おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その5。なんじゃもんじゃの木。多摩川五本松公園。六郷用水取入れ口。玉翆園。(「都県境を探ってみる」。第20回目)

2023-04-29 20:21:42 | 都県境を探ってみる

木が生い茂るところも。

その先に、

「調布排水樋管」。

               ランニングロードの距離標示。

左手のお店「薪窯ピッツァ」裏手にある「なんじゃもんじゃの木」が満開!

          ヒトツバタゴ。

ナンジャモンジャは、特定の場所に生えている見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称。すなわち、特定の植物の名ではない。ヒトツバタゴを指すことが多いが他の樹種の場合もある。あんにゃもんにゃとも呼ばれる。

「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレイヌザクラボダイジュなど様々である

「ナンジャモンジャ」と称される理由について、民俗学では、元々は占い神事に利用されていたもので、植物名で直接呼ぶことが憚られたものではないか、とみる説などがある

一説では、神木の前を通りかかった水戸黄門が「この木はなんじゃ」と聞いたところ、地元の人が聞き取れず「なんじゃもんじゃ」と返答して、木の名前だと勘違いして広まったという話がある

(この項、「Wikipedia」より)

                

左手が住宅街になります。

河川敷には畑。

                  対岸は、登戸方向。

「多摩川五本松公園」。

      整然とした農地。

下流に「多摩水道橋」。

           今や、はるか遠くに「よみうりランド」(↓)。

         

「海から24.2K」。

木陰で小休止。けっこう暑くなってきます。

「六郷用水取り入れ口」。

六郷用水は、徳川家康の命により慶長2年(1597)から16年にかけて代官小泉次大夫吉次によってつくられた灌漑用水路で、次大夫堰とも呼ばれています。この用水は、多摩川の水をこの辺りで取り入れ、市役所の裏で野川と合流し、世田谷区を経て大田区に至り、全長約23㎞に及びました。市内でも和泉、猪方、岩戸の水田の利用されてきましたが、この辺りは昭和40年に埋め立てられました。写真は、多摩川から見た取り入れ口で、右側が現在地、左側は玉翆園で、昭和初期のものです。

※「玉翆園」この付近にあった料亭。当時の河畔沿いに築かれた石垣が残っているようです。

明治39(1906)年頃、当時の狛江村会議員・井上半三郎が、和泉圦上(いずみいりうえ・現在の中和泉4丁目)の約二千坪の土地を開墾し、「井上公園」を造成しました。老松が茂り、眼下には多摩川が悠々と流れ、その向こうに富士山や、丹沢の山並みが遠望できる景勝地だったそうです。大正2(1913)年、その公園の中に建てられたのが料亭「玉翠園 」です。屋形船を浮かべ、鮎料理を楽しむ客で賑わいましたが、戦況の悪化に加え、多摩川の汚染がひどくなり、昭和14(1939)年に閉店しました。公園内には、大正10(1921)年、小学生のために宿泊施設を備えた林間学校も建てられ、地域の公民館のような役割も果たしていたそうです。(「ココシルこまえ」HPより)


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