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湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

逗子桜山の由来

2015-04-04 18:18:26 | 文学
今週は散ってしまう前に逗子市内のあちこちで通りすがり花見をしました。ハイランドの桜のトンネルの中を自転車で走り抜けたのが、とっても気持ちよかったです。で、今日は逗葉高校・桜山保育園に登っていく道の桜のトンネルを通ってみました。頂上は桜山中央公園。盛りは過ぎましたが三組ほどお花見をしている方々がいらっしゃいましたよ。

 京急の新逗子駅近く田越川のほとりに、かつて作家の中里恒子さんが居を構えておられました。中里さんは逗子に強い愛着を持たれ、田越川に面したいつも花いっぱいのサンルームに客を案内して、桜山の桜や、田越川の鮎など昔の逗子の話をされて、懐かしがっておられました。
その中里さんが、吉野山へ花見に行った時のことが「松襲」という作品に書かれています。桜の古木の道を連れだって歩いていると、吉野山には昔から献木の桜が多いという話になり、“連れの夫妻がそれを証しだてるように『吉野の桜は、往時に、逗子から持ってきたそうですよ、そう聞いたことがあります。』…。
 吉野の桜の中には、逗子の桜が混植されているときけば、はて、桜山という地名にわたしは四十年余住んでいる。地番改正によって、桜山ではなくなったが、たしかにやま桜は多かったのである。”
 吉野から帰ると、中里さんは精力的に市役所などを尋ね歩かれ、苦労の結果、市立図書館で、「三浦古尋録」(最古の三浦半島地誌。文化九年。西浦賀のひと、加藤山寿著)に、桜山について次のような記述があるのを突き止めたのです。
“桜山村、戸数二百四十戸、松平大和守領分、むかしここに桜林あり、勅命により、夢窓国師京都へ上らせ給うとき、ここの桜を持せられ芳野へ植えさせ給う由、申す伝うと也。”
ようやく中里さんの桜山についての胸のつかえは取れました。

(宇野喜三郎「みうら半島 路傍の歳時記」より)

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