扇子と手拭い

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枠からはみ出す気持ちで(落語2―66)

2011-11-11 16:05:47 | 日記
▼手から離れた丼と箸
 「丼と箸を手から放しちゃいけませんよ」―。久しぶりに平治師匠から稽古をつけてもらった。よく知られた落語「時そば」の仕草である。年の瀬を控えてちょうどいいネタだと思い、取り組み始めた。ところが、噺に夢中になって仕草が留守になった。師匠はそこを指摘した。

 「着物、新しくしたんですか」と平治師匠が私に声をかけた。落語を習い始めた当時に買ったものだが、少々派手目なので着ないでそのままにしておいた品だ。落語の学校17期の稽古も今回で4回目。発表会まであと2回を残すだけとなった。

▼疎かになった仕草
 「時そば」はネタ自体が面白く、実によく出来た噺だが、肝心なのは仕草。これが見せどころ。特に蕎麦を食べる仕草がポイントだ。いかに本物のように食べて見せるか、で落語の評価が決まる。ところが、これがなかなか難しい。仕草に気を取られていると、蕎麦屋の親爺と客のやり取りが疎(おろそ)かになる。会話を忘れまいと注意を払い過ぎると、仕草に穴が開く。

 蕎麦代をごまかそうする客が、「いい丼だね。モノは器で食わせろてんだ」と丼をほめるところで、丼を持っていた左手が空いてしまった。そこを師匠から「丼を眺めていてはいけない。丼は、終いまでちゃんと持ってなくちゃ」と注意された。噺に気を取られて、ウッカリしているとこうなる。

▼大事な場面の設定
 会話の途中で親爺と客の上下(カミシモ)が逆になった。ハッと気付き、「間違いました」と言うと、師匠は笑った。次回までには噺の上下をシッカリ叩き込みたい。「時そば」を演じるにあたって、師匠は大事な点をいくつか教えてくれた。

 場面の設定。「振り分けの行燈という荷を担いで、人の集まる場所に出張ってまいりますてーと」、で始まる落語だから、小さな屋台をはさんでの会話になる。蕎麦代を払うところは場面設定が低過る。それでは畳の上で払っているように見える。腹のあたりで一文、二文と銭を出すと情景が浮かび上がる、と平治師匠は指摘した。

▼“画面”からはみ出て
 蕎麦の長さを表現するには、丼から箸(扇子)で引き上げた蕎麦をそのままにして丼を下げるか、丼はそのままで箸を一段と持ち上げる。実際にはこんなことはやらないが、そこが「ほんとの嘘」を演じるわけである。そうすることで、見ている客が蕎麦の長さを感じる、と説明してくれた。

 “画面”からはみ出す気で演じる。自分の肩幅の中でコチョコチョやっていると、噺それ自体が小さく見える。枠からはみ出す気持ちで演じると、大きくなり、動きが出る、と教えてくれた。いや、たいそう勉強になった。