戦後、国立大学の増加と共に、大学入試が東大などの旧帝大系を中心とした一期校とその他(旧師範学校やその他各県の国立大学、蔑称で駅弁大学などとも言われた)の二期校と二回の試験体制が続いた。それは、一期校の優位の体制、二期校はどうしても劣るイメージ。受験戦争の激化と共にその是正のために「共通一次試験」が導入された。
これは、一期校・二期校の区別なく一律に共通問題にすることで大学入試を緩和しようとする政策。しかし、現実は、共通一次の得点・偏差値によって、東大を頂点として全国立大学の上から下まですっかり序列化されてしまった。それも、たった1回の試験で決まってしまうのだ。また、今じゃ考えられないが、センターは、試験の各問の配点も公表せず、平均点などもいっさい公表しなかった。いきおい、予備校がその配点や平均点を予想し、受験生にデータを提供することになる。
こうしてこれを機に、大手予備校、受験業界は全盛期を迎える。大学進学率も急速に伸びて大学進学への世間の関心が高まる中、偏差値によって大学が決まる(自分の興味や特性には関係なく)ことで、またまた弊害も多くなった。そこで、今度は、現在の「センターテスト」体制になっていく。
これは、基本的にはセンターテストを一次試験として各校で二次試験を行う、その日程も基本的には前期・後期とすることにしたのである。いわば、「センター」を大学入試の資格試験的なものにしようとする考え方がベースにはあったのだが、今や、その片鱗すらなさそうだ、作る側には。
そのうち、私立大学もセンターに参加するようになる。今では、センターの成績だけで判定し、各大学での二次試験なしで合格させる大学も増加してきた。受験料だけは事前に取っておいて、センターで得点が出たとたん、その大半を不合格にするというひどいやり方をする大学も多い。だから、ここでもやはり平均点や得点率がものをいう。やっぱり予備校頼みはますますひどく・・・。
このように、戦後の大学入試制度改革は猫の目改革、いつも右往左往させられるのは、受験生。 まして、「ゆとり教育」路線で小・中・高(但し公立校のみ)の授業時間は大幅削減され、英語を中心に学力低下は否めない。しかも、国立・私立を問わず難関大学の入試は、少数激戦化。またしても、一般の高校側の受験指導は、もう苦労の連続。
なにしろ「ゆとり」でやってきた中学生にとって、大学ははるか高いところに位置するはず。いってみれば、高校はかのヒマラヤのように、南北から押し上げられた褶曲山脈(?)みたいなもの。雲の彼方にある高き山に向かって、はるか下からやっこらさ人を登らせなければならない。
一方、大学側は学力低下対策で、7科目体制を選択。外国語(英語)、数学、国語、理科2科目、社会2科目が、文系理系どちらにも課せられることに。はたして間に合うの?高校3年間(センターが1月だから、3年は事実上2学期までオシマイ!)で、と。もうこれじゃあ、現場は落ち着いた雰囲気では、授業が出来ない。
そこで、またしても生徒は予備校通い。学校を終わっても、そのまま予備校に。途中でコンビニに寄って夕飯を買ったり食べたり・・・。予備校で勉強し、帰宅は11時を過ぎることも。すると、今度は、東京都青少年条例により「深夜徘徊」の疑いで見回りの警察官に補導される。渋谷や池袋の「非行」補導ではなくてですよ。
なぜいまさらこんなことを書いたか。
今回のセンターテストで国語Ⅰで教科書と同じ文章が出題されたというミスや英語での時間ミスなど初歩的なミスが重なったことでセンターが一躍、注目されている。
しかし、ことの本質は違う。
そもそも大学入試制度に問題があるということだ。それは、入試制度が変わっても、けっして変わらないものがあるからだ。大学入試になんだかんだ通ってしまえば、もうそれで、終わり。あとは大学生活をエンジョイする、というふうになっていることだ。最近は、大学側も卒業資格を厳しく設定し、簡単に卒業させない大学も増えてきてはいるが。それでも、まだまだ楽なのだ。
どんどん落第させる、単位を簡単に取れなくさせる。「入りは易く、出は難く」。欧米では当たり前の制度を導入していくしかないと思う。という、誠にごく当たり前で世間でも考えている結論。但し、今の日本の大学のように、展望も理念もない、自転車操業的大学では無理かも知れない。と、これも誰もが思っている結論。
お後がよろしいようで。
これは、一期校・二期校の区別なく一律に共通問題にすることで大学入試を緩和しようとする政策。しかし、現実は、共通一次の得点・偏差値によって、東大を頂点として全国立大学の上から下まですっかり序列化されてしまった。それも、たった1回の試験で決まってしまうのだ。また、今じゃ考えられないが、センターは、試験の各問の配点も公表せず、平均点などもいっさい公表しなかった。いきおい、予備校がその配点や平均点を予想し、受験生にデータを提供することになる。
こうしてこれを機に、大手予備校、受験業界は全盛期を迎える。大学進学率も急速に伸びて大学進学への世間の関心が高まる中、偏差値によって大学が決まる(自分の興味や特性には関係なく)ことで、またまた弊害も多くなった。そこで、今度は、現在の「センターテスト」体制になっていく。
これは、基本的にはセンターテストを一次試験として各校で二次試験を行う、その日程も基本的には前期・後期とすることにしたのである。いわば、「センター」を大学入試の資格試験的なものにしようとする考え方がベースにはあったのだが、今や、その片鱗すらなさそうだ、作る側には。
そのうち、私立大学もセンターに参加するようになる。今では、センターの成績だけで判定し、各大学での二次試験なしで合格させる大学も増加してきた。受験料だけは事前に取っておいて、センターで得点が出たとたん、その大半を不合格にするというひどいやり方をする大学も多い。だから、ここでもやはり平均点や得点率がものをいう。やっぱり予備校頼みはますますひどく・・・。
このように、戦後の大学入試制度改革は猫の目改革、いつも右往左往させられるのは、受験生。 まして、「ゆとり教育」路線で小・中・高(但し公立校のみ)の授業時間は大幅削減され、英語を中心に学力低下は否めない。しかも、国立・私立を問わず難関大学の入試は、少数激戦化。またしても、一般の高校側の受験指導は、もう苦労の連続。
なにしろ「ゆとり」でやってきた中学生にとって、大学ははるか高いところに位置するはず。いってみれば、高校はかのヒマラヤのように、南北から押し上げられた褶曲山脈(?)みたいなもの。雲の彼方にある高き山に向かって、はるか下からやっこらさ人を登らせなければならない。
一方、大学側は学力低下対策で、7科目体制を選択。外国語(英語)、数学、国語、理科2科目、社会2科目が、文系理系どちらにも課せられることに。はたして間に合うの?高校3年間(センターが1月だから、3年は事実上2学期までオシマイ!)で、と。もうこれじゃあ、現場は落ち着いた雰囲気では、授業が出来ない。
そこで、またしても生徒は予備校通い。学校を終わっても、そのまま予備校に。途中でコンビニに寄って夕飯を買ったり食べたり・・・。予備校で勉強し、帰宅は11時を過ぎることも。すると、今度は、東京都青少年条例により「深夜徘徊」の疑いで見回りの警察官に補導される。渋谷や池袋の「非行」補導ではなくてですよ。
なぜいまさらこんなことを書いたか。
今回のセンターテストで国語Ⅰで教科書と同じ文章が出題されたというミスや英語での時間ミスなど初歩的なミスが重なったことでセンターが一躍、注目されている。
しかし、ことの本質は違う。
そもそも大学入試制度に問題があるということだ。それは、入試制度が変わっても、けっして変わらないものがあるからだ。大学入試になんだかんだ通ってしまえば、もうそれで、終わり。あとは大学生活をエンジョイする、というふうになっていることだ。最近は、大学側も卒業資格を厳しく設定し、簡単に卒業させない大学も増えてきてはいるが。それでも、まだまだ楽なのだ。
どんどん落第させる、単位を簡単に取れなくさせる。「入りは易く、出は難く」。欧米では当たり前の制度を導入していくしかないと思う。という、誠にごく当たり前で世間でも考えている結論。但し、今の日本の大学のように、展望も理念もない、自転車操業的大学では無理かも知れない。と、これも誰もが思っている結論。
お後がよろしいようで。
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