<『生命』とか運命(生きる力)というのは、どこから来るのでしょうかねえ?>
プラトンの「宇宙(天・神)の力。」とか、アリストテレスの『魂』(生命論)から始まって、『南方(みなかた)曼荼羅』(南方熊楠)の「因果と縁。」、宇宙(大きな魂)の「『分魂』が、肉体にやどって、生命(運命=生きる力)になる。」という考え…。
さらに、「輪廻転生。」、「いや、仏陀は、死ねば、何もないといっている。」とか、キリスト教の「人間は、神によって、生命を、吹き込まれたもの。」とか…、各論があり、閑な、私にも、まったく、分かりません…。
いずれにしても、「今を生きている。」という、「有り・難い。」(有ることが不思議・難しい)『事実』、そして、今や、「生きているだけで、丸儲け。」という、いい加減さでありますよ。
「悔いなき人生を、送る。」(開運の人生)ための、「この世の仕組み。」(生きる知恵・真理)があるというので、これを、「ポレポレ。」と尋ねながら、とりあえずは「今を、しっかりと、過ごすのかなあ…。」といったところです。
私は、かねて、自分では思いを『預け』た結果「そうなってきた。」(自己満だとまずいなあ?)と思っているのですが、他の人からも「いい人生ですね…。」と言われたらいいなと、思っていました。
ところで、先日のサルディーニァ島・周遊ツアーでも、同行になった人から、9日間の間、毎日、「何にもセンムとは、呑気で、いいわね、いいわね…。」と言われたのですが、このところは、「面白い人生にして欲しい。」とバージョンアップした『願い』をしておるのでありますよ…。
まあ、私の友人たちのように「もう難しいことは、たくさんだ。 余生を、のんびりと過ごしたい…。」という意見にも賛成していますがね。
そして、その『終日』の時にあたって、「いろいろなことがあったけれど、まあ、自分の人生とは、こんなものだったんだろうなあ。」と、それなりに、『納得』できる人生であれば、それこそ、「生きてきただけ、丸儲けだ…。」と、相変わらずの「損得計算。」ではありまする…。
(ジェットコースター人生の後、呑気になれているわけだが、いずれにしても、駄目だ、こりゃ!)
プラトンの「宇宙(天・神)の力。」とか、アリストテレスの『魂』(生命論)から始まって、『南方(みなかた)曼荼羅』(南方熊楠)の「因果と縁。」、宇宙(大きな魂)の「『分魂』が、肉体にやどって、生命(運命=生きる力)になる。」という考え…。
さらに、「輪廻転生。」、「いや、仏陀は、死ねば、何もないといっている。」とか、キリスト教の「人間は、神によって、生命を、吹き込まれたもの。」とか…、各論があり、閑な、私にも、まったく、分かりません…。
いずれにしても、「今を生きている。」という、「有り・難い。」(有ることが不思議・難しい)『事実』、そして、今や、「生きているだけで、丸儲け。」という、いい加減さでありますよ。
「悔いなき人生を、送る。」(開運の人生)ための、「この世の仕組み。」(生きる知恵・真理)があるというので、これを、「ポレポレ。」と尋ねながら、とりあえずは「今を、しっかりと、過ごすのかなあ…。」といったところです。
私は、かねて、自分では思いを『預け』た結果「そうなってきた。」(自己満だとまずいなあ?)と思っているのですが、他の人からも「いい人生ですね…。」と言われたらいいなと、思っていました。
ところで、先日のサルディーニァ島・周遊ツアーでも、同行になった人から、9日間の間、毎日、「何にもセンムとは、呑気で、いいわね、いいわね…。」と言われたのですが、このところは、「面白い人生にして欲しい。」とバージョンアップした『願い』をしておるのでありますよ…。
まあ、私の友人たちのように「もう難しいことは、たくさんだ。 余生を、のんびりと過ごしたい…。」という意見にも賛成していますがね。
そして、その『終日』の時にあたって、「いろいろなことがあったけれど、まあ、自分の人生とは、こんなものだったんだろうなあ。」と、それなりに、『納得』できる人生であれば、それこそ、「生きてきただけ、丸儲けだ…。」と、相変わらずの「損得計算。」ではありまする…。
(ジェットコースター人生の後、呑気になれているわけだが、いずれにしても、駄目だ、こりゃ!)