扇子と手拭い

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親の意見と茄子の花は

2015-05-16 22:00:36 | 落語
▼日本は「第二の故郷」だ
 「親の意見と茄子の花は 千に一つも無駄はない」なんて、昔の人はうめーこと言った。安倍センセイもちっとは、ダンナ方の話を聞いたらいいんじゃねーか。何がって、そうだろ。日本を「第二の故郷」だ、なんて嬉しいことを言ってくださるダンナ方だ。なあ、話を聞いて損にはならねーんじゃないか。

 ダンナ方は「ジャパン・アズ・ナンバー1」なんて立派な本を書いたエズラ・ヴォーゲル(ハーバード大名誉教授)や、日本近代史が専門のジョン・ダワー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)、ロナルド・ドーア(ロンドン大名誉教授)といった日本をこよなく愛してくださるえらーいダンナ方ばかりだ。

▼チョイト気に入らねえ
 ダンナ方は民主主義、科学技術、まれにみる勤勉さなど、日本にはいいところがいっぱいあると称賛した。聞いたか、これだよ。ところがだ、チョイト気に入らねえところがある、てんだ。

 歴史認識てーやつだ。とりわけ慰安婦問題については、軍隊に絡む売春の中でも「特筆すべきもの」だと忠告してるよ。「朝鮮半島の女性たちが自分から進んで慰安婦になったかのような言い方はよせ」てんだ。

▼のどに刺さったトゲ
 大事なのは、このダンナ方は「反日」的な考えの持ち主ではなくて、みんな日本に好感を持って、日本のことをよく知る専門ばかりだということだ。日本を愛しているからこそ、のどに刺さったトゲのように、いつまでも隣近所とゴタゴタしてんのは良くない、てんだ。

 どうだい、分かったか安倍センセイよ。隣町の野郎たちもチョイト、物分りの悪いのが揃っているがそこはオメエ、民主国家の兄貴分としてニッポンが連中の顔が立つよう、うめーとこまとめてやるんだな。ウチの年寄りたちが世話かけてすまなかったと、度量の広いところを見せてやんな。頼んだぜ。

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編注

 毎日新聞によると、欧米の日本研究者ら187人が、安倍晋三首相に対し、戦後70年の今年を過去の植民地支配や侵略の過ちを認める機会にするよう求める声明を送付した。

 戦後日本の歩みは「世界の祝福に値する」としたうえで、「祝福を受けるに当たり、歴史解釈の問題が障害になっている」と指摘。アジアの平和と友好を進めるため「過去の過ちについて、できる限り偏見のない清算を共に残そう」とした。

落語と呼ぶには程遠い

2015-05-16 07:25:05 | 落語
6年前に綴った落語日記のアーカイブ。ご笑覧ください。


▼長だの列が途切れず
 雨は止んだものの25日の東京は終日、どんよりとした曇り空。すっかり冷え込んだ。ところが、東京・西新宿の「らくごまつり」会場は大変な賑わいで終日、熱気に包まれた。会長の桂歌丸や春風亭昇太ら落語芸術協会所属の師匠が総出演。どの会場の前も長だの列が途切れることはなかった。
 
 今日は落語会に出演の日だ。着替えのため楽屋入り。プロの噺家ばかりで気後れしたが、隅っこを拝借して持参した着物に着替えた。脇で桂平治師匠が電気カミソリでヒゲを当たろうとした。

▼噺家の心得を教わった
 「師匠、ヒゲは朝、剃ったんでしょう。それでどうしてまた」と聞くと師匠が言った。「お客様の前で噺をする時は、きちんと整えるのが噺家の身だしなみです」。心得を教えられた。そこに笑福亭鶴光師匠が「きょうは、ぎょうさん(客が)入ってるでえ」と言ってやって来た。

 受講生だけの花伝亭落語会は午後1時からスタートした。ちゃんとめくりもあり、あたしの名前もプロと同じ寄席文字で書いてあった。橘流の本職が書いてくれた。後で聞いたが1枚1万円だそうだ。出演者はタダでいただいた。

▼落語と呼ぶには程遠い
 あたしがトップバッター、開口一番を務めたが、火事場の馬鹿力ではないが、不思議と緊張はなかった。「いつもの稽古の延長だ」と自ら言い聞かせ、居直ったのが良かったようだ。なんとかしまいまで話すことが出来た。

 自分では一人前にやれたと思っていたが、家族や友人の評価は散々だった。「早口でしゃべっているので、よく聞き取れなかった」「覚えたことを必死で話している感じ。まるで朗読会」―。落語と呼ぶには程遠いというわけだ。

▼天と地の違いを実感
 午後2時からは平治、昔昔亭桃太郎、三遊亭小遊三の3師匠の落語を聴いた。私たちとは「天と地の違い」と改めて感じた。公演の最中に携帯電話が鳴った。開演前に「携帯電話はお切り願います」とあれほど注意されたのに、である。

 呼び出し音で一瞬、会場がシラケた。立川談四桜は自著の中で「営々と築き上げてきた江戸の世界が、着メロ一発で平成に戻ってしまう」と嘆いた。落語会だけでなくライブで「着メロ」はご法度だ。 (2009年10月26日記)
 以下次号に続く。