おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧下関駅。山陽ホテル跡。

2014-04-30 16:49:14 | 歴史・痕跡
 初めて下関に出かけました。海も近く、山も近く、起伏に富んだ街並みでした。往復とも迎えに来てくれた車の乗せてもらって、北九州空港から関門海峡を橋で渡って下関市内へ。帰りは少し寄り道をして・・・。思ったより早く行き来できました。
 寄り道は、例によって痕跡。旧下関駅跡。お目当てにしていた「山陽ホテル」はすでに解体され、有料駐車場になっていたのが、残念でした。それでも、車の中では「廃線」「痕跡」を熱く語って自己満足。運転してくれた地元の知人は、かなりあきれ顔でした。なにしろ、「山陽ホテル」なんてあったけ? 前にあった下関駅って? 火事で三角屋根の駅舎は焼失したけれど・・・。この火災はこちらの記憶にもありましたが。・・・。


 すっかり港にあった貨物線もすっかりなくなり、駅舎の痕跡もありませんでした。車を駐めて「たしかこのへんは、貨物線の引き込み線があったなあ」案内してくれたすでに70年近く下関に住む方も言いながら一緒に辺りを歩きました。「あそこあたりにあったホテルが山陽ホテルのはずですが」と私。めざとく広い通りに面した記念碑を見つけ、近づくと、「山陽ホテル跡」というモニュメントでした。
「山陽ホテル」。ステーションホテルというように、下関駅正面脇にあった。


かつての写真。設計は、東京駅と同じ「辰野事務所」。
現在は、広い駐車場。
右手の奥に「山陽ホテル」があった。正面が旧下関駅のあったところ。

岸壁に面したところに旧下関駅があった。

このあたりの通りはかつての貨物引き込み線跡になるか?


日清講和記念館・料亭「春帆楼」。
 明治28年(1895年)3月20日から、料亭「春帆楼」において日清戦争の講和会議が開催された。この会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席した。講和に向けて会議はくり返し行われ、4月17日に講和条約が調印された。

対岸は、北九州市。この付近が、壇ノ浦。右は「関門橋」。
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