ロバート・ブラウニング
時は春、/日は朝、朝は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、神、そらに知ろしめす。/「なべて世は事も無し。」。
上田敏 「春の朝(あした)」 『海潮音』
9月6日の沖縄・那覇空港は、遠くにある台風(シナ)の来たるを思わせる、生ぬるい雨風で迎えてくれました。
全国からはせ参じたチャンネル桜・総勢58名は、高さ6メーターの2柱の『龍柱』(龍は中国皇帝のシンボル)が建てられる、港から続く「若狭海浜公園」にて「龍柱建設反対集会。」を行い、直後からいよいよ各自、日章旗の旗竿(2.5メーターもあろうか)を直立して、日の丸をはためかせてのデモ行進となりました。
何しろ、チャンネル桜の実績・行動力は、毎週土曜日のNHK解体要求デモ行進、毎週火曜・金曜日正午の築地・朝日新聞社前の「朝日廃刊。」を目指す波状抗議デモの実績積み重ねが、ついに朝日をして「虚報訂正。」にまで追い込んだ実績を持ちます…。
(ということで、3月前だかに2000人委員会に参加して、のこのこと沖縄まで来たものの、あんた去年の9月2日に「アイスランド・グリーンランドツアー。」の帰りのヒースロー空港で「車いす状態。」で帰ってから、8月になるまで11カ月間「歩けず。」に自宅『閉塞』を続けていたんじゃあないの~!?? 何やってんだか!?)
デモ行進は、【松山通り】 若狭海浜公園~(シナの拠点)孔子廟~(同)福州園~(沖縄の朝日新聞)沖縄タイムズ
【御成橋通り】 県庁前~那覇市役所 と街頭宣伝し、「シナの侵略を許さないぞ~。」「沖縄を渡さないぞ~。」とシュプレヒコールを続けました…。
街宣終了後、【チャンネル桜沖縄支局スタジオ】においての講演会、その後『沖縄支局開局一周年記念懇親会』となりました。
翌、9月7日は、普天間基地見学、米軍によるオスプレイ説明見学(このために7機を整列してくれていたのは、かってないことだそうです)~辺野古キャンプシュワブ~昼食・反対派テント前砂浜~辺野古漁港より漁船にて海上より、キャンプシュワブ視察
(辺野古・漁民77名のうち反対は2名とのこと、以前滞在したカムチャベイ・リゾートが遠望できた)
夜は、懇親会の後、『連夜』の松山・スナック『メンソ~レ』へと繰り出しました。 私の前に「日本を取り戻す。」大軍師・水島聡社長と論客キャスター・三輪和夫氏が座られ、思わず(私的には)『鼎談』(??)となり、深夜2時まで続きました…。
ベテラン会員諸氏からは、「10年、早くね~!??」と思われたと思うわけで、相変わらず「空気読めね~」(Y・K)状態であり、「死んでも治らない、沖縄『生左翼』…」と同類項とはなりました…。 (例によって、とほほほ)
とはいえ、沖縄の皆さんは、私同様の「状況認識。」欠如そのもので、『時は(いや~ん)晩夏(ばか)、沖縄は事もなし(絵画:ローレンス・アルマ=タデマ 「時は春、すべて世は事もなし」 1902)』状態であります…。
ヤンバルクイナ(やんぬるかな)、どんどはれ(ヤレヤレ―本当は、めでたし・めでたし…)