<Ⅿ氏の解(16)。何故エリート主義の欧米が没落して、真正『庶民』社会・日本が『興隆』するのか?>
「社会主義。」もその亜流である「ケインズ主義。」も、たったひとつの『衝動』に突き動かされている。
そしてこの2つほどは、わかりやすくはないが、「マネタリズム。」とか「中央銀行主義。」、要するに『国家』が金融を適切にコントロールすることで、経済は、景気変動なき永久の安定成長を達成できるという思想も、同じ衝動に突き動かされている。
それは、他人を自分の思い通りに動かしたいという、神のごとき欲求だ。
そして、そのまた底流にあるのは、意思決定の権限は、自分のような優秀なエリートに集中して、大衆はエリートの命ずるままに動いているほうが、大衆自身にとっても幸せなのだという、グロテスクな「エリート主義。」だ。
15世紀に、非ヨーロッパ社会の『侵略』に打って出た頃から、剥き出しの帝国主義的侵略の時代を「地理的発見の時代。」とか「大航海時代。」とかの形容で、立派なことででもあるかのように、言いふらしてきた「西欧人。」は、骨の髄からの「エリート主義者。」たちだ。
だからこそ、自由とか平等とか、「歯の浮くような。」美辞麗句を洪水のように溢れかえらせて、自分たちの本性を隠そうとするのだ。
しかし、こんな隠蔽工作は、すぐ底が割れる。
欧米「資本主義。」がうまくいくのは、軍事的な指揮命令系統をもった、事実上の独占企業が羽振りを利かせているときだけなのだ。
これは、イギリス、オランダが相次いで設立した東インド会社の実体が、軍事・貿易・海賊会社だったころからの伝統だ。
その伝統は、USスチール、GM、IBM、マイクロソフト、アップル、グ-グルにいたるまで脈々と生きている。
自社でルールをつくり、そのルールでうまい汁を吸えるのは、自社のみという構造が定着してる限りで、これら事実上の独占企業は、強大な企業帝国を維持できる。
さすがに最近の「デファクト。」独占企業は、商売敵にお手盛りルールを遵守させるために、自前の軍事力を行使することはない。
だが、「日米経済摩擦。」、華やかなりしころに製鉄業や自動車産業でやったように、商売敵の日本企業の資金力と技術力を、タダで強奪するために、アメリカ政府から日本政府に圧力をかけて、「合弁事業。」に参加させる程度のことは平然とやってのける。
しかし、因果応報。 こうして政治的にずるく立ち回るほど、本業での技術革新力、経営革新力は「衰えて。」いく。
経済活動の商店が、一方的に自社にとって、都合のいいルールの適用範囲から外れていったら、派手な破綻か、長い『衰退』が待っているだけだ。
一方、日本では、大手企業、一流企業といえども、お手盛りルールを作って、楽をして、うまい汁を吸える仕組みを確立するほど、ずる賢い経営者を持ち合せていない。
だから、「ルールは、ルールは、勝手に作ってくれ。 そのルールの下で、最大限の利益を得られるようにを努力するから。」というスタンスで、臨むしかない。
それが、どんなに大きな企業になっても、「自己革新。」を怠らない企業文化を支えている。
また、日本の「デファクト。」企業が成立しないのは、『庶民』が『賢明』だからという要因も大きい。
市場が「独占企業。」に牛耳られることは、「自分たちの損だ。」と本能的にわかっているのだ。
「デファクト。」独占によって、どんなにあくどい搾取、収奪を受けても、特定産業で、最大の企業が自国にあるというだけで、「ウィー・アー・ナンバー・ワン。」と喜んでいる、アメリカ大衆の『愚鈍』さと比べると、月とすっぽん、「雲泥の差。」だ。