真理(この世の中の仕組みというもの)は、【 今(環境)に心を奪われ(向きになって)、『人生』を流れで、受け止めないために、生きている「今」に、感謝ができない自分の心の姿(形、あり方)に、気づいてくださいね。
この世の仕組み、『真理』を知りながら、なぜに心を、(現代社会に、ありがちな)形にとらわれて(向きになって)生きているのでしょうか?
自分の「世に役に立つ力。」(運命の力)は、必ず、花咲くゆえに、(何をしたら、よいのかというと)心焦らず、希望をもって、生きて下さいね。
それには、朝夕、(心豊かに、なるために)思い預ける、心が薄いのですよ。
(大らかで、温かい、思いやりある心、人のために生きていくというような、心になれるよう、助けて下さい。
豊かな心で、生きてゆく、豊かな心へと助けてもらおうと、心を預ける…。)
環境が、生みだす力に、生きる心(力)のまれては、いけない。 『今』こそ、真理が、我が人生を楽しく生きる力(たとえば、退院の時、感じるような、晴れ晴れとした、うれしさ)となるときです。
(真理は、心は、揺れ動くものだから、真理に触れ、祈願することで、愉しく生きる力となります。)
預ける、感謝、焦らず(広い、大きな心、思い預けて)生きる。 心正しい姿を、忘れてはいけません。
それが出来れば、心は救われ(思いを流して、心を救ってもらい)愉しい人生を歩んで行けますよ。】 としていられます。
「希望の光。」が表され、「救いの道(手立て)。」はすべて、用意されている今(現在)「自分の人生、自分の『存在』が、光るため。」に、応援してくれます。
「思いの強さが、見えたであろうか?」ともいわれますが、心が『豊か』になれば、「関わり。」過ぎることが、なくなっていきます。
「ああして、ほしい。」、「こうして、欲しい。」と、人に求めることも、なくなります。
かかわらなくてはいけないのは、この世の仕組み(心で回る=返ってくる)です。 いかに、人を愛し、人に愛され、いかに、人と仲良く、生きていくかです。
真理(豊かな心で、豊かな心で…)を基軸(お団子の串)に、生きていれば、商売であれば、顧客が、ついてきます。
人が、人を呼ぶものです。 家庭であれば、口もきかなかった、家族が、優しくなってきます。
家族みんなが、ゆったりして、いつも、心の交流を、はかるようになります。 教え(どうしたら、いいんですか?)で、生きると、自然と、心が、豊かになっていきます。
すると、人生には、「どうでもよいことが、たくさんある。」こと、に気づきます。
(私は、「余分なことを、考えないように、明るく、強く、穏やかな心を。」と言われたことを、思い出します。)
人の癖が、気になったり、他人(にくい、あん畜生…)が、道を外したことを、許せなかったり、自分の人生には、何の得にもならないことに、『無駄』な心を向けることは、なくなります。
心を向けるべきなのは、自分の持っている力(運命の力)を、どうすれば「生かしていけるか。」を考えることです。
心正しく(焦らず、穏やかに穏やかに)生きれば、運命(世に役立つ、生きる力)は、必ず花開くものです。
「我が運命(生きる力)、必ず花咲くゆえに、心焦らず、希望(人に役立つ)を持って生きなさいよ。」としています。
ここで言う、『希望』とは「人に愛され、世に役立つ、生き方が、できるようになる。」希望です。
現実にとらわれた『希望』では、焦ってしまいます。 人生とは、年中、上手くいく人など、いないものです。
ですから、『目先』の希望ではなく、「人に受け入れられ、愛され、頼られ、そこに人の役に立ち(必要とされる=その人の個性です)、生きがいのある人生が送れるようになる。」ための希望です。
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