おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR「群馬八幡」駅から「横川」駅まで。その2。(旧中山道をゆく。第8日目。)

2016-03-06 15:29:15 | 旧中山道

 安中市は旧中山道への思い入れがあって、各宿とも充実した「案内パンフレット」などを用意してあり、散策や帰ってからの見直しに大変役立ちます。

     

「鷹之巣橋」のたもとに、かつてのお休み処? 

                   この先辺りで徒渉していたようです。
                       

橋の左奥には「東邦亜鉛安中精錬所」。

 以前、「信越線」で乗って、高崎駅を過ぎて左手に見えてくる。要塞のようなこの施設が眼に入ると、いよいよ関東平野から山の中に入って行くのだな、と旅心をそそられたものでした。再びこうして歩いて遠くに見るとは思いも寄りませんでした。
 この工場は、安中公害訴訟で有名になりました。

上流右手にはクレー射撃場。

ちょっぴり白い頭をのぞかせた「浅間山」。

 渡り終えると、「中宿」。橋のたもとを右折して、すぐ左折します。本来の道は川の向こうから続いていました。(10:08)

    

 右手に土蔵と新しい公民館。
    

 「この地は400年近い家歴を有する大河原家より安中市へ寄贈されたものなるところ、安中地区第一区の住民の総意により新たに公民館を建設した。」とあります。

  「庚申塔」。「従是 一宮/大日 街道」とあります。

(10:18)しばらく進むと、道が二手に分かれるので、正面の道をそのまま進みます。
    
                                       振り返って望む。

その道を行くと碓氷川の土手に突き当たります。 

旧中山道は徒歩で対岸に渡っていたようです。 

「久芳橋」からの「浅間山」。

左手には「妙義山」。 

「中宿」方向を望む。

「下野尻」交差点で歩道橋を渡り、「安中宿」方向へ。 

(10:43)「安中宿・下の木戸」跡。 

安中宿(あんなかしゅく)
 中山道六十九次のうち江戸から数えて15番目の宿場。
 現在の群馬県安中市、JR東日本安中駅の真西方向、碓氷川と九十九川に挟まれた台地上に安中宿があった。また、駅北東側・碓氷川南岸にも安中中宿と呼ばれる宿場町が存在していた。
(歌川広重 画)

安中宿周辺の空中写真。
 北を九十九川、南を碓氷川に挟まれた河岸段丘上に位置する。国道18号南側を東西に並行して走る狭い街道筋が旧安中宿である。1975年撮影の4枚を合成作成。

 天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、安中宿の宿内家数は64軒、うち本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠17軒で宿内人口は348人であった。
                                 (以上、「Wikipedia」より。写真も)

 少し補足すると、

 安中城の城下町。町並みの長さは、3町44間。日本マラソン発祥の地と言われ、毎年碓氷峠の熊野権現まで走る「侍マラソン」が行われている。これは安政年間に藩士の鍛錬のために始めた「安政の遠足」が起源。同志社の設立者で、キリスト教布教に尽力した新島襄は安中藩士の子。

 宿内のようす。落ち着いた町並み。古い建物も。
    

(10:46)「安中郵便局」前に「本陣跡」説明板。    

「案内図」。史跡の案内が充実しています。

史跡は右手、坂道を上った所に点在。「大泉寺」。

 「伝馬町」(宿場によくある地名)交差点を右折し、坂道を上った突き当たりにあるのが「旧碓氷郡役所」。

    

旧碓氷郡役所 安中市指定重要文化財
 明治11年(1878)、・・・群馬県に17の郡(のちに11に統合)が設置され、郡役所が開設された。碓氷郡役所は旧安中宿本陣に置かれたが、約10年後の明治21年に旧安中城内町口門北側(現在、旧碓氷郡役所があるところ)に新築された。
 郡役所の新築から約22年後の明治43年、原因不明の火災によって焼失してしまった。このため、翌明治44年に竣工したのが現在も残る旧碓氷郡役所の建物である。
 しかし、郡は地方自治体としての歴史がなく、郡住民の自治意識もきわめて低く、自治体としての発達にも見るべきものがなかった。このため、大正10年郡制は廃止され、郡は行政区画に戻った。大正15年には各郡役所も廃止となり、郡は地理的名称に戻った。 その後、この建物は碓氷郡農会、碓氷地方事務所(昭和17年から)、安中農政事務所(昭和32年から)と移り変わったが、昭和48年には空き家となり、翌昭和49年に県から安中市へ移管された。県内の郡役所はここだけとなり、この県内唯一の郡役所を保存するため、平成8年に安中市指定重要文化財に指定し、平成8~9年に修復工事を行い、当時の写真や建物に残る痕跡から創建当時の姿に復元した。

 平成10年2月
 
 今も各県などに残る「○○郡」には、いきさつ、歴史があったのですね。

 「旧郡役所」の前の通りは「大名小路」と呼ばれています。
     
 
「安中城内現況対照図」(明治初年)。

 図中にもある「安中教会」。大正8年、新島襄召天30周年を記念して建てられた「新島襄記念会堂」は建築史上の意義の高い建物、らしい。

(10:57)通りの左側に「旧安中藩郡奉行役宅」と「武家長屋」が復元されて残されています。

コメント
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