おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

深谷駅~旧煉瓦製造施設(日本煉瓦製造株式会社専用線)。その1。

2016-03-08 20:15:32 | 鉄道遺跡
 「旧中山道」歩きで「深谷宿」に入ってすぐ、「国道17号線(現中山道)」を渡った先の右手に「常夜塔」があります。そこを斜めに横切る緑道。それが、「日本煉瓦製造専用線」跡だったようです。その時は、そのまま通過。
 今回、その廃線跡を歩いてみました。全線が自転車と歩行者専用の遊歩道「あかね通り」として整備されています。約4㎞の遊歩道。帰りはバスの便の本数が少ないため、往復するかたちに。自転車で行くのがいいようです。車内に持ち運びが出来る「おりたたみ自転車」が便利。
 が、今回は歩きで往復しました。ほどよい疲労感があって、とてもいい、と思いました。


1970年代のようす。←の道。中央・左手が「深谷駅」。

 そこで、「日本煉瓦製造専用線」について

 日本煉瓦製造株式会社は、かつて存在した日本の煉瓦製造・販売会社である。本社を東京に置き、埼玉で煉瓦製造工場を操業していた。

《沿革》
 明治政府は臨時建築局を設置し、ドイツ人建築家のヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデをお雇い外国人として日本に招いた。彼らは都市整備のために良質な煉瓦、ならびにそれを製造する工場が必要であることを明治政府に進言した。これにより渋沢栄一らによって日本煉瓦製造が設立され、同工場が埼玉県榛沢郡上敷免村(現在の深谷市上敷免)に建設された。
 後に太平洋セメントの子会社となり、2006年、日本煉瓦製造は廃業を決定、清算された。会社清算に伴い、埼玉県深谷市にあった工場の諸施設は、すでに重要文化財に指定されていた「ホフマン輪窯」「旧事務所」「旧変電所」などを含めて所有権が深谷市に移転、同市によって保存・整備されることとなった。

《専用鉄道》
 工場は利根川の支流・小山川に面しており、製造された煉瓦は舟運により小山川から利根川そして江戸川に入り東京に至るというルートをとっていたが、輸送力向上を目的として1895(明治28)年に日本鉄道(現JR)「深谷」駅から工場までの約4.2kmにわたって専用鉄道が敷かれた。運行は1920年12月末時点で3往復が設定されていた。
 昭和後半からはトラック輸送がメインとなり、1975(昭和50)年3月に専用線は廃止となった。その後線路が撤去され、歩行者と自転車専用の遊歩道「あかね通り」になっている。

《日本煉瓦製造の煉瓦を用いた主な建築物》

・東京駅(東京都千代田区)
・中央本線万世橋高架橋(東京都千代田区)などの鉄道高架橋
・司法省(現在の法務省旧本館、東京都千代田区)
・日本銀行旧館(東京都中央区)
・赤坂離宮(現在の赤坂迎賓館、東京都港区)
・東京大学(東京都文京区)
・旧金谷レース工業鋸屋根工場(群馬県桐生市)
・信越線碓氷峠の鉄道施設(群馬県安中市)

《「日本煉瓦製造」関連(深谷市内)の国指定重要文化財》

・旧事務所 - 木造平屋建、瓦葺、1888年頃の建設(現在は日本煉瓦史料館として使われている)
・旧変電室 - 煉瓦造
・ホフマン輪窯六号窯 - 長さ56.5m、幅20m
・備前渠鉄橋

(以上、「Wikipedia」参照)

    
                              深谷駅・駅舎。

 「深谷駅」が出発点。この駅舎。東京駅丸の内駅舎の煉瓦が「日本煉瓦製造深谷工場」でつくられたものであることから、1996(平成8)年の改修に当たって東京駅の半分の大きさに模した煉瓦張りになっています。

コンコースの灯りもなかなか凝っています。

 周囲の建物で赤煉瓦仕立てのものも。
    

駅前広場には「渋沢栄一」像。

高崎線に沿って始まる線路跡は、「あかね通り」。

かつての本線からの分岐付近?

 遊歩道は自転車と歩行者ときちんと分けられ、その仕切りには煉瓦が並べられています。  


この付近から廃線跡に重なる道に。

 スタートしてすぐに越える「唐沢川」に架かる「つばき橋」。鉄橋をそのまま利用し、上に煉瓦で手すりを設置してあります。
    

プレート・ガーダー橋と土台の煉瓦積みはそのまま。

 廃線跡は高崎線から離れ、左にカーブしながらほぼ北に向かって進みます。ほとんど直線の道。道の真ん中には大きな木々が植えられ、住宅側には花を咲かせる低い木々が続き、よく整備された遊歩道です。
    
                                         0.5㎞ごとに案内表示。

                   

 しばらく行くと、ちょっと広いところに。ベンチもあって小休憩。この付近で貨車のすれ違いでもあったのでしょうか? 周囲も少しゆとりのある空間に。
    

 やがて旧中山道との交差点。旧深谷宿の常夜燈が建っています。これが中山道歩きの時に見かけた江戸方の常夜燈に当たります。

    

旧中山道(熊谷方向)。

廃線跡(遊歩道)からの「常夜燈」。


←が「常夜燈」付近。上方斜めの道が「国道17号線」。

※ 「写真」は、「歴史的農業環境閲覧システム」より。

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