*165*はこうやって・・・

よく噛んで、ゆっくりたっぷり食べつくす
*165*の日々です

今年の漢字

2016-12-31 23:16:45 | 学・楽・感
年末になると、今年の漢字が発表されます。
今年は「金」でした。いいじゃないですか、景気がよくて。
私及び、我が家でこれを決めるとなると、もう、これしかありません。



壊れるという字です。期待値は別、結果論としてこれしかありません。
我が家では、今年様々なものが壊れました。
形のある物から、そうでない決まり事のようなものまで。
時間を追って列挙してみましょう。

年明け、夫が職場で倒れました。
当初、血圧によるものと診断され、血圧降下剤を服用していましたが、
何度か通院するうちに実は血圧は低い方だったと判明。
ハイエンドクラスの血圧降下剤とニトロまで処方されていて危ないところでした。

春先、夫婦そろってインフルエンザ。

ゴールデンウイークの間に、私はちょっと奮発した買い物をしました。
自分用のPCが欲しいと常々考えていて、吟味の結果タブレットを購入しました。
そいつが1か月かそこらで病院送りとなりました。
インターネットが繋がらなくてはただの石板です。
治療を終えて現場復帰はしたものの今も盤石の体調とは言えない状況です。
運ですかね。

5月の終わりには、夫が職場で事故に遭遇しました。
新幹線の車両清掃をしている彼、それはグリーン車のトイレ清掃中に起こりました。
小さなごみが落ちていると思って差し出した指先に、痛みもなく刺ったのは、
インシュリン投与用の注射器でした。
ここでは少なくない事故のようですが、その後数か月、夫は検査とワクチン投与に通院しました。
もちろん、各種感染症からは回避しました。

7月の中頃、夫は原因不明の発熱と発疹、倦怠感などに襲われました。
今まで聞いたことのない病名「伝染性単核球症」と診断され、2週間入院しました。
退院後も1か月の自宅療養を余儀なくさせられました。
高額医療費の還付申請やら傷病手当の請求やらで娘が力を発揮してくれました。

そして、魔の8月です。
スマホの機種変時期だったのですが、思い切ってキャリアも変えることにしました。
リャリ変が影響したのかどうかはわかりませんが、
新しくなったスマホで不具合が続出、何度もショップに通い、設定に時間をとられました。
イチジクジャムを作ろうとした時に、
使い方を失敗して長年の相棒だった電子レンジをなくしました。
そして、ほとんど同時期にガスコンロの五徳の足が折れているのに気づきました。
調理器具受難です。

秋、重大事件が起こりました。
と言っても、そうなることはかなり前から予測はしていました。
現実になっただけです。
私が15年勤めた会社が事業形態を変えることになり、
社員全員の所属部門がなくなることが通達されました。要するに私達は解雇です。
もしそうなったときには、私はもう繊維業界にはこだわらず次の仕事を探そうと思っていました。
しかし、最後に力を示そうとしたのか、
社長は事業を引き継いでくれ、あわよくば社員の受け皿となってくれる会社を探していました。
事業と、社員の一部を受け入れる意向を示した会社があり、私は移管の対象になりました。
すぐに仕事を探さなければならない事態は免れましたが、
2か月仕事をしてきたにも係わらず、未だに覚悟は定まっていません。

新し会社に入社して1か月ほどたった時、夏の終わりから体調を崩していた母が入院しました。
検査と軽微な治療で一時は劇的に回復した母が、2週間後帰らぬ人となりました。
83歳の誕生日を迎えた直後でした。
母は酉年、年女となることなく次のステージへ向かいました。

夏に相次いだ調理器具の受難は終わってはいませんでした。
母が入院中の12月初め、今度はミキサーが、ウン!という短い断末魔を残して動かなくなりました。
単純な操作で使いやすく、こちらも長くがんばってくれたのに。

もう壊れるものは何もないだろうと思える年末押し詰まったクリスマスの夜、
風呂の湯張りができないという事態となりました。

もう、何がどうなったのか…
そんな2016年が暮れていくのでした。


風呂

2016-12-29 23:04:55 | 
クリスマスの夜、娘が風呂に湯をはろうとした時です。
風呂場から娘の声がしました。
お湯が出ないというのです。
我が家の風呂はボタン操作だけで、
風呂桶の内側から直接給湯して湯はりするタイプです。
いつもの手順で操作しても、ジョバっと湯が噴射する音がしません。

え?壊れたの?

シャワーは?

シャワーは別の蛇口から出るので問題なく湯が出ました。
よかった。

表示板にエラー番号が表示されています。
取説で調べてみると、
電源を切って再度操作してみる、とありました。
では、電源を切って…変わりません。

後日、元のコンセントを一旦抜いて差し直して試してもみましたが、
やはり、結果は同じでした。

ああ、風呂まで…
今年は本当にたくさんのものが壊れました。
もうないだろうと思っていたのに、こんな末になって!

サービスセンターに問い合わせをしました。
24時間対応です。
主人が休みの日に連絡し、即日対応で点検に来てくれました。
ありがとう!大阪ガス!
しかし、思わしくない見解でした。
修理はできなくはない、しかし、部品があったら。
設置後20年が経過した我が家の風呂は、
もう生産されておらず、部品もあるかどうかわからないということです。
その場合、取り換えとなります。
取敢えず、交換を前提とした見積もりが届きました。
それなりの金額です。
楽々出せるとは言えませんが、背に腹は代えられません。
部品待ちに賭けましょう。

日を空けて、電話がありました。
残念なお知らせでした。
交換です。
しかも、年末、作業は休みに入っていて、
工事は年明けです。
シャワーが使えるのが幸い!

こうなったら、
正月休みの間にスーパー銭湯にでも行きますか?

納会の立ち位置

2016-12-28 23:04:01 | 衣・職
新しい職場で2か月がたとうとしています。
早々にアウト!となるかと思っていた(期待していた)のですが、
予想(意)に反して年を越すことになりそうです。

年内最終日には大掃除はつきものですが、
前職場はそれはそれは掃除好き、〇時から始めます!というアナウンスの元、
一斉に4階建て社屋の掃除が始まったものです。
さて、処変わればどうなるか。

各自のタイミングで各自の行動範囲を、という自主的な感じ。
それを聞いて、気楽でいいわと思っていたのですが、
初心者にはタイミングをはかれないものです。
なんかやってる雰囲気を感じながら、でも仕事のキリが付かないし…
タイムリミットの1時間前、さあ、かかりましょう!
と動き出したら、今まで掃除していた人たちはまた仕事にもどってる、あれ?
大々的な掃除をするより疲れる思いでした。

しかし、本当に疲れるのはその後でした。
これも聞いてはいたことなのですが、夕方から納会があるのです。
ただでさえ酒席が苦手なのに、忘年会と違って明るくて狭い会議室では、
誰が何をしているか丸見え、隠しようがありません。
案の定です。
新入りの私はやたら役員に手招きされて、席が足りない中すわって飲め飲め~
隙を見て仕事に戻ろうと思ったのに、ここでもタイミングがはかれなくて。

来年は…と、一年先の計画を考える私。
ちょっと待てよ?
一年先、この会社にいるの?
取り敢えず、年が暮れていくのでした。

遅れてきた黒船

2016-12-27 23:22:19 | 米人と電信


日本は12月25日でクリスマス終了ですよ!
今年も声を大にして叫ばなければなりません。
百貨店スーパー、果てはコンビニまでお正月仕様になってから、
わがやにこの黒船は到着しました。

今年もゴディバです!
アメリカ人メル友からのクリプレはゴディバのギフトセットでした。
こういうのもあるのね。
日本にはあるのかどうかわからないし、あっても一般的ではないでしょう。
だとすれば、プレゼントとしては成功です。

でかいマグカップ!
さて、ホットチョコレートか、コーヒーか、ブレイクしましょうか。

Thank you!

三度目の

2016-12-18 22:02:54 | 
12月14日、満月の夜、母は旅立ちました。
30数年着慣れた看護婦の白衣を身につけて。
棺には毛糸と編み針も入れました。

私と弟は、涙では母を送りませんでした。
なんだか私達兄弟は、感情が欠落しているのか、
いつもそういう感じです。
その代わり、数日間、ずっと母の話ばかりしていました。

さて、次のステージに進むのは母ばかりではありません。
私達残された者も思い出話ばかりしているわけにはいかないのです。
通り一遍の届出はもちろんのことですが、
母は、老人ホームにお世話になっていたのです。
自分の家ではないのだから、
1日も早くその居城だった部屋を片付けなければなりません。

母の移動に伴う片付け事はこれで3度目です。
最初は、初めて老人ホームに入る時。
それまで住んでいた家も明け渡す必要のある借家でした。
3DKいっぱいに詰め込まれた家財というか、ほぼ不用品を、
休みごとに通って1か月かかって片付けました。
次はホーム入所中に入院、それが長期化することになりホームを退所。
となると、持ち込んだ荷物を引き上げなければなりません。
前回よりは少量でしたが、私も弟も余分な荷物を引き取る余裕はありません。
かと言って勝手に処分することもできず、
弟などは自宅の他に一部屋借りることになったほどです。
無事退院した母は、また別に老人ホームに入所。それが今回の城です。
細長い4帖ほどのスペースにベッドを置いた残りの広さなのに、
考えられないほどの品が詰め込まれていました。
母の趣味は編み物をはじめとする手芸です。
その手芸材料がいたるところに保管されていました。
母としては管理していたのでしょう。
しかし、ほとんどがリサイクル物だったがゆえに、主を失ったそれらは産廃となりました。
ゴミ袋をいくつ使ったかわかりません。

私は、きちんと出来上がった母の作品はセンスがあって好きでした。
自分のフェイスブックに何度も写真を投稿しました。
作業の2日間、鬼にした心を一瞬溶かしてくれたのはこの子です。
これが最後のフェイスブック投稿となりました。



月の輝く夜に

2016-12-15 12:00:15 | 食・体
母の入院予定期間は、当初2週間程度となっていました。

入院して2日ほどで、母は食事も自分でとれるようになりました。
実は私は、入院時の母があまりに衰弱していたので、
もしかしたら、これっきりになるのではないかとも考えていたのです。
しかし、その回復ぶりならホームに帰れる日もすぐだと思いました。
だって、歯磨きも自分でしているというのですから。

休みごとに足を運び、
病院までの道すがらに撮った写真を見せたりもしました。
相変わらず、ホームの職員さんへの不満も口にします。
元気になっている証拠と思いました。
会いに行くと、短い時間で帰れ帰れと言います。
それもいつも通り。
娘は次の休みまで行けないと言うので、
最近友達と撮ったプリクラを持って行って見せました。
ほっそりしたなという意味の感想でした。

初めにも聞いていたことですが、
やはり専門病院に転院したほうが良いとなりました。
受け入れ病院が決まり転院日を待っていた月曜日の朝方、電話のベルに起こされました。
それは弟からで、母の意識が混濁し始めたという知らせでした。
10時間ほど前、私は母と普通に会話していたのに。
娘と、たまたま月火と休日だった夫と3人連れだって病院へ向かいました。
私と娘は頃合いを見計らって会社に事情を説明する電話を入れました。
私達と弟が集合してすぐ、母の容体は安定してきました。
その日は昼頃に解散し、私はまた休みを待って面会に行くつもりをしていました。
しかし、上司に促され、仕事を定時に切り上げて病院に行くことにしました。

結局、母がしっかりして会話できたのはほんの数日だったことになります。
私達を早朝集合させた日以来、母は寝ていることが多くなりました。
目を開けてもどこを見ているのかわかりません。
ただ、私が咳をした時にえらく反応していました。なんでしょうね。
どういうわけか、
いつものように「帰り(なさい)」とは言うのです。
寝言がそう聞こえただけかもしれませんが。

夜に行くようになった1日目は土砂降りの雨でした。
2日目は雨が上がり、会社近くの御堂筋のイルミネーションがきれいに見えました。
写真を撮って母に見せてみようかと思いましたが、
しばらくこの時間に通うのだし、また今度、とやめておきました。
行きしなは気づかなかったのですが、病院からの帰り、
見上げるときれいな月がありました。
満月かな?写真撮ろうかな。まあいいか。今度もやめました。
スマホで月齢を検索すると、やはり満月でした。
満月…ちょっと気持ちがひっかかりました。

帰宅して食事をとっていた時、弟から電話がありました。
母の心臓が止まりそうだと。
予感が当たったことになります。
人の生き死には潮の満ち引きに関連があると。
ひいては月の満ち欠けがつかさどっていることになりますから。

実質、私達は母の最期に誰も間に合わなかったことになります。
でも、私はほんの2、3時間前にはそばにいたのだから、
それでよかったことにしてちょうだい。
話ができる間に、何度も「ありがとう」と口にした母が浮かびました。
それが命のアディショナルタイムだったと思います。

弟が母の白衣を1着だけずっと保管していたようです。
数日前にたまたま所在を確認していたのです。
母が看護婦だった頃のものですから、ずいぶん古いデザインです。
ワンピースタイプでズボンはありません。
スタンドカラーからアシメトリーの打ち合いに釦が並んでいます。
母の旅立ちの衣装になりました。

まだ仕事させられるんか!?

そんな母の声が聞こえてきそうでした。






カレーの出自

2016-12-13 18:15:42 | 食・体
休日には、週初めに向けてカレーを作っておくことが割りとあります。
我が家のカレーのレシピは母から伝授されたものです。

それは昔、私がまだ子供だった頃、母が看護師だった頃のこと。
母の勤める病院に、レストランのコックさんが入院してきました。
その人に教えてもらったのです。
今でこそ、家庭のカレーでもトマトジュースを使うのは一般的ですが、
当時は珍しいことでした。
プロの秘訣です。
他には、ローリエやニンニク、ショウガもおろして加えました。
少し赤みのあるルーに仕上がります。

今朝早く、入院中の母の容体が思わしくないと連絡がありました。
家族が集まって安心したのか少し安定しました。

そんな日に、母のカレーを用意していたなんて。


歓迎会

2016-12-08 22:12:31 | 衣・職


新しい会社に入社して1か月が過ぎました。
慣れましたか?という声を掛けれくれることもよくあります。
自分でも自分に問いかけます。
答えは、はっきり出せません。
往生際が悪いと自分でも思うのですが、
慣れたくない、というのが現状本音なのです。
いい加減腹をくくれと言いたい自分もいます。
でも、どこかのきっかけで辞めたいという気持ちも隠せません。

そんな私と一緒に入った営業君との歓迎会を、
所属する部でしてくれることになりました。
歓迎されているのか…
そういえば、
少し前に強行スケジュールの出張に行った帰り、
「165さんは飲めるん?」
「食べ物で嫌いなものはある?」
上司からそんな質問を受けました。
それが前フリだったようです。
ほぼ飲めないということと、好き嫌いはないことを伝えました。

自分が歓迎される場合ばかりではないので、、
長年サラリーマンをしていると歓送迎会の機会は幾度となくあります。
そんな歓迎会のイメージは居酒屋が定番と思っていました。

実は歓迎会をしてくれるということは聞いていて、
それがいつなのかだけは知っていたのですが、
詳しいことはだれも教えてくれませんでした。
時間とか場所とかのことです。
連れだって出かけ、着いてびっくり!
おしゃれなイタリアン!
ピザ食べ放題で12種類のピザを7人で食べきりました。

そして、最後に歓迎される私たちだけに用意されたデザートには、
花火が刺さっていました。
こんなの、海外のドラマか何かでしか見たことがありません!


ミキサー

2016-12-04 15:15:36 | 食・体


一ヶ月ほど前でしょうか。
ハンバーグを作ろうと思ったことがありました。
材料の一つのパン粉はいつも食パンをミキサーでおろして作っています。
パン粉を買うとだいたい使い切らず余らせてしまうからです。
それで必要な分だけ食パンを使うようにしていました。

食パンをちぎってミキサーに投入、
蓋をして、蓋を抑えながらその横にあるスイッチを押す、
その動作と同時にブイ~ンと中のカッターが回るのです。
パンは細かく粉砕されパン粉となります。

はずが…

動かない!

カッターが動かないのです。

ああ…君もか…

今年は本当に色々な物が家の中で壊れました。
どれも長く使ったものばかり。
寿命と言えばそれまでです。
よく働いてくれたと思います。
ミキサーもその仲間入りです。

よく作ったのは、バナナジュース。
ミル & ミキサー という仕様だったので、
パン粉はもちろん、バジルペーストもこれで作りました。

ハンバーグのパン粉は、仕方がないので、
電子レンジでパンを乾燥させ、おろし金でなんとかしました。

あれこれ吟味して新しいミキサーを購入しました。
今回はかなりしっかりしたものを選びました。
さて、どんな働きをしてくれるのでしょう。
期待しています。

クリスマスにどうぞ

2016-12-03 15:14:00 | 米人と電信


昨年のクリスマス…いえ、クリスマスをやや過ぎた日、
たいそうな荷物が届いたのをお知らせしたと思います。
それは、長年のアメリカ人メル友からのプレゼントでした。
中身は驚きのGODIVAづくし!
職場に持って行ったり、弟夫妻におすそ分けしたり、
そんなこんなで堪能しました。

それで、2月のバレンタインデーあたりに、
お返しとして私からも不二家のチョコギフトを贈ったのでした。

今年は先手を打ちました。

その辺で売っている大袋のチョコレートを各種取り揃えました。
インパクトのあるものを選びました。
楽しんでくれるかな?

私は日本のチョコレートは世界一だと思っています。
GODIVAには悪いけど。
子供がお小遣いで買える程度の値段の物でも品質に間違いがないからです。

渾身の日本チョコでクリスマスを過ごしてね。