おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

向島百花園で、うぐいすの初音。満開の河津ザクラ、オオカンザクラ、白木蓮。隅田公園・「東京大空襲戦災犠牲者追悼碑」。

2023-03-10 20:15:08 | 隅田川

百花園を出て、隅田公園へ。

百花園を出たとたん、「ホーホケキョ」と一声、園内から響いてきました。これぞ、「うぐいすの初音」。

一瞬、春を感じました。姿を見せず、啼く鶯。その初音を聞くことができ、何だか気分がいい。

「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスが…

(「東京新聞 2020年11月12日 07時19分」より)

「初音」といえば、わざわざウグイスと断らずとも、ウグイスがその年の春に初めて鳴く声のことである。「初音」が昔から大切にされたのは人々の春を待つ心からだろう。春を待つようにウグイスの初声を待つ▼永井荷風が季節の音について書いていた。夏の夜の下駄(げた)の音。油紙で張った傘に時雨のはらはらと降りかかる響き。荷風にとってそういう懐かしい音は時代とともに消えてしまった。「わたくしは蝉(せみ)と蟋蟀(こおろぎ)の庭に鳴くのを待ちわびるやうになつた」。その声だけが昔から変わらず残る季節の音なのだと▼気象庁は植物の開花や鳥の初鳴きなどで季節の移ろいをとらえる「生物季節観測」を大幅に見直し、来年以降、ウグイスの初鳴きなどの観測を取りやめるらしい▼ウメの開花やサクラの開花、満開などは残るようだが、動物の二十三種類は全廃となる。ツバメ、シオカラトンボの初見も、荷風が待ちわびたセミやコオロギも皆「落選」した▼気象台や測候所周辺の環境が変わり、対象動物を見つけるのが難しくなったという。セミなどは、今でもいるだろうにと思わぬでもないが、経費など別の理由もあるのかもしれない▼これも時代なのだろうが、かつては身近だった鳥や虫たちが急に遠くへ行ってしまったような気がする。ウグイスではなく同じ鳥でもトラツグミの聞きなしをふと思い出す。<サビシイ、サビシイ>

・・・

園内で、老人二人。「ここ数年、メジロの姿を見なくなって、さびしいものですね。」と言葉を交わしていました。

たしかに、新型コロナで梅祭りが中止になって、以前の賑やかな鳴き声が聞こえなくなった、という印象があります。

初音を聞いただけで、「よし」と、しましょうか!

隅田公園に向かいます。すでに河津ザクラが満開。緑の葉がチラホラ伸びています。

      

 

隅田川方向へ。

   カンヒザクラ。(「百花園」にもありました。)

オオカンザクラ。

           

ほぼ満開。

隅田川。

            高校生らしい集団が鈴なりで手を振っています。青春ですね。

浅草側には、「白木蓮」。

              

ハクモクレン(白木蓮)は、モクレン科モクレン属に属する落葉高木の1種である。早春の葉が展開する前に、白色の大きな花が上向きに咲く。

しかし、みやこどり・ユリカモメの姿が全く見当たりません。どこに行ってしまったのでしょうか?

さて、今日、3月10日。78年前、隅田川以東・本所地域一帯を焼き尽くした「東京大空襲」。

隅田川沿いには、橋のたもとや隅田公園などに被災者の慰霊碑があります。

東京大空襲戦災犠牲者追悼碑」。

戦災によって亡くなられた方々の碑

隅田公園のこの一帯は、昭和20年3月10日の東京大空襲等により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。
第二次世界大戦(太平洋戦争)中の空襲により被災した台東区民(当時下谷区民、浅草区民)は多数に及んだ。
亡くなられた多くの方々の遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、戦後荼毘に付され東京都慰霊堂(墨田区)に納骨された。
戦後40年、この不幸な出来事や忌まわしい記憶も、年ごとに薄れ、平和な繁栄のもとに忘れさられようとしている。
いま、本区は、数少ない資料をたどり、区民からの貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調製するとともに、この地に碑を建立した。昭和61年3月 台東区

「言問橋の縁石」。
 ここに置かれているコンクリート塊は、1992年言問橋の欄干を改修した際に、その基部の縁石を切り取ったものです。1945年3月10日、東京大空襲のとき、言問橋は猛火に見舞われ、大勢の人が犠牲となりました。この縁石は、当時の痛ましい出来事の記念石として、ここに保存するものです。

・・・

「東京スカイツリー」では今日を慰霊の日としてライトアップするそうです。

荒川・「四つ木橋」から(2022/3/10)。

(附)東武線「東向島駅」近くにある「墨田区立第二寺島小学校」校庭の「くすのき」。

樹齢400年とも伝えられる「くすのき」は、高さ約6m、幹回り約2.7m。幹の中に大きな空洞ができていますが、見事に蘇り、校庭のど真ん中にどっしりと構えています。

この「くすのき」は、東京大空襲の戦禍にも耐えて、今も校庭の真ん中に。

(2022/3/10)             

        

                 

「東京大空襲」の体験者もほとんどいなくなりました。語り継ぎ、戦争の悲劇を二度と繰り返さないために。

※「四つ木橋」のたもと、「曳舟川」沿いの河津ザクラ。

          

 

           手前が「曳舟川」。


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