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月の輝く夜に

2016-12-15 12:00:15 | 食・体
母の入院予定期間は、当初2週間程度となっていました。

入院して2日ほどで、母は食事も自分でとれるようになりました。
実は私は、入院時の母があまりに衰弱していたので、
もしかしたら、これっきりになるのではないかとも考えていたのです。
しかし、その回復ぶりならホームに帰れる日もすぐだと思いました。
だって、歯磨きも自分でしているというのですから。

休みごとに足を運び、
病院までの道すがらに撮った写真を見せたりもしました。
相変わらず、ホームの職員さんへの不満も口にします。
元気になっている証拠と思いました。
会いに行くと、短い時間で帰れ帰れと言います。
それもいつも通り。
娘は次の休みまで行けないと言うので、
最近友達と撮ったプリクラを持って行って見せました。
ほっそりしたなという意味の感想でした。

初めにも聞いていたことですが、
やはり専門病院に転院したほうが良いとなりました。
受け入れ病院が決まり転院日を待っていた月曜日の朝方、電話のベルに起こされました。
それは弟からで、母の意識が混濁し始めたという知らせでした。
10時間ほど前、私は母と普通に会話していたのに。
娘と、たまたま月火と休日だった夫と3人連れだって病院へ向かいました。
私と娘は頃合いを見計らって会社に事情を説明する電話を入れました。
私達と弟が集合してすぐ、母の容体は安定してきました。
その日は昼頃に解散し、私はまた休みを待って面会に行くつもりをしていました。
しかし、上司に促され、仕事を定時に切り上げて病院に行くことにしました。

結局、母がしっかりして会話できたのはほんの数日だったことになります。
私達を早朝集合させた日以来、母は寝ていることが多くなりました。
目を開けてもどこを見ているのかわかりません。
ただ、私が咳をした時にえらく反応していました。なんでしょうね。
どういうわけか、
いつものように「帰り(なさい)」とは言うのです。
寝言がそう聞こえただけかもしれませんが。

夜に行くようになった1日目は土砂降りの雨でした。
2日目は雨が上がり、会社近くの御堂筋のイルミネーションがきれいに見えました。
写真を撮って母に見せてみようかと思いましたが、
しばらくこの時間に通うのだし、また今度、とやめておきました。
行きしなは気づかなかったのですが、病院からの帰り、
見上げるときれいな月がありました。
満月かな?写真撮ろうかな。まあいいか。今度もやめました。
スマホで月齢を検索すると、やはり満月でした。
満月…ちょっと気持ちがひっかかりました。

帰宅して食事をとっていた時、弟から電話がありました。
母の心臓が止まりそうだと。
予感が当たったことになります。
人の生き死には潮の満ち引きに関連があると。
ひいては月の満ち欠けがつかさどっていることになりますから。

実質、私達は母の最期に誰も間に合わなかったことになります。
でも、私はほんの2、3時間前にはそばにいたのだから、
それでよかったことにしてちょうだい。
話ができる間に、何度も「ありがとう」と口にした母が浮かびました。
それが命のアディショナルタイムだったと思います。

弟が母の白衣を1着だけずっと保管していたようです。
数日前にたまたま所在を確認していたのです。
母が看護婦だった頃のものですから、ずいぶん古いデザインです。
ワンピースタイプでズボンはありません。
スタンドカラーからアシメトリーの打ち合いに釦が並んでいます。
母の旅立ちの衣装になりました。

まだ仕事させられるんか!?

そんな母の声が聞こえてきそうでした。






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