あしあとーⅡ

日々のあれこれ、綴ったものが自分の足跡に

神になった日本人

2008年08月20日 | TV・映画
お盆が過ぎてようやくほっと一息ついている。
ここ数日のうちに3度ほど雨が降った。降雨量としてはまだ充分とはいえないけど、毎日の水やりからは解放された。オマケに朝晩が急に涼しくなり、夜になると戸を開けていると寒いくらい。
もう秋の気配の今日この頃、
「こだわり人物伝」を録画していたのを、ようやく見ることが出来た。
レコーダーをブルーレイに変えてからHDDが附いているので録画するのとても楽になり、見たいなと思ったらすぐに予約しておくの。

今回は「神になった日本人」という題で、崇徳天皇を取り上げていた。
実はこの番組が気になったのは、内野さんが出た「野望と夏草」の舞台にこの崇徳天皇が登場するのだ。
舞台は崇徳天皇が後白河法王に破れ讃岐に流される所が出てくる。
この戦に加担したのが平家と源氏だったのだ。

この方は鳥羽天皇の子供なのだが、実は鳥羽天皇の祖父白河天皇が鳥羽天皇の妻章子に産ませた子なのだそうだ。だから父である鳥羽天皇はこの子を「叔父子(おじご)」と呼んだそうだ。当然父から嫌われる。
で、天皇の位には5歳で即位したがすぐに弟に変えられてしまう。
その弟が「野望」に出てくる後白河法王なのだ。
この舞台では内野さん演じる清盛が白河天皇の落しだねだという設定になっていたが、そうなると清盛と崇徳は母違いの兄弟になるんだわ~
そこまでは思い至らなかったなぁ~。

後白河と崇徳の二人が天皇の座をめぐって争ったのが「保元の乱」であるが、崇徳側はあっという間に敗れてしまい、讃岐の地へ流される。

崇徳上皇は都へ帰ること願って罪を悔い、写経をして都へ送ったがそれが送り返されてくる。
帰郷の夢を断たれた崇徳上皇はその写教本へ

「日本一の大魔縁となり
   皇を取って民となし
      民を皇となさん」と血染めで書いたのだと。

実際に崇徳上皇が亡くなった後この写教本が発見されたそうだ。

自分が生きながらの妖怪となって自分をおとしめた天皇一家を崩壊させる事を誓う。
9年後崇徳上皇は都へ帰れぬまま讃岐で亡くなるが、その後京都では大火があったり飢饉があったりして民衆がこれは崇徳上皇の祟りだと噂が広まる。
後白河法皇はこれを恐れて神社を建て、崇徳上皇の供養に努めたが、やがて予言どおりに天皇制は武家政治に取って変わられる。

その後武家政治は7百年も続き、天皇制が戻ったのは江戸幕府が終わり明治になってからの事だが、その明治天皇が一番恐れたのが崇徳上皇の祟りだったそうだ(笑)
7百年も経っているのにだよ
そこで京都に白峰神宮を建てどうか祟らないで下さいとお祭りをしたと言うから驚きだ

考えてみれば崇徳上皇の出生は崇徳上皇自身がどうする事も出来ない出来事なのに、彼の人生はその事に翻弄され続け、とても気の毒な生涯を送られた方なんだ。

歴史はまだまだ知らない事が沢山ある。
知るを楽しむという番組だけど確かに新しい事を知るのは楽しいね~