様が御成りになる時の設えなど珍しい物もあり、何代目かの当主に浅野家から輿入れされたお姫様も居られたとかで、その嫁入り道具の雛飾りとか、日常の使い道具などもあり珍しかったね。 なんと歯ブラシまで展示されていたよ
その後数あるお茶室の一つでお昼ご飯の点心を頂いて私達のグループの見学はここでお終い!
後は中心街でデパート巡りをし、デパ地下で買い物をして久し振りの広島を後にした。
帰りの電車の中で広島に住んでいた事がある人も一緒だったのだが、この度の震災の話になり、広島原爆投下後の広島の話になった。
当時はもう戦争末期、日本全国何処も空襲にやられて酷いものだったけれど、その中でも原爆投下は最悪の出来事だった。
見渡す限り焼け野が原・・・、今回の震災の後のように所々にぽつんぽつんとコンクリート製の建物が残っていたという。
死亡した人は17万人と言われている。そこかしこに転がる何処の誰ともわからぬ遺体を一箇所に集め、火葬した所もあればそのまま埋めたところもあったようだ。
放射能の後遺症で広島の土地には今後10年は草木も生えないだろうと噂になった。
だが翌年には大地に逞しく草は生えてきた
以降広島の人達は一歩一歩復興に向かって歩き続け今日の広島に至っている。
今回の震災は広さから言えばスケールが違うかも知れない。
だが広島は当時何処からの援助も無く自力で立ち上がるしかなかったんだよ。
でも生き抜いてこられた。
放射能の残る荒地で何十年も過ごし生き残った人が今も元気で生きている事思うと、福島原発の放射の被害に余りにも過剰反応しすぎではないかと思う。
ほうれん草など洗って食べれば良いじゃない
ハウスのイチゴなんか捨てるなんて勿体無い
被災地の人達へ、 必ず明日は来るから希望を失わないで生きて欲しい
広島だって神戸だって立ち直れたんだもの
余談だけど・・・、私が住んでいる広島県の北部地域、地震もないし台風も来ない。
とっても住みやすい所なのに何故か過疎化が進んでいる・・・
工業団地もガラガラに空いているし、停電も無い。
被災地の事業主の方、コチラへいらっしゃいませんか
西日本へ移住していらっしゃいませ。歓迎いたしますよ